馬鹿と煙は焼き肉がお好き


仕事だと言って呼び付ければ大体の場合で来るのを良いことに、俺は大した仕事ではないにも関わらず上戸野を呼び付けて雑用を押し付けた。
案の定上戸野は「何でこんなことを…」と、ブツクサ言いながら手を動かしていた。彼女はわりと不平不満をすぐに口にする。

「この後飯行くぞ」
「一人で行けば良いじゃないですか」
「焼き肉か寿司、どっちが良い」
「あ、それはちょっと抗いがたい魅力が…うーん…焼き肉かなぁ…」

チョロい。
上戸野は俺のことを嫌っているし、何なら他の人間にも一切懐かない奴ではあるが、一丁前に高い飯には飛び付く奴である。
稼いだ額の殆どを「将来のため」とやらに貯金として回す彼女は、大体安かろう不味かろうな飯を食っては可もなく不可もないといった顔をしているので、こうして彼女にとっては値の張る飯をチラつかせると食い付いてくるのであった。

だが、日頃の行いのせいだろう、少しばかり機嫌良さそうにしていた彼女はハッとして口を開く。

「お金は大丈夫なんですか」
「今日仕事したからな、今日ならある」
「ちゃんと貯めておいた方が…」
「煩ぇな、俺が俺の金をどう使おうがお前にゃ関係無いだろ」

黙って飯食いに来い。と、手を伸ばして小さな頭をガシガシと掻き回せば、下からはくぐもった呻き声が聞こえてきて思わず笑った。



………



網の上で焼かれる肉を、上戸野はこれでもかと凝視しながら見守っていた。
先に届いていた烏龍茶を端に寄せ、割り箸を勢い良く割った彼女は、堂々と遠慮無く焼けた肉を取ってタレに潜らせ、白米の上に一度置いてから頬張った。

「ん"……ん"…!」
「熱かったんだな、次は冷ましてから食えよ」
「でも…熱いのがおいひぃ…」
「そーかよ」

焼かれ続けた脂は思いの外熱かったらしい。若干涙目になりながらも口から出すなんて真似はせず、ゴクリと熱々の肉を飲み込んだ彼女は満足そうな表情を浮かべている。

頼んだ酒が切れたので二杯目を注文し、ついでに追加の肉も適当に頼んだ。普段味の悪い定食屋で面倒そうに食事を行う彼女ばかりを見ているものだから忘れていたが、この女は味の良い物だけはしっかりと食う人間なのだ。その証拠に、ついでとばかりに二杯目の白米を注文しやがった。どうやら、遠慮する気はさらさら無いらしい。

じゅうじゅうと肉の焼ける音と匂いを嗅ぎながら、たまにひっくり返したり何だりして互いに肉を食べ進めていく。上戸野は内臓系は苦手らしく、注文したそれらは今のところ全て俺の胃袋に収まっていた。曰く、「飲み込むタイミングが分からなくて困る」とのことだ。「試しに食ってみろよ」と先程一欠片食わせてやったが、本当に困った顔をしながらずっと口元を動かし続けていたので面白かった。案外食の好みはハッキリしているらしい。

残りの白米をリズム良く食べ進める彼女を見つめる。案の定、視線が鬱陶しかったらしい彼女は嫌そうに眉間にシワを寄せ、「気が散るので見ないで下さい」と言った。

「そういや、高専はまだお前のこと探してるらしいぜ」
「知ってますよ」
「そんで、高専が探し回ってるもんだから、呪詛師の連中も面白半分でお前を探してるんだとか」
「わあ〜〜すっごい迷惑〜」

上戸野は笑って言っているが、目は全く笑っていなかった。むしろドス黒い影を落としている。先程まで幸福を噛み締めていた人間とは思えない落差だ。

「全員埋めて来てやろうか?」
「甚爾さんに依頼出来るだけのお金は持って無いので、自分で何とかします」
「万年二級術師してた奴に務まるかね」
「逃げるのだけは上手いって先生からも褒められてたし…」

それは恐らく褒められてはいないのだろうが、それを指摘してもだからどうしたという話なのでスルーしてやった。

「金以外だって良いぜ?身体でも何でも、俺に利益が出るんならな」
「はあ、飯が不味くなるぅ…」
「おい待て、帰ろうとすんな」

機嫌を損ねた上戸野が席を立とうとしたので待ったを掛ける。しかし、彼女は「お手洗いです」と言って伸ばした手を突っ返した。
どうやら本当に便所に行くだけだったらしく、注文していた肉が届くと同じくらいに帰って来た彼女は俺の前に座り、箸を握り直した。

肉とホカホカの白米を目にすれば機嫌は元に戻ったらしく、トングを手に持ちせっせとタレが滴る赤身肉を焼き始めた。
ジュワジュワと脂が跳ね、赤い炎が揺れて爆ぜる。網の向こうに居る女は、今日も俺に微塵も興味が無い。

上戸野は凝視する俺の視線を無視し、焼けた肉を一枚箸でつまみ、白米の上に乗せ、米を肉で包むようにして持ち上げ口に運ぶ。
小さな口がカパリと開く。白い歯の向こう、薄く赤い舌が妙に色っぽく見えたが、すぐに白米と肉で見えなくなった。

もっきゅもっきゅ、もっきゅもっきゅ。
言葉にするならばこんな感じで彼女は焼いた肉を片っ端から米と一緒に食っていく。どうやら、今日は食欲に火が着いているらしい。
途切れることなく米と焼けた肉を頬張る上戸野は幸せそうで、大嫌いな俺の前だというのに珍しく口角を上げていた。

おかしな事だと自分でも思う。
好かれてもいなければ、興味も持たれない。それなのに自分はこの女を気に入っていて、飯をひたすら頬張る姿に安らぎすら感じている。

俺はいったいコイツに何を求めているのだろうか。
いや、求めたところで何も与えられないことは知っているんだが。

「米、美味そうだな」
「お肉と米って最強デッキなんですよ…酒とか邪道すぎる、お肉には米しかありえません」
「お前見ながら飲む酒は美味ぇけどな」
「お肉の方が美味しいと思うので、お肉ちゃんと食べて下さい」

ほら、手前のやつ焦げてきてますよ。

行儀悪く箸を向けてきたので、口をんあっと開いて待ってやった。
勿論、上戸野は俺にあーんなんてしない。してくれない。他の女なら反応するというのに、彼女は完全にスルーを決め込んでもりもり白米を掻っ込んでいる。

仕方なく焦げてしまったホルモンを口に放り込み、奥歯で何度も噛み締めた。苦くてジャリジャリとしている。きっと上戸野ならば、多少焦げていても気にもせずに食うのだろう。拘りの無い奴だから。

「あの、先程の話なんですけど」
「あ?」

水を飲んで人心地ついた上戸野が言う。

「そもそも、いつ襲われるか分からないのに甚爾さんに依頼しても仕方無くないですか?」
「おいおい、俺を誰だと思ってんだよ、やり方なんて幾らでもあるに決まってんだろ」
「じゃあ、あの…払える範囲の額なら頼もうかな…」

囁やきのような声はともすれば焼肉店の喧しさの中では聞き取れない願いだった。けれど俺は上戸野のその、あまりにも不安だと言わんばかりの言葉を正しく聞き取ってしまったものだから、頼られた嬉しさと不安を与えている喜びに口角を隠しもせずに上げてしまった。
そんな俺を見た上戸野は当たり前のように「うわキショ…」と言う。

「金はいらねぇよ、その変わり首絞めながらキスしてくれ。お前に酷くされると気持ちが良いんだ」
「幾ら払えばいいですか?」
「だからいらねぇつってるだろ。なあ、この後ホテルでいいか?」
「百万とかじゃダメですか?」

金はいらねぇっつってるのに頓珍漢な額を提示してくるコイツは馬鹿でしかなかった。
俺をそんな端金で雇えると思っているとこも、頼んでおきながら面倒臭いと顔に出しているとこも、全てが幼稚で無知で馬鹿だ。

「あの…やっぱりやめに、」
「もう請け負っちまったからな、今更キャンセルは無理だ」
「でも私、人の首絞めたことって経験が無くて…」
「何事も経験だろ?」

ううぅ……お家に帰りたい……と言いながらも、残っていた米と肉を平らげて水を飲み干し、口を布巾で拭いているのだから、多分コイツは言う程困ってはいないのだろう。
いや、分からない。もしかしたら本当は困っているのかもしれないが、それより食い気の方が勝っているのかもしれない。色々とおかしな女だから。

手を合わせ「ご馳走様でした」と言った上戸野を見て、俺も酒を流し込んで席を立つ。
どうせ酔いやしないのに何杯も飲んだのは、それでもこの後に備えて気分を上げておきたかったからだ。

会計を済ませて店の外に出る。
自分の着ている服を頻りに嗅いで顔を顰めながら歩く上戸野は、少しだけいつもより落ち着きが無さそうに見えた。

チラリとこちらを見上げた上戸野がさらに顔を顰める

「何だよ」
「いや…そういうホテルって歯ブラシあるのかなって…」
「歯ブラシも避妊具もあるから心配すんな」
「あーあ…私、甚爾さんと居るとどんどん汚い生き物になっていく…」

心底嫌そうにしながら歩く速度を落とした上戸野に打って変わり、俺は上機嫌で彼女の細っこい手首を掴んでどんどんと歩いた。
良い気分だった。上戸野は隠しもせずに俺を嫌い、この先に待ち構える行為を嫌い、俺といる時の自分まで嫌う。哀れで面白い。愉しくて仕方が無い。


コイツは本当に馬鹿で哀れで惨めな女だと思う。
わざわざ地方から上京して、大した術式も覚悟もないのに誘われたからと呪術高専に入り、呪術師の狭いコミュニティに馴染めず、それを相談出来る相手も出来ぬままに逃げるが如く中退し、時雨のせいで俺なんかと引き合わされてこの有り様だ。
本人からしたら納得のいかない人生だろう。だが、俺からしたらやっと湧き出た興味関心の対象で、唯一安心出来る相手に違い無いため、どれだけ喚こうが今更手放せるわけがなかった。

もし、コイツを襲うつもりの奴の一部が俺が煽った連中だと知ったら、コイツはどんな顔を向けてくれるだろうか。
今以上の嫌悪か、はたまた絶望か、それとも失望、蔑み。ああ…もしかしたら、罵声を浴びせてくるかもしれない、武器を振り被りながら。
そうしたら、俺はきっと今よりも喜びに胸打つ事だろう。何せ、コイツにそんな強い感情を向けられている人間はこの世に一人、俺だけだから。

俺だけがこの何にも期待も好意も向けない女に嫌われていて、それなのにこの女は俺から離れることが出来ない。
 
最初から何も与えてこないと知っている人間の側は居心地が良いことを知ってしまった。
コイツが俺を嫌う度に安堵する。好意の無い上戸野は、不思議と寄って来るどの女よりも潔白で正しく見えるのだ。

そうだ。俺は、この女が正しいという所を見ていたいのだ。
まるで道を踏み外したと言わんばかりの生き方をしている女が、誰よりも正しいのだと思い込みたい。その生き方が肯定され、証明される瞬間を見てみたい。

この女は俺だ。
鏡写しの同じ人間だ。
鏡から否定をされるとそれは自罰になった。自分は駄目で哀れなのだと実感した瞬間、それはお前も同じなのだと上戸野に感じて孤独が紛れるのだ。

俺は駄目だ。
コイツも同じく。
それは他でもない彼女が言い、俺が肯定した事実。

ここには初めから正しさしかなかった。
俺達はこの瞬間、何よりも正しかった。


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