芽吹きに叡智を

季節は早くも夏の始まり。
照らす日の光は燦々としているが、吹く風はまだ柔らかく、初夏の爽やかな空気が肺を満たす。
そんな夏の始まり。今日も元気に私の生徒達は学業や忍務に励み、力の限り輝いて生きていた。

ふと、通り掛かったグラウンドを見ると、そこには数人の生徒の人影が。
あれは一つ上の学年の男子生徒と…ああ、投げ飛ばされているのは私の生徒達か。なるほど、受け身の授業とかかな。体術は私じゃ教えきれない分野の一つだ、有り難い。

まあ、これといって特に声を掛ける必要もないだろうとその場を通り過ぎようとした時だった。後ろからぽんっと軽く肩を叩かれ咄嗟に振り返る。

「おや…見学かい、家入くん」
「土岐先生おはよ。そ、見学」

私を呼び止めたのは二年の女子生徒、家入硝子くんであった。
彼女が見学なのには理由がある。それは彼女が非・戦闘員だからだ。つまりは私と同じ……いや、私は戦いたくないから戦わないだけなんだけども。

彼女は親しげな雰囲気で側へとやって来ると、「先生の生徒はどうですか〜?」と尋ねてきた。
私は彼女の言葉に「良い生徒達だよ」と、大して面白味のない返事を返す。

「君から見た後輩はどうかな?ちゃんとやれているかい?」
「結構可愛いですよ。まあ、怪我ばっかりですけど」
「男の子だからなぁ」
「そこは担任として何とかして下さいよ」

思わず溢れたのは乾いた笑い声。

「ハハハハハ……いや、ムリムリ。そこはほら、先生専門外なので」
「そことは、具体的に」
「ほら、あの…受け身とかそういう、ね…」

私の返答に家入くんは「ああ、」と、合点がいったみたいで、私の顔を覗き込みながら「土岐先生、戦うのダメって言ってましたもんね」と悪戯っぽく笑って言った。

そう、その通り。
私は戦闘要員ではない。
理由は簡単、戦闘がダメだから。

この「ダメ」というのはイコール「戦えない」というわけではなく、「戦えるけど戦えない」もしくは「戦いたくない」という意味だ。
まあつまりは…下手なのだ。センスが無い。知識はあって思考も出来る方だが、如何せん戦いのセンスが足りない人間なのだ。

それでも一応基礎的なことは出来る。
身体へどう呪力を込めたら効率が良いか、どこをどう動かせば力が出るか。あとはまあ、遠距離からの攻撃方法だとか。
だがそれまでなのだ、私は。結局いくら努力し、どんな屈強な呪術師に教えて貰おうと、私は戦闘に関するセンスが壊滅的だったため晴れて「戦場では邪魔者」の烙印をしっかりバッチリ押されることとなった。

というわけなので、ならもう開き直って「私は戦わない」と言っていた方が良いなとなって、私は現在に至る。
だから生徒達に戦闘面で教えられることなど何も無い私は、こうして上級生に生徒を託す他になかった。
歯痒くは思うが致し方無い。私が教えるよりも、彼等に教わったほうがずっと良い結果が生まれるだろう。


今は三限目、私が担当するコマまではまだ暫く時間がある。ここに居ても仕方無いので、早々に撤退させて貰うとしよう。

「一緒に見学しましょうよ」と絡んでくる家入くんへ「また授業で」と挨拶をしてから、職員室へと向かって歩き出す。すると、やや距離の離れたグラウンドの方から「あっ!!土岐せんせえ〜〜!!」と、元気な声と駆けてくる足音が聞こえてきた。
この明るく活力に溢れた声は灰原くんのものだろう。一度立ち止まり振り返る。おお…思ったよりも近くまで来ていた。早いな、流石センスがあるタイプの術師だ。

私が驚いてる間にも彼はわーっ!と勢い良く走り寄ってきて、そして何故かそのまま私の両腰に手を添え、天高々と持ち上げてみせた。とても、良い笑顔で。照り付ける太陽も眩しいが、生徒の笑顔も眩しい。駄目だ、眩しさで状況がイマイチ掴めない…私は何故、自分の生徒に高い高いされているのだろう。

「七海ィー!先生見つけたよ、ほらー!!」
「見えてますから、下ろしてあげて下さい!!」

慌てた様子でこちらへ駆けてくる、内弟子とも呼べる七海くんに向けて渾身の困り顔をしてやれば、彼は走る速度を上げてくれた。

速攻で灰原くんから私を奪取し、地面に下ろしてくれた七海くんには感謝しかない。七海くんに百点追加。日曜の呪術教室ではちょっと良い物を見せてあげよう。

しかし、ホッと胸を撫で下ろしてる間にも事態は進む。
気付けば私の周りには一年、二年の生徒が全員集まっており、そして何故かジリジリと追い詰められていた。
待て、五条に夏油、なんだその良い笑顔は。家入くんもニタニタと笑ってどうしたというんだ。

「つがるせーんせ♡」
「五条、先生を呼ぶ時はそんな甘ったるい呼び方をしないように」
「だぁーって!一年入ってからそっちに付きっきりで、俺達寂しくってぇ!」
「週二で私の授業が入ってるだろう」
「ほら、俺達って優秀だから?任務が入っててさ?」
「なるほど。ならば我慢しなさい」

ケチ!アホ!せんせの分からず屋!!俺達との関係は遊びだったってことね!?

