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突如やって来た伝説の化物、数多の被害者を出してきたファナティック・マッド・ガールの襲来に、蘭太は慌てて彼女の兄である甚壱を呼びに屋敷の中を走った。

た、大変だ…!早く、早く甚壱さんを見つけなければ…禪院家の男達が血液に変なウイルスを投与されたりして甚輝さん作のよく分からない魔改造作品にされてしまう…!

蘭太は走った。何故なら、今回は"ヤバい"と感じ取ったからだ。
それというのも、本当に何の連絡も無くいきなり現れた例の宝石令嬢は据わった目をして、笑みの一つも浮かべずに禪院家へとやって来たからだ。
いつもお世辞にも可愛いとは言い辛いような、気味の悪い笑みをヘラヘラと浮かべてチマチマと歩いている姿からは考えられないその切れ味の鋭い表情は、なるほど確かに禪院家の血を引く者の顔付きだと誰もが再確認した。

釣り上がったキツい瞳は冷酷非情を語っており、発するオーラは凍て付く冬の如く。
皆一様に動きを止め、ある者は道を開け、またある者は震える声で歓迎の言葉を口にした。
そして、禪院家に長く居る者であればその姿に既視感を覚える。
この状態の彼女はまるで、"兄"を奪われた時の状態にそっくりであると。

甚爾が禪院家を出て行った後、愛と温度を失い取り残された少女はぞっとするほど冷たい人間となった。
視線一つで他者を黙らせ、歩けば誰もが道を譲る。まるで薄いカミソリで頬を撫でられるかのような鋭利なオーラを周囲に浴びせ、禪院家と自分を捨てた兄を日夜怨み続けていた。

その頃の彼女によく似た雰囲気を纏い帰ってきたのだから、屋敷の中には一気に緊張が走った。
今のアレとは絶対関わってはいけない、前に今の状態のアレと関わった人間が一体どうなったか……過去を知る男はその頃を知らない者に語ってみせる。

「まず、アレの部屋にある檻の中に投獄されるんだ。それからよく分からん物を胸に埋められて身体と思考をコントロールされるんだ…でもそれは成功せず失敗して、最終的に山手線の駅名をひたすら言い続けるだけの哀れな生き物に…」
「そ、その人は今……」
「大丈夫だ、普通に生きている。けれど後遺症で山手線に乗れなくなっちまった…」
「なんてむごい……!」

東京で山手線を使えないなんて不便極まりないだろう、ああ何て可哀想なんだ…恐ろし過ぎる、絶対近寄りたくない。

男性陣は皆「早く来てくれ甚壱さん!」と祈った。まるでヒーローの到着を願う子供のような気持ちだった。

そんなこんなで呼び出された甚壱は、妹の対応にあたるため仕方無く動いた。
皆こぞって怯えているが、甚壱からしたら慣れたものである。こんなことに慣れたくはないが、慣れてしまったもんは仕方無い。だって彼はこと妹のアレソレについてはプロフェッショナル。どうしたら落ち着くか、どうしたら寝てくれるか、何が好きで何が嫌いか、エトセトラエトセトラ…。
というわけで、出された茶を一滴も飲まずに虚空を冷たい眼差しで見つめている甚輝の元へやって来た甚壱は「急だな、どうした」と、いつも通りに声を掛けてやった。

ツウ、と。視線だけを声のした方へと向けた甚輝は「ああ…」と温度の感じられない声を出す。
普段の喧しさが無いと、容姿も相まってとうとう化性の類いに見えなくも無いなと、甚壱は実の妹を見てそう思った。

「甚壱お兄ちゃんか、久しぶり」
「その様子は…甚爾のことで何かあったか」
「…ちょっと、まあ……研究絡みでね」

歯切れ悪く口にした言葉を聞き、隣に腰を下ろす。
そうすればすかさず甚輝は甚壱の膝にゴロンと頭を預け、猫のようにウニャウニャと甘えてみせた。節の目立つ大きな手を掴み、自分の頭へと誘導する。甚壱はその動作に逆らわず、なすがままに白くスルリとした純白の髪を梳きながら撫でてやった。
甚壱に撫でられていれば次第に機嫌の悪かった猫は落ち着きを取り戻し、フニャリフニャリと頬を緩ませ目を細め始める。まるでもっとやれと言わんばかりに頭や頬を擦り寄せるその仕草に、甚壱は皆が言う程重症状態では無いなと判断した。
何せ、この狂気と恐怖で出来た妹は、発狂乱になるとこんな比では無い程になる。
屋敷の大事な柱を噛んで削り屋敷倒壊の危機を招いたり、甚壱の身体に歯型を付けまくったり、目のあった者を片っ端から実験の餌食にしようとしたりするのだ。それに比べれば今はまだ随分まともな方である。きっと、上手い具合に何処かで息抜きが出来ているのだろう…と、妹の飼育員である甚壱は推測した。

ナデナデ、ワシャワシャ。
適当な加減で妹の頭を撫でながら、甚壱は話を静かに聞く。

「今やってる研究の素材になれる人間が甚爾お兄ちゃんしか居ないんだ、いや…本当はお兄ちゃんでも成功率五割くらいなんだけど」

魂という概念…いや、エネルギー体に、呪いを生み出さず正の呪力に変換出来る効果を付属させる研究をしている…と、少女の形をした化け物は語る。
そのための拡張パーツである大元の部分は完成しているのだと。
しかし、問題は適合出来る魂が極めて少ない…いや、まずもって存在しないのだと言う。

