身じろぎをするともぞもぞと聞こえる音、滑らかな布の手触り。心地のいいまどろみ。その中で、ライジェルは目を覚ました。少しの間横になったままの体制でぼうっとしていたライジェルだが、まぶたを開いてもなおはっきりとものが見えない視界に一気に頭がはっきりして何事かと飛び起きた。ライジェルは上半身だけ起き上がったまま、きょろきょろと辺りを見渡す。視界はぼやけてはいるものの、何とか見える。光も色も感知はできるようだ。ぼんやりとした視力ではあるものの、ライジェルは今いる場所が何処であるのかすぐにわかった。今まで自身の横たわっていたベッド、それと同じようなベッドらしきものがいくつも並べられている場所なんてこのホグワーツには一カ所しかない。

「医務室、か……」

 マダム・ポンフリーの管轄である医務室には何度か世話になったことがあるため、ライジェルはぼんやりとした視界でもこの景色を知っていた。世話になったのは主に昨年度のクィディッチのシーズン中とシリウスの件の時にであるが。だが、今はマダム・ポンフリーも此処にはいないらしい。起きて時間が経つうちに、ライジェルは何とか昨日起こったことを思い出せるくらいに覚醒してきていた。そう、昨日の夜にチョウに呼び出され、何か水っぽいものをかけられ、それから────そこまで昨日の記憶を手繰り寄せた時、聞き慣れた声がライジェルの耳に飛び込んできた。

「目は覚めたようだな」

 この静かでもの柔らかな声を出すのはライジェルの知る中で一人しかいない。声のした方に顔を向けるも、そこに人がいることはわかるがやはり顔で誰なのか特定できるまでには見えない。

「スネイプ教授……ですね?」
「他に誰がいると?」

 確かに顔も目線も自身に向いているのに断定をしなかったライジェルにスネイプは眉間にしわを寄せ、そして今のライジェルの状態を知っていてそれを思い出したのかすっと目を細めた。

「ああ……視力はまだ回復してはいないのだな」

 ぽつりと呟いたその言葉はライジェルに向けられたわけではなく、スネイプはライジェルに視線をやらないまま何かを思案しているようだった。

「少し待っていろ。すぐに戻る。此処からは動くな、今のお前の状態では歩くこともままならん」

 くれぐれも今いるベッドから動かないようにとライジェルに念を押したスネイプは、何か用事でもあるのかその場を後にした。わざわざそのことを言わないとライジェルはベッドを抜け出すのだろうとスネイプに思われているらしい。とんだ問題児扱いをされているようだとライジェルは思ったが、今までの三年半の行いで自身が問題児でないとも言えず、こぼれたのは苦笑いだった。確かに、賢者の石を守りに行った時にスリザリンの秘密の部屋へ向かった時やシリウスの無実を知って助けた時など、それなりに色々と厄介事に関わっていたのはあながち否定できない。その被害を被り尻拭いもしていた中心はスネイプである。自分のことを厄介者扱いされてもしょうがないな、とライジェルはくすりと笑った。

「さすがにその目で出歩くような真似はしていないようだな」

 医務室から出ていく前に言った通り本当にスネイプはものの数分で戻ってきて、ベッドからほぼ動いていないライジェルを見た。当然です、とそれに心の中で返したライジェルは、ふといくつかのスネイプの言葉に違和感を覚える。

「教授……私の目があまり良くない状態だとわかるのですか?」

 確かにライジェルの目は昨日の夜完全に腫れ上がってしまっていた。もはや目に痛みは残ってはいない上、触れた感覚では昨日よりはましになりはしているが、それでも今のライジェルの目は普通の状態には程遠いだろう。だが、視力に関しては当人のライジェルにしかわからないはずだ。それなのに何故スネイプはライジェルの視力が悪いままだとわかるのだろうか。

「お前が顔にかけられたのは私もよく知る魔法薬だ。濃度の高いものでは、直接眼球に触れれば失明するがな」

 だがその謎は呆気なく解ける。確かに、考えてみれば魔法薬学の教授であるスネイプには自身のかけられた薬の効果や特徴がわかっていて当然だ。しかし、濃度によっては失明の可能性もあると淡々とそう言うスネイプに、ライジェルはさあっと顔を青褪めさせた。もしかしたら、自分はかなり危ない状況にあったのではないか。

