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次の日も僕は鉱物博士を語る怪しい少女、甚輝博士と共に居た。
今日は昨日採取した岩…石?を綺麗にするらしいので、昨日と同じ時間に家まで迎えに来た彼女と共に、東京のとあるマンションの一室までやって来た。

昨日は大変だった。
いきなり山の中に連れて行かれ、岩壁などを割るよう指示されたのだ。流石に驚いたし、くたびれた。
しかも途中現地で食事をすることになり、彼女が持ち寄って来た食材で料理を作らされることとなったのだ。
自分で持ってきたなら自分で作れよ…とも思ったが、いつもやたらに自信のある態度を崩さなかった博士が初めて罰の悪そうな顔で「お、お料理はちょっと…ね……」と言ったため全てを察し、結局僕は食材を無駄にしないようにとカレーを作った。量的には二人分だったが、甚輝博士が本当にちょっとしか食べないから僕が頑張って食べた。味はまあまあ美味しかった。

そうして色々なことをやらされ、帰りは家まで送り届けられ、「明日も仕事だからね、逃げたりしないでね!労働万歳ッ!」と念押しされ、博士は帰っていく。
彼女の白衣は泥だらけだった。それが何故か頭の中から暫く離れなかった。

さらに、翌日になって家に置いて行った宝石達について話を振れば「ああ……ちょっと預かっといてよ、何かあるかもしれないし」と言われたことも困る要因の一つだった。

彼女は自身を天才と称すが、確かに周りを振り回す天才なのだろうと思った。それくらい色濃い一日だった。


連れて来られたマンションは随分としっかりした所で、こんな場所で作業をしていいのだろうか…と思って質問すれば、彼女は何でもないことのように言う。

「私の家だから大丈夫でしょ」
「は、博士の家なの…?」
「うん。あ…!多分、ゴロゴロしてるお兄ちゃんが居るけど気にしないで」
「お兄さん居るんだ…」

なんだかとても不思議な感覚になった。

今までこの人間離れした、無機質的外見の少女に家族が居る想像が出来なかったからだ。
彼女は何処かで超自然的発生をして、人間のフリをして生きている…とか言われても納得してしまえるくらいには家族の姿を連想出来なかった。
もしかしたら、家族と言う名の他生命体や人工知能かもしれない。いや、そのほうがむしろ自然な気さえする。

ガチャリと開かれたリビングへ続く扉の先には、生活感のある案外普通な部屋があった。
ダイニングテーブルには新聞紙が畳まれて置いてあり、ソファの方には丸いクッションが適当に転がされていた。
閉じられた青い遮光カーテンの間から差し込む日差し、柔らかな芳香剤の香り、壁に掛けられた何の変哲も無いカレンダー、そして……


「おい、甚輝。誰だよ、その貧相なガキは」
「お兄ちゃんおはよ!この子はバイトの吉野くんだよ、貧相で可愛いでしょ!」
「ほーん…」


明らかに一般人では無い男が一人、穏やかな部屋に異彩な感覚を放って存在していた。

やや伸びた黒い髪に鋭い目付き。口元には一つ傷跡があり、座っているので分からないが、身体はガッシリと分厚く背も高そうだった。
予想の遥か彼方を行く人種の登場に挨拶も出来ずに固まってしまう。
だって、こんなの予想出来るはずが無いだろ。

隣を見れば小柄で華奢な無機質的少女、そして向こうを見れば大柄でカタギには見えない男。
血の繋がりが全く見えてこない。何なら、僕の方がまだカラーリング的に男と似ている。
というかもう、何も言えない。世界は広い。

