馬鹿と煙は自罰がお好き


初めて入ったラブホテルのベッドは噂に聞くような回転ギミックなどは無かったし、全面ガラス張りのお風呂でもなかった。
でも、ベッドの付近にある照明はやたらにカラーバリエーションがあり、紫やピンク、青に赤…片っ端から点けては変えてを繰り返し、引いた気持ちになるなどした。
結局オレンジの照明にして、歯を磨いて一応シャワーを浴びる。焼肉の煙臭くなった服に備え付けの消臭スプレーをシュッシュッと吹き掛けてから、バスローブ姿で私の準備が整うのを待つ甚爾さんの元へとトボトボ向かった。

なんでこんな事になったのだろうかと考えたが、どう考えても目の前の御仁のせいなんだよな…という結論に達する。
今になって思えば、別に他にも選択肢はあったのかもしれない。でもあの時は言われた内容に不安を感じてしまい、甚爾さんなら何とかしてくれそうだと思ったら頼んでいたのだ。
久々に安心出来る雰囲気だったのと、美味しいご飯のコンボで気が緩んでいたのだろう。じゃなければ、この人に頼む理由が無い。

ベッドの上で両手を広げて待つ男の元へと辿り着く。
ベッドには登らず、ただただ無表情にご機嫌な男を見下した。

気持ちが悪い。
この男を見ていると気持ちが悪い。気分が悪くなる。
まるで自分の中にある、見たくなかった…気付きたくなかった一面を突き付けられるような感覚に陥り、自己嫌悪がフツフツと胸の底から沸き立ってくるのだ。

「どうしたよ、怖気づいたか?安心しろ、お前は首を締めてキスしてくれるだけでいい」
「…………貴方を見ていると、」
「おう、どうした」

この男を、汚いと思う。
けれど、同時に美しいとも思えてしまう。

危うさの向こう側にあるのは、誰にもどうにも出来ない溝だろう。
他人を求めるフリをして自分を傷付けることに熱心な男は、酷く自他の人生を汚して生きている。
しかし、そんな自罰的な献身さを見ていると、信心深い教徒のような姿勢のようにも見えてくるのだ。

必死なのを隠して生きている。
哀れで醜くて、穢くて可哀想。
でも、何故だろうか。自分に重なる部分だけは慈しめる。

ひたり。
男の首に左手を添えた。
口角をグッと上げた男は、私を見上げて「好きにしろ」と言った。

「貴方を見ていると安心する。多分、貴方が私より可哀想な奴だからだと思う」
「奇遇だな。俺もいつもお前に同じことを思ってるよ。俺よりも馬鹿で可哀想だって」

彼の言葉を聞いた瞬間、衝動的に首を絞めた。
左手の上に右手を重ね、精一杯の力を込める。男は嬉しそうにベッドへと沈み、私を見上げながら笑った。

腹の上に馬乗りになり、体重を掛けて首を絞めていく。
一体私は何をしているんだろう。言われた通り、きっと馬鹿なんだろう。愚かで、可哀想なのだろう。

こんなはずじゃなかったのに、という思いで心がいっぱいになっていく。

そうだ、私の人生はこんなはずじゃなかった。

こんな…嫌いな男の首を泣きながら絞めて喜ばせなきゃならないような人生じゃなかったはずなのに。

どうして。
どうして、先生。

なんで、私のこと助けてくれなかったの。



___




高専に入学した理由は在り来りで、スカウトされたからだった。
特別行きたい高校もなかったし、何よりも「他の人には出来ないこと」が出来る優越感と特別感に酔っていたと、今なら言える。

呪力量は平均。
術式は戦闘向きじゃない。
でも、呪具を使えばそこそこ何とかなる。
万年二級、これ以上の出世は不可能。
穏やかに、ただただ、戦死するであろう時を順番待ちするだけの日々。

そんな中で、担任の夜蛾先生だけは褒めてくれた。
出来ないことに取り組めば、出来ているわけじゃないのにその姿勢を褒めてくれた。
任務が上手くいった時は可愛いのか微妙なぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
先生は私のことを良く見てくれている気がしていたし、先生に褒められるのが嬉しくて頑張れていた。
先生が好きだった。恋とかではなく、親身になってくれる大人として。

