ムーディにいじめられた白いフェレット、というのは最近のホグワーツ内でのもっぱらの話題だ。しかもそのフェレットは生徒が変身術で変えられた姿で、その上その生徒はあのドラコ・マルフォイだとか。まさか、あのマルフォイにそんなことをすれば父親が黙っていないぞ、という声もあがるが、ムーディの姿を見る度にびくりと身体を震わせるドラコの様子を見れば、この噂が全くの出任せではなさそうだ、と思うだろう。ライジェルは驚異の跳ねるフェレット事件の現場を見たわけではなかったが、ドラコからムーディの悪口を散々聞かせられ、その事件が本当のことだということは知っていた。
 昨年度はドラコの代役としてクィディッチのシーカーを務めていたライジェルにとっては、今年はクィディッチで体力を削られない分勉強が楽だった。なんせ昨年度はクィディッチにシリウスのことがあり、試験前に詰め込むくらいしかできなかったのだ。だが、一年後に控えた普通魔法レベル試験に向けて教師達はぴりぴりとした空気を纏わせていて、課題も宿題も今までの数倍も課された。スネイプが厳しいのは通常通りだが、マクゴナガルやフリットウィックが普段穏健だからか、むしろスネイプの方が厳しくなっていないようにすら思える。とは言え、スネイプも生徒の調合した解毒剤を実際に生徒自身に服用させると言い、怠けた結果が我が身に降り懸かっては堪らないと必死にならざるを得なかった。

「ムーディの授業、すげえぞ」

 とある日の放課後、ライジェルとパンジー、ライジェルの同室の女子生徒らと談話室で魔法史の課題の調べ物をしていると、モンタギューらクィディッチのメンバーがドラコに話しかけているのを見つけた。

「あんな授業は初めてだ。今までの闇の魔術に対する防衛術の授業が如何に温かったかがわかるぜ」
「ああ、ムーディに比べたらあの人狼やロックハートなんてごみ以下だな」

 彼らの様子からして、かなり上機嫌なようだ。

「どんな内容でしたか」
「おっと、それを言っちゃあ楽しみが減るってもんだぜ。お前ら四年生は初授業はまだか? ま、楽しみに待ってろよ」

 ムーディに散々な目に遭わされたドラコはあまり乗り気ではないようだが、他の生徒は違うようだ。今まで別のことを話していた生徒達が、いっせいにムーディのことについての話題に切り替わる。

「そういえば、闇の魔術に対する防衛術の授業って明日だったわよね」

 パンジーが羊皮紙の束から時間割を引っ張り出して確認すると、確かに闇の魔術に対する防衛術の授業は明日の午後に二限続きで組み込まれている。

「闇の魔術に対する防衛術、ちょっと楽しみかも」
「何するんだろうね」

 ライジェルらも一向に進まない魔法史の課題を放り出し、明日の闇の魔術に対する防衛術についての話を夕食の時間まで続けた。
 次の日の、皆の待ちに待った闇の魔術に対する防衛術の授業の時間、開始の本鈴が鳴ると同時にムーディは義足を鳴らしながら教室に入ってきた。ライジェルはパンジーと一番前の教卓がよく見える席に座っている。初見ではその見た目に生徒達は歓迎する雰囲気は皆無だったが、今のムーディには教室中から期待の眼差しが注がれている。

「お前達は、遅れている」

 出席を確認し終えたムーディの第一声は、そのしわがれた声だった。

「お前達だけの話ではない、魔法省の教育委員会の方針が既に遅れているのだ。まっこと、遺憾なことだ。そこの、ノットだな? お前は、滅多なところに行かねば会うこともそう有りはしない魔法生物に襲われるか、もしくはそこらに蔓延る闇の魔法使いどもに襲われるか、どちらの確率が高いと思う?」

 ゴイルの横に座っていたノットは急に当てられてびくっとしたが、おずおずと口を開く。

「こ、後者、だと思います……」
「そうだ!」

 いきなり大声をあげたムーディに、ノットだけでなく教室中が飛び上がった。

「わしはわざわざ森に出向いて人狼に出会ったことなどない、だが闇の魔法使いなら何十何百と相手にしてきた。お前達、わしが闇祓いだからだと思うな。闇の魔法使いはそこら中に紛れている! そんなもの周りにいないと油断していて、呪いをかけられれば即お陀仏だ。お前達自身が対処できるようにならねば」

