「頑張ってねセドリック!」
「大丈夫だ、お前ならできるさ!」

 そう言って、第三の課題にセドリックを送り出してくれたのは彼の友人ばかりで、セドリックにとって一番応援してほしかったはずのライジェルは朝に話したきりその後はなんの言葉も彼に告げることはなかった。それもまあライジェルらしいけどさ、とため息をついたセドリックは、しかしやはり残念そうな思いを燻らせたまま第三の課題の迷路を進んでいた。どうしてかは彼自身にもわからないが、今回だけは他の誰でもないライジェルに友人に言われた言葉を言ってほしいと強く感じたのだ。まるで、第三の課題には時間制限がないにもかかわらず、もう残り時間が残っていないかのように。

「……どうしても、勝たなくちゃ」

 自分のために、家族のために、友人達のために、ハッフルパフのために、ホグワーツのために、そしてなによりも、ライジェルのために。勝たなければ。勝って、そして、

「告白、なんてしてもまだ勝ち目は無さそうだけどね」

 自信の考えたことに対して自嘲気味に笑ったセドリックは、進行方向から襲いかかってきた魔法生物に杖を向けた。





 その頃、ライジェルはどうにも落ち着くことができずにいた。第三の課題に取り組んでいる途中のセドリックのことが心配でしょうがなく、一つの場所に落ち着いていられないのだ。そわそわしてどうしようもなくなったライジェルは、今はほぼ誰もいない校内を徘徊することにしたのだ。

「あいつ、いざという時に危なっかしいからな……」

 あの巨大迷路を無事に進んでいるだろうか。怪我していないだろうか。誰よりも速く優勝杯へと向かえているだろうか。────セドリックが思っているよりも、何倍もライジェルは彼のことを考えているのだ。それを彼が気づくことはないが、ライジェルにとってはそれでいい。性格が一筋縄ではない者ばかりのスリザリンの生徒であるライジェルは、自身からの好意を本人に悟られたいとは思っていないのだ。

「嫌な感じがする……」

 もやもやとするライジェルの胸中に燻るのは、決して快いとは言いがたい予感めいた何か。これから何か悪いことが起こるのではないかという予感はあまり外れてくれることはないため、ライジェルは顔を若干歪ませていた。
 そう、この嫌な感じは前にも感じたことがある。ちょうど一年前の、そう、あのシリウスを助けた晩にも感じた覚えのあるあれだ。シリウスと再会して、ペティグリューが真の悪者だと判明して、そしてルーピンが人狼になってしまった時のものだ。その当時のことを思い出して、ライジェルは苦い顔をする。あの時ペティグリューを捕まえられていれば、少し前に会った時のぼろぼろの状態のシリウスは今頃もう少しまともな生活を送っていられたかもしれないのに。ライジェルの目の前の地面をネズミがたたたたと走っていく。それを見ながらライジェルはぐっと唇を噛み締めた。

「あの時……」

 あの時、もう少しでも自分に力があったなら。ペティグリューを捕らえられるくらい強かったなら。そうしたら全てがよかったのに。今過去に戻ってやり直せられるなら、そうすれば絶対にあのネズミを逃がしはしない。そう、今しがた目の前の廊下を走ってきたような、ネズミを────ネズ、ミ?
 ライジェルははっとする。この、隅から隅まで屋敷しもべ妖精達が綺麗にしていて、ペットでもなければネズミなんて見掛けはしないホグワーツに、ネズミかいる?

「──っ!?」
「お前には、やってもらわないといけないことがある」

 ばっとそのネズミが走っていった方向に振り向こうとするのと、ライジェルの後頭部に大きな衝撃があったのは同時だった。いや、ライジェルがその声の主を確認することはできなかったため、若干ライジェルが振り向く方が遅かったか。この声は聞き覚えがある、こいつは────その思考は強制的に遮断され、ライジェルは意識を手放した。





 ライジェルが意識を取り戻したのは、時間的にはそれほど間が経っていない、数十分後のことであった。とはいってもライジェル自身は時間の感覚を掴めてはいなかったため、そのことを知ることはなかった。

「……な、ん、」

 身じろぎしようとして気づく、腕を動かせないのだ。否、腕だけではない。身体全体ごと、何か大きくて硬い物にきつく縛り付けられているのだ。辛うじて脚は自由なものの、縛られている体勢からして立つこともままならないようだ。

「此処は……」

 縛られている手がどうやっても外せないことを確認してから俯いていた顔をあげて、ようやくライジェルは今いる場所の異状に気がついた。辺りが、薄暗いのだ。今が夜に近いからだろうと思ったが、周りの空を見渡すとそうではないらしい。周りと比べても此処だけが、現在このライジェルがいる辺りだけが異様に暗いのである。星や月の光が全く差してこない。しかも、周りに見えるのは、無数の墓石、だ。なんで自分がこんなところに……そう考えた時、ざり、と地を踏む音がライジェルの耳に飛び込んできた。