「甚輝、仕事は?」

男がこちらに近付きながらそう尋ねた。
彼は甚輝博士の前まで来ると僕をチラリと見て、そして興味無さ気に視線を元に戻す。

「今日はここで作業するの、たまには気分転換にね!」
「お前はまた男連れ込んで…嫁はいいのかよ」
「嫁から許可貰ってます!」
「あっそ」

嫁???嫁ってなんだ??というか普通に仲良さそう??あれ…案外普通の家族なのか…?と、思った瞬間であった。

眩い白く滑らかな髪を揺らしながら、隣に居た少女は幸せそうに男に抱き付き頬を擦り寄せた。そして男はそれを当然のように受け止め、背をゆっくりと撫でたのだ。

僕はその光景を見て察した。
上手くは言えないけれど、多分彼女はこの男のことが大好きで大好きで仕方無くて、そしてこの男はそんな彼女の在り方の全てを受け入れているのだと。僕はふと、そう感じた。

何処かで何かを残念に思う自分を俯瞰的に見ながら、僕はやっと冷静に声を発せたのだった。

「あの、吉野です。お邪魔します」
「おう、コイツと居んのは大変だろ」
「……まあ、その…かなり…」
「なんだと!!?」

僕の声に幸せそうな雰囲気を仕舞い込み、キッと目尻を釣り上げ振り返った彼女を見てホッとする。
ああ良かった、何が良かったのかは分からないがとにかく良かった。
何となく、人間らしく誰かに感情を寄せる彼女を見るのは気不味くて辛かったのだ。
恐らく、僕はこの少女に非現実さを求めているのだろう。
だから人間らしい部分なんて見たくなかったんだ、きっとそうだ。

兄らしい男から離れた甚輝博士はムッとした表情で「めちゃめちゃ楽しいの間違いでしょ!!」と訴えてきた。

「いや、だって……」
「だって、なに?」
「説明も無しにトンカチ渡されて「いけ吉野くん!岩砕きだ!」とか言われても、ね…」
「あ〜…はいはい、分かった分かった」

僕の不満に面倒そうな返しをした彼女は、「じゃあ今日は講習を交えながら作業してやろうじゃないか」とやたら上からな物言いをした。

別に講習は頼んでないし、面倒なら語らなくても良いんだけど…。というか僕が欲しいのは講習じゃなくて簡単な事前説明なんだけどな…。
本当にコミュニケーションを取るのが難しい生き物だ、よく彼女はこれで今までやって来れたな…どれだけ環境と人に恵まれているのやら。

「よし、それじゃあまずはテーブルに新聞紙を敷いて…それから桶に水を入れて来てくれる?」

あれやこれやと僕に指示を出しながら、甚輝博士も細々と色々道具を並べ始める。
タガネ、トンカチ、防護メガネにルーペ。それから昨日は見なかった歯ブラシなども。
別室に一度引っ込んだかと思えばえっちらおっちら液体の入ったバケツを危なっかしく持って来たので、僕は慌てて駆け寄った。

「僕が持つから…ってこれ、昨日の…?」
「おもーい!」
「そりゃこれは重いよ…」

ゴロゴロと岩石の入ったバケツを持とうとしたが「駄目駄目」と言われる。

「これ塩酸に漬けてるから、素手は危ないよ。君の可愛いお手々が溶け出しちゃう」
「可愛いかどうかは一先ず置いておくけど、塩酸…?なんか溶かしてるの?」
「赤錆をね、こうすると取れやすいんだ」

よっこいせ、よっこいせと作業机と化したダイニングテーブルの近くまで持って行った彼女は僕に「窓開けといて」と指示をした。
僕はそれに従い窓を開け、カーテンを纏める。

その後も細々とあれやこれや準備を進め、改めて作業机の前に立った僕達は岩石をクリーニングし鉱物標本を作ることとした。
何だかまるで夏休みの自由研究をするような気分だ、小学生の頃の無邪気にはしゃげていた日々を思い出し、少しだけ苦い気持ちになった。

そんな僕を放って甚輝博士は石を手に取り説明を始める。

「方解石なんかは割ると結構細かく破片が飛ぶからね、ティッシュに包んで割るように」

まずは見本だと、方解石と呼ばれる透明な結晶をティッシュで包み、トンカチでカンッと強めに叩いた。
すると本当に割れてしまったようで、ティッシュを開けば綺麗な菱形の鉱物標本が出来上がっていた。

