骨(ディミレト)
2020/03/09
 骨を拾った。なんということはない、お前の骨だ。お前の骨は立派だった。とてもじゃないが、死人の骨とは思えない。爪で叩くとかつんかつんと音がした。指でなぞるとしっとりと俺の膚になじんだ。炎で焦がされたのに、お前の骨は真っ白でまるで処女の膚のようだった。ぽたりぽたりとお前の骨に真っ赤な血が滴った。俺の血だ。鼻血である。ぼたぼた、ぼたぼた。俺の鼻から血が滴る。何故滴っているのかは分からない。涙の代わりに血が出る。たくさん出る。でも涙は出ない。どうして涙は出ないのかしら。鼻血は止まらない。ぽたぽた、ぽたぽた、骨に血が滴る。お前の骨に俺の血が滴る。これが俺の精液だったらいいのに。そうしたらお前は真っ白なままだったのに。俺はそれすらできない。お前を汚すことしかできない。お前とどこまでも行きたかった。お前とどこまでも生きたかった。なのにどうして死んだんだ。なのにどうして俺をおいていったんだ。真っ赤に染まった骨を握って、俺は駆け出した。


モブ視点のディミレト
2020/03/08
 どうして殺したの。そう問うと、彼はぼんやりとした焦点を徐々に私に当て、ぱちり、ぱちりと目が覚めたかのように二度瞬きをしました。どうして。私の言葉を反芻して彼が繰り返します。それは小さな子供が母親の言いつけを口にする様子にひどく似ていました。私はそう、どうして、王様を殺したの、と尋ねました。彼はやはり、どこかぼんやりと、朝寝から起きたばかりのような様子で私をじっと見詰めております。私は背を向けて逃げ出したい衝動に駆られてしまいました。彼はどこか人外じみていて、まるで女神様を前にしたかのように、自分の罪をあぶり出されているかのような気分にさせられるのです。実際に罪を犯したのは彼だというのに。彼の罪状は、この国の王の弑逆です。誰も彼もが、何故彼が王様を殺したのかさっぱり理解できませんでした。彼と王様はひどく親しい間柄で、恋人同士だったのではないかとまことしやかに囁かれるほどでございました。だから、突然、彼が王様を殺したと聞いて、誰もが耳を疑ったのです。まさか、あの方が、と。彼の尋問をするのは、私で三人目です。私より先に彼を尋問していた人間は、皆気が狂って首を掻き切って死んでしまいました。だから、セテス様は私にこの仕事を任せることを非常に渋りました。それを、私が無理矢理お願いしたのです。私は彼がどうして王様を殺したのかを知りたかった。たとえ気が狂ったとしても、知りたかったのです。私は、どうして殺したの、ともう一度、彼に問いました。やっぱり彼はどこかぼんやりしたまま、白痴のようにじっと私を見詰めております。その目のなんと澄んでいること。私はこうして彼と対面しても、何故彼が王様を殺したのかちっとも分かりません。そもそも、彼は本当に王様を殺したのでしょうか。誰も、彼が王様を殺した瞬間というものを見ていないのです。彼は、王様の首を抱えて、殺した、とただそれだけを言って、あとはだんまりだったのです。彼が抱える王様の首。それはとても穏やかな表情をしていました。まるで眠っているかのよう。けれどその首はもうすっぱりと胴体と離れているのです。もうすっかり、死んでしまっているのです。彼の元教え子である青年たちは、口々に彼がそんなことをするはずがないと冤罪を訴えているそうです。実際、彼に実際に談判した方々も多くいました。けれど、彼は何も話さず、じっと虚空を見詰めるのみです。彼はどうして王様を殺したのでしょうか。それを解明するのが、私の役割です。私は今日はいい天気ですね、と話を変えました。彼は答えません。その橄欖石色の瞳で私を見詰めるのみです。私はほとほと困り果ててしまいました。彼は先の戦争で私たちを勝利へと導いてくれた戦神のような方です。そんな聡明な彼が、どうして王様を殺したのでしょうか。私には分かりません。それはきっと彼以外には分からぬことなのです。私はどうしよう、と思い、そっと目を伏せました。その時です。彼が口を開きました。お前、罪を抱えているな。どきり、と嫌な感じに心臓が音を立てます。私は恐る恐る、彼の目を覗き込みました。彼の目は相変わらず宝石のように無機質にきらめいております。罪、とは。思わず、そう尋ねました。彼は意味ありげに瞬いて、言ってごらん、と私に微笑みかけました。その笑みは、女神様のように美しいものでありました。ほう、と思わず息を吐くのと、私が一粒、ぽろりと涙を零すのは同時でございました。涙を流す私を、彼は優しい笑みで包み込んでくださいます。この世に生きる人間は、皆罪人だ。彼が呟きます。ディミトリだって、俺だって、罪人さ。彼はそう言って目を伏せました。私が、だから王様を殺したのですか、と問うと、彼はぱちりぱちりと瞬きをして、そうであって、そうじゃない、と首を振りました。