「ブラッ……いないか」

 朝のクィディッチの練習から、ライジェルはドラコに口をきかない。いや、むしろドラコが見えないかのように目すら合わせない。ライジェルを姉のように慕っているドラコにとってこれはかなり精神的にきついらしく、いつもの得意げな笑みは見る影もない。

「なあ、ブラックは──」
「図書館よ。ドラコあなた、ライジェルに一体何をしたの?」

 授業後談話室に戻ったドラコはライジェルを探したが、パンジーしか見当たらない。ドラコがライジェルの居場所を聞くと、パンジーは呆れながら答えた。

「いや、その理由がわからないんだ。今朝クィディッチの練習の時にグレンジャーに、穢れた血、と言ったんだ。それしか原因が見当たらない」

 だが、ライジェルはブラック家の娘だ。ブラック家といえば、魔法界でマルフォイ家と並んで有名な純血主義の家系だ。もちろんライジェルもれっきとした純血。ライジェルが非魔法族生まれの魔法使いをかばう理由がない。

「どういうことだ……?」

 ドラコは何日間か考え続けるが答えはでないままだった。その間、ライジェルはドラコをいないものとして扱っていた。今までドラコと一緒にいて親戚でもあるライジェルが彼を無視していることは二、三日もあればホグワーツ中に広まり、ドラコの弱りっぷりは彼のハーマイオニーへの発言に怒っていたフレッドとジョージの双子でさえも同情するほどのものだった。もしかしたらレギュラスに聞けば理由がわかるかもしれない、とドラコは思いつき、ふくろう便で事のいきさつを書き綴って送ってみた。だが、

「ライジェルの前で穢れた血などという言葉は口にするな」

 帰ってきた手紙には、レギュラスの書きなぐりだけがあり、ドラコの求めている答えはない。ドラコがライジェルに無視され始めてから、既に十日が過ぎていた。

「まさか母上が知っているわけないよな……?」

 とはドラコは呟いてみるが、彼が頼れるのはもはやナルシッサただ一人となっていた。ルシウスに相談しようものなら、マルフォイ家の長男たるもの女性に何かするとは、と答えの前に吠えメールにて説教をされてしまう。ドラコはナルシッサに、レギュラスに宛てたものと同じ内容の手紙を飛ばした。
 返事を待っている間も、ドラコはライジェルに構ってもらおうと奮闘したが、結果は変わらなかった。ライジェルは授業が終わるとすぐにどこかへ雲隠れしてしまうのだ。それから四日後、ドラコが待ち望んでいたナルシッサからの返事が届いた。

「……え…………」

 いくらマグル生まれの魔法使いが気に入らなくても、ライジェルの前で、穢れた血、と言ってはいけませんよ。
 ナルシッサからの手紙は、レギュラスの殴り書きと同じ冒頭文から始まっていた。手紙を読み進めていけばいくほど、ドラコの元々青白い顔からは血の気が引いていく。

「なんてことを言ってしまったんだ、僕は……」

 手紙を読み終えたドラコは呆然とした。知らず知らずのうちに、自分はライジェルのトラウマとも言える言葉を言ってしまっていたなんて。

「……謝らなきゃ……」

 今のドラコにはもうプライドなんてものはないに等しかった。頭を下げて謝らなきゃ、このまま自分はライジェルに無視され続けてしまう。それだけは嫌だ。ドラコは寮のベッドの上で手紙を読んでいたが、いてもたってもいられずにライジェルを捜し始めた。談話室に行き、ちょうどいたパンジーに居場所を聞くがパンジーもライジェルがどこにいるかはわからないと言われ、図書館で何回も捜し歩き、校舎を走ってはマクゴナガル先生に怒られる。だが、ドラコはそれでもライジェルを捜し続けた。それほどドラコはライジェルに無視されたのが堪えていたのだ。
 とうとう夕食の時間になってもドラコがライジェルを見つけることはできなかった。ドラコは夕食を食べる気にはなれず、他のスリザリンの生徒が大広間で夕食を食べている間談話室のソファーに座り込んでいた。いつものような脚を組んだ傲慢な態度ではなく、小さく縮こまった座り方で。クラッブやゴイルが見たら、ドラコを馬鹿丸出しの面でまじまじと見つめることだろう。

