「ライジェルっ!」

 ばん、突如無音だった医務室に鳴り響いたけたたましい音にベッドで横になっていたライジェルは跳び上がらんばかりに驚いた。今職員室にいるらしいマダム・ポンフリーが医務室にいたならば叱責の声が飛んでいただろう。その声の主は今医務室を唯一使っているライジェルの姿を目にした瞬間にベッドの脇に走ってきた。

「セドリック……?」
「スネイプ、教授から、君が此処に、いるって、聞いて……」

 はあ、はあと荒い息をしながら意識のあるライジェルの姿をようやく確認できたセドリックは今まで課題直後にも関わらず身体にこもっていた力が急に抜け、ライジェルの寝ているベッドにもたれかかる。ライジェルは、いまだに元に戻らない視界ではあるがセドリックのいるであろう場所に視線を向けた。こんなに荒い息で、セドリックは医務室に来るまで全速力で走って来たのだろうか。

「でもよかった……命に関わることがあったらって思うと怖くて……君が此処に入院してるって聞いたら、いてもたってもいられなくて……」
「そんな大げさな……」

 そこまで重く考えなくても、とセドリックが聞いたらもっと自分が危ない状況だったと理解してくれと怒りそうなことを考えながら、ライジェルは未だに荒い息のセドリックの肩をさする。

「……そういえば、お前第二の課題はっ、」
「終えてるよ。今はもう昼だ」

 確かに薬をかけられはしたものの被害はそれほどひどかったわけでもなく、そんなに焦らなくてもいいだろうに、と思ったライジェルだったが、はっとしたライジェルの目はセドリックに向けられた。今の今までライジェルは今日が第二の課題のある日だと全く以って忘れていたのだ。

「一番早く課題を終わらせて、制限時間は少し越えちゃったんだけど一番高得点をもらったんだ」

 だが、ライジェルの目が機能しない今でも、セドリックが自信の見える笑顔を浮かべているのだろうということは同じ感情が滲み出てくるその声で容易にわかった。

「確かに、試合中はかなりパニックになったしちょっとしたアクシデントも何回かあった。でも、ちゃんとクリアできたんだよ」

 君のおかげだ。そのセドリックの一言に、ライジェルは内心首を傾げた。なんでセドリックの勝利が自分に繋がるのだろうか。実際に課題を成し遂げたのは他ならぬセドリックであって、ライジェルはほんの些細な手伝いしかしていない上に今日の第二の課題は応援にすら行っていない。なのに、何故。ライジェルは疑問に感じたが、それをセドリックにぶつけることはしなかった。どうせセドリックのことだ、自分の手柄よりも他人の手柄の方を優先し、また喜ぶのだろうから。

「だから今ライジェルが一生懸命になるべき仕事は此処で安静にしてること。ライジェル、イメージに似合わずに結構過激な行動とるからこっちも心配するんだからね」

 きゅっとライジェルの手を軽く握るセドリックの熱が名前の手の平にじんわりと伝わる。一時間水に潜っていたセドリックは世辞にも温かいとは言えず、むしろ深夜まで外で低体温症であったがそれから十時間はベッドの中にいたライジェルの方がむしろ体温は高いだろう。だが、その若干ひんやりとした彼の手がライジェルを安心させてくれようとしているのがわかって、ライジェルはわずかにその手を握り返すように力を入れた。

「……わかった。第二の課題、おめでとう。お前が無事でよかった」
「ライジェル、君の方こそね」

 ここ数日はこのベッドから出歩くことはほぼ無いだろうが、きっと見舞いに来るセドリックやパンジー達がこの退屈も紛らわせてくれるだろう。ぼやけた視界はもはや夢か現かも曖昧だ。





 チョウがセドリックに恋慕の情を抱いたのは彼女が一年生、セドリックが二年生の時だった。きっかけは些細でごくありふれたもので、ピーブスの悪戯で杖を高いところに置かれてしまって困っていたチョウが偶然そこを通り掛かったセドリックに助けてもらったというただそれだけのもの。セドリックにとっては単なる人助けの一部であったのだが、チョウにはその時のセドリックが決して大袈裟でなく王子様のように見えたのだ。
 その瞬間から、セドリックのことを他の生徒とは同じように見ることができなくなったチョウは、セドリックに振り向いてもらえるような努力を始めた。幼少の頃から大人達に可愛いねと褒められてきた容姿をもっと磨き、一つ一つの動作を優美に見えるように見直し、勉学に励み、チョウ自身は今までそれほど興味も無かったクィディッチを彼が好きだからというそれだけの理由で観戦するようになった。元々飛行術の授業の成績が悪くなかったチョウ自身がクィディッチを好むのも無理はなく、その上元々天性の素質でもあったのか、三年生にはチョウ自身もレイブンクローチームのシーカーになることができた。そう、セドリックと同じ役割である。