「もちろんお前が被害に遭った薬は相当希釈されているもので効果もかなり弱いものだ。少し診たところ直接目には少量しか入ってはいないようだが、もしも全て体内に入ってしまっていても三週間あれば完治はできていただろうな」

 マグルの治療よりも早いペースで完治に至る魔法界で、完治までに三週間かかるとはそれはかなりの重症ではないだろうか。ライジェルは内心で突っ込みを入れるが、スネイプはそんなこと知る由もない。

「今のお前の容態ならば、完全に治るまでには一週間もいらん。精々マダム・ポンフリーから退院の許可が出るまで安静にしていることだ。授業の方は、私から他の先生方に、授業中の板書免除や課題提出の期限を延ばすなど話をつけておこう」

 今年度に入ってからライジェルは何度も感じていることだが、本当にスネイプのライジェルに対する態度は昨年度までとは真逆だ。それはもう、ライジェルがスネイプに感動を覚えるくらいに、である。確かにスネイプは自身の担当の寮生には贔屓をする方ではあるが、昨年度までのライジェルへの逆贔屓はそれはもうひどいものであった。こんなに優しくされて、何か裏があるのではないかとライジェルが動揺してしまったこともあるほどだ。今も、ライジェルにはスネイプの表情は見えないが、それでも雰囲気は普段よりも柔らかい。

「ありがとうございます……」
「礼はいらん。それよりも、今回のような私怨は作らないことだ」

 スネイプはそう言い、ライジェルが寝ているベッドの横に置いてあった彼が今まで座っていた椅子から立ち上がる。

「私怨、ですか……?」
「そうだ」

 またもやスネイプは医務室から出ていくらしく、首を傾げるライジェルに一言言い残した。

「今回チャンに薬をかけられた原因のような私怨、だ」

 今度は、すぐに戻る、とは何も言わないまま、ライジェルの返事を待たずにスネイプは黒のローブを翻して去っていった。





 第二の課題がある朝、セドリックはいくら大広間や温室を探してもライジェルの姿を見つけることはできなかった。課題当日、かなり緊張して夜明け前に目覚めてしまったセドリックだが朝九時から始まる課題の時間が迫っていたためにライジェルと言葉を交わす時間もなく、話せなかったものはしょうがないとライジェルの応援があることを信じていざ冬の湖へと挑んだ。
 実際の課題の出来としては、ライジェルの調べ物や練習した呪文はかなり役に立った。作戦通りに泡頭呪文を使い、襲い掛かってきたグリンデローには呪文をぶつける。自信に満ち溢れていたわけでも焦りがなかったわけでもない。むしろ、セドリックはかなり余裕がなくて半ばパニックになりかけていた。だが、ライジェルの努力を無駄にはできない、自分は勝たなければいけないんだというその揺らがない思いがセドリックを前へ前へと進めていた。そしてその思いに運も味方をしたのか、それらをセドリックが見つけたのはほぼ一番にそこに着いたハリーと同時だった。

「…………!」

 偶然見つけたマーピープルを何とか置いていかれないように追ってその場所にたどり着いたセドリックが見たのは、水中に浮かんでいる四つの大きな物体と、それに近づく一人の影。人の形をしたそれらは、確かに人間だった。男が一人に、女が三人。一瞬で、これが課題で取り戻すべきものなのだとセドリックには理解できた。近づいていくと、その人間ははっきりと誰なのかを特定することができた。チョウ・チャン、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャー、そしてもう一人セドリックの知らないボーバトン生の少女だ。ハリーが意識のないロンの前で狼狽えているのがわかる。ロンがハリー・ポッターの、ボーバトン生の少女がフラー・デラクールの助ける者だということはすぐにわかった。残ったのはチョウとハーマイオニーで、そういえばとセドリックは二ヶ月前のクリスマスダンスパーティーでハーマイオニーをエスコートしていたのはクラムだったなと思い出す。必然的に、自分が助けなければならないのはチョウなのだとセドリックは把握した。そうするや否や、セドリックの行動は早かった。ハリーの横をすり抜けてチョウの脚を縛っている綱のような水草を、何かあった時のために持っていたナイフで切断し、チョウを抱えて浮上した。