どういうことでしょう。あいにく私はあまり頭がよくはありません。もう少しわかりやすく仰ってください、とお願いすると、彼は薄く笑んで、どうしてだろうな、と小さく呟きました。それは女神のような見目には似合わない、所在なさげで頼りないものでございました。愛していたのではありませんか。私がそう言うと、愛とはなんだろうと彼は首を傾げます。愛っていったい、なんなのかしら。私だって分かりません。私は生娘でございまして、今まで男性とそういった関係になったことがございません。そう告げると、俺は今までいろんな男女と寝てきたけれど、それでも人の愛は分からなかったと彼は眉を下げました。王様とも愛し合ったのですかと問うと、そうだね、ディミトリとも肉体は愛し合ったよと彼はこともなげに言いました。でも、身体で愛し合うのは簡単だけれど、心で愛し合うのはちっとも簡単じゃないわ。彼が言います。そうでしょうね、と私が頷くと、だから、と彼は俯きました。だから、殺したのですか。私は静かに問いかけました。彼は何も言いません。じれて、ベレト様、と彼を呼んだときです。彼が顔を上げました。そうして、私に言ったのです。お前、俺を愛してしまったね。彼の言葉に、私は目を見開きました。彼は心底同情するように私を見詰め、愛してしまったね、ともう一度呟きました。私の口の中はからからに乾いておりました。そうです。私は彼を愛しておりました。彼に愛されたいと願いました。だからこそ、何故彼が王様を殺したのか知りたかったのです。彼の全てを知りたかったのです。どうしてそれを、と震える声で尋ねると、だって皆、同じ目をしていたから、と彼は言いました。そこで、ああ私の前に彼を尋問した人間も彼を愛してしまったのだわと気がつきました。彼を尋問する前から彼に魅了されていたのか、それとも彼と言葉を交わすうちに恋をしてしまったのかは知りません。しかし、これではっきりしました。彼は王様を殺してなどいません。貴方は王様を殺していませんね、と断言すると、いいや俺が殺したと彼は首を振ります。だって、ディミトリは言ったんだ、俺に愛されたいと、でも俺は人の愛が分からなかった、だからできないと言うと、どうしたら愛してくれるとディミトリは言った、だから分からないと言った、人の愛が分からない、分からないと言うと、ならば死体ならば愛してくれるかとディミトリは言った、人ではなく死人ならば愛せるかと、分からないと言うと、ならば覚えていてくれるだけでいいとディミトリは言った、どうか俺の死に際を、お前を愛していた男の顔を覚えていてくれと、だから忘れないように首を持っていったんだ、なのに、首は取り上げられてしまった、どうしよう。彼は途方に暮れたように眉を下げました。私は静かに、彼を見詰めました。人を理解しない女神様を見詰めました。私も、と呟くと、彼がゆうらりと顔を上げます。私も、愛して下さいますか。彼は静かに、瞬きをしました。ゆるく彼が微笑みます。私はそれを見て、なんだかとても掬われた気分になりました。なんだってできる気になりました。だから、死ぬことは全然怖くありませんの。だって、この短剣を首に突き立てれば、彼に愛してもらえるんですもの。私の恋は報われるんですもの。ああ、願わくば、王様のように、首を抱えて欲しいですわ。きっと彼の腕の中は母の胎盤のように心地のいいものでございましょう。そこに抱かれる日が待ち遠しくて仕方がありません。死ぬのなんて、ちっとも怖くありませんわ。だってこれで、彼に愛してもらえるんですもの!
「ベレトは人を愛さない」
 セテス様が、沈痛な面持ちでそう仰います。何故でしょう。何故そんなことを仰るのでしょう。しくしくと泣く私を見詰めながら、セテス様は続けます。
「ああ、どうしてこうなってしまったのだろう。王も、君も、ベレトからの愛が欲しかっただけだろう。覚えていて欲しかっただけだろう」
 でも彼は愛さない。覚えない。セテス様はそう言って目を伏せます。何故ですか、慈悲深いあの方のことですもの、あの方を理由に死んだら、きっとこの世の終わりまで覚えていてくれるはずですわ、私のことも、王様のことも、愛して下さるはずですわ。そう訴えても、セテス様は首を振ります。
 何故、そう断言するのですか。
 私の問いに、彼はつらそうに目を瞑りました。まるで自分の罪と向き合っているかのよう。ああ、そういえば、彼も仰っていましたわ。この世に生きる人は全て罪人だと。だとしたら、セテス様も罪人なのでしょうか。でも、いったい、何の罪を私たちは犯したのかしら。彼は最後まで、言って下さらなかった。
 彼に愛されたいと泣くと、女神は人を愛さないとセテス様は言いました。そこでようやく、私は私の罪の名を知ったのです。