しかし、当たり前だが、先生は私が可愛いから親身になりたくてなっているわけではない。
禄に生徒がいないから、仕事だから親身になってくれているだけだった。

その証拠に、一学年下に三人の優秀な問題児が入学したら、先生はそっちに付きっきりになってしまった。
最初は少しモヤモヤしたけれど、でも普通に話し掛けてくれるからあまり気にしなかった。

でも、生来の性格が災いしたのか、私は二学年になってからどんどんと孤立していった。
理由は簡単で、任務で一緒になる頻度が高かった術師に遠回しな告白をされたことが切っ掛け。私はそれを気持ち悪く感じてしまい、一緒に仕事をしたくない旨を事務の方に伝えた。そうしたら、まあ見事にハブられ始めた。

別に全員からハブられていたわけじゃない。
ただ、私が属していたと思われるコミュニティからは微妙な扱いを受けるようになった。
連絡が返って来なくなったり、お土産を私だけ貰えなかったり。その程度のことだけれど、当時の私にはとても苦痛で、焦りもあった。

一つ下の子達は皆優秀で仲良くやっていて、期待されて先生にも沢山面倒を見て貰って、強くて綺麗でとにかく凄いのに、私ときたら強くもなければ人との関係も上手く維持出来ない。
先生は私を見てくれない。私が期待に値する人間じゃないから。下の子達のほうが優先順位が高いから。

そうやって卑屈になって、さらに人間関係を悪化させた。
そして、私は何ヶ月も悩んでから、やっとの思いで先生に相談したのだ。私はどうしたら良いのかと。どうしたら、上手くやれるのかと。

結論として述べると、先生は私に構っていられるほど暇な人ではなかった。

他の人を紹介するから、そいつに話を聞いて貰えと…先生にそう言われてしまえば、私は従う他に無い。
従う他に無いのだが…私は従えなかった。
私が話を聞いて欲しいのは夜蛾先生で、他の人ではなくて。先生に優しくして貰いたくて、他の人では駄目で。
でも、先生がもう私に優しくしてくれないというのなら、私はこんな馬鹿げた呪術師なんて仕事、やる意味なんて何処にも微塵も無かった。

そう、私は浅ましくも、夜蛾先生に構って貰うことだけを意欲に呪術師をやっていたのだ。
それが何故かといえば、先生が私を見てくれたからだ。

私は四人兄弟の下から二番目で、親から一番雑な扱いを受けていた。
いつも二番目の姉と一番下の弟が親の注目を掻っ攫っていく。次は長男のこと。私のことは二の次。だから、私だけを見てくれる大人に飢えていた。

先生は私の飢えを満たしてくれたから。だから、先生を理由に戦い続けた。
でもそんな先生にまでも二の次扱いされ、戦う理由を失った私は高専をやめてしまった。

もう頑張れないと思った。
どう足掻いても下の子達には敵わない。
だから、もう二度と誰にも何も求めず、他人なんてどうでも良く思って生きることにした。

慈しむ心も、求める心も、寄り添う心も、煙に巻いて見えなくした。
そうしたらわりと生きやすいものだから、将来適当に細々と暮らせるだけの資金だけ稼ごうと思える程度には頑張る気持ちが回復した。


なのに。
だというのに。

やっと平穏と静寂を手に入れられたのに、目の前の男はそれを掻き乱して私の醜さを突き付けてくる。

他人を求めれば求める程に傷付いて、それが嫌でスレて達観したフリをして、そうして幸せから遠ざかることで安堵する。
自分と同じことをしている人間を見るのは酷く見苦しく、嫌な気持ちになった。
けれどきっと、この男が幸せになったのならば、それはそれで吐き気がするほどに気分が悪くなり、嫉妬や羨望で感情がグチャグチャになるのだろう。

もう、私にはこの男を嫌い続けるしか他に選択肢が無い。
優しくして幸せにさせたら、より一層自分が惨めになってしまうから。だから、酷くするしか他に方法が分からない。


気付くと私は甚爾さんの首から手を離し、泣きじゃくっていた。
甚爾さんはそんな私を片腕で抱き締めてベッドに寝かせ、面倒そうな顔をしながら「何で泣いてんだよ、生理か?」と、一ミリもデリカシーの無い問いをしてきた。ムカついたから一発腹を殴れば、硬くて拳が痛くなった。

