馬鹿と煙は中華がお好き


金網で出来た柵の向こう側は最早無法地帯で、筋骨隆々な男や、中には刃物を持った手練れまで出てきて争いを繰り広げていた。

金が舞う、怒声が挙がる、熱気が渦を巻く。

そんな会場で、素手(なんと、ちゃんと渡されたグローブを一応着用して)戦う甚爾さんは瞬殺を繰り返しては対戦者と観客をこれでもかと煽り散らし、煽られた乱入者を喜々として殴り沈めてはまた煽り…を繰り返し、最終的にはなんと……出禁になった。そりゃあそうだ。

今回分のファイトマネーは貰えたものの、もうこの会場には近寄る事が出来なくなってしまったらしい。
甚爾さんは出禁になったことも、ファイトマネーが少し差し引かれたことも気にしていなかったが、「あー…殴り足りねぇ」と、私には意味の理解出来ない鬱憤が溜まっているようであった。

そして私の方はといえば、煙を操作して会場の人間達の会話などから襲撃者の情報を掴み、その人間達の詳細な情報を携帯を使って集めながら、彼の試合が終わるのをひたすら待っていた。
途中、ナンパなのか何なのか声を掛けて来た人間を無視していたら胸ぐらを掴まれたので、そいつだけは下から顎を垂直に蹴り上げて沈めておいた。流石に元・万年二級術師とはいえど、これくらいは出来る。私はわりと躊躇なく暴力を行使出来るタイプなのであった。

というわけで、やるべき事を終えた我々は次に備えるべく一先ず食事をするのだった。



………




横浜近隣エリアの中華料理屋にて。
上戸野がここが良いと言って入った店内は中華料理屋にしては小綺麗で、高い天井には無駄な装飾品も無く、通された席の隣にはガラス瓶に詰められた香辛料が飾られていた。自家製xo醤を売りにしているらしい店で、さっきまでの無表情、無感情、分かりやすい拗ね方は何処へやら…目の前で生春巻きを口いっぱいに頬張る上戸野の瞳はキラキラと輝き、見るからに「美味い!」という表情を浮かべていた。

「うまっ!海老がプリプリで野菜がシャキシャキ!皮はふわふわしてるのに食べ応えがある!うまい!!」
「おー、良かったなぁ?他人の金で食う飯は美味いかよ、食いしん坊」
「凄く美味しいので甚爾さんも食べた方が良いですよ。ほら、私が取ってあげますから」
「お前本当に飯にだけは素直だな」

頼んでもないのにせっせと俺の取り皿へ生春巻きと棒々鶏をよそう上戸野について、俺は理解した。コイツは美味い飯さえ与えておけば、大体どうにでもなると。
実際、盗聴器やら盗撮カメラだのを仕込んでコイツの周りへ警戒を配っていた時も、上戸野は美味い飯を食ってる時はやたらにご機嫌で、そうじゃない時は義務として口に物を運んでいるような感じだった。

分かりやすくて助かるが、ぶっちゃけ色気が無さ過ぎるのもどうかと思う。
コイツ確か十八とかだったよな?色恋に興味無さすぎじゃないか?と、酔えない酒を呑みながら考えていた。

上戸野は届いた小籠包の入った蒸籠をわざわざ自分の方へと引き寄せ、中を覗き込んでニンマリと笑う。

「これは絶対美味しいやつだ、私には分かります」
「火傷すんなよ」
「大丈夫です、私は小籠包の食べ方をマスターしているので…」

こうやるんですよ。と、上戸野がやり方を見せてくる。

千切りの生姜の乗った小皿に卓上にあった黒酢タレを流し入れ、レンゲに置いた湯気の立つ小籠包へ生姜を使ってタレを絡ませる。少しだけ生姜を添えたままにし、箸で皮をプリッと割り開けば、透明で肉の美味そうな香りが漂う汁が溢れ出した。先にその汁だけをちょっとずつ味わいながら啜り、汁が落ち着いてきた所で小籠包を口へと運ぶ。

パクリ。

「………ッ!!!…ッッ!!」
「美味いけど熱かったんだな、良かったな」

熱いだろうに咀嚼を繰り返し飲み込んだ上戸野は、目尻に涙を溜めながら息を吐き出し恍惚とした表情を浮かべている。

「うま……噛めば噛むほど幸せになっていく…神の食べ物か?」
「大袈裟だろ、俺にも寄越せ」

そんなに美味そうに食われると、流石に食いたくなってくる。
ズズッと俺に向けて押し出された蒸籠から小籠包を一つ摘み上げ、上戸野のやり方を真似して食べてやった。

ジュワリ…先に吸ったにも関わらず口の中で肉汁が溢れ出し、ダイレクトに味覚へ旨味が伝わってくる。とろけるような舌触り、鼻を伝う香辛料の香り、生姜の辛みと黒酢がアクセントになって、噛み締めた肉がほろりと崩れ喉を伝う。

こりゃまあ、確かに美味い。
肉の甘みが食べた後も口の中に残り、酒を進ませた。

「うまい?」
「うまい」
「ですよね!棒々鶏も生春巻きも麻婆豆腐も美味しいけど、小籠包が一番美味しい。異論は認めません。あと担々麺も頼みたいです」
「まだ食うのかよ」

食べ盛りなのか、ただの大食漢なのか、はたまた食い意地が張っているのか。山盛りの白米におかず三品+小籠包+付け合せを頼んだのにも関わらず、上戸野はウェイターを呼び止めて担々麺と杏仁豆腐を頼んでいた。

