苦悩する若者よ

呪術師の仕事は、呪いを祓うことだ。
現場に赴き、呪霊と対峙し、戦い、祓う。それが我々の仕事であり、意義そのもの。

そう、我々はあくまでも問題解決の手段が"戦闘"に依存する。
するとどうだろう。呪霊は倒せても、根本的な解決が出来ていないケースが発生してしまうのだ。

呪いは、人の心から生み出される。

呪霊が祓われても、被害者は戻らない。
失ったものは戻らない。掛け替えのない日々は戻らない。時も、命も、感情さえも。

「何故あの人は呪われたのか」

多くの依頼者達がぶつかる難問を、我々呪術師は時に置き去りにする。
そうして被害者遺族の心に晴れぬ陰を生み出し、また新たな負の感情を重ねさせるのだ。

人間は納得しないと前に進めない。
私は常々そう思いながら、舞い込んでくる依頼に着手している。
探偵として、依頼者が納得出来る真相探しを淡々と続けるのだ。


濃いグレーのダブルスーツに濃紺のネクタイ。ネクタイピンはシルバーの捻れが加わったものを選び、腕時計はシンプルな革の物。靴は黒の革靴で、ポケットにはハンカチを、胸元にはペンと手帳をそれぞれ。
適当に梳かし、オイルを少量馴染ませた髪は下ろしたままにして、扉を開けて部屋の外に待たせていた内弟子と挨拶を交わす。

「さて、では行こうか七海くん」
「はい、土岐先生」

こうして今日も、私の探偵業は恙無く開始された。



___




私からすれば生徒の一人である夏油が請負っていた任務をバトンタッチすることになったのは、事件の被害者の遺族が夏油に八つ当たりを始めたことが切っ掛けだった。
夏油は五条と違い、柔らかな物腰と丁寧な対応が出来る生徒であったため、突っ掛かりやすかったのだろう。ものの見事に哀しみと怒りの捌け口にされてしまった彼は、高専への帰還後に書きかけの報告書を持って私の下へと疲れた顔をして訪れた。

「呪霊が被害者を襲った動機までは流石に答えられなくて…」
「当たり前だ。そんなものは君の管轄外なんだから、答える義理もないだろう」
「ですが、それでは被害者遺族は納得しませんし」
「そうだね。でも、納得するかしないかは、我々ではどうすることも出来ない問題なんだよ」

というよりも、そこまでの面倒を見る仕事ではない。
懇切丁寧にケアしてやるほどの時間的余裕はないし、それこそメンタルケアなど専門外という話なのだ。
しかし、お優しい夏油は悔しさを秘めた瞳を一度閉じて、「今回の事件は、学校のイジメ問題が発端でした」と語りだす。

「呪霊の被害に合い死亡したと思われる女子生徒は、クラスメイトだけでなく他クラスの女子生徒からもイジメを受けていたそうです」

夏油の話によると、事件の全貌はこうだ。

元女子校、現共学の高校にて起きたイジメ事件は、色恋沙汰が原因とされている。
元々はクラスの一軍グループに所属していた被害者は、クラスの人気者である男子と良い仲になったそうな。
だがその男子という奴が、一軍グループのリーダー女子が片想いしていた相手ということでイジメが始まったらしい。
最初は無視から。そうして陰口へ。次第に物を隠したり、ロッカーや机に嫌がらせを行ったり、イジメはどんどんとエスカレートしていった。

ついには、被害者はクラスだけでなく学年から悪い印象を植え付けられたらしい。

彼女はなんとか現状を打開しようと藻掻いていた。
時には教師に相談し、親に相談し…だが、大人はまともに取り合わず、それどころか彼女にも非があると言い出す始末。
そうして心を陰らせた彼女が行き着いた手段が、呪術だった。

「けど、所詮は素人です。結局彼女は呼び寄せた呪霊を制御出来なかった」

被害者が呼び寄せた呪霊に釣られ、他の呪霊達も集まってきた学校は呪霊の巣窟になってしまった。
そうして我々呪術高専が調査に赴いたところ、事態は悪い方へと一転…なんと被害者が行方不明となってしまったのだった。

「呪霊は回収したんだよね?」
「はい。準一級相当の個体と、二級の個体を二体程…あとは全て祓いましたが」
「うーん…なるほどなぁ」

さて、ここで一つ問題が発生する。
なんと、その行方不明になった被害者生徒の死体が見当たらないのだ。

夏油は二日間しっかりと現場を捜査してくれたらしい。しかし、彼の努力も虚しく、被害者の遺体は発見されなかった。
一応付近も捜査したが、結果は同じく。
はてさて、被害者の遺体は何処へ行ったのやら。

「指の一本すら見つから無いのは中々に可笑しいな」
「つがる先生なら解決出来ますか?」
「どうかな。事件は解決出来ても、被害者遺族を納得させられるかどうかは分からない」
「そこはほら、呪術師の領分じゃありませんので」

