「お疲れ様。君の話からすると、結構ハードな内容なんだね。これじゃあ、今までの授業の知識だけじゃ対応しきれるはすがないよ」

 セドリックが図書館から借りて持ってきた数冊の呪文集には、無数の付箋が挟まれている。ライジェルも調べるのが大変だったが、セドリックも結構な手間がかかっていたらしい。

「攻撃系は赤、操作系は黄、変化系は緑、防御系は青、って感じで色分けしてみたんだ。見やすかったらいいんだけど」
「ああ、この方がありがたい。今から分類しようと思っていたから手間が省けた」

 セドリックの持ってきた呪文集の一冊をぱらぱらとめくったライジェルには、見たことのない魔法も載ってはいたが、入学前や休暇中にレギュラスから幾つかの呪文は教わっていたため、ライジェルにはそれほど苦ではなさそうだ。

「ねえ、ライジェル」
「どうした…………ライジェル?」

 付箋のついたページに目を通していたライジェルをじっと見つめて何かを思うところがあったらしいセドリックがはっきりと口にしたライジェルの名に、呼ばれたライジェルは普通に返事をした数秒後に違和感を感じて顔を上げた。

「なんで私のファーストネーム……」
「ほら、僕達、結構仲良くなったじゃない? なのにまだファミリーネームで呼び合うのは何だか固いなって思ってね。もしかして、ファーストネームで呼ばれるの、嫌だった?」
「いや、別に……」

 セドリックに首を傾げられて、ライジェルはそんなことないと否定的な意思はないことを表す。たかだか呼び名の話なのだ。そんなことでぶつぶつと言うほどライジェルの心は狭くない。ライジェルにファーストネームで呼んでいいと言われたセドリックは嬉しそうににこりと笑む。

「あ、それじゃあ僕のこともファーストネームで呼んでよ。セドリック、ってさ」
「わかった」

 今までライジェルがファーストネームで呼んでいた者は、レギュラス、ルシウス、ナルシッサ、ドラコ、パンジーくらいで、身内以外の人はパンジー以外ほぼ全員ファミリーネームで呼んでいた。昨年度末に、シリウスやレギュラスとごちゃごちゃになって面倒だから、とハリーとハーマイオニーに名前呼びされたのも、本当は慣れなくて変な気分になったものだ。何だかむず痒い。

「…………そういえば、お前に最初に会ったのは私が一年生だった年の、」
「ホグワーツ特急に乗って家に帰る途中だね。確か、席がなかった時に僕達のいたコンパートメントに来たんだっけ」

 あの頃のライジェルはもっと小さくて可愛かったな、と笑うセドリックに、ライジェルは羞恥心から顔を赤らめる。別に恥ずかしいことは何一つ言われてなどいないのだが、それでも昔の自身のことを言われるとそうなってしまうものだ。

「僕、こういう風に親しくする前から、君のことをよく知ってたんだよ。君が二つ下の学年にいる女子生徒で、スリザリン生で、シリウス・ブラックの娘ってこと」
「……──っ!?」

 シリウス・ブラックの娘ってこと────ライジェルはそのセドリックの言葉を理解した瞬間、肩をびくりと跳ね上がらせた。まさか、どうして、何故、セドリックは昨年度末のあそこにはいなかったはずなのに。

「なっ、あの、そんな──」
「隠さなくていいよ。どうせ、魔法省の一部の魔法使いは知ってることだからね」

 普段は保っている平静を放り出して目を見開いて慌てるライジェルを、落ち着いて、となだめたセドリックは、じっとライジェルを見ながらまた話を続けた。

「十三年前にシリウス・ブラックが捕まった時に、彼の娘、即ち君をどうするかって魔法省の位の高い魔法使いの間でちょっとした問題になったんだって。最終的には今の君がある通り、レギュラス・ブラックのところに預けられたんだけど」

 先ほどまでの恥ずかしさを忘れ、食い入るようにセドリックの顔を見つめながら話を聞くライジェルに、もっと肩の力を抜いていいから、とセドリックは微笑みながらライジェルの肩をぽんぽんと軽く叩いた。

「その時父さんはもう魔法省の魔法生物規制管理部に勤めてて、父さんはまだ人の上に立つような地位じゃなかったけど、愚痴か何かで上司から聞かされたんだって。とんだ問題が出てきてしまった、ってね。レギュラス・ブラックは確か、まだ魔法省には勤めてはいなかったと思うな。だからそういう話が回ってたってことは知らないんだと思う」

 セドリックの言う通り、そんな話はレギュラスの口からは微塵も聞いたことがない。

「まあ、シリウス・ブラックの娘をどうするかって問題があったってことも今は父さんは忘れてるし、魔法省の役人は入れ替わりが激しいから今の魔法省内部でもきっと全然知られてないよ。僕の母さんみたいに、記憶力のすごく高い人なら覚えてるかもしれないけどね。この話も、昔母さんが父さんから聞いたことを僕に話してくれたんだ」

 セドリックの話をまだ噛み砕けていないのか、気を張り詰めたまま呆然とした表情のままのライジェルにセドリックは目をすっと細める。

「ああ、だからって君を怖がったりしてるわけじゃないよ。親に問題があっても子供もそうだとは思えないし。だから変に心配しなくていいから。ただ、僕は君のことを知ってるって言いたかっただけだ」

