クリスマス当日、ライジェルは皆と同じく今夜行われるクリスマスダンスパーティーに浮かれ────ているはずもなく、一人図書館で黙々とクリスマス休暇に課題として出された宿題をこなしていた。セドリックの第二の課題については、とりあえずは年明けまで置いといても大丈夫だろうということでセドリックと意見が一致したため今は手を付けないままだ。もちろんライジェルだってクリスマスダンスパーティーについて何とも思っていないというわけではない。だが、それとこれとは話が別だ。ダンスパーティーがあるからといって宿題がなくなるわけではない。レポートなどの提出物は早めに終わらせたいライジェルは、ただただ課題のテーマについての記述のある図書館の蔵書に視線を滑らせ、右手に握った羽根ペンを走らせていた。

「ライジェル、」

 そっと囁かれた声にびくりとして羽根ペンを動かしていた手を止め、後ろを振り返ったライジェルの瞳に映ったのはパンジーだった。心なしかその表情は少し怒り気味にも見える。

「…………」

 先ほど読んでいた本の貸し出し手続きをさっさと終えたライジェルは、課題のレポートの下書きを丸めて持ってくれているパンジーとすぐに図書館を後にした。

「もうライジェル、探したのよ! もう午後じゃない!」
「まだ始まるまでに時間があるだろう。そんなに急ぐことでも、」
「ライジェルねえ!」

 ないだろう、と続けようとしたライジェルの言葉は、パンジーのそれに掻き消される。びくりとするライジェルにパンジーは一層詰め寄った。

「私達はライジェルの化粧とかもやらなきゃいけないし、自分達の支度だってあるのよ。だからもうそろそろ支度を始めなきゃ間に合わないの」

 そんなに化粧や支度に時間がかかるのか、とライジェルは呆れると共に頬が引き攣るのを感じる。この前ライジェルに一番似合う化粧や髪型はどんなものだ、とパンジー達にへとへとになるまで引っ掻き回されたのは記憶に新しい。あの時の彼女達は本当に恐ろしかった。前にドラコが、女はがつがつしていて苦手だ、と言っていたが、今ならそれに同意する。あの時は、紳士たる者が淑女に何ということを言うんだ、と説教を噛ましたのだが今度謝っておこう、とライジェルは強く念じた。すまなかった、ドラコ。

「ライジェル、さっさとゴールドのところに行くわよ! グレイシーとエレーナにはメイク道具を用意しておいてくれるように頼んであるから、先にドレスを取りに行くわ」
「あ、ああ……」

 パンジーに半ば引きずられるようにして着いた部屋には、いつもの通りサーシャがいた。ただ一つ今までと違うのは、サーシャが裁縫の作業を行っていないこと。

「ドレスなら完成してるよ。ほら」

 サーシャが指差した先には、屋敷しもべ妖精が用意したらしいマネキンがドレスを纏っている。ひらひらとした飾りは少なく、デザインとしてはシンプルなものだが、それでも何故か手抜きだとかそういう負の感情は感じられない。どちらかといえばすっきりとしているという感想の方が強いだろう。その上、これがサーシャの考えていた当初のデザイン案とは少し違っているというのも面白い。きっと、ああだこうだとたくさん考えを練りに練ってくれたのだろう。

「すごいわ……」
「ああ……」
「実際に人が着てみたらまた全然違うと思うよ。マネキンじゃどんな感じかはっきりとはわからないからね」

 このドレスを自分が着るのだという感覚が未だに感じられない。ライジェルがぼうっとドレスを眺めていると、先に我に返ったパンジーがはっとしてライジェルの腕をつつく。

「ちょっとライジェル、こんなことしてる場合じゃないわ! 二人とも待っててもらってるのに」
「それでしたらドレスの方は私めにお任せ下さいませ、お嬢様方」

 と、お手持ちでドレスを持ち運びするのはしわになってしまいますので、といつからいたのかわからないが屋敷しもべ妖精のスペリエが恭しい礼をする。確かに、こんなドレスを無造作に運ぶのではくしゃくしゃになる上に目立ってしまう。ここは、ホグワーツの内部でも姿あらわしができる屋敷しもべ妖精に頼んだ方が賢明というものだろう。

「ならライジェル、このまま寮に戻るわよ。二人とも待ってるんだから」

 そう言うなり、パンジーはライジェルの腕を掴んで今来た道をずんずんと戻っていって、ライジェルもそれに引きずられて寮へ戻っていった。

「グレイシー、エレーナ! ライジェル捕獲してきたわよ!」
「ああ、やっと来た!」

 連れて来られた女子寮の寝室には既に他の同室の女子がいて、先ほどスペリエに頼んだドレスも既に届いている。

「ほらライジェルここに座って! 動かないでね!」

 半ば押されるようにして椅子に座らされると、インカーセラス、と呪文が聞こえるや否や、ライジェルは部屋にあった椅子に座らされ四肢を縛り付けられる。縛りつけの呪文をかけられる必要性は微塵もないはずなのだが、しかしパンジー達の気の入れ具合を見ると用意していた文句の一つさえ出てこなくなるほどだ。

