「確か、此処、だったな」

 ライジェルの目の前には、皿に果物が盛りつけられているところが描かれた絵があった。今までライジェルは厨房の場所など知らなかったし何処にあるかなんてしろうともしていなかったし、もしかしたらこれから卒業するまで考えもしなかっただろう。厨房の場所がわからなくてふらふらしているところ、偶然会ったセドリックに聞いてようやく場所を把握できたのだ。果物の描かれた絵画の中の梨を指で突くと、梨はくすくすと笑いながらドアの取っ手へと変化する。果物がくすくす笑う姿を初めて目にしたライジェルは何だか変な気分のまま、取っ手をがちゃりと回した。扉を開けると、数多の取り取りの大きな目玉がライジェルを迎えた。その視線に少し不信感を感じるのはライジェルの気のせいだろうか。

「ライジェルお嬢様ではありませんか!」

 突然、甲高いキーキー声に自身の名を呼ばれ、ライジェルは肩をびくりと跳ね上がらせた。まさか、此処には一度も来たことがないし、ホグワーツに仕える屋敷しもべ妖精だって一匹足りとも見た試しがない。だが、とてとてとライジェルの方に走ってきた姿を見て、ライジェルは目を丸くした。

「ドビーか……?」

 あべこべな色の靴下、滑稽なデザインのシャツ。それらを全て身につけたおかしな格好の屋敷しもべ妖精に、ライジェルは見覚えがあった。間違えようもない、親戚のマルフォイ家にかつて仕えていた屋敷しもべ妖精の、ドビーだ。そういえば一年半ほど前に、ルシウスの失態でドビーを自由にしてしまったのだと苦々しい表情のルシウスから聞かされたことがある。あの時はルシウスがホグワーツの常任理事から外されたのもあって、今となってはホグワーツの理事会とドビーのことはルシウスにとっての苦々しい思い出となっている。今現在も、マルフォイ一家の前でその話をするのはタブーだ。
 ホグワーツに入学する前のドラコの遊び道具はもっぱら屋敷しもべ妖精だった。マルフォイ家に仕えている屋敷しもべ妖精に無理難題を押し付けて、その無謀な要求を叶えようと果敢に試みるそれらの姿を笑いながら傍観し、失敗してものすごい剣幕のルシウスやナルシッサに叱咤されるのを見るのが幼いドラコにとっての毎日の楽しみ方だったのだ。たとえマルフォイ家の屋敷しもべ妖精が何匹もいたとしても、その中で最もドラコが面白がっていたのはこのドビーだろう。ルシウスやナルシッサに「決して僕が命令したとは言うなよ」と一言言えば、ドビーは自身がドラコの無理な要求のせいで罰を受けていても何一つ漏らすことはない。それどころか「ドラコ坊ちゃんはドビーめを信頼してくださっていらっしゃる」と嬉しそうにするのだ。自身が騙されていることにも気づかず、何度も何度も同じ手に騙される。マルフォイ家に遊びに来た時にドラコにそのざまを見せられ、ポジティブというか馬鹿正直というか、とライジェルは幼いながらも呆れたものだ。
 もちろんそれはマルフォイ家のドラコだからこそできたことであって、ライジェルは同じことをクリーチャーにさせたことはない。ブラック家に未だ仕える唯一の屋敷しもべ妖精であるし、何よりレギュラスがクリーチャーを可愛がっているのを知っていたからだ。何かすればライジェルがレギュラスに叱られるのは目に見えている。
 まあ、ドビーについてはそんなことがあって、ライジェルはドビーを覚えているのだ。

「お久しぶりにございます、ライジェルお嬢様! 随分と大きくなられましたね!」
「……もうお嬢様だのなんだのと言うのはやめてくれ」

 もうお前はマルフォイ家の屋敷しもべ妖精ではないんだから、という意味を含めても、ドビーにはまだそう呼ぶことに慣れてしまっているようだ。

「どうしてホグワーツにいる?」
「ドビーめはホグワーツにて雇っていただけたのでございます! お給料やお休みもあるのでございます!」

 賃金や休日────その言葉に、ライジェルの眉がしわを刻んだ。屋敷しもべ妖精が賃金をもらい、働かない日を設けてもらうだなんて今まで聞いたことがない。まるで、人間のようではないか。ふと他の屋敷しもべ妖精に目をやると、彼らはドビーの言動が心底恥ずかしくてたまらないというように首を背け、それぞれの仕事に勤しんでいる。彼らの思いは当然だ。それが、屋敷しもべ妖精としての本来あるべき性質なのだから。

「それは……お前が要求したのか? それとも……」
「ダンブルドア校長は今いただいている以上にたくさんのお給料とお休みを提案されました。ですが、ありあまるほどたくさんはいらないのでございます」