「セドリック!」
「早く上がってこいよ! お前が一番だ!」

 友人達の声が聞こえ、数多の手がセドリックとチョウを湖から引っ張り上げる。極寒の湖から上がるとすぐにあたたかな毛布のようなタオルでぐるぐる巻きにされ、わっとセドリックの帰還を讃える声が襲い掛かるように浴びせられた。だが、セドリックが今一番話したい人の姿は今もずっと見えないままだ。きょろきょろと辺りを見回してみてもあの黒髪と灰の目は見えない。

「マックス、ライジェルはいないの?」
「あ? ああ、そういえばブラックいないな……」

 柔らかなタオルと抱き着くように帰還を祝う友人達のおかげでがたがたと震えていた身体も、クラムとハーマイオニー、ロンにフラーの妹、そしてハリーが上がってきた時には徐々に熱を取り戻してきていた。だが、一番に到着して喜んでいいはずのセドリックの頭の中を占めていたのは此処にいないライジェルのことだった。それは、点数が出た後でも。

「さすがセドリックね!」
「ポッターと同率とはいっても、現時点でトップじゃねえか! なんだよ、そんな微妙な顔しなくていいんだぜ!」

 正直、セドリックは今すぐにでもこの場所から抜け出してしまいたかった。元々うるさい空間を好まないセドリックは今の境遇にはただただうるさいだけなのだ。此処にいるよりも、ライジェルがいるであろうあの温室に向かいたい。誰よりも、ライジェルによく健闘したと言ってもらいたい。だが、この自身の周りに群がる友人達を無下に扱うことはセドリックにはできなかった。

「ディゴリー」

 そこに、セドリックにとってこの場の救世主となる人物の声が聞こえた。この響くような低い声は、ホグワーツにいる者なら誰もが知っているものである。セドリック達が振り向くと、声のした方向には彼らの予想した通りの人物が立っていた。

「スネイプ教授……?」
「ディゴリーは私について来い。他の生徒は自分の寮に戻りたまえ」

 突然現れて横暴ともとれるその命令に、いつもなら冷静に対応するセドリックの友人らは第二の課題のセドリックの勝利に興奮していたのか反論の声を上げる。

「教授、まだ第二の課題が終わったばかりです!」
「そうですよ! セドリックだって疲れて、」
「教師への口答えは慎みたまえ。それ以上何か言うのであれば授業日ではなくとも私は減点も厭わんが」

 だが、スネイプはそれしきのことに折れるようなやわな男ではない。スネイプ自身に本気で減点する意思がなくともそれをちらつかせれば、セドリックの友人達はぐっと押し黙った。

「みんな、先に寮に帰っていてくれないか。スネイプ教授の用が済めばすぐに戻るから」
「そうだ、セドリックが用事を済ませている間に先に談話室でパーティーの準備をしてようぜ」
「じゃあセドリック、俺達先に帰ってるな。早く帰ってこいよ」

 この状況が周りの友人達と一時的にではあるが離れられる機会だとぴんときたセドリックはスネイプの言った通りにするよう友人達を宥める。それに気づいたセドリックの親友二人も他の生徒達を何とか引き連れて城への道を戻っていった。

「後について来たまえ。お前には知らせなければならないことがある」

 スネイプはそう言うとすたすたと歩き始めた。どうやら、その知らせなければならないことというのはこの場では言いたくないらしい。セドリックは慌てて魔法で身体を乾かして後を追いかける。身体の熱はまだ完全には戻ってはいないものの、纏わり付いていた水がなくなることで幾分か体感する寒さもましになったような気がした。
 セドリックを引き連れたスネイプが向かった場所は、自身の受け持っている魔法薬学の教室だった。他には誰もいないその教室に入り、適当な椅子に座るようにセドリックに指示してからスネイプは準備室へ一度行き、すぐに手に何か薬の入った瓶を握って戻ってきた。

