第二の課題が翌日に迫った、二月二十三日の夜のことだった。第一の課題の時とは違い、今回の課題についてはもう内容も攻略方法もわかっていて、当人のセドリックはともかく、ライジェルは前日の今かなり安心していた。数ヶ月前のようなぴりぴりした雰囲気を出していないライジェルに、セドリックもほっとしている。二人にとって、第一の課題のことはちょっとしたトラウマになりつつあるのだ。それはさておき、ライジェルがセドリックとほぼ最終の打ち合わせをしたその寮への帰り道、背後からライジェルを呼ぶ声が聞こえたのだ。

「ねえあなた、ちょっといい?」

 ちょうどその廊下を歩いていた人はライジェルとその声の主しかおらず、その声にも聞き覚えがあり、呼ばれているのは自分のことかとライジェルは振り向いた。

「チョウ・チャン?」

 そこにいたのは、美少女と呼ばれる部類の東洋の顔立ちのレイブンクロー生だった。チョウ・チャン、昨年度クィディッチで同じ女性シーカーとして対戦した一つ年上の少女である。いつもとは違い、何故か今の彼女は少し焦っているようにも見える。

「ちょっと話したいことがあって。今から時間割いてもらってもいい?」
「あ、ああ。構わないが、消灯には間に合うだろうな?」
「うん、大丈夫。安心して、ついて来て」

 チョウの様子からして、彼女は早くこの用件を済ませたいようだ。この廊下では話せないような内容なのか、と疑問を抱きつつも先を速足で進んでいくチョウの後を、ライジェルは置いていかれないように同じくらいの速さでついていった。

「ほ、本当に時間は大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だから、私だって早く終わらせたいんだし」

 チョウに先導されるままついていった先は、日中でもあまり人気のない城から少し離れた林だった。夜の今はチョウとライジェルの杖の明かりで辺りが照らされているものの、昼間でもあまり光が差し込んでは来なさそうだ。ライジェル自身、こんな場所に来たことも、来ようと思ったことさえない。

「…………ここらへんなら、いいかな」
「おいチャン、こんな時間に何処まで行く気なんだ」

 チョウの背中しか見ていなかったライジェルは、チョウがぼそりと呟いた言葉にも、ローブの中に忍ばせていた右手に握っていた物にも気づかなかった。そして、チョウがライジェルよりも華奢で背も小さいからこそ、油断していたのだ。

「いい加減に……」

 いい加減にしろ、そう言おうとしたライジェルに急に立ち止まって振り返ったチョウは、ローブで隠していた何かをライジェルの顔に投げるようにかけた。無意識的に手で防ごうとしたライジェルだったが液体状のそのものは手に当たりながらもすり抜けてライジェルの顔に直面する。

「──っ!」

 声にならない悲鳴がライジェルの口から漏れ出た。ライジェルの顔にぶちまけられたそれは反射的に目をぎゅっとつぶったために目に入った薬の量は少なく、それでもその液体が触れた箇所全てが熱い。まるで刃物で刺されたかのように痛くて、思わずライジェルは握っていた杖を取り落としてしまった。だが、あまりの激痛に杖を探して握り直すどころか目を開くことすらできない。脚に力も入らず、地面に膝をつけてそこから倒れ込んでしまった。

「…………っ、」

 そんなライジェルの姿を無言で見ていたチョウは、同情からか一瞬だけ後悔の滲んだ表情を浮かべた。だがそれもすぐに消えて、とうとうライジェルに何一つ言葉を発することなく、城への道を戻っていった。
 その場に、痛みに悶えるライジェルだけが残された。





 ちょうどその頃、マクゴナガルはライジェルを探していた。いや、彼女が探していたのはライジェルただ一人だけではない。ライジェル、もしくはチョウのどちらかを探していたのだ。

「ああ、スネイプ教授」

 せかせかと廊下を進んでいたマクゴナガルは、進行方向の先に探している二人のうちの片方の属している寮の寮監の姿を視界に捉え、彼に声をかけた。

「いかがいたしましたかな、マクゴナガル教授」
「スネイプ教授、この辺りでミス・ブラックをお見かけしませんでしたか?」

 マクゴナガルに呼び止められたスネイプは、彼女の問いにすぐに首を横に振った。

「夕食の席でミス・パーキンソンと一緒にいたのを見たきりですな。……それよりも、ミス・ブラックを探しておられるということは、」
「ええ、彼女があれの第一候補ですよ。尤も、もう一人候補者がおりますからそちらがあれになることも考えられますが。もしもミス・ブラックをお見かけすることがありましたら、校長室へ連れてきていただけますか?」
「ええ、わかりました」

 ライジェルの寮監のスネイプならばスリザリン寮の中にも入ることができるため、自分よりも先にライジェルを見つけることもできるだろう。ライジェルを探すのをスネイプに依頼したマクゴナガルは彼と別れ、再びライジェルとチョウを探して校内を回っていた。ハーマイオニー・グレンジャーとロン・ウィーズリー、そしてガブリエル・デラクールはもう既に校長室へ向かうように指示してある。あとはたった一人見つけだせばよいだけなのだ。そして、