ね?と、人好きのする笑みを浮かべながら夏油は私に向かって首を傾げてみせた。ついでに、引き継ぎのための書類も差し出してくる。
こういう所に女性陣は絆されるのだろうなと、他人事のように思いながら書類を受け取れば、もう用は済んだとばかりに軽く頭を下げて去って行った。色々と上手い奴だ。だが、些か真面目過ぎる気もする。

まあ、一先ず夏油の良い子ぶりは置いておき、私は事件解決に向けてもう一度情報を洗い出すこととした。

報告書にはイジメの記録も載っており、ツラツラと書き連ねられた文字を読み進めていけば、色々と気になる事項が出てくる。

一、被害者は加害者達から陰で「魔女」と呼ばれていた。
二、被害者が呪術の存在をどこから知ったのかは分からない。
三、被害者の家庭環境はやや問題があった。

他にもちょくちょくと気になる情報はあるが、この三つはとくに重要だと私は考える。

「ま、あとは現地に行ってみないと何ともだな」

そう呟いて、私は早速日程を組み始めた。
私だけなら別に今すぐ行ったって構わないのだが、残念なことに私は戦闘がからっきしな、かよわい探偵。護衛を呼ばなければならないため、本格的な捜査は彼のスケジュールを聞いてからにしなければならない。

だが恐らく、「課外授業だ」とか言っておけば付いて来るだろう。私の内弟子は私の授業を大変気に入っているみたいだから。

そうと決まればさっさと伝えに行こう。
可愛い生徒と楽しい課外授業、なんとも素敵な響きじゃないか。



___




一つ下の学年の担任をしている教師、土岐つがる先生は一応私達二学年の授業も担当してくれている。
彼女の授業は週に二回程度。授業の内容は呪術に関する歴史や専門知識から始まり、呪物の取り扱いなどが主だ。
語り口は滑らかで、黒板に書かれる文字は細く丁寧。声は穏やかで落ち着いており、床を叩く革靴の音を聞く度に、私は少しだけ胸を弾ませてしまう。

悟と硝子、そして私が一年生の時のつがる先生が行った初授業は、今でもしっかりと記憶に残っている。


「呪術の歴史は、迫害と共にある」


チャイムと共に教室に入り、軽く自己紹介を済ませた女教師は最初の授業でそう言った。
波の立たない穏やかな湖面を思わせる雰囲気、澄んだ温かみのある声色。しかして、紡がれるは迫害の歴史。おぞましき人の業。

「中性は、ヨーロッパや西アジア全体の宗教が変化していった時代だ」

476年、ゲルマン人指導者"オドアケル"のローマ征服により、支配者として一千年以上君臨し続けたローマ帝国がついに崩壊した。
その移行期により、キリスト教とイスラム教という二大宗教が勢力を伸ばし、他のあらゆる宗教を圧倒し、西はキリスト、東はイスラムに染まっていった。
そして、これらの新しい宗教が支配する世界では、古代呪術や伝統は邪魔物とされ、世界の片隅へと追い遣られていった。

それまで地位の高い神官や尼僧だった者、修行僧、村の治療師や占い師に至るまで、全ての呪術に関わる者達は迫害の一途を辿る。

「新たな歴史と宗教の前では、強大な魔術師や呪術師は文字通り、悪魔の如く見なされたのだ」

彼らの力は悪魔から授かったものだとされ、そしてとうとう呪術師達の死刑が始まった。
例えば789年、フランク王国の"カール大帝"は「一般訓令」を発令し、呪術師や占い師を死刑に処するとした。

「一般人から見た呪術とは、自分達の理解の及ばないもの…即ち、恐ろしいものなのだよ」

だから、これから呪術師をしていく君たちはどうか、一般人との関わり方を考えて行動するように。

「そして、理解ある隣人を大切になさい」


薄く微笑むその顔に、言葉を忘れて見惚れてしまった。
あまりにも彼女の瞳が穏やかで、我々を尊んでいると伝わってきたものだから、休み時間に授業が面倒だと駄々をこねていた悟ですら口を閉ざし彼女を見つめてしまう。

つがる先生は私達を差別しなかった。
誰一人として、蔑ろになどしなかった。
個性を受け入れ、知識を与え、幼さを愛し、伸びる芽を微笑み喜ぶ。

彼女は絵に描いたような理想の教師であり、同時に彼女の前では誰もが勤勉で努力家な良い生徒であろうとしていた。
例外無く私も"良い生徒"の一人であり、つがる先生は平等に分け隔てなく我々を慈しんでくれていた。

だが、翌年度。
新しく入学してきた新入生の存在により、平穏に格差が出来始めた。
切欠は簡単。つがる先生の授業にご執心な生徒約一名が、わざわざ休日の先生の部屋を尋ねたことが切欠だった。
それ以来、彼と先生は他の生徒には無い親密な関係となっていく。