言い掛かりにも程がある罵声を響かせながら、五条は顎の下で両手をグーにして泣く真似をした。身体をやや折りながら、チラチラとこちらを見ては「傑〜!つがるせんせが俺を弄ぶ〜!」と抗議する姿はなるほど、夜蛾さんが頭を痛くするだけのことはある。デカめの女児か、貴様は。

「先生、酷いですよ。あんまりだ」
「夏油、お前まで言い始めるのか…」

ややげんなりしながら、こちらを見下ろし寂しそうな目をする夏油は確信犯であり、悪ノリに便乗するのが大好きなお年頃である。
五条の肩を擦り、寄り添いながら「私達は本気で先生の授業を楽しみにしているというのに…」「学ぶ機会すら与えないなんて、教師として如何なんでしょうか」と、それっぽい抗議をしているが、普通に考えて欲しい。私にも予定があるのだということを。

あまり騒いでくれるな…と、コメカミに指を置きグニグニと揉む。
五条はまだしも夏油がそれっぽいことを言うと、彼贔屓の灰原くんが感化されてしまうのだ。

「分かります夏油さん、先生の授業は面白いですからね!」
「そうなんだよ。だから私達も先生にご教授願いたくて…」

ほら、感化されてしまった。

溜息を堪えてチラリと腕時計を確認する。
確か、四時間目から五条と夏油は準備が出来次第任務に向かう予定となっていたはずだ。
そして私は本日、一応二年の午後の授業を受け持っている。しかし、きっと彼等は今日も私の授業には出られないのだろう。

学生時代における"学び"とは、やがて自分の道を決めるための過程に過ぎない。と、私は考えている。
難問、大きな壁、将来への選択。それらを乗り越え、通過するために必要な物が学びだ。
私の教える授業もそう。いずれ彼等に迫るであろう人生の選択を、より良い物にするための一つの過程であり材料であり、新たな発見への種なのだ。

請われれば授ける。
それ即ち、学問。

私は生徒の人生のために、小さな種を丁寧に蒔く。
芽が出るか否かは本人次第だが、しかし、芽が出る希望がある限り、水を、栄養を与えるのが正しいだろう。
どちらへ向かって芽を伸ばすかは彼等次第だ。私は私に出来る世話を可能な限りしてやりたい。

「残り十五分か…」
「え!?マジで授業しようとしてる!?」
「ああ。クールダウンの柔軟でもしながら聞き流しなさい」
「つがるせんせ…すき……」

ぴとっ。
デカい身体を寄り添わせてきた五条を押し退け、私はグラウンドへと降り立つ。
さて、では講義を開始しよう。
君達がいつか思い出してくれるような、栄養の詰まった講義を。




………





土岐先生の声は滑らかだ。
高くも低くもなく、ザラつきや癖のある声質でもなく、耳馴染みの良い柔らかな声をしている。
灰原はよく土岐先生の声を「落ち着く」と表現しており、確かにそれは適切な表現だと私も思った。

クールダウンの柔軟にはまだ早い時間だったが、我々は先生の指導の元に普段より入念な柔軟をしながら彼女の授業を聞く。
贅沢な時間だと思った。この感想は人によるだろうが、私からしたら贅沢極まりない時間だった。何故ならば、慕い尊敬する人の講義を、涼やかな晴れ空の下で聞けるからだ。今日はきっと、色々と運が良い。


「呪術とは、元を辿れば神聖な儀式や宗教に繋がる。では何故呪術という呼び名が定着してしまったかといえば、そこには歴史的誤解が関わってくるのだ」

例えば。
先生はそう言ってスーツのズボンのポケットから小石を一つ取り出すと、空中に『fetish(呪物)』『burujera(呪術・魔術)』と光の線で書き記す。

「十五世紀後半、それまで土着信仰が盛んだったアメリカ大陸やアジア、ブラジルなどの地域にヨーロッパ人が流入したことにより、文化の衝突と否定、曲解が生み出されていくこととなった」

