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昨日、僕のアドレス帳に新しい名前が加わった。
その名も『甚輝博士』、上の名前で呼ばれるのは嫌だとか何だとか言っていたので、「甚輝さん」と呼べばそれも嫌がられた。
曰く、「名字はあんまり気に入ってないんだよ…同じのがウジャウジャいるから」「さん付けも嫌、なんか気持ち悪い」とのこと。
なので、請われるがままに「甚輝博士」と呼ぶことにした。

そして、その甚輝博士からの命令(本当に命令口調だった)により、僕は母に名刺を見せ、アルバイトに誘われたことを話した。

母はすぐにスマホで研究所の名前を検索し、ヒットした一番上のページをタップする。
そうすればそこには堅苦しい挨拶から始まり、施設紹介、研究内容、研究成果(プレスリリース)、広報活動、採用情報…などが並ぶ立派な企業ホームページが現れた。

それを一つ一つ見る母に、僕は緊張しながら語り掛ける。

「仕事の内容は、フィールドワークに一緒に来て欲しい…ってことらしくて」
「へー、面白そうじゃないの」
「でさ、多分母さんが思ってるよりずっと変な子で…」

昨日の出会い、白い輝き。

目を瞑らずとも思い出せる、白すぎる色の無い出会い。

いつの間にか口角は上がり、たったの数分の出会いを時間を掛けて語り聞かせていた。

「いいんじゃない?順平がやりたいなら、やってみれば」
「うん、じゃあ…連絡してくる」

そうして、母からの許可がおりてすぐにアドレス帳を開き、連絡を入れた…のが昨夜の話。
日付が変わり朝が来て、僕はテレビに映るニュースを流し見しながら、母と共に朝食を採っていた。

その時であった。
突如家のチャイムが鳴り響く。

こんな朝っぱらから誰だよ…と、思いながら席を立つ。
母はこのあと仕事に行かなければならない。だから僕が変わりに対応しようと思い、インターホンを覗いた。
すると、昨日見た顔がそこにはあった。

何でこんな朝早くに博士が?というか、どうして家に?
色々疑問はあったが、僕は慌てて玄関へ走り、扉を開く。

「おはよう。さあ、フィールドワークに行くぞ、吉野順平くん!」
「おはよう…って、こんな早くから?」
「何を言うかね、朝だからだよ!朝は生命の活性が凄いんだからな!」
「ちょっと待って、まだ何も準備してな、」
「私は優しいからね、手伝ってあげるよ。あ、お邪魔しまーす!」

声高らかに言って、甚輝博士は勝手に我が家へと侵入してきた。

どうなってるのこの子の価値観。誰が育てたらこんな人間になるというんだ。
お邪魔しますではない、まず許可していない。セールスマンだってもうちょっと気を使うのに。

高そうな革靴を脱いで揃え、短い廊下をズカズカと歩きリビングに向かって行ってしまった背中に唖然とする。
頭の良い人間とは、やはり何かが欠落しているものなのだろうか。
いやそれよりも、今は追い掛けなければ。

僕は慌てて玄関を閉じて、リビングに向かった。

するとそこでは、母さんと博士が向かい合って座っていたのだった。
僕が座っていた席にこれまた勝手に座り、にこやかに「始めまして、お母様」と挨拶をする彼女は嫌に堂々としていて、頭が痛くなる。

「息子さんを仕事に借りて行くけれど、よろしいかな?」
「あー……順平、この子が所長さん?」
「そうとも、私が狂気の天才…呪生研の所長様だとも」

いや、僕に聞いてるのにお前が答えるなよ。

いきなり飛び込んできた、非日常の代名詞みたいな奴を前にしても、母が臆することは無かった。
可笑しそうに笑いながら、「順平ってば、面白い子見付けて来たじゃん」と言うばかりで、これっぽっちも不安や不信感など感じていないようだった。

「えー?なになに?どっちから声掛けたのー?母さん気になるなー?」
「そ、そういうのじゃないから!」
「こんな美少女掴まえといて何言ってんだか」
「だから、この人はアルバイト先の…!」

からかってくる母と、それに対抗する僕を眺めながら興味深そうに勝手に僕の朝食をつまみ出した博士に待ったをかける。

「ちょっと、なに勝手に食べてるの!?」
「いや、何も食べずに来たからつい…ごめんね」
「あ、いや…僕も強く言ってごめん…」

いや、いやいやいや、なに謝ってんだ僕。
今のは謝るとこじゃ無いだろう、いきなりしおらしくされたからって謝らなくても良かっただろう。

はあ……調子狂うな…やり辛いとまではいかないが、疲れる相手だ。
虐めに合うよりは遥かにマシだけど、違うベクトルで疲れる。しかもまだ朝なのに。
まさか今日ずっとこんな感じじゃ…無いよね…?