「…………」
「……──お前はっ、」

 その足音の持ち主を見て目を見開いたライジェルに反応することなく、彼──ピーター・ペティグリューは抱えて持ってきたらしい大鍋を地面に置いた。

「こんなところに連れてきて、何がしたいんだっ、答えろ!」

 ライジェルの怒りの混ざった叫びに、ようやくペティグリューはライジェルの方へと視線を向ける。そしてずいとその薄汚れた顔をライジェルに近づけた。

「もうすぐハリー・ポッターがここに来る。そうすれば全てが運ぶ、お前にも全てがわかる」

 そう言うなりペティグリューは杖を取り出してそこに転がっていた石にそれを向ける。

「ポータス」

 ライジェルはその魔法のことを知っていた。人を遠く離れた場所へと移動させることができるポートキーを作り出す、魔法省によって制限のかけられた魔法だ。これを一つ作るのには魔法省に何十もの書類を届け出なければならないのだ。本来ならば、の話ではあるが。ポートキーを作るのには時間がかかる。空間転移範囲や有効時間の指定をしなければまずポートキーとしての機能を果たせないし、それに時空間の歪みの修正などもしなければポートキーを使用した者が目的地についた時には既にこと切れていた、なんてことにもなりかねない。姿あらわしと同じく、いやそれ以上に複雑な魔法なのである。

「全て終わったらお前は帰してやる。あの方が戻ってこられたらお前はもう不要だ、手の届くところに置いてやるからつかんで帰れ」
「まっ、待て!」
「やらなきゃいけないんだ……私がやらないと……」

 ペティグリューはそれ以上ライジェルに何かを教える気はないようで、切羽詰まった表情を浮かべて何やらぼそぼそと独り言を呟きながらまた何処かへ歩いて行ってしまった。

「全てが運ぶって……」

 ペティグリューの言っていた言葉に、彼の去っていった方を見ながらライジェルは眉を寄せる。ペティグリューが何かをしようとしているのは明白だ。その成し遂げようとしていることに、ライジェルとハリーを利用するのだろうということも。

「…………っ、」

 何もわからない、何もできない。今のライジェルにはただその時が来るのを待つことしかできない。





 早く、早く早く早く、もっと早く!
 もはや、今のセドリックの精神は限界だった。理性なんてとうに消え去って残ってなどいない。数々の魔法生物、呪いにも近い魔法。もう何に何の魔法を打っているのかすら彼自身にもわかっていないのだ。行く手を遮るものには種類もはっきりと認識しないまま呪文を乱発する。こんなセドリックは、彼の友人や両親はおろか、彼自身さえも知らない。いつもは紳士的な態度のセドリック・ディゴリーがこんな、錯乱の呪文にかかってしまったかのような姿を見せるだなんて、誰も考えなどしないだろう。取り繕ったうわべの性格を剥がされたセドリックは獣のように目をぎらぎらとさせ、走って進んでいた。

「何処だ……優勝杯は何処なんだ……」

 途中ポッターと出くわしたが、その時は何とか平静を保っていられた。だが今はどうだろうか。杖を向けて魔法をかけない自信は、ない。一刻も早く、自分の理性が制御できているうちに終わらせないといけないのだ。そう決意を新たにしたセドリックは、走っている道の突き当たりの角を曲がった先に見えたもの、否、見えた者に目を見開いた。──クラムだ。

「……──っ!」

 突然見えた生け垣以外のものに反射的に杖を構えたセドリックだが、まだ辛うじて理性の欠片は残っていた。他の代表選手を攻撃してもいいというルールは聞いていない。もしそれが禁止事項だったとしたら、巡回している教師によって強制的にリタイアさせられてしまうだろう。自分自身のミスで途中リタイアなんて御免だ。その思いで、セドリックは何とか踏みとどまっていられたのだ。このままお互いに相手を見なかったことにしてまた別の道を行けばいい、そう考えていた。

「クラム……」
「……──ではない……」

 だが、その考えはゆっくりとクラムがセドリックへと杖を向け返したことで突き返された。ゆっくりと、それはすなわち、故意であることを意味する。何も考えずにただの反射のみでそれをしたセドリックとは全く異なっているのだ。

「何を……してるんだ?」

 嫌な予感がする、そう内心で確信するセドリックに冷や汗が伝う。明らかに目の前のこの男はおかしいのだ。まるで、法律、セドリックの反撃、そしてこの世の何も恐れていないかのように迷いがない。
 確かに他の選手に攻撃するのはルール違反だとは聞いていない。だが、選手同士で攻撃してもいいとも言われてもいなかった。先ほど自身のわずかに残っていた理知的な思考で思いとどまったことを彼は今セドリックの目の前で、否そのセドリックに向けてやろうとしているのだ。

「君は、君自身が何をしているかわかってるのかっ!?」

 もはや叫び声に近い声でセドリックは彼にそう投げかけた。クラムが何を仕出かすかわからない。セドリックのいつもの平静などとうに無くなっている。そして、セドリックの言葉はクラムには届かなかった。