 ドビーはそうは言うが、しかしドビーが賃金と休日をもらっていること、そしてその量が少なくはあれど望んでいることは確かだ。ドビーは、クリーチャーとは全く違う。ブラック家に仕えることが最上の喜びであり彼の誇りであり、それに勤しむことを嬉々としてやっているクリーチャーはライジェルとレギュラスにとって素晴らしい屋敷しもべ妖精だと思っている。クリーチャーこそが我がブラック家に相応しい屋敷しもべ妖精であるがゆえに、今現在ブラック家にクリーチャー以外の屋敷しもべ妖精はいないのだ。

「……私には、お前の気持ちはよくわからない。お前は変わり者のようだから」

 ライジェルがそう伝えると、ドビーは悲しそうに目を細めた。だが、本当に理解できないのだ。異端者の気持ちなど誰にでも簡単に理解などできるものではない。だからこそ、その者は異物として扱われるのだ。しょんぼりとしているドビーを気にせず、ライジェルは続けて声をかけた。

「それより、私は用事があって此処に来たんだ。此処にいる屋敷しもべ妖精で、ホグワーツに仕えている全ての屋敷しもべ妖精のことは把握できているやつはいるか?」

 少し声を張って尋ねたライジェルに反応して、ほとんどの屋敷しもべ妖精が仕事の手を止めてライジェルの方に顔を向けた。依然としてドビーには極力視線をやらないようにしているらしいが、今のライジェルはそんなことは無視する。まずは用事を優先させるのが一番だ。ライジェルの頼みを聞いた屋敷しもべ妖精達はこそこそと互いに言葉を交わし合った後、ライジェルの耳には一匹の屋敷しもべ妖精が何処かへ走っていく足音が聞こえた。

「少々お待ち下さいませ。我々を統轄している者を呼んでまいります」

 残った屋敷しもべ妖精の一匹が進み出てライジェルに恭しく頭を下げて言うと、他の屋敷しもべ妖精達はそれぞれの仕事へと各自戻っていく。五分ほどした後に、ホグワーツに仕えるものの中で一番年老いているであろうしわだらけの屋敷しもべ妖精が静かにライジェルの前へやってきた。

「此処での屋敷しもべ妖精の責任を全て任されております、スペリエと申します。何か私どもにご用事でしょうか、スリザリン寮のお嬢様」

 スペリエと名乗った雌の屋敷しもべ妖精は、やはりドビーや先ほどの屋敷しもべ妖精達よりも風格がある。年齢だけでいえば、クリーチャーと同じくらいだろうか。

「ああ。今ホグワーツにいる屋敷しもべ妖精の中で、最も裁縫に秀でているやつはどれだ。少しそいつの腕を借りたい」

 ライジェルの要望を聞いて、ふうむ、と黙り込んだスペリエは、少しの間の後に軽く頷いた。

「裁縫の能力のあるものはいくらかおりますが、手の空いている者を全て使われますか?」
「できればでいいが、急ぎの用事なんだ」

 御意、と頭を下げたスペリエは、私に掴まっていて下さい、と腕を差し出した。ライジェルがスペリエの腕を掴むと、ぐいと強い力で身体が引っ張られるような感覚を感じた。姿あらわしか、とライジェルが思った頃には周りの景色は厨房から何処かの部屋の一室へと変化していた。

「ステッチ、スレード、ソウ、シザー、イヴ、さっさとおいでなさい!」

 スペリエが大声を出すと、部屋の奥からたたたた、と幾つかの足音が響く。それは段々と大きい音になっていき、それが止んだ時、ライジェルの目の前には大きさは違えどどれもぱっちりとした大きな双眸が五対見えた。

「お前達、こちらのスリザリンのお嬢様が仕事を頼みたいとおっしゃったのだから、きちんと力になるのですよ。お嬢様、これが裁縫班のトップになります。普段はホグワーツ内の破れたカーテンやシーツ、カーペットなどの修理を担当していますが、全員が全員忙しくしていることは滅多にございません。私どもの本来の仕事に支障がない程度でございましたら是非とも使って下さいませ」
「わかった。ありがとう」

 礼を言われるなど恐れ多い、とばかりに一礼したスペリエが去り、その場には五匹の屋敷しもべ妖精とともにライジェルが残された。

「お嬢様、本日はどのようなご用件でございますか? 何なりとお申しつけ下さいませ」
「あ、ああ。だが少し待ってくれ。実は私個人ではなくて連れに頼まれて来たんだ。詳しいことは連れが来てからにしてもらってもいいか」

 畏まりました、と頭を下げた一匹に倣って、残りの四匹も深々と礼をする。ふとライジェルが時計を見ると、もうそろそろ朝食を食べ始めないと一時限目の授業に間に合わなくなってくる時間になっていた。

「じゃあ、また後でくる」
「わかりました。でしたら、そのお連れ様とご一緒に五階の南廊下の奥から二番目の部屋にお越し下さい。私どもはそこにおりますので」

 わかった、ありがとう、と軽く頭を下げたライジェルは、速足で大広間へと歩いていった。


prevnovel topnext

- ナノ -