「はあ……」

 ドラコがうなだれてため息をついた時、スリザリン寮の扉が開かれた。いつもならあと三十分は談話室には生徒は帰ってこないはずなのに、誰なんだろうか。ドラコは頭の片隅でちらりとそう思ったが、今はライジェルのことで頭がいっぱいで、その誰かが入ってきても視線を向けることはしなかった。

「おい、ドラコ」

 不意に、ライジェルの声が聞こえた。幻聴などではなく、ドラコはばっと頭を上げる。そこには、腕を組んでドラコを見下しているライジェルの姿がある。ドラコは彼女を見るなり勢いよく立ち上がって九十度に腰を折ってライジェルに頭を下げた。

「すまない、ライジェル!」

 この機会しかない、ドラコは反射的にそう思った。ここを逃せば、もうライジェルに謝ることは不可能に近い。

「ライジェルがあの言葉が嫌いだなんて、知らなかったんだ。ライジェルを嫌がらせるつもりなんて、全くなかったんだ!」

 ライジェルは急に頭を下げて謝ってきたドラコに一瞬驚いて目を見開いたが、じっと黙って彼の言葉を聞いた。

「本当にすまなかった、すごく反省してる!だから、」

 もう無視なんてしないでくれ。ドラコの願いは、ひどく弱々しい声だった。あの高慢な態度のドラコが出しているとは思えない。一分近く、二人とも何も言わず動きもしない時間が流れた。

「……パンジーから言われた。お前が精神的にかなり参ってる、何があったのかは知らないがもう許してやってほしい。でないとこっちのペースまで乱れるとな」

 ライジェルはドラコから目をそらし、部屋の隅に視線をやりながら話し始めた。

「全くドラコ、お前は本当に他人の気持ちに疎い奴だな。そんなことでは将来マルフォイ家の後継者として立派な者にはなれないぞ」

 親戚として知り合ってからライジェルに何度も言われ続けている、マルフォイ家の後継者、という言葉。口癖のように繰り返されるその言葉は、ドラコの気持ちを浮上させた。それと同時に、ライジェルが彼のファーストネームを呼び、ドラコも彼女をファーストネームで呼んでいたことに気づいた。二人は親戚同士で小さい頃からの幼なじみで、それまではお互いにファーストネームで呼び合っていた。だが学校ではいくら親戚でもファーストネームで呼び合うのは恥ずかしいし立場というものがある。だから学校に通っている間は、マルフォイ、ブラック、とファミリーネームで呼び合うことにしていた。だが今は談話室に二人きり。無意識のうちにファーストネームで呼んでいたのだ。

「ああ、そうだな」
「わかったなら、少なくとも私の前では穢れた血、などとは言うな。さもないと二度と口などきいてやるものか」

 口調は怒っている風だが、ライジェルの表情は柔らかなものだった。許してくれたのだ。

「あと、あのことは誰にも言うなよ。どうせルシウス伯父様かナルシッサ伯母様に聞いたんだろう」

 図星を指され、ドラコはばつの悪そうな顔で頷く。

「ナルシッサ伯母様には悪いが、手紙は燃やせ。身内以外の奴らに知られるなど、死ぬまでの恥だからな」

 ドラコはナルシッサからの手紙の内容を思い出す。確かにあれは他人に知られていい思いをするものではない。

「誰にも言わない、約束する」
「なら、いいんだが」

 ドラコとライジェルは互いに微笑み合った。次の日から、以前以上にドラコがライジェルに飼い犬のようについて回るようになることは、またもやホグワーツ中に知れ渡ることとなる。


prevnovel topnext

- ナノ -