当時の伝統的な宗教、儀式を"悪魔崇拝""呪術"などと呼び、我々の祖先は迫害の一途を辿ったのだ…と、先生は語る。

アフリカ人が信仰する精霊、それが取り憑いたとされる神聖なる物体をキリスト教の宣教師達は『フェイティス(fetish)』と呼び、呪われた物だと蔑み忌み嫌った。
また、中南米ではメキシコについたフランシスコ会の宣教師たちは、自らの宗教にも血を流す概念(神の子の自己犠牲というキリスト教の概念)を持ち合わせているにも関わらず、メソアメリカの人々が掲げる神と人の相互犠牲関係と、それによる生贄儀式に『狂信』の烙印を押し、個人的精霊信仰や占いについても『ブルヘリア(burujera)』の汚名を着せた。

「日本でもそうだ。外からの医学的知識や新しい考え方が布教されていくにつれ、古い民間療法とされる呪術や陰陽道、呪禁道は禁止の一途を辿り、迫害され、潰えていくしかなかった…」

私はそれを悲しいことだと思ったが、先生はさも当たり前のように「仕方のないことだ」と言う。

「今もそうだが、呪術は秘匿される物だからね。公にされ、万人が共有できる知識じゃない」

だから曲解され、誤解され、迫害の対象となる。
間違った知識もそうだが、中途半端な理解は時として知識あるものに牙を向くのだ、と。

「ま、確かに術師の間でも共有してない情報なんて大量にあるしな」
「術式も基本、そうだからね」

まあ、私達は有名人だから、皆知ってるみたいだけど。
夏油さんが伸びをしながら笑って言う。

彼の言葉を聞き、そういえば先生の術式は何なのだろう…と、疑問が浮かび上がった。
しかし、疑問には思うが聞いた所ではぐらかされるであろう。何せ、これもまた"共有出来ない知識"の一つなのだから。

「そう思うと先生って凄いですね、なんでも教えてくれる!」
「知ってることなら幾らでも教えるのが私の主義だからね」
「え、じゃあ術式とかも教えてくれるんですか?」
「うん、全然良いけど」

かと思ったら全然教えてくれるらしかった。
おい待て、説明したことと今言ってることが違い過ぎるだろう師よ。それでいいのか呪術師として。灰原も灰原だ、恐れ知らずなのかお前は。

いやでも、正直に言えば私も知りたい。しかし、いいのか…?いや、いいのか。先生が言うのだから良いのだろう。もう私は知らない。

「私の術式は"保管術式"。その名の通り、保存して管理するだけの簡単な術式だよ」
「ジップロックみたいですね!」
「そうそう、大体そんな感じ」

なるほど。と、合点がいった。
土岐先生の部屋にある埃を被った品物はどれも古いが、傷みが極端に少ないのだ。それらは全て先生の術式が働いているのだろう。戦い向きではないが、便利な術式だと感じた。

しかし、五条さんは馬鹿にしたように微笑って「雑魚も雑魚な術式だよなー」と言った。
私はそれに内心腹を立てる。黙れ、土岐先生をわるく言うな。

「こら、悟」
「そうですよ五条さん!夏場に食材が傷みにくいのは良いことじゃないですか!」
「灰原、お前もズレてるよ」

そうですよ灰原、この人はまず食材を買わないし、買ったとしてもそこまで食材に気を使わない。
いや待て、私は誰の味方をしたいんだ。
そして先生も灰原に「おぉ、確かにそれは良い使い方かもしれない、ナイスアイデアだね」とか言わない。ほら、褒められたと思って喜んで照れ始めただろう。やめてくれ、収集がつかなくなってくる。

というか、

「先生はご自身で料理なんてされないでしょう。今日の朝だって私が用意して…」
「は?七海お前、先生の嫁してんの?」
「あっ」

墓穴、掘った。
そして丁度、キーンコーンカーンコーン…と授業終了を伝えるチャイムが鳴り響く。
何も気にしていない先生は「では、授業はここまで」と言ってさっさと立ち去って行った。
私は五条さん、夏油さん、家入さんに詰め寄られ、瞳を平べったくして尋ねられる不躾な質問に「いいえ」を連呼することとなった。

誰が嫁だ。
あの人は先生としては尊敬すべき人だが、人間として一緒にはなれない部類の人だ。誰が悲しくて生活力底辺のお茶もまともに淹れられない、洗濯洗剤の分量すら意識しない、靴下を左右別の柄の物を履くような奴に嫁がなきゃならないというのか。私にだって選ぶ権利はある。
今あの人の世話を焼いているのは、ただの交換条件なだけで…。

「七海、私は応援するよ」
「私も」
「俺も」
「僕も!」

ああ、もう…!

「灰原だって似たようなことしてますから!」

腹立たしいので灰原も巻き込んでやった。
我々は同じく、先生に師事し、先生のために働く生贄だ。

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