「やあ、初めまして。僕はセドリック、セドリック・ディゴリーだ。明日の試合、お互いに気持ちの良い試合にしよう」

 初めての試合前日にわざわざ対戦相手の自身に握手をしにきてくれたことで、本当のチョウとの初対面の時のことをセドリックが覚えていなかったということも気にならなかった。彼の世界に、確かに自分が入ることができたことがとても嬉しかったのだ。そうして頑張って、何とかセドリックの寮を超えた友人の位置自他共に認められるようになった、それなのに。
 ライジェル・ブラック、チョウよりも年下の彼女は努力に努力を重ねてチョウがやっと手に入れたセドリックの友人のポジションに易々となってみせたのだ。女らしさの欠片もなく、他の三寮から敬遠されているスリザリンに属し、ぱっと見ればセドリックのような人からは全く掛け離れているようで、だが誰もが欲するもの──例えばかつて貴族であったという家柄の良さ、親のキャリア、そして何より容姿の良さ──を持ち寮内の首席でなおかつ代役とはいえクィディッチ選手の経験もある彼女はある意味、セドリックの横に立っても劣らない。まさかあのセドリックがスリザリン生なんかと仲良くなるなんてそんなわけが、そう思う余裕さえなかった。
 なんで、私はあの子が入学してくる前からセドリックのことを知っていたのに。チョウがライジェルに嫉妬の念を向けるのにそう時間はかからなかった。セドリック、どうしてあんな子と仲良く話してるの。どうしてあんな、人殺しのシリウス・ブラックの身内のスリザリン生なんかに構うの。どうして。どうして。どうして。頭の中で何回問うても、答えは一向に返ってこない。当然、チョウに開心術を試みたことも魔法とはまた別の人の心を読み取れるような超能力もないセドリックにはチョウの気持ちは何一つ伝わってなどいないのだから。
 チョウが五年生になって対抗試合の代表選手にセドリックが選ばれた数日後、ライジェルがセドリックの手伝いをしていると聞いてチョウはいよいよ焦りを隠すことができなくなっていた。噂によれば昨年度シリウス・ブラックのせいでライジェルが学校内でも避けられていた時にセドリックがいつもの人助けをして、その借りを返すためにライジェルはそんなことをしているらしい。だがチョウにはそんな理由はどうでもよかったのだ。ライジェルが、誰よりもセドリックの側にいることが耐えられない。
 だからクリスマスダンスパーティーの時にはライジェルが帰省すると聞いてチョウはこれ以上ないクリスマスプレゼントだといつもは信じてなどいない神に感謝した。あの子さえいなければ、今セドリックに一番近い異性は自分。もしかしたらダンスパーティーのペアを組めるかもしれない。そのチョウの願いは、意外にもチョウが疎んでいるライジェルの後押しによって叶えられたのだ。ふうん、あの子はセドリックが他の女の子と一緒にいても何も気にしないんだ。ライジェルがセドリックを異性として全く見ていないことに安堵するも、次にはそう安堵したチョウ自身への自己嫌悪と変わる。私、なんて嫌な子なんだろう。自身の性格の悪さに、むしろ胸のもやもやは濃くなるばかり。どれだけ外面を取り繕っても、性格はごまかせない。
 そして、その次の日にとうとうチョウは知ってしまったのだ。否、前々からうっすらとは感じ取っていた。それをはっきりと認識させられたのだ。ライジェルがダームストラング生の美男子からのダンスパーティーの誘いに乗った時に、セドリックがいつもの柔和な笑顔を忘れて呆然とライジェルを凝視していた。そのセドリックの表情を見て、チョウはセドリックのライジェルへの感情が単なる友情ではないのだとはっきりと理解してしまったのだ。セドリックのライジェルを見つめる視線は、チョウがセドリックへ向けているそれと同じ色を滲ませていたから。クリスマスダンスパーティーの日も、セドリックはチョウの隣にいるのに視線はドレスと化粧でいつもと雰囲気の違うライジェルへと注がれていて、さらにはチョウが少し目を離している隙にセドリックは何処かへ消えてしまった。セドリックが何処にいるのか、チョウにはもう嫌というほどわかりきっていた。ライジェル・ブラック。また、あの子。

 ある日の放課後、変身術の教室の前を通り掛かったチョウは偶然聞いてしまったのだ。

「ではミスター・アーロン、あなたはセドリック・ディゴリーの大切な人はライジェル・ブラックだと考えるのですね」
「ええ、俺はそう思います」


 この声は、マクゴナガル教授とセドリックの親友のもの。そう考える前に、チョウの思考は真っ先にその話の内容へと吸い寄せられていた。セドリックの大切な人がライジェル・ブラック。またあの子は私の邪魔をするの。

「……だめ、」

 セドリックをとられるなんて、絶対に駄目。

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