「とりあえず荷物纏めて来るから、変なことするなよ?何もせずに待ってられる?」
「変なことって、具体的には?」
「いや、それは…その、僕の朝食勝手に食べたりとかさ」
「はーい」

間延びした返事をした博士は、席を立つとソファの方に座り直した。
脚を組み、指を組み、余裕のある面持ちでテレビ画面を見始めた姿を確認してから自分の部屋へと急ぐ。

それにしても変な子だ。
外見はどう見ても同い年くらいなのに、妙に大人びた瞬間がある。
それに鉱物研究所の所長とかいう立場も、博士という呼び方を強制してくるところも…考えれば考えるほど疑問だらけだ。

そもそも見た目からしてへんてこだ。
人間味が薄いというか、人間という生き物を極限まで無機物に近付けたかのような薄ら寒さを感じる。
あの人工的な瞳はずっと見ていると不安すら沸き立つ。
一体、彼女は何者なのだろうか。


とりあえず何となく必要そうかと思った物を片っ端からバッグに詰めて部屋を出れば、リビングでは母さんと件のへんてこ博士さんが何やら話し込んでいた。

「このアメトリンは私が趣味で作った人工のものなんだけどね、中々良い出来でねぇ…見てごらんよ、この合理的美しさを」
「綺麗ね〜!このカットも甚輝ちゃんがやってるの?アンタ凄いじゃん!」
「ほへへ……ま、まあね!私ったら天才の中の天才なので!」

照明の下でキラキラと輝く色とりどりの石を前に、母さんに褒められた甚輝博士はニヤニヤとイマイチ可愛くない照れ笑いを浮かべていた。

あの…もしかしてこれ、母さんに宝石売り付けようとしてる?やっぱり碌でも無い奴なんじゃ…。
慌てて「ちょ、ちょっと…!」と間に割って入れば、二人は同時にこちらを見た。
うん、やはり見比べても博士さんの方がずっと違和感がある。人間として。

「何してるの?まさか、母さんに変な物押し付けようとしてるんじゃ…」
「いや?自慢してるだけだけど」
「そ、そっか…」

「これも見て〜」と、無邪気に見せ付けてく鉱物は確かに物珍しいとは思った。
あまりこういった物を目にする機会は少ない。どれもこれも眩い程に煌めいて目を奪われる。
そういった方面に疎い僕でも流石に分かった、これがとても価値のある物だと。

触るのが怖いと感じるそれらを簡単に指先で摘み、僕と重なるようにしながら鑑賞する甚輝博士は、「ん〜…」と笑みを浮かべながら喉を鳴らした。

「お母様も順平くんも…やはりシンプルなカットが似合うね。スクエアやファセットが私好みかな」
「えっと……ごめん、正直詳しくなくて」
「ああ、えっとだね…確か…」

そう言って彼女は白衣のポケットをゴソゴソと漁り始めた。暫くすると小さな宝石を剥き出しのまま取り出し、なんとこちらに投げて寄越した。
慌てて受け取り、恐る恐る手の中を見れば澄んだ薄い青の宝石が手のひらの上で神秘的かつ知的にシャープな輝きを放っていた。

「ブルートパーズのスクエアカットだよ、記念に取っときたまえ」
「取っとき…って、え!?いや、こんな高価なもの受け取れな、」
「じゃあお母様にあげといたら?私は今いらないし…研究所に持って帰ったらビジネスに熱心な部下に売り払われるだけだしね」

飄々とそんなことを言われても困ってしまう。
一人どうしようかとオロオロしていれば、僕達の様子を見ていた母さんが可笑しそうに笑った。

「いいじゃん順平、この子のとこで頑張っといでよ」
「いいじゃんって…」

何をどう受け取ればこのへんてこ人間にお墨付きを出せるんだ。
何の信用も出来ない許可が降りたことで、僕は本格的に鉱物博士を語る謎の少女とアルバイトをしなければならなくなってしまった。

もしも映画だったら、彼女は実は人外で特別な世界に主人公を誘う役目を背負っていた〜…とか、もしくは別の星に主人公を拉致して身体を改造〜…などの展開になりそうだが、一応リアルな人間で、主人公ポジションは僕だから何も起きない…と、思いたい。正直不安ばかりが燻っている。


母さんはスルリと一度、博士さんの指通りの良さそうな白い髪を頭をなぞるように撫でてから「甚輝ちゃん、順平のことよろしくね」と言った。
それに対して大きく胸を張り、偉そうな態度で「任せたまえ!」と彼女は言う。

「どんな困難が訪れようとも、大船に乗ったつもりでこの天才に任せておきなさい!」
「凄く、凄く心配だ……」
「なんだと!?私は細胞の殆どを壊された人間をほぼ一から再生する技術すら持つ天才の中の天才だぞ!!?」
「流石にそれはフィクションすぎじゃない?」
「ほ、ほんとだもん!!!」

頬をこれでもかと膨らましぶすくれてしまった甚輝博士は、机に出した宝石をそのままにドスドスと足音を立てて部屋を出て行ってしまった。

母さんに追い掛けるよう言われ、慌てて荷物を持ち直し後を追い掛ける。
卓上で輝く宝石は触れていいものか分からなかったので放っておいた。そもそも、自分で放ったらかして出て行ったのだから僕が気にする必要は無いのだけれど。

本当にこんな感じで大丈夫なんだろうか、先が思い遣られる…。
出来れば無事に帰って来たい、精神的な意味で。


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