「さてディゴリー、この薬については既に過去の授業で取り扱ったはずだ。これが何の魔法薬であるか答えろ」

 これを今自分に聞く必要はあるのかと内心で首を捻りながらその特徴的な溶液の色や若干底の方に見える沈澱の形状と色などから過去に習った魔法薬で一番適当なものの知識を頭の中から引っ張り出す。

「アルセファロシン……ですよね? 主成分がトリカブトの塊根から抽出されるアコナイトアルカロイドのアコナイタリンで、同じアコナイトアルカロイド系成分の他の薬と比較しても毒性が高い方に分類される揮発性水薬です。低濃度のものは散瞳薬としてよく使われますが、アコナイタリンのかなり濃度の高いものでは蒸発したものを哺乳類が吸い込んだだけで気管支に影響し、気管支平滑筋の痙攣を引き起こして呼吸困難となって最悪死に至るものだと……」
「正解だ。付け足すならば、静脈用のシリンジ溶液の二倍濃度溶液の平均成人への投与で十分以内に中毒症状を起こし、そこからの完治には時間を要する。さらに主成分でないその他の含有成分による副作用もかなり強いものがあり、四肢の痙攣から焼けるような痛みが典型的な副作用と言われている。低濃度溶液においては主作用と副作用が逆転するケースも見られる。高濃度のアルセファロシンは劇薬指定されていることも暗記の必須項目だ。これは今年度の十月に教授した魔法薬だが、さすがに覚えていたようだな」

 スネイプはライジェルには伏せていたのだが、ライジェルがかけられたこのアルセファロシンという薬はライジェルが思っているよりもかなり危険なものであった。ライジェルには濃度の高いこの薬が直接目に入れば失明すると話したが、実際は失明どころか命すら簡単に消してしまえるほどの絶大な効果を持っていた。そんなこのアルセファロシンを強制的に投与させられて一週間もせずに完治に至るくらいに症状が軽かったのはスネイプからしてみればフェリックス・フェリシスをコップ一杯飲んでもどうだろうかというほどに運がよかったことなのだ。
 スネイプが魔法薬学の授業で当てていたならばセドリックに加点をしていた答えだが、今はその時ではない。それよりも、スネイプはセドリックに説明しなければならないことがあるのだから。

「そのアルセファロシンを、昨晩ミス・ブラックがとある人物に顔に掛けられたらしい」
「──っ!?」
「少なくとも、私が意識を失っていた彼女を見つけた時にはその薬のものと思われる症状が現れていた。思った通り、彼女の服の一部にいくつか試験をしたところ、アルセファロシンに対する試験で陽性反応が出た」

 がたん、セドリックの動揺で彼の座っていた椅子が立ち上がった拍子に倒れて大きな音を立てた。

「ライジェルが!? そんな、まさか──!」
「落ち着け! かけられたのは先ほども言った散瞳薬用のかなり希釈されたものだ。最悪全て飲み込んでも一週間は昏睡状態になりはするだろうかそれでも一ヶ月強で完治していただろう。最悪の自体にはなってはいない、案ずるな」

 その薬は元々私の教室の準備室にあったものらしい、一つ瓶が足りないからな、とスネイプはセドリックを再度椅子に座らせてから続ける。

「だが先ほど目を覚ましたミス・ブラックはいまだにまともにものが見えていなかった。今朝お前は彼女を探していたらしいな。その時彼女は既に薬の作用と昨晩外にいたために極度の寒さからの低体温症で昏睡状態にあった。会えなかったのも無理はない」
「ライジェルは、ライジェルは大丈夫なんですよね!? 本当ですね?」
「ああそうだ。今は医務室にいるはずだ。不用意に出歩いていない限りはな」

 ならば向かう先は一つしかない、とまた立ち上がりかけたセドリックをスネイプは止めることはしない。だが、セドリックが教室を出る直前に口を開いた。

「薬をかけた犯人が知りたければ、肖像画のシスター・アナスタシアに尋ねるといい。あの肖像画は犯人とミス・ブラックが連れ立っているのを見たらしい」

 セドリックはそれに足を止めることはなく、だがそのスネイプの言った内容はしっかりと頭に刻み込む。そのままセドリックは魔法薬学の教室を飛び出した。


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