 前置きはここまで、とばかりにムーディは、教科書などしまってしまえと手を払う。

「お前達、魔法省の定める、最も厳しく罰せられる呪文を答えられる奴は?」

 数人が手を挙げ、ライジェルも右手を挙げる。レギュラスやルシウスから聞いたことがあるものもあるが、何より、十年弱ほど昔にライジェル自身も体験しているのだから。

「ギルベルド、答えろ」
「インペリオ、服従の呪文です」

 そうだ、とムーディはあらかじめ用意していたらしいケージから鼠を一匹つまみ出した。

「よく見ておけ」

 インペリオ、静かになった教室に、ムーディの呪文の声が響く。と、今まで四本で立っていた鼠がまるで針鼠のように丸くなり、ころころと机の上を転がる。机から飛び出した鼠は、今度は床の上をぽんぽんと毬のように跳ね出した。はははは、教室中が笑い声に包まれる。そこらを跳ね回る鼠を見てドラコやパンジーはもちろん、ライジェルもくすくすと笑いを漏らす。

「これが禁じられた魔法の一つ、服従の呪文だ。こいつにかけられた者は幸福感に満たされる」

 傷だらけの顔を歪めて笑ったムーディは皆の反応を見た後に続けて口を開く。

「そうして心地よさに囚われている間、お前達が笑っている間、こいつは背骨を粉々にやられているんだがな。お前達もやられたいか」

 ぴたり、と教室に静寂が戻った。

「……自らの意思で行動しているのか、こいつにかけられているのか見極めるのは困難だ。こいつに対抗する呪文はないが、抗うことが不可能というわけではない。次の授業からはこれを扱う。次だ」

 無理な行動によって骨を粉砕させられた鼠は魔法から解放されるとぐったりとその場に倒れ伏す。ムーディはわざわざ手で鼠を拾うと、ケージの中に戻し、代わりに新たな鼠を掴む。

「ブラック、お前も挙手していたな? わかるだろう、一つ何か言え」

 今ギルベルドが答えた服従の呪文が、目の前で実際に行われた、ということは。今自分が答えれば次に何が行われるか容易に予想がついたライジェルは、頭が冷えていく感覚に陥った。嫌だ、言いたくない。それでも、口はムーディには逆らえないかのように震えながらも言葉を紡ぐ。

「…………は、磔の……」

 呪文、という言葉は口からは出てこなかったが、ムーディは深く頷いた。

「エンゴージオ」

 鼠を教卓に置いたムーディは、魔法で鼠の身体を大きくする。どうしてこんな、一番よく見える席を選んでしまったんだろうか。ライジェルの後悔も虚しく、ムーディは再度杖を鼠に向けた。

「クルーシオ」

 ライジェルの両眼に、キーキーと普通の鼠にしては高い鳴き声をあげる教卓の上のそれが映し出された。毛は全て逆立ち、尾はぴんと張っている。ごろりと教卓に転がり、足をひくひくとさせながら苦しみ悶える鼠からライジェルは目が離せなかった。できることなら離したかった、目を背けてぎゅっと閉じたかったのだ。だが、ライジェルの意思とは裏腹に身体はそれを許さない。私の身体はこれを覚えているぞ、忘れているなどとは言わせない。そう言うかのように、ライジェルのまぶたは瞬きすらせず、指もぴくりとも動かない。まるで金縛りのようだ。目の前の鼠の鳴き声が、ライジェルの耳には叫び声のようにすら聞こえてきた。嫌、痛い、痛いぃっ────ベラトリックスに同じ呪いをかけられた時の自分とこの鼠が重なるのだ。痛くて痛くて堪らなくて、しかし苦しみは少しも弱くなるどころか身体中が麻痺してくることさえなくて。痛みは一定の度合いを超えると麻痺して痛みが感じられなくなってくるとよく言うが、磔の呪文はそれがない、逃げることは許されない。決して自分自身が呪文をかけられたわけではないというのに、あの時の恐怖と苦痛が蘇ってくるようだ。ライジェルは無意識に、右手で腹の烙印を押さえる。あの時ベラトリックスにつけられた、穢れた血の烙印が疼いた気がした。

「……ライジェル?」
「ちょっとライジェル、大丈夫なの?」

 ようやくライジェルの異変に気づいたパンジー達が青ざめているライジェルに声をかけたのをみて、ムーディは鼠を解放する。と同時に、ライジェルの身体も金縛りが解け、右手は腹にやったまま、左手で口元を押さえた。────そこからは、ほとんど覚えていない。ただ、ムーディが先ほど服従の呪いにかけられた鼠に緑の閃光を放った姿は授業が終わった後でさえもまぶたの裏に鮮明に思い出せた。禁じられた呪文三つを実演した後にムーディはそれらについての板書を生徒各自に写させたらしいが、それどころではなかったライジェルを見ても罰を与えようとはしなかったらしい。後々その板書の写しを見せてくれたパンジーに、ライジェルは礼を言ったのだった。


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