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これは…僕が里桜高校の二年生になってすぐ、一学期の始まり早々の話。
学校に行かなくなる、一日前の話。


とある宝石で出来た妖精と出会った、輝きに憧れた御伽噺。

きっと真っ白なままの日々には、もう戻れない。



___




よく晴れた午後。
頭上に広がる青空には雲がゆっくりと棚引き、流れる風が春の香りを優しく運んでいた。

時刻は昼の三時過ぎを時計の針が指す。
学生の帰宅時間にはまだ早い時間であるが、僕は同級生の数人に殴られたことを理由に自主的に学校を早退してきた。

学校はハッキリ言って、クソだ。

これが社会の縮図なのかと思うと、先に続く人生に意義を見出だせなくなる程に。
暴力がまかり通り、誰も彼もがイジメを見て見ぬフリをし、正しさと優しさはあの世界で何の役にも立たない。
あんなとこ、居るだけ時間の無駄だ。
それならアサイラム映画を五本立て続けに見たほうがまだ有意義だとすら思う。

僕は一人そんなことを考えながら、家にも帰る気になれず、かと言って映画館で映画を楽しむ余裕も無く、とにかく一人になりたくて土手沿いをプラプラと歩いていた。

川の流れる音が鼓膜を撫ぜる。
ここはいつもと変わらないな…と思って景色を眺めていた時だった。
視界の先に、妙な物が映り込んだ。


それは、どこまでも白い人間だった。


いや、人間と語るのは間違いだったかもしれない。
確かにそれは人間の形をしていた。けれど、人間では無いと僕の中の何かが強く訴えた。
纏う雰囲気は神秘に満ちており、透けるように白く長い髪は光に照らされ宝石の如く煌めく。
まっさらな白衣を纏い、上等な革靴を履き、必死になって川の石を手に取り眺めては捨てる、眺めては捨てる…を繰り返す後ろ姿は、まるで御伽話に出てくる妖精の類いに思えた。

実際、それはあまりにも白い肌をしていて、遠目から見ても分かるくらいに無機質な瞳をしていたのだ。

僕は最初、殴られすぎてとうとう自分の頭が残念なことになってしまったのかと考えたが、何度瞬きをしようとも、どれほど近寄ろうとも、それは確かに現実に存在しており、僕の目の前に確かに在ったのだった。

興味が湧いた僕は一歩、二歩…それに近付いて行く。

何事かをブツブツと唱えながら、それは川辺に膝をついて一心不乱に石を選別していた。

とうとうあと数歩で側に行ってしまうぞというところで僕の足は止まる。
何故ならば、それが僕の方にゆっくりと振り向いたからだ。

白い絹の髪が揺れ、宝石の瞳がこちらを射抜く。

長くけぶる睫毛の向こうに収められた、ダイヤモンドを超える輝きの瞳がバチリと僕を視界に写す。

スッと通った鼻筋と、薄い唇。
赤みの無い顔色、若い顔立ち。
まさしく、妖精。

本能的に理解してしまう。
これは、人智を超えた生き物であると。

スクリーンの向こう側にしか存在し得ない架空の物が目の前に居る事実に、僕は行動を停止した。
これの前で息を吸うのは正しいのか、瞬きをしてもいいのか、立っていることは許されるのか。
それすら分からなくなり、心臓の音が嫌にハッキリと耳の奥にこだましていた。

互いに見合ったまま、暫く時間が経過する。

脇や首筋に冷たく気持ち悪い汗が流れる感覚がした。
雲のせいか太陽の光が遮られ、周囲が少し暗くなる。
そのせいで光が減ったにも関わらず、目の前のそれは依然として美しいままであった。

そして、隠れた太陽が再び光を差した頃、それは悠然と立ち上がった。
片手には河原の石を持っており、それをポイッと無価値に横へ放り捨てて、こちらへ砂利を踏みしめながら近付いてくる。

「…………」

何も言わずに近付いてきたそれは、瞳を細めてこちらを見つめてくる。
ジロジロ、ジロジロ………まるで値踏みするかのように僕の全身を上から下まで何度も見て、それから視線を外し、少し考える素振りをしてからこう言った。