「ああ、ミス・チャン! あなたを探していたのですよ。少しよろしいですか?」
「マクゴナガル教授? ええ、大丈夫ですが……」

 マクゴナガルが見つけたのは、チョウだった。マクゴナガルがチョウを連れて校長室へ行ってももう一人の候補者の姿は見えなかった。





 マクゴナガルがチョウを見つけてから三十分が過ぎた頃、パンジーは女子寮の寝室で未だにスリザリン寮に帰ってこない親友のことを心配していた。第一の課題の前日もライジェルは寮には帰らず、その事があって前回よりははらはらしていないものの、それでも心配なものは心配である。

「ライジェル、まだ戻ってないの? もう監督生達が見回る時間になっちゃってるよ」
「ほんと、遅すぎるわよ」

 パンジーの同室者の女子生徒二人もライジェルの帰りの遅さに眉を寄せている。

「ちょっと、談話室に戻ってないか見てくるわ」

 そう同室者に言い残してパンジーは談話室へと向かった。もう深夜十時をとっくに過ぎていて、明日の第二の課題を観戦するために既に寝ている人も多いのか、いつものこの時間よりは残っている人数も少ない。そんな中、パンジーは今この状況で一番頼りになりそうな人間を見つけた。

「デイビス先輩!」

 パンジーが声をかけた相手は、スリザリン寮六年生監督生のデイビスという男子生徒だった。

「パーキンソンかい? どうしたの。僕は今から見回りに行かないといけないんだけれど」
「私の同室者のライジェル・ブラックがまだ寮に帰ってきていないみたいなんです。見た限り談話室にもいなくて、もしかしたらまだ外にいるんじゃないかって思いまして……」

 彼は他の寮の生徒には厳しく、逆にスリザリン生をかなり擁護する傾向にあるため、このデイビスという先輩ならば、何とかライジェルを見つけてくれるのではないかとパンジーは彼に相談したのだ。パンジーの思惑通り、デイビスは顔をしかめる。

「それは本当かい? わかった、とりあえず今から見回りのついでに彼女を探してみるよ。他の寮の監督生に見つかってしまっていても何とか理由をつけるから。可愛いスリザリンの後輩に罰則はもちろん減点だってさせないよ」

 大事にはしたくないから、他の人にはあまり言わないように、とデイビスに言われたパンジーは、これでひとまず大丈夫かしらね、と寮の部屋に戻っていった。





 そしてライジェルを見つけ出すという使命を背負ったデイビスは、後輩を探し出さねばという思いを第一に夜のホグワーツ城を回っていた。何とか自分以外の見回りの者には見つからないうちにライジェルを回収しないと、後で他の寮の監督生らにねちねち言われるのが本当に面倒なのだ。加えて、消灯以降の生徒の寮からの出歩きはかなり罰が重く、一人につき数十点もの減点が課された上に罰則もついてくる。規則を破った者には罰を与えなければという思いよりも、身内には罰則などさせたくないという思いの方が強いデイビスは、いつもは余裕を持っていたのだが今は少し焦りも抱えていた。

「スネイプ教授!」

 そして校内を駆けずり回っていた彼が見つけたのは運のいいことに彼らの寮監だった。

「何かね、デイビス」
「一人スリザリンの生徒が寮に戻っていないと報告がありまして……」

 小さな声で囁いたデイビスの言葉に、スネイプは顔をしかめる。

「ふむ、医務室にスリザリン生がいるという連絡は来ておらんな。その生徒は?」
「四年生のミス・ブラックだそうです。ミス・パーキンソンから聞いたのですが」

 ミス・ブラック、と聞いてスネイプはやれやれと内心で頭を振る。またあいつがやらかしたのかとも考えたが、先ほどのマクゴナガルの話を脳裏に蘇らせたスネイプは、そういうことか、と自己解決した。