ディミレト
2020/03/06
 本当はお前を誰も知らない麗らかな日差しだけが差し込む部屋に閉じ込めたいと言われたからそうすればいいじゃないかと俺は言った。ディミトリはそんな俺に、お前はそんなことで手に入れられるような存在じゃないだろうと諦念を含ませた顔で笑った。ディミトリの体温の低い手が俺の頬を撫でて、誰も知らない部屋に閉じ込めたいともう一度言った。誰も知らない、優しい風が吹き込む美しい部屋に閉じ込めて、お前は俺としか会えないんだ、そうして、お前はその部屋でずっと俺を待ち続けるんだ、俺が死んでも、それに気づかず、ずっと、ずうっと。それは悲しいなと言うとそうだろうなとディミトリはやっぱり泣きそうに笑う。でも、俺はそうしたいんだ、先生を、閉じ込めてしまいたいんだ。俺はなんと言ったらいいか分からず、ディミトリの背に手を回して撫でた。ディミトリは俺を抱き締めたまま動かない。こういうとき、どうしたらいいのだろう。ジェラルトは何と言っていただろうか。とんとん、と子供をあやすように背を叩いてもディミトリは俺の肩に顔を埋めたままだった。泣いているのかと問うと泣けたらよかったのになとディミトリは言った。お前は我慢ばかりだ、俺には我儘を言ってもいいのに。そう零す。ディミトリは何も言わなかった。ただただ黙って俺を抱き締め続けている。何をそんなに不安がっているのだろう。何をそんなにさびしがっているのだろう。いっそのこと、お前の城に押しかけて、男妾にしてくれと言いに行けばいいのだろうか。そうしたら、ディミトリはこんな顔をせずに済むのだろうか。ディミトリ、と彼を呼ぶ。ディミトリは顔を上げない。なあディミトリ、なあディミトリ。閉じ込めたいなら閉じ込めてしまえばいいんだ。お前以外と会えない部屋で、俺はお前をずっと待つよ。お前が死んだ後もずっと待つよ。お前だけを信じて待つよ。
 でも、そんなこと、してくれないんだろうなあ。
 そう思うと、なんだか悲しくなって、俺は一粒だけ涙を零した。それは誰に知られるわけでもなく頬を伝って、服に吸い込まれて跡形もなく消えてしまった。


