ドラゴン、ドラゴン、ドラゴン────ライジェルの頭は、考えれば考えるほど、時間が経てば経つほどにぐちゃぐちゃになっていっているような感覚に陥っていた。図書館にドラゴンのことを調べに行っていたセドリックも、やはりドラゴンの図鑑や飼い方の指南本はあれど、倒す方法が記されたものは見当たらなかったと言っていた。どんな本をどれだけ漁ろうともめったにドラゴンについての記述はなく、あったとしても杖の芯や魔法薬の材料としてドラゴンの爪や牙、鱗を使うということくらいだ。

「ライジェル、一回休んだら? もう夕食の時間になりそうだし……」
「何言ってるんだ、第一の課題は明日なんだぞ! まだ策も考えついていないし、時間はなくなるだけなんだ。どうにか、どうにか策を考えないと…………」

 授業が終わった放課後すぐに図書館から少しでもドラゴンについての記述のある本を借りてきたライジェルは、休憩を挟む時間も惜しいとずっとドラゴンについて調べていた。もうじき夕食の時間になるのにも関わらず、ライジェルは対策を練ることをやめない。明日の午後に予定されている第一の課題までに間に合うのなら、自分が今夜徹夜をしようとも全く構わないとさえライジェルは考えていた。だが焦れば焦るほどに、図書館から目一杯借りてきたドラゴンについての本の内容は頭の中に入ってこないのだ。ライジェルの頭の中が活動をやめてしまっているようだ。まるで、目から入った情報が耳から出ていくような。

「でもライジェル…………」

 どう見ても当人のセドリックよりも本来ならば第三者であるはずのライジェルの方が気持ちに余裕が見えない。心なしか、いらいらしているようにも感じられる。これなら、第一の課題の内容がドラゴンだということを言わない方がよかったかもしれないな、とセドリックはため息を一つ落とした。ライジェルをこんなに悩ませるくらいなら、自分一人で考えていればよかった。そうは考えても、もはやこの状態のライジェルを元に戻せるとは思えないが。

「気分転換も兼ねてさ、夕食食べに行かない? 此処に篭りきりだと気分も悪くなるよ」
「私は残って続けるから、お前だけでも食べてくればいい」

 どうにかしてライジェルを外に連れ出したいセドリックに対して、がんとして温室から一歩も外に出ようとしないライジェル。今やセドリックの心配事が第一の課題のドラゴンよりも目の前のいらいらしているライジェルであることに、当のライジェル自身は気がつかないらしい。今までの対抗試合はともかく、絶対安全だと魔法省が認めた今回の試合の課題としてドラゴンが出されたのだ。何かしらの攻略方法が絶対に存在するはずなのだ。それが今のライジェルの動力源だった。

「…………わかった、僕はちょっと大広間で何か食べ物持ってくるから待ってて。お腹空いたら頭も回らないからさ。疲れたら無理しないで寝るんだよ」

 結局、先に折れたのはセドリックだった。観念しましたというふうにわざとらしくため息をついたセドリックはライジェルを置いて大広間へと出ていったが、十分足らずで適当に食べ物や飲み物を抱えて帰ってきた。大広間では食べなかったらしい。

「ほら、本を読みながらでもいいから食べてよ。喉が渇くだろうからこれも飲んで」

 未だにとり憑かれたように本を読み漁っては、時折思いついたようにばっと本から顔を上げて何か考え、駄目だと言うかのように首を横に振り、また本に没頭する、というのを繰り返すライジェルにセドリックは無理矢理パンとかぼちゃジュースを押し付ける。食べ物の現物を目の前に見せられてようやく、そういえば、と空腹感を思い出したライジェルは、ありがたくセドリックの持ってきたパンをちぎり、かぼちゃジュースを喉に通しながらもまた本のページをめくっていた。

「…………んん、」

 それからしばらくして、かくん、かくん、とライジェルの首が上下に揺らぎ始めた。四時限目が終わってすぐにドラゴンについて調べ始めてから軽く四、五時間は経過している。疲れが出てきている上に、夕食を食べたせいで胃に血液が集中して脳にあまり血液に運ばれる酸素が行き届かないのだろう。

「ライジェル、眠い?」
「いや、大丈夫、だ……」

 と言いつつも、ライジェルの意識はもう限界だった。まだ、まだ頑張らなければならないのに。それでもライジェルの意志とは裏腹に、見ているはずの本の文字が霞んでいく。開いていたと思っていたまぶたも重く、気がついたら閉じていてはっとしてまた開く、という状態だ。とうとうがくりと一度大きく倒れてしまったライジェルはその衝撃で頭をはっきりと覚醒させて起き上がったのだが。