「吉野くん、割れた細かい結晶の方を見てごらんよ」

ルーペを差し出され、それを手に取り細かな結晶達を見る。
すると、よく見れば大きな物だけではなく結晶までもが菱形に割れていた。
何だか新たな発見をしたような気持ちになり、先程まで燻っていた感情がパアッと晴れる。
なるほど、この人はいつもこうして小さな発見に喜びを見出し、それを積み重ねて今に至るのか。
ならばこの人格足り得るのも不思議では無いかもしれない。何せこの人の毎日は発見と喜び、それからさらなる不思議で彩られ続けているのだから。
それは何て幸福なことなのだろうかと、僕は少しだけ彼女のことを羨ましく思えた。

「クリーニングしながら保存の仕方も説明していこうか、よ〜し!やるぞ〜!」
「緊張してきた…」
「大丈夫大丈夫!失敗しても石が割れるだけだ!」

それって一番駄目なんじゃ…?と思ったが、彼女が笑って良いと言うならきっと良いんだろう。
段々僕もこのへんてこ人間のことが分かって来たかもしれない、まあ分かった所で何だという話だけど。


いつの間にか、彼女のお兄さんは姿を消していた。
何処かの部屋に居るのか、それとも出掛けてしまったのか。結局帰る時間になるまで姿を見掛けることは無かった。

彼女曰く「お腹が減ったら帰って来るから気にしなくて良いよ、野生動物かお猫様みたいなもんだと思っといて」とのことで、お陰様で僕は気兼ね無く一日ゆっくり楽しく普段体験しない作業をし続けることが出来た。

学んだことは沢山ある。
アメジストやセレスタイト、シトリンなどは紫外線や光に弱く、晒し続けると鮮やかさが減るとか。
岩塩や胆礬は湿気に弱いが、逆にオパールや沸騰石は乾燥に弱いとか。
石の歴史、色味における化学的な根拠、工業的な使われ方から宝石としての価値まで。
彼女の話はどれも丁寧で分かりやすく、こちらの興味を掻き立てるのに十分過ぎる程で、気付けば僕は「次の予定」を立ててしまっていたのだった。

何だか良いように使われていないでも無い気がするが、それでも楽しいという心に嘘は付けず、帰り道も探究心の向かうがままに会話を重ねた。

「へぇ、映画では賢者の石ってそういう表現をされているのか」
「うん、錬金術が生み出した奇跡の石とか…あの、もしかしてハリポタ観たことない?」
「そもそも映画をあまり観ないんだよね」
「そ、そうなんだ…じゃあさ…!」

今度一緒に、と言い掛けた時だった。
後ろからやって来た車にパッパー!とクラクションを鳴らされ僕等は同時にビクッと肩を跳ね上がらせて立ち止まった。

するとそのクラクションを鳴らしてきた車はすぐ側で止まり、助手席側の窓ガラスが静かに降りた。
窓ガラスの向こうから現れたのは見知らぬ、細い目をした男だった。彼は僕ではなく僕の隣に居る人物に向かって「やあ」と気さくに声を掛ける。

しかし、その声に続く言葉はシンプルにキレているのが赤の他人である僕にも伝わった。

「今日はとうとう一度も研究所に顔を出さなかったと思ったら…未成年淫行とは良いご身分だね、このダメ所長が」
「や、やばぁ………」
「辞職するか今すぐ研究所に戻って仕事するか…どちらが良いかな?私としては前者でも全く構わないよ、今も私が取り仕切ってるようなものだしね」
「ひぇ………」

ニコニコ、イライラ。
重苦しいドス黒いオーラを放ち、笑顔でそう言い切った彼はチラリと僕の方を見て形だけの笑みを浮かべた。
残念ながらその笑みからは全くもって友好的な態度は見て取れなかったが、僕は一応お辞儀をしてみる。とてもじゃないが、無視など出来なかった。