ディミレト←シル
2020/03/06
 先生がいなくなった、と聞いても、特に驚きはなかった。まあ、だろうなあと思って、俺は焦ったように息巻く従者をただぼんやりと眺めていた。この報せは多分、元青獅子の学級の生徒全員に行っているんだろうけれど、誰も驚かなかったのだろうなあ。ぷらぷら、ぷらぷら。足を揺らして、物思いにふける。先生と最後に会ったのは、いつだったかしら。考えるまでもない、陛下の葬儀の時だ。先生は、あのとき、泣かなかった。穏やかに微笑んで、おやすみ、ディミトリ、と冷たくなった頬を撫でていた。それを見て、ああもうこの人は覚悟を決めているのだなあと思った。だから、二人きりになったタイミングを見計らって、先生、と俺は先生を呼んだ。先生はもう大司教になってからしばらく経っていたから先生を先生と呼ぶ人はほんの一握りだったし、俺だって彼をこうして呼ぶのは久しぶりだった。先生は穏やかに微笑んだままなんだシルヴァンと俺の名前を呼んだ。行っちゃうんですか、いなくなっちゃうんですか、大司教の仕事はどうするんですか、きっと陛下はそれを望んでませんよ。そんな言葉はぽんぽんと浮かぶのに、何一つ声に出せなかった。黙り込む俺の頭を、先生は撫でた。先生の手は、若々しいままだ。あの頃の姿のまま、世界においてけぼりにされたまま、先生はそこに立っている。さびしいですかと問うとそりゃさびしいさと先生は笑った。ならあっためてあげましょうかと言うとらしくないなと先生は笑った。らしくない。俺らしいって、いったいなんなのかしら。くふくふと笑う先生を見て、ああ、この人、こんなに小さかったんだなあと思った。先生は、いつだって俺たちを導いてくれる存在で、誰よりも強くって。でも、先生は本当は、こんなにも小さくて、脆い存在だったんだ。さよなら、と言おうとした。でも、なんだかそれはおかしな気がして、陛下によろしく、と俺は言った。やっぱり先生はくふくふと笑いながら、分かったよ、と言った。それが、俺と先生が交わした最後の会話だ。お幸せに、と思って、俺は目を閉じる。先生の遺体が見つかったのは、それから三節後のことだった。時間が経ってるのに、先生の遺体はどこも傷んでなかった。まるで眠ってるみたいに横たわって、幸せそうに微笑んで先生は死んでいた。あーあ、最後まで、陛下に勝てなかったな。先生の遺体を見詰めながら、俺はそんなことを思った。せんせ、陛下、どうか、天国でお幸せに、ね。


ディミレト
2020/03/05
先生、先生。そこにいるか。いるよ、どうしたディミトリ。ああ、いたか、安心した。もう、目も、あまり見えないから、不安になったのだ。大丈夫、ここにいるよ、どうか、したのかい。先生、俺はたぶん、もうすぐ死ぬ。そのようだね。さみしいか? さみしいさ。かなしいか? かなしいさ。そうか、そうだよな、お前は、シルヴァンが死んだ時も、フェリクスが死んだ時も、アッシュが死んだ時も、ドゥドゥーが死んだ時も、イングリットが死んだ時も、アネットが死んだ時も、メルセデスが死んだ時も、目が溶けてしまうんじゃないか、というくらい、泣いたものな。そりゃ、泣くさ。いつの間にか、俺が最後だ、は、は、は。お前は、優秀な生徒で、立派な王だったよ、ディミトリ。そうだろうか、そうだといいな、俺は、獣から、王になれただろうか。お前は最初から、獣なんかでは、なかったよ、最初から人間で、最後まで人間だったよ。先生、先生。どうしたディミトリ、ここにいるよ。お前は、変わらないな、いつまでも若く、気高く、うつくしいままだ。……。許してくれ。……何を。全てを。全て。お前と違い老いる俺を、死にゆく俺を、そうして、お前を選べなかった俺を。……ディミトリ。ああ、俺を、軽蔑するか、先生、俺は結局、臆病だったのだ、お前よりも民を選んだ、王を選んだ、世継ぎを選んだ、血を選んだ、俺はお前を選べない、お前以外を捨てられない、臆病者だったのだ。そんなこと、ないさ。いいや違う、違う、違う、俺は、臆病者だったのだ。……ディミトリ。すまない、すまない先生、俺はお前に、何も残せない、残せるのは、ただただ懺悔のみだ、愛も残せない、何も残せない、俺はお前に、後悔しか残せないのだ。そんなことは、ないさ、ディミトリ。何故。何故って、お前、そんなことを聞くなんて、野暮というものだよ。そう、なのか。そう、さ、何を残せたか、次に会う時、分かるだろうよ。次。そう、次。次が、あるのか。そりゃ、あるさ。俺みたいな人間にも、次が、あるのか。そりゃ、あるさ。ふ、ふ、ふ、ふ、そう、そうか、俺には、次が、あるのか。そりゃ、あるさ。ならば、一つ誓いを残そうか。おや、なんの誓いだい。ふ、ふ、ふ。なんだ、笑ってばかりいないで、教えておくれ、お前は俺に、何の誓いを残してくれるんだい。ふ、ふ、先生、先生……。なんだ、ディミトリ。俺は、次こそ、お前を…………。……ディミトリ、ディミトリ…………、お前は、ずるい男だね……なんの誓いか言わずに、死んでいくだなんて…………、いや、いや、いいさ、次を、楽しみにしているよ……次、お前に会う時、俺はこう言うのさ。


 あの時、何を誓ってくれたのって。

  

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