休日になれば私室を尋ね甲斐甲斐しく世話を焼き、そして個人的な講義を受ける。さらにはつがる先生の探偵業にまで連れ添い、助手のように手伝い出す始末。
正直に言おう。面白くない。面白いわけがない。
そんな私の意見に賛同したのは悟だった。彼もまたつがる先生に可愛がられたい、いじらしい生徒の一人であった。

「七海の奴、ふつうに流石にズルくね?」
「ズルいね」
「俺だってつがる先生に手取り足取り個人レッスンして貰いたいのにッ!!」
「わかるよ悟、わかる…」

生徒と教師、休日の個人レッスン。何も起きないはずもなく…。私達はそんな妄想に取り憑かれていた。

新しいものの参入により、古いものは淘汰され、端へと追いやられる。
つがる先生にその気が無いことなど百も承知だが、未だ幼く青い私達は馬鹿馬鹿しい嫉妬心を心の片隅に宿していた。


けれど、


「今回の事件に七海を連れて行くって本当ですか? つがる先生」
「ああ、声を掛けたら二つ返事だった」
「…随分贔屓にしてらっしゃるのですね」

陽の落ちた教員棟の廊下。
待ち伏せていたつがる先生の行く手を阻み問い掛ければ、彼女は可愛い内弟子を贔屓しているとしか思えない発言をした。

私の醜く惨めったらしい情けない言葉に、先生は表情一つ変えずに首を傾げる。
まるでその仕草がこちらの心など何も理解していないかのように思えて、瞬間的に怒りが滾った。

「出来の悪い子ほど可愛いのですか」
「何を言ってるんだ?」

分かっている。
こんな感情は不毛だ。
こんな時間は無駄だ。
それでも開いた口が閉じてくれない。
溢れ出した鋭い言葉の矛先を、変えることが出来ない。

「つがる先生は、私達が優秀だから教え飽きたのだろう!」
「だから…さっきから何を言っているんだお前は…」

呆れたような溜め息に馬鹿みたいに傷付いた。

「先生は、つがる先生は…」
「全く、意味が分からないな」

そう吐き捨て、先生は歩みを再開した。
一歩、二歩。聞く度に期待に胸を膨らませていた革靴が床を叩く音が、まるで断頭台に乗せられた私の首を切り落とすためのカウントダウンのように聞こえる。

ああ、きっと先生は呆れたに違いない。
一番可愛い生徒にはなれずとも、一番頼りになる生徒にはなれていたはずなのに。自分で自分の首を絞めてしまった。
情けない。恥ずかしい。やはり私よりも、純粋で頼りない生徒達の方が価値が、


「夏油…お前はいつ、私を納得させられるほど優秀になったんだ?」
「、へ」

パンッ!!!


破裂音の後、剥き出しの額に鋭い痛みが走り、思わず仰け反った。
反射的に姿勢を直し眼前を見れば、デコピンした後の指の形をしたつがる先生が、「馬鹿な子」を見る目で私を見ていた。それはもう、穏やかに、冷ややかに。

「はあ、全く…」
「あの、先生」
「お説教してやるから、姿勢を正してそこに正座なさい」
「は、い…」

問答無用で板張りの廊下に正座させられ、先生を見上げる。変わらぬ表情を携えた先生は、私も見下ろしながら腕を組んだ。

「私が優秀だと認める基準は等級でもなければ、呪力量でも術式でもない

これでも長生きでね、色々な術師の先生をしてきたんだ。君達の前だから君達の担任を「夜蛾さん」だなんて仰々しく呼んでいるが、彼だって私からしたらかつての生徒の一人だよ。

私が術師を認める材料は一つだけ
その子がもう、「大丈夫だ」と思わせてくれた時だけだ」

だから君は半人前。
何なら今の逆ギレで半人前以下扱いになったから。

と、つがる先生は溜息混じりに語り終え、私に立ち上がるよう命じた。
命じられるがままに立ち上がれば、膝にゴミがついていると言われる。視線を下げている間にも、つがる先生は話は済んだとばかりに歩みを再開し、私の横を通り過ぎて行った。

「せんせ、」
「だけどまあ、出来の悪い子ほど可愛いってのは当たってるかも」

一度だけ立ち止まり、小さく振り返る。
夕日に照らされた顔は若く美しく、穏やかで、愛情深い瞳をしていた。

「七海くんも君も可愛いよ」

美しい人はたおやかに微笑む。

「今までの皆と同じようにね」

平等で変わらぬ愛を、分け隔てなく降り注ぎ続ける。


遠のく革靴の足音が消えるまで、私はその場に佇んで先生の言葉を反復し続けた。
お前は他の者達と同じように出来が悪い、と言われたのに、不思議と悪い気はしなかった。
口角が緩むのがわかる。
私はこの日、少しだけ七海を許してやれた。

つがる先生からしたら七海は、出来の悪い必死な子供でしかないはずなのだから。


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