「うちのダメ所長がお世話になったようで、すまないね」
「いえ、僕は全然…むしろ楽しく、」
「でも悪いね、こう見えてこの人は凄い研究者なんだ。子供と遊ぶ時間なんて無い程にね」

嫌悪、険悪、敵対心。
言い表せぬ感情を向けられ、僕は何も言えなくなる。
いやむしろ、立っているのがやっとな程だった。
悪意を向けられるのなんて慣れていたはずなのに、それなのに上手く処理しきれなくて勝手に足が一歩後退ろうとした。
しかし、それより前に隣に居た少女が間に割って入り、僕を背に庇ってみせた。

「遊んでいたわけじゃ無いよ!だからそんなに私の可愛いワトソンくんを責めないであげて、夏油くん!」
「私だって言いたくて言っているわけじゃない。君がいつになっても仕事をしないから…」
「分かった分かった!今からやるから!助手を送ったらすぐ行くから!」

だからゆるして!!天才に免じて!!

パンッ!と両手を合わせて謝罪なのか何なのか分からないことを言った彼女に、男は呆れたように息を吐き出しながら僕への敵意を引っ込めた。
彼は時間を指定して、それまでに来なかったら「ハイバラに言い付ける」と言って去って行った。
それを見えなくなるまで見送った僕らはどちらともなく顔を見合わせ、小さく息をついたのだった。

彼女は「ごめんね、アイツちょっと昔色々あって警戒心が強くてさぁ…」とすまなそうな顔をする。
僕はそれに首を横に振って「いや、本当のことだから」と彼の言った言葉を肯定した。

彼女が本当に凄い研究所のお偉いさんだとしたら、こんな僕みたいな子供と遊んでいる余裕なんて無いことは明らかだ。
きっと多くの人から期待されていて、彼女の研究は様々な人や物を救うのだろう。
そんな人の時間を、頼まれたからと言って独占するのは良くない。
僕と彼女はあまりに立場が違い過ぎる。いや、立場だけではない、何もかもが天と地程の差があるのだ。

改めて思う。彼女はまるで、見上げる程高い空の向こうから来たような人だと。
常識も立場も違えば、住んできた環境も居るべき場所も何もかも違う。本来ならば交わらない世界の相手。
ならば、いつまでもここに居させちゃ駄目なんだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。
僕はそれを知っているから、事実をありのまま飲み込んで別れを切り出そうとした。
したというのに、しかし、彼女はそうはさせてくれなかった。

迫る夕焼けを背景に、白く柔らかな髪をサラサラと靡かせながら、超然的笑みを携えて偉そうに胸を張ってこう言うのだ。


「しかし大丈夫!何せ私は天才だからね!天才は趣味と仕事の両立くらいお茶の子さいさいなのだよ、えっへん!」

だから君はこれからも私の趣味を助けたまえ、次の働きも期待しているよワトソンくん!


「じゃ、帰ろっか」と、自然な笑みに切り替え、背中を向けて歩き出した彼女の背中を一、二秒意味も無く見続けた。
意味は無かったが、価値はあった。

ああ、この小さな背中にはこうして多くの人間の期待と渇望と夢が乗っかっていくのだろうと、僕は輝く白が燃えるような茜に照らされるのを見ながら思った。

せめて自分だけは…と傲慢にも思う。

せめて僕だけは彼女の背中に伸し掛かる数多の重しの一になりたくはないと。
そんなものにはなりたくないのだと。
隣じゃなくていい、同じ世界じゃなくて構わない、ただ彼女が進まなければならない道の道中で、足を止めて別の世界の話が聞きたくなった時に聞かせてあげられるような。そんな助けであろうと身勝手にも思ってしまった。

彼女は妖精で、僕は人間。
住む世界は違っていて、見える景色も違っている。
けれど彼女が僕の御伽話を聞きたいと求めるならば、僕はそれを時間の許す限り語ってみせよう。

何の変哲もない、どこにでも居るただの人間の話を、君に聞かせてあげよう。

君を助ける人間として。


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