「彼女ならば少しこちらで用があって呼び出しているところだ。戻っていなくて当然だ。案じなくとも、彼女に罰則の類いも減点も与えはしない」

 デイビスの性格をよくわかっているスネイプは彼の一番の心配を一言で拭い去った。ライジェルは例の件で今夜どころか明日の昼まで寮に帰ってこれないのだから。

「そうですか、それならよかったです」
「わかったなら見回りに戻りたまえ。私はこれから明日の対抗試合の準備があるのでな」

 そう言われたデイビスは、胸を撫で下ろして言われた通りにまた巡回へと戻っていった。





 デイビスと別れたスネイプは、自身の担当の寮で何事もなかったとわかりほっとして、デイビスにも言ったように翌日の第二の課題の準備のために校長室へと向かった。そこに、第二の課題で代表選手らが取り返すべき大切なもの、否大切な者達があるのだ。
 そう、この課題で選手達が取り返すのは人間である。それも、代表選手にとって掛け替えのない友人や兄弟姉妹、それに想い人なのだ。ハリー・ポッターは親友のロン・ウィーズリー、フラー・デラクールはたった一人の妹のガブリエル・デラクール、ビクトール・クラムは想い人のハーマイオニー・グレンジャー。この三人は、代表選手の周りの証言から簡単に導き出すことができた。だが、セドリック・ディゴリーに関してはこの取り返すべき者の候補者が二人出たのだ。それが、先ほどマクゴナガルやスネイプが探していたライジェル・ブラックとチョウ・チャンである。なぜこの二人が挙げられたのかというと、これも周りからの証言である。だが、尋ねた人物によって意見がぱっくりと割れたのだ。セドリックの最も近しい友人であるジェフリー・アーロンとマックス・フラットは、迷うことなくライジェルを彼が一番大切に思っている人間に挙げた。だが、それ以外のセドリックの周りの者は、チョウを挙げたのだ。親友二人の言い分も、それ以外の者の言い分もどちらも話を聞いたマクゴナガルには尤もだと思えた。ライジェルは前年度からセドリックと話をしている様子が度々見られた上に彼の対抗試合の手伝いをしているというのはマクゴナガル達教師の耳にも色々な話を経由して届いている。だが、セドリックがクリスマスダンスパーティーに誘ったのはライジェルではなくチョウであった。ライジェルとジェフリーとマックスは三人ともチョウの方からセドリックにダンスパーティーの申し込みをしたと言っているが、ここで情報があやふやになっていて、他の者の間ではどうもセドリックの方からチョウを誘ったとの話もあるのだ。これは教師の方でもどちらが正しいのか判断はつかず、結局候補者はライジェルとチョウの二人にせざるを得なかった。それゆえ、マクゴナガルもスネイプもライジェルとチョウの二人ともではなくどちらか片方を探していたのだ。
 閑話休題、スネイプはそのある意味での第二の課題のセドリックの対の参加者にライジェルが選ばれたのだと疑いもせずに思っていた。だからこそ、校長室への道で見かけたマクゴナガルとレイブンクローの監督生の話を聞いてそれはそれは驚愕した。

「────ミスター・ベルビン、ミス・チャンなら大丈夫ですよ。少しこちらで用を言い渡しているだけですから、安心して見回りにお戻りなさい」

 マクゴナガルがレイブンクローの監督生にかけたのは、先ほどのスネイプとほぼ違わぬ言葉。彼が驚くのも無理はなかった。まさか、とスネイプの脳裏に嫌な想像が浮かんだ。

「あらスネイプ教授、どうなさいました?」
「…………マクゴナガル教授、明日の例の生徒には、最終的にどちらが?」

 レイブンクロー生と別れてすぐにスネイプに気づいて声をかけたマクゴナガルに、スネイプはたった今浮かんだ予想が外れてくれるよう願いながら、それでも表情は平静を保ったまま問うた。マクゴナガル以外の誰かに聞かれている可能性もあるため、核心に関わる言葉は使わない。そして、スネイプの悪い予感は見事に的中したのだ。

「ミス・チャンですよ。ミス・ブラックよりも彼女の方が先に見つかりましたので」

 ────ライジェルは、課題の参加者ではなかった。スネイプの元々それほど良くない顔色がさらに悪くなる。

「ミス・ブラックが、寮に戻っていないそうです」

 第一の課題の前夜も同じようにライジェルは寮に戻らなかったが、その時はセドリックが事前に同じハッフルパフの友人に、もしかしたら今晩は自分もライジェルも寮には戻れないかもしれない、と言伝を言い渡していたため、それはスネイプ達教師の耳にも入っていた。だが、今晩はそのような情報は耳に入っていない。もしかしたら、何か悪いことに遭ったのかもしれない。

「私は図書館を見て回ります」
「では城の外へ向かいましょう」

 眉間にしわを寄せたスネイプと目を見開いたマクゴナガルは、小さく言葉を交わした後に無言でそれぞれ監督生の巡回の管轄外の場所へと速足で駆けていった。





「…………」

 もう、この場所に来てからどのくらい時間が経ったのかライジェルにもわからなくなっていた。先ほどよりは幾分かましになったもののいまだに目はずきずきと痛むままで、手で触った感触ではかなり腫れてしまっているようだ。目を開いても視界のピントが合わず、世界がぐらぐらして気持ちが悪い。此処は林であるため場所が悪く、取り落としてしまった杖も手探りで探してはいるものの、他の木の枝が杖と似ていてなかなか見つからない。しかしライジェルが辛く感じているのは何よりも今は二月下旬、まだまだ寒い時期であることだった。そもそも外に出ようとは全く思っていなかったため、コートなどの上着は着ていない。それでもセーターを着ていることが辛うじてライジェルの体温を激しく下げずにいた。だが、じわじわと体温は奪われていく一方である。指先や足の先の感触はとうに無い。その寒さがライジェルから力を奪い、もはやライジェルには杖を探す体力も気力も残ってはいなかった。寒さのせいか息を吸うのもどこか苦しい気がする。膝を抱え、がたがたと震えながらライジェルはただ何もせずに座っていた。ライジェルが今いる林は城から少し離れているため、今の状態で自力で城に戻るのは不可能だ。どうしようもなくて、何もできない。ライジェルにはただ誰かが自分を見つけてくれるのを待つしかできないのだ。腫れた目が風に当たるだけでもさらに痛みが増すため、ライジェルは長い時間を感じながらぎゅうとまぶたを閉じていた。

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