「クルーシオ!」

 それは禁じられた魔法じゃないか、と考える前に激しい苦痛がセドリックに襲いかかった。四肢が引きちぎられるような、身体中を焼かれるような、鋭利なもので刺されるような、それらが一度に身体中を駆け巡る。セドリックの口から痛みを訴える叫び声──先ほどクラムに向けたものとは違うセドリックの意思に関係なく無意識に漏れ出たものだ──が静寂の中に響き渡った。痛い、痛い──それだけがセドリックの頭に浮かぶ。だが、遠くにポッターの声のようなものが聞こえてからその激しい苦痛は止んだ。磔の呪文をかけられてからたったの数十秒程度であっただろうか。だが、セドリックにしてみれば永遠にも感じられるくらいの長い時間だった。

「セドリック、大丈夫かい?」

 磔の呪文にかけられて地面をのたうち回っていたセドリックがようやくそれから解放されて見上げた先にはハリーの姿があった。そしてハリーがやったのか、気絶しているクラムの姿も見つける。まだ少しクラムが自分を襲ってきたことが信じられないセドリックだったが、それでもまだ競技は続いている。前に進むしかないと思ったセドリックは、そのまま優勝杯への道を進んでいった。

 それが、どうしてこんなところにいるのだろうか。ハリーと同時に優勝杯に手をかけたセドリックは、先ほどまで二人がいた迷路ではない、嫌な雰囲気の漂う墓場にいた。優勝杯は、ポートキーだったのか。そんなことを考えながらも薄暗い闇へと杖を構えていたセドリックは無数にある墓石の中に、よく顔の知っている者の姿を見つけたのだ。





「ライジェル……?」

 左手の近くに転がっている自分の杖を何とか手にしようと奮起していたライジェルは、動揺の色を滲ませる聞き慣れた声にばっと顔をあげた。そこにいたのは、目を見開いてライジェルを見つめているセドリックだった。どうしてセドリックがここにいるのだ、その疑問を頭に浮かべるライジェルも同じように彼を凝視する。

「セ、ドリック?」
「ライジェル! どうしてここに?」

 セドリックの後ろからライジェルを見つけたハリーも驚きの声をあげるが、ライジェルには届いていない。この場所にセドリックがいるということで頭が一杯になっているのだ。

「どうして、なんで縛り付けられて……いや、そんなことどうだっていい! ライジェル、今縄を……!」

 ライジェルを逃がさないための固く巻かれている縄を解こうとするセドリックを黙って見つめるライジェルは頭の中に先ほどのペティグリューの言葉を思い出していた。

「お前には、やってもらわないといけないことがある」
「もうすぐハリー・ポッターがここに来る。そうすれば全てが運ぶ、お前にも全てがわかる」
「全て終わったらお前は帰してやる。あの方が戻ってこられたらお前はもう不要だ、手の届くところに置いてやるからつかんで帰れ」


 あの言葉は、ハリーがここに来るのだと確信していた言葉だ。ならばセドリックがここにいる現状なら? ペティグリューが成し遂げようとする目的に不要なセドリックがいて安全である保障はあるのか?
 ──そんなもの、ないと思って間違いはないはずだ。

「セドリック、そんなことはしなくてもいい」
「何いってるんだ。大丈夫、すぐに──」
「それよりもやってほしいことがあるんだ。今すぐ私の右手の近くに転がっている石をとって渡してくれないか」

 思っていたよりもかなり落ち着いている声がライジェルの喉から出てきた。それに縄に杖を向けようとしていたセドリックがライジェルの顔を怪訝そうに覗きこむ。

「ライジェル、何を……」
「いいから、その石をとってくれないか?」

 セドリックはその言葉に内心首をかしげた。そのライジェルの指す転がっている石は、一見すればなんの変鉄もないものである。なのに、ライジェルはどうしてそんな石を手に取るように指示したのだろうか。

「わかったよ。で、この石が何の────」

 石を拾うくらい、なんてことはない。ものの数秒でできることだ。そう思ってライジェルの手の近くにあった石をつかんだ。と、ぐいと身体の内側から引っ張られるような感覚に陥った。そう、ハリーとセドリックがこの墓場へと連れてこられたのと同じ方法で。

「…………あれ?」

 気がつくと、セドリックは見慣れたホグワーツの廊下に投げ出されていた。何が起こったのか知らないまま、これから何が起こるのかも知らないまま。





「セ、セドリック!?」
「あいつのことは心配しなくていい。今頃あいつはホグワーツにいるだろうから」

 突如姿の消えたセドリックに慌てるハリーに、彼をホグワーツに強制的に帰らせた旨を簡潔に伝えると同時に、ライジェルはこちらに向かってくる気配に震える手をぎゅっと握りしめて、未来のわからない恐怖を握りつぶした。

 セドリックは帰らせた。私の帰るべき方法で。だから、もう戻れない。

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