「…………え……?」

 この温室自体には明かりはなく、スプラウト教授から借りていたカンテラの明かりだけでライジェルとセドリックは紙に課題の策を練ったり本を読んだりしていた。だが、今カンテラに火は灯ってはいない。それどころか温室のビニールから見える空は、紺色から赤のグラデーションになっていた。

「おはよう、ライジェル」

 一瞬の意識の消失、視界に入る濃い青色の空、にこやかなセドリックからの朝に交わされるべき挨拶。それらのことから考えて、ライジェルは最悪の事態が起きてしまったのだと悟った。

「もしかして、寝てしまったのか……?」

 まさか、ライジェルが一瞬だと思っていたあの倒れた時に、一晩が過ぎ去ってしまっていたというのか。ライジェルの顔がさあっと青ざめる。

「セドリック、私が寝ていたの、知ってて……」
「あまりにぐっすり眠ってたからね。身体が冷えないようにローブをかけておいたよ」

 そうセドリックが何の気無しに返すのとライジェルがばっと勢いよく起き上がるのは同時で、ライジェルの上半身からライジェルのものよりも少し大きいセドリックのローブがずり落ちた。

「大失態だ……!」

 こんな大事な日に寝過ごしてしまうなんて。今日だけは何としても課題の片をつけるための方法を見つけださなくてはならなかったのに。頭を抱えるライジェルを安心させるように、セドリックはその背中を撫でた。

「ライジェル、そんな根を詰めないでよ。まだ課題までに──」
「何でお前はそんなに余裕をこいていられるんだ! もう試合に猶予はないんだぞ!」

 だが、そのセドリックの心遣いがライジェルにとっては逆効果だった。いくら本を読んでも考えに考えてもドラゴンの対策は出てこないままというだけでライジェルの心は不安定になっていて、しかも寝過ごしてしまって大事な時間を無駄にしてしまったのだ。その上当のセドリックはライジェルからしてみれば楽観的すぎる言動をするではないか。ライジェルの蓄積していたいらいらが爆発してしまったのも、当然だ。

「私だってこんなに面倒なものだと知っていたなら、お前の助力などしていなかった! だいたい誰がこんなに時間を割いて──」
「ライジェル!」

 誰がこんなに時間を割いて手伝ってやっていると思っているんだ。
 そう感情のままに大声をあげようとしていたライジェルは、それ以上に大きく、否、もはや悲鳴のようにライジェルの名を叫んで両手でライジェルの顔を包み込んだセドリックに驚いて口をつぐんだ。こんなに大きなセドリックの声は聞いたことがなかったし、そうでなくともライジェルの灰色の瞳を見つめるセドリックの、同じ灰色でも微妙に違う色のそれから目がそらせなかったのだ。

「ライジェル。僕は大丈夫だから。大丈夫、だから」

 今し方大声を上げたとは思えないほどに落ち着いているセドリックの言葉に、ヒートしていたライジェルの頭が冷えていく。

「君が熱くなってもしょうがない。まずは君が落ち着くのが先決だ。じゃないと、何もできないよ」

 セドリックの言葉が耳に入る度に、ライジェルは頭にバケツいっぱいの冷水をぶっかけられたような感覚を味わった。熱くなっていた頭が徐々に冷静になっていき、ライジェルははっとする。

「あ…………」

 今自分は、セドリックに何ということを口走りそうになったのだろうか。 「誰がこんなに時間を割いて手伝ってやっていると思っているんだ」 最、低だ。

「……ライジェル?」

 なんという上から目線の、最低な言葉だろうか。今は途中でセドリックが遮ってくれたからいいものの、このままライジェルが続けていたなら。それを考えなくとも、ライジェルは自身のしでかそうとしたことにぞっとした。最悪の展開と、そしてそれを心の底で思っていた自分自身の醜い感情に。雰囲気の変わったライジェルに疑問を感じたのか、セドリックはライジェルの顔を覗き込む。

「私は、私は……」

 自身が思っていた以上に酷い思いを一瞬でも抱いていたということにショックを受けたライジェルの目は、セドリックのそれを直視できずに目的もなく揺らぐ。無意識のうちに目からあふれていたものがライジェルの頬を濡らして、ぽたり、ぽたりとライジェルのローブに染みを広げていく。それに何かを思ったのか、セドリックはライジェルの様子に深く追求はしてはこなかった。

「…………散歩、しようか」

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