「そんだけ食ったら太るだろ。まあ、太っても構わねぇが」
「私、結構歩くから大丈夫です」
「ああ…確かに、しょっちゅう外出てたもんなお前」
「え、私…追跡用の発信機まで付けられてたんですか?気持ちわる…むり…」

一気にテンションが下降した上戸野を見ていると、勝手に口角が上がる。そんな俺を見て、彼女の機嫌はさらに下降の一途を辿った。

「あー…本当にどうしよ、あの部屋…」
「一緒に暮らすか?」
「それだけは絶対に嫌なんですけど、とりあえず足つかないように当面の宿は探さなきゃなぁ…」

文句を言いながらも飯は食うらしい。難しい顔をして麻婆豆腐を口に運ぶ姿は見ていて面白い。

「高専に帰るか?」
「嫌ですよ、頭おかしくなるくらい働かなきゃいけないし…あと、今更先生にどんな顔して会えば良いのか…」
「さあな、お前みたいな端役は叱ってすら貰えないんじゃねぇの」
「……そうかも、うん」

良い子なわけじゃないのに、良い子のフリだけは上手かったのだろう、コイツは。
その先生とやらに構って欲しくて優等生の真似事をしていたら、優等生だからと気を回されなくなった。どうしようもない悪ガキだったのなら良かったのか…と、悔やんでいるに違い無い。そんな後悔無駄なのに、コイツは馬鹿で愚かだからずっと自分の在り方を後悔し続けている。

「お前は問題児にゃ向いてねぇんだよ。そもそもが真面目だからな、煙草持ってんのに吸わねぇし」
「煙草を吸えば、先生は私の話を聞いてくれた?」
「聞くわけねぇだろ、そんくらいの事で。だが、まあ…他の誰かは構ってくれたかもな」
「……そっかぁ」

上戸野は食べる手を止め、とうとう箸を置く。
ウェイターが担々麺と杏仁豆腐を上戸野の方へと置こうとしたので、途中で手を出し担々麺を引き取った。思ったよりも重たそうで、溜息を吐きかける。

「麺は食ってやるから、デザートは自分で何とかしろ」
「私も担々麺食べる…」
「食えるのかよ。取り皿でいいか?」

コクッと小さく頷かれる。
空いていた取り皿に適当に取り分け目の前へ置いてやれば、箸を持ち直して皿へと口を付けた。
チュルチュルと上戸野の口に吸われていく縮れ麺を見ながら、自分も同じ物を食す。濃厚な胡麻のスープは香ばしいながらシンプルで、程良い辛みがアクセントになって箸が進む。

上戸野の方を見れば、ゆっくりとだが取り分けた担々麺を食べており、この感じなら問題無く杏仁豆腐を食えそうであった。
そんな上戸野はふと顔を上げると俺と目を合わせ、困ったようにウロウロと視線を彷徨わせた後に皿を見ながら言った。

「甚爾さんは、私が煙草を吸ってたらどうしますか?」
「別に…どうもしねぇよ。俺はお前が何をしようが文句言わねぇし、飽きるまでは構ってやるつもりだから安心しろ」
「いや、別に構って貰わなくて良いですけど…甚爾さん気持ち悪いから…」
「お前本当はそんなに落ち込んでないだろ」

食べ終わったらしい担々麺の取り皿を無言でこちらへ押し滑らして来たので、おかわりをよそってやった。
無言で上戸野の前へ置いてやれば、彼女は少しの間取り皿を見つめた後に、俺の目の前にある食い掛けの担々麺と自分の取り皿を無言で取り替えた。そうして、ズルズルと音を立てて遠慮なく食い始めた。
俺は思う、コイツはやっぱりただの食い意地の張った馬鹿だと。

「杏仁豆腐寄越せ」
「すみませーん、杏仁豆腐一つ追加でぇー」
「追加すんな馬鹿、一口でいいっつってんだろ」
「一口も渡したくなくて…」

どんだけだよ。
黙々と麺を食い終え汁まで飲み干した上戸野は、普通の顔をして杏仁豆腐を口に運んだ。

俺は多分、コイツのこういう、勝手に自分一人で解決して立ち直り、自己完結して生きていく所が好きなんだろう。
誰かに寄り掛かりたくて仕方が無いはずなのに、寄り掛かり方を知らずに生きてきたから、自分一人で解決して先に進んで行く選択を取る。
こうなりたいと思うし、なれないとも思った。俺も、もう他人を必要としたくない…と思いながら生きているので、在り方は似てるっちゃ似てるが、コイツの方がより洗練されている。
上戸野は始めから今までずっと一人だが、俺は途中で他人の温度を知ってしまった。知ろうとしてしまった。求めてしまったのだ。

コイツにはそれがない。
自分には与えられないであろう物は欲しがらない。
諦めではなく、その方が実は楽なことを知っている人間の生き方をしている。

もし今、先生とやらが彼女に手を差し伸べたとして、コイツは恐らくその手を掴みはしないのだろう。
いつか離されるくらいなら最初から掴まなければ良いと思うに違い無い。
やっぱり哀れだ。だが、同時に綺麗にも見えた。

一人で生きられる女、俺のことを好きにならない人間。
煙のように掴めない…風が無くとも、何が無くとも自分勝手に上へ上へとのぼっていく存在。


「お待たせしました、杏仁豆腐お一つ」

運ばれてきた杏仁豆腐が俺の前へと音を立てて置かれる。
上戸野はこちらを見て「美味しいですよ、プルプルで」とだけ言って、自分の食事に戻っていく。

テーブル越しに居る上戸野は、誰かと何かを分け合うことすら知らない人間だった。

そんな人間に、俺は酷く安心感を覚えていた。


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