「今日という日を待ってたのよ!」
「ようやくライジェルの女の子らしい姿が見られるんだね!」
「違うわ! 私達が、ライジェルを女の子にするのよ」

 ライジェルが覚えているのは、パンジーを含めた同室者達の心から楽しそうで、しかし怪しい笑みだった。その後は、思い出したくもない。





 そもそも、ライジェルの他にはレギュラスとクリーチャーしかいないブラック家に化粧道具などあるわけがないのだ。あったとしても、ライジェルには使い方さえわからない。身近にいる女性としてはナルシッサがいるのだが、全くの別家庭である彼女とはそれほど頻繁に会うはずもないため教えてもらう機会もない。その上、ブラック家の当主となったレギュラスに権力やら財力やらを目当てに寄ってくる女達の化粧や香水がレギュラスにとって不快なものとなってしまったのだからなおさらである。そんな生まれてから早十五年、化粧に縁のなかったライジェルが化粧をするとどうなるかなど、親戚のドラコはおろか育ての親のレギュラスにさえわかるはずもなかったのだ。

「そういえばブラック、ブライトクロイツとダンスパーティーに行くってことは……女物のドレス着るのか?」
「おいやめろ、不機嫌な時のブラックは制服のスカートに違和感があるレベルなんだぜ」
「いや、男用のドレスローブかも知れないよ」
「そういうこと言うなよ、本当にやりそうじゃねえか……」
「僕、あの顔で男だった方が絶対よかったと思うんだけどなあ……」
「ああ、確かに」
「絶対女に人気出るよな」
「今の時点でもう出てるだろ」
「何でっていうか何処であいつ生まれる性別間違えたんだ?」

 パンジー達がライジェルに三人掛かりで化粧を施していることを知らないライジェルの同期のスリザリン生の男達は言いたい放題である。尤も、日頃の女らしさの欠片も見えないライジェルを見ていれば、そう言いたくなるのもわからない話ではあるのだが。

「俺男装してくるのに五シックル賭けていいぜ」
「じゃあ俺、ドレス着て化粧するけど野郎の女装にしか見えない方に六シックルな」
「俺も俺も」
「じゃあ僕はあえて、化ける方向に五シックル」
「大穴すぎるだろ! 俺は男装に四シックルだな」

 とうとう賭けが始まったスリザリンの談話室の一角は結構盛り上がっていた。だが。

「面白そうな賭けをしてるみたいだな、お前ら」

 当人の声が聞こえた瞬間、ライジェルの同期達はびくりと肩を震わせ、ばっとその声のした方向に振り向いた。そして、

「…………誰、お前」

 そこにいたのは、腕を組みながらソファーに座る男子生徒達を見下ろす一人の女子生徒。男子生徒達の中の一人が呟いた、誰だ、という言葉は全員が抱えていた思いだ。やや中性的な顔のその女子生徒の顔に何となくでしか見覚えがなかったのだが、他の要素が彼女が誰なのかを特定するのには充分だった。自分達を見下ろす呆れた表情の作り方、常日頃からの癖となっているであろう腕組み、十代半ばの女にしてはそうそういない、同い年の男子に匹敵するくらいの背丈。これらに全て当てはまる女子生徒など彼等の頭には一人しか思い浮かばない。そして先ほどの声はその皆の頭に浮かんだ女子のもので。

「ブラック、なのか……?」
「それ以外に誰がいる」

 信じられないという目を全員がライジェルに向ける。それもしょうがないことだろう。いつものライジェルは化粧をするどころか他の女子生徒のようにお洒落に気を使うことなどなく、顔立ちも男に見えなくもない。そのためライジェルとそこそこ話す仲の男子はライジェルを男の友人のように扱っていたのだから。しかし今のライジェルは何処からどう見ても女にしか見えない。そもそもライジェルは女なのだからそう見えることは当然なはずなのだが。

「馬鹿なことやる暇があるなら髪を整えるくらいしたらどうだ。大広間が開場になるまでもうすぐなんだからな」

 本来ならば、身嗜みに気を使わないライジェルに外見の事を言われるなんて心外だ、と思うであろう彼らも、今はショックで耳から耳へライジェルの言葉を聞き流している。

「ちょっとライジェル、まだお化粧最後まで終わってないのよ!」
「ああ、今戻る」

 女子寮の部屋からのパンジーにそう返すなり、また女子寮へと戻っていったライジェルを見送った同期達は、ぽかんと口を開いて呆然としていた。

「女の化粧ってすげえ……」

 誰かがぽつりと呟いた言葉に、皆がぶんぶんと頭を縦に振った。


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