「うっっわ、よわっそ〜〜〜!」


それはもう、全くもって予想していないことを言われた。
続いて、矢継ぎ早に「一般人ってこんな弱かったっけぇ?」「えー…もしかしてそのほっぺた…殴られたのかな?」「いたいいたいだねぇ、ただの肉な身体は不便だねぇ…可哀想に…」と、心配されているんだか馬鹿にしているんだか分からない失礼なことを矢継ぎ早に言われる。なんだ、この生き物は。

「ちょ、まっ、あのっ」
「でもちょっと可愛いかも…こういう顔の子好きなんだよね、クリクリした感じの目とか」
「す…!?」
「黒髪なのもポイント高いなぁ」

ウンウン、可愛い可愛い。
かよわい命は可愛いね。

と、一人何かに納得したように頷きながらそれは手についた土を払い落としていた。

一体なんなんだ、コイツ………。

最初に感じた異様な神秘性は何処へやら。話してみればただの変な奴って感じで、今度は別の意味で不安になってくる。

「あの…邪魔してすみませんでした、僕もう行きま、」
「いやいやいや、まあまあまあ」

薄っすらと身の危険を覚えた僕は、挨拶を投げて帰ろうとした。
しかし、そんなことはさせるものかとそれは僕の制服をガッシリと掴んできたのだ。

これは…マズいんじゃないか?警察とかに…と考えていれば、行く手を阻むようにそれは僕の前にくるりと回り込む。

「大丈夫大丈夫、怪しい者なんかじゃないよ。本当本当、マジマジ」
「いや、それ…怪しい奴が言う定番のセリフですよね…」
「そんなん言ったら君だって怪しい奴だろう?」

ムッとした顔でこちらを見上げながら、それは言う。

「いきなり私の背後に立って、声も掛けずに凝視してきて…」
「そ、れは…!」
「まあ、別に良いけどね!」

フンッと得意気な顔で鼻を鳴らし、僕から手を離す。
土が付きシワの寄ってしまった制服に謝罪なんてものは勿論無く、それは「あーあ、どいつもこいつも忙しくしちゃってさ、やだやだ!」と、大声で愚痴を言いながら歩き出した。
着いて行く意味も理由も無いはずなのに、僕の足は勝手に後を着けるように歩み出す。

「こっちだって人手不足なのにさぁ」
「あの…」
「なに?私、こう見えても忙しいんだからね!今だって…河原の石と生物の生態調査をしていたのに…一般人が邪魔しやがって…」

ブスッと膨れた顔をして怒っているそれは、ほら!と言ってポケットからメモ帳を取り出して中を見せてきた。

そこに並ぶのは、暗号文のような知識の羅列。

緻密なスケッチ、石の成分や硬さ、生物の詳細な生態、分布図から近隣の草花、土質や川の水質に至るまで。
読んですぐに分かる。これは、本当に知識のある人にしか書けない文章だ。

そこでハタと気付く。
まっさらな白衣…もしや、研究者?じゃあ、こんな見た目だが人間なのか?いや、でも人間と分類するには何かが可笑しい気が…。

メモから顔をあげ、その人間のような研究者のようなものを困惑と共に見つめれば、視線に気付いたそれも顔をあげる。

「あの、貴女は…」
「研究所持ちの鉱物博士、禪院甚輝だよ。こう見えて君よりずっと年上で凄いんだから!敬いたまえ!」

年上……?
この見た目で、ずっと年上?本当に?何なら僕より幼く感じてきたところなのに…?

「年上には…ちょっと見えない、かな…」
「なんだと!?!?」
「あ、いや…変な意味じゃなくって、」
「な、生意気なガキだな…」

ガキって。
子供(みたいな見た目をした変な生き物)にガキって言われてもなぁって思ったら、急に面白くなってしまって吹き出してしまった。

ブフッと堪えようとして失敗した笑い声が漏れ出し、そこからは声を噛み殺