「ちがう…!きらい、だからぁ!!」
「マジか…泣く程俺のこと嫌いだったのかよ。流石にそこまでとは思ってなかった。ありがとな、助かるわ」
「きらい、きらいきらいきらいきらい、きらいッ!!!」
「待て、あんま言われっと興奮する」
「きもちわるい!!さいあく、早くしんでください!!」
「勃った」

グリッと腰を押し付けられて、声無き悲鳴を挙げながら腕の中で藻掻く。
気持ち悪い、最悪、最低。きっと私が泣いて暴れているこの瞬間も、彼は私を可哀想だと見下しながら喜んでいるのだろう。本当に最悪だ。

涙やらヨダレやらでグチャグチャな私の顔を覗き込んだ甚爾さんは、興奮した様子で瞳に熱を滾らせながら顔を寄せてきた。
慌てて両手で突っぱねれば、ベリッと私の手を彼の顔から引き剥がされて、そのままベッドに縫い止められる。

そしてそのまま、思いっきりキスをされた。

「ンンンンンッーーー!!」
「んっ……、ん、ん…、」

キス、というか、正しく言い表すのならば"捕食"であった。
口の中をとにかく食い荒らされている感覚がする。甚爾さんからされるそれは、決してキスなんて可愛くてお優しいものではなかった。あと、焼き肉のタレの味がして凄く嫌な気分になった。タンを食べたことを何故か思い出し、食わなきゃ良かったと後悔した。

気付けば肩を抱かれ、唇を何度も触れあわせ、舌が差し入れられて唾液が混ぜられる。
酷い水音が鳴り響き続け、頭がクラクラとする。

ひとしきり舌を味わうキスをされた後、リップ音を響かせながら甚爾さんの唇は離れていった。
濡れた唇で荒れた吐息を吐き出しながら彼を見上げれば、満足そうに自身の唇をベロリと舐めてこちらを見下ろしていた。

今までの人生で何度か「あー、今日マジ最悪だな」と思う日はあったが、今日はその最悪を更新し続けている。
ちなみに、今この瞬間が私が産まれてから今までで一番最悪な瞬間だ。もう、あらゆる罰が今すぐこの人間に下って欲しいと思った。

「どうだ?」
「最悪だ…最悪過ぎて涙引っ込んだ…」
「良かったってことだな。で、どうする?続けるか?」
「あのさぁ…」

腹筋を使って体を起き上がらせ、手の甲で口を拭った。
口のまわりも中もベタベタしていて気持ちが悪い。変な汗もかいた。早く家に帰ってゆっくりしたい。

それでも、やられっぱなし言われっぱなしも癪なので、言いたいことだけ言ってから消えてやることにした。

「一応知り合い程度の仲だから言っとくけどさ」
「なんだよ」
「私、未成年だから…甚爾さん、大人として今かなりキモいよ」
「……チッ」

普段なら私が冷たくすれば喜ぶのに、ガチなお気持ちを伝えたせいか普通に嫌そうな顔をしてくれた。なんだろ、ちょっと安心した。

言いたいことも言えたので、私は術式を発動させて煙となってドロンすることにする。

「あと、キスも首絞めもしたので、ちゃんと守って下さいね」
「おい、荷物は」
「携帯と財布は持ってるので、あとは捨てといて下さい」
「上戸野、待て」

待てと言われて待つ奴はいないだろう。馬鹿め。

伸ばされた手を無視して、イッと歯を剥き出しにした顔をしてからシュワッと消えてやった。
服も靴も置いて来ちゃったけど、別にそんなことはどうでも良かった。だってあのままあそこに居ても、流されるか泣いて拒絶するかの二択しかなかったわけなので。

そういえば、逃げ足の早さを褒めてくれたのは先生だったっけ。
今にして思えば、別に褒めてくれていたわけじゃないな。そんなさっさと逃げるな、もっと粘れという意味が込められていたに違い無い。

ああ、そう思うとあれもこれも…別に褒められていたわけでも、構って貰っていたわけでも無かったのかもしれない。

なんだ。
私、やっぱり構って貰えない子だったんだ。

いや…今は違うか。
全然嬉しくないけれど、構ってくる大人ならいる。
本当、全然嬉しくないし、好きじゃないけど。
でも、ちょっとだけ安心する。あの人は私よりも可哀想だから。


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