それはそうだ、何せ魂に異物を嵌め込まれるわけだ。拒否反応が出るのは当たり前だろう。
だが、それを知っていても研究を進めなければならない。それは研究者としてのプライドであり、呪術師としての義務感から来るものであった。
この小さな身体には今、数多くの期待と責任、それから未来と命が掛かっている。
諦めることは出来ない。許されない。
だから何としても彼女は「成功例」を作り出したかった。
成功さえすれば、成功さえしてくれれば、それを奇跡として終わらさずそこから研究を再スタート出来るはずたがら。

だから甚輝曰く、「この研究はまだスタートラインにすら立てていない」状態だと言う。

だが過酷な研究状況だと分かっていても、周りは結果を求め続けた。
彼女をよく知る者達はそういった意見の盾となり、後輩や同級生は方々へ日夜説明と謝罪に走る日々。
しかし、そんな盾をすり抜け突き刺さる心無い言葉や意見に彼女はプライドを傷付けられ、そして同時に研究なんぞに兄を奪われまいと躍起になり心を弱らせていった。


「…一個、不思議なんだけどさ」

甚壱に撫でられていた甚輝はふとした顔で言う。

「この家の奴等は誰も私に催促しないよね」
「そうだな」
「何でだろ、一番に上げ足取りしそうなものなのに」

もしくは呪術師の出番が減るかもしれない研究なんて嫌がりそうなのに。
首を傾げ、兄を見上げながら難しい顔で考える妹に甚壱は言った。

「誰かに言われて諦められるほど、お前は周りを気にする人間じゃないだろう」
「………なる、ほど…」

それは転じて、諦めとも言う。

禪院家の誰もが諦めているのだ、良い意味で。
我らが災厄、宝石のお姫様は、自分達の言葉の百や千で立ち止まり振り返り、反省するような者ではないと。
とても良く知っている。彼女がどれだけ自分勝手な天才かを、その情熱が決して揺るがず冷めないことを。

「お前らしくもない」

甚壱の目が語る。
彼はこの狂気の天才の兄であり、誰よりも何よりも側でその成長と不屈の心を見守ってきた。
腐りきった身体で生きるために、この家で価値を示し続けるために、最愛の兄を自分の物にするために、他人を救うために。そのために誰の言葉も無視して走り続けて来たお前が、今更何を気にする必要があるのだろうか。
大した理解も無い人間の言葉に耳を貸す理由なんて無いだろう。

「お前は誰のために研究をしているんだ」
「…別に、誰とかじゃないけど…自分のためっていうか、楽しいからやってるだけ。でも本気だよ、いつでも本気。本気で楽しんでやってる」
「なら、それで良いだろう」

それ以外に理由など必要無い、責任も義務も、そんなものは背負いたがる他人にでも背負わせておけ。

甚壱の少ない言葉は、しかし確実に迷いと不満で曇っていた思考を晴れさせた。
なんだ、そうかと、妹は兄の顔を見上げてやっと笑みを浮かべた。

バッ!と勢い良く身体を起こし、甚壱に飛び付くように抱き着いてみせる。
そうして「も〜〜〜!!!お兄ちゃんったら〜〜〜!!!」とデレデレした声を出しながら擦り寄った。

「心配してくれたのぉ〜?それとも実は私のことめちゃめちゃ好きだったりする?え?どっちも〜?ウフフッ!私もお兄ちゃん大好き!!チュッ!!」
「離れろ」
「やだ!!!!ンーマッ!!」
「…………」

ギチギチと蛇が巻き付くように全身を使ってひっつく復活した妹をぶら下げ、甚壱はやることが色々あるので立ち上がり部屋を後にすることとした。何せ皆の甚壱さんである、妹だけに構っているわけにはいかない。お兄ちゃんは忙しい。

そんな引っ付き虫をひっつけ歩いている甚壱の元に、一人の女中が足早にやって来た。

「ご歓談中失礼致します、甚輝様にお客様がお見えでして…」
「私に?」
「はい、甚輝様の後輩を語る…」

男性が…と女中が言葉を続けようとしたその時だった。
突如として廊下に「先輩ッ!!!」という、甚輝を呼ぶ澄んだ力強い声が響き渡ったのだ。
振り返ればそこに居たのは後輩代表、皆大好き輝ける命、可愛い正妻…灰原雄、その人。彼は随分と慌てた様子で近寄って来ると、慣れた様子で兄にへばりつくコアラのような甚輝をベリッと容赦無く引っ剥がした。

「お義兄さんこんにちは、突然ですが先輩借りて行ってもよろしいですか?いいですね、ありがとうございます!!」
「え?え?灰原くん?なんできみ、こんなとこに…」
「詳しくはあと!今は東京…いや、場合によっては神奈川にすぐ行きますよ!」
「え?いや、でも私さっき京都着いたばっかりで…これから直哉くんイジリしなきゃで…」

突如現れた後輩に呆気に取られるがまま、甚輝は手を引かれてそのまま禪院家を後にすることとなった。

あれよあれよとタクシーに詰め込まれ駅へと連れて行かれ、東京へ強制送還となる。
その道中、彼女はまさかの展開にさらに翻弄されることとなる。

こうして、まるで悪夢のような二日間が幕を開けた。


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