 ────正直、ライジェルにはセドリックの頭の中が理解できなかった。セドリックの目の前にいるライジェルがスリザリン生で、その上大量殺人鬼でヴォルデモートの部下と言われているシリウス・ブラックの娘だと知っているにも関わらず、どうしてこんなに普通に話しかけていられるのか。ハリーやハーマイオニーだって、ライジェルがシリウスの娘と知ってはいるが、それはピーター・ペティグリューが真の犯人でシリウスが無実だと知っているからだ。昨年度でたくさんの人から避けられることに慣れてしまったライジェルには、セドリックの真意が全くわからない。

「……どうして、」
「父さんから聞いたんだよ。マルフォイ家主催のクリスマスのパーティーで、レギュラス・ブラックが娘を家に残しているからって早いうちに帰ってしまったってね。レギュラス・ブラックが帰った後に父さんが、ルシウス・マルフォイの息子とレギュラス・ブラックの娘は同じ年齢だって話していたのを聞いたんだ。マルフォイ家の一人息子がホグワーツの一年ってことは有名だからね。君が一年生ってこともわかったよ。組分けで、君がスリザリンに入った時にスリザリンが湧いていたのも強い印象で残ってるから」
「そうじゃない!」

 どうして、とライジェルが尋ねたのを、どうしてセドリックがライジェルのことを親しくする前からよく知っていたと言ったのか、という問いと履き違えたらしいセドリックに、ライジェルは首を激しく左右に振った。ライジェルの曲線を描く黒髪が顔に当たるのも、今の彼女には気にもならない。

「お前は何でそんな、何でもないように此処にいられるんだ。スリザリン生で、ブラック家で、シリウスの子で、シリウスも未だ捕まっていなくて、でも、何故、どうして…………」

 もはや文章にもなっていない、ライジェルの吐露する言葉の断片は、この場にいて、なおかつ物分かりのいいセドリックでなければ通じなかっただろう。いやいやと言うように、力無く首を何度も横に振るライジェルに、セドリックは黙って眉を寄せてライジェルをただただ見つめるだけ。少しの間が経って、ようやくライジェルの気が落ち着いてきた頃にセドリックは口を開いた。

「言ったじゃないか。君が僕をハッフルパフ生だからって見下したり馬鹿にして笑ったりしないように、僕も君がシリウス・ブラックの娘っていうだけで変な固定観念を持ったりしない。そりゃあ、初めて母さんからそれを聞いた時は驚いたけど、彼は彼、君は君だろう? 君と彼は違う人間だし、一緒に生活して彼と全く同じ考えを持ってるわけでもないんだ。今の僕は、彼と君を同じようには思わないよ」

 セドリックが口をつぐんでから、しばらく静寂がその場を支配した。その間、ライジェルは、セドリックの話した意味を頭の中で反復させ、何か裏があるのではないか、と変に考えてしまっていた。セドリックの言うことが、信じられない。ライジェルにとっては綺麗事としか思えないのだ。詐欺師か何かに騙されているような、自分にだけ都合のいい言葉。この言葉の真意は何なのだろうかと動きの鈍る頭を無理矢理回転させる。
 対してセドリックは、どうしたらいいのかわからずにこちらも考えを巡らせている。ライジェルにも言ったように、セドリックには本当にライジェルを騙してどうこうしようとは思っていなかった。第一、ライジェルがシリウスの娘だとセドリックが知ろうとも、何一つ彼に利益はないのだ。利用しようにも利用先が見つからない上、ごく一部ではあるが知っている人は確かにいる。それに何よりも、ライジェルに何かしでかせばレギュラスが黙っていない。セドリックの父のエイモスも結構な馬鹿親だが、ライジェルただ一人のために休暇をとったりパーティーを抜けたり会談を延期させたりと、レギュラスの親馬鹿ぶりもそれなりに知られているのだ。わざわざ純血の名高い名家の当主を敵に回そうとは、少しでも頭の回る者なら考えもしないだろう。だが、セドリックから見てライジェルは彼を信じられている様子が全く見られない。どうすればライジェルに信用してもらえるのだろうか。今までセドリックはその整った顔立ちのおかげで、老若男女問わずたくさんの者に好意を持たれてきた。だからこそ、信用を得るために何をすればいいのかわからない。

「…………その、」
「…………ねえ、」

 セドリックが代表選手として選ばれた日の朝のように同時に声を掛け合ったライジェルとセドリックは、数秒ほど目をしばたたかせた。先に呆気にとられた顔を崩したのはセドリックで、ははは、と腹を抱えだす。一拍置いて、ライジェルの肩もふるふると震え出した。くすくすと最初は小さかった笑いも、だんだんとそれは大きくなっていき、最終的には大きな笑い声が二つ、温室に響いた。

「…………呪文、試してみるか」
「……そうだね」

 未だに口元に笑みを浮かべたまま、二人は呪文集を片手、もう片方に杖をとった。二人とももう先ほどの話のことには何も触れなかった。セドリックがシリウスとライジェルの関係のことを知ろうが知るまいが、このまま対抗試合に支障が出なければいい。そう思い、ふっ切れた様子のライジェルにセドリックも安心したようで、目を細めて笑っている。

「……ああ、今のこと、誰にも言うなよ。漏らしたら磔にする」
「はは、まさか僕の命が狙われる日が来るなんて思ってもみなかったよ。絶対に言わない」


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