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その後も、その後も。
春が過ぎて、梅雨が明けて、夏の終わりが見え出すまで。
あれだけ夏油くんに良い顔をされなかったというのに、私と吉野順平による鉱物標本作りは続いた。

この標本作りに大した意味があるのか、と言えば無い。
この行為の必要性についての説明は難しい。大変な研究の息抜きであり、癒やしであり、何か小さな発見は無いか…その発見をヒントに研究を進められないかと探すための行為であった。
言い換えれば「初心に帰る」ということ。
別に一人でやっても良かったのだが、吉野順平を連れ歩くのには歴とした理由がある。

彼は私が今まで関わってきたどの人間とも違う感性や視点を持っているのが面白かった。
恐らくは、彼が本当の意味での一般人だからだろう。
小さな積み重ねが未来を形作ることも、物事には全て理由があることも、新しい発見に対する新鮮で真っ当な反応も、私に期待や理想を押し付けるのではない所も。その全てが目新しくて面白かった。

それに、彼は私に沢山のインスピレーションをくれた。
切っ掛けは映画についての話だった。彼は趣味で映画をよく観るとのことで、私も観てみたいと言えばこちらが驚く程に様々なジャンルの様々な映画作品を紹介してくれた。
今まで手付かずだった世界は広く、深く、どこまでも続いているかのようで私は久方ぶりに"物語"というものに心躍らされたのだった。

魔法の世界のお話も、悪魔と人間の戦いも、恐ろしい殺人鬼や空飛ぶ鮫の話まで。
彼に出会わなければ知ること無かっただろう作品達は、確かに私の一部としてしっかりと吸収された。

だから、誰が何と言おうと私はこの出会いを無駄だったとは思わない。
そして、吉野順平という人間が替えの効かない人間として私の中に存在し始めていることも自覚している。

彼は私に期待や理想を押し付けない。
例え抱いていたとしても見せない、言わない。
私が現状どうにもならない、もしくはどうにかする手段はあるのに決行せず足踏みし続けている研究から逃げる時に手伝ってくれる。
そんな時は別のことを考えようと、思考を切り替えさせてくれる。
それはきっと、呪いを知らない彼だから出来ることなのだろう。

なのに、ああ…何故。


何故、何故、何故。

何故いつも私はこうなのか、どうしていつも大切な人の人間としての権利を剥奪してでも救う手段を持ってしまうのか。

何故、私の研究はいつも救いではなく呪いとなってしまうのか。

その理由も分からぬままに、私は"作品"をまた一つ創造することとなる。


あえて言おう。
誰かが何処かで言ったかもしれないが、私が改めてもう一度言おう。

これは、私という出鱈目でへんてこな生命体がほんの少しだけ救われる、フェアリーテイルである。




………




珍しく、妹は最近悩みを抱えているらしい。
四六時中、年中無休で悩みなんて抱えずにやりたいことをやりたいだけやって、その結果を他人に尻拭いさせまくっていることに定評のあるあの妹が、だ。

そしてその悩みが大好きな研究のことだと言うのだから、とうとうイカれたかと、甚爾は自分の腕の中でグダグダしている甚輝の旋毛を見下ろした。

「うぅ………もーいや、ムリムリムリ…地獄より地獄だよ、ここ…」
「天才様が珍しいこともあるもんだな」
「だって無理なもんは無理だから…」

気弱な発言も珍しい。
いつもの甚輝だったならば、「この天才に全て任せておきたまえ!ハーッハッハッハッハッ!!」とかふんぞり返って言っているのに、これは嵐の前触れか…。

うんにゃらふんにゃらモダモダと、やる気を出さずにゴロゴロし続ける甚輝の姿を見ていた甚爾は、仕方無しに兄として助言をしてやることにした。

「そんなにやりたくねぇならやらなきゃ良いじゃねぇか、気晴らしに京都にでも行って来たらどうだ?」

前言撤回、助言ではなくただの盥回しであった。
何せ彼は妹から異常かつ異様な執着をされている自覚があったので、この悩みようはきっと自分に関連することであろうと気付いていたからだ。
そして、気付いた上で彼は「コイツの対応クソめんどくせぇ」という、兄としてどうかと思う理由で妹の悩みの解消を別の人間に託すこととした。
具体的に言うと、ひたすら面倒を見るハメになっているもう一人の兄の方に放り投げたいのだ。中々に最低である。

「京都…直哉くん……」
「お前ほんと直哉のこと好きだよな」
「は!??全然好きじゃないですけど!?」
「顔見りゃくっついてるもんな、お前ら」
「違うもん!!あれはあっちが絡んでくるから相手してあげてんの!」

変な勘違いしないで!と勢い良くキレて、甚爾の胸にドスッと頭突きをした甚輝はそのまま胸に顔を埋めて唸り声を挙げたのだった。

この唸りは要約すると「変な勘違いをするな、好きな人からの勘違いほど苦しいものはない」の意である。
そりゃそうだ、乙女心とはそういうものであるので。

大好きな兄からの盛大な勘違いを受けた甚輝は、柔らかそうな頬をこれでもかと膨らませ、プリプリと怒りながら身体を離した。
こうなりゃお望み通り京都でも何でも行ってやるさと、顔と背を向け部屋から出て行こうとした。

しかし、ズンッと頭の上に何かが伸し掛かり動きを止められる。
見ればそれは甚爾の腕で、彼はまだ話は終わっていないとばかりに「冗談だ」と話を続ける。

「息抜きの相手はもう居んだろ?あの吉野とかいうガキ、アイツで我慢しとけよ」
「いやでも…京都にはほら、甚壱お兄ちゃんも居るからさあ…」
「お前ほんとアレのこと好きだよな」
「それはそう」

そりゃだって貴方の変わりに全ての感情の受け皿となり、吐いた血も流した涙も全て拭ってくれた相手だ、嫌いになれるわけが無い。

直哉の時とは打って変わっての態度に甚爾は素直な奴だな…と呆れた。

「京都行ってる暇なんてあんのか?」
「知らない!」
「また叱られてもしらねぇぞ」
「その時はその時だ!」

思い立ったが吉日。
甚爾の腕から脱出した甚輝はすぐさま荷物をまとめ、置き手紙を書くために部屋を出ていった。
その場に取り残された甚爾は思う、あれは中々重症だと。

今回はどうやら冗談抜きで手こずっているらしいことを感じ取る。
しかし、だからと言って他人がどうにか出来る次元の問題では無いのだろうことも理解する。
アレの頭の中にある物はアレにしか理解も実現も出来ず、他人にはただ"凄い"という結果しか伝わらないのだから、焦らせるのも手を出すのも意味が無いのだ。
それを知る甚爾は、まあいいかと結局いつも通り甚輝を自由にさせるのだった。

何せ、何があろうと最後には結局自分の元に帰って来てお兄ちゃんお兄ちゃんと喧しく纏わり付いて終わりだ、だから自分はただその時を待っていればそれで良いだけ。
これ以上楽で優遇された立場は無いだろうなと、若干の優越感に浸る。

そんなこんなで甚輝はレッツラ京都へ、兄は家でゴロゴロ、そして助手には呪いの魔の手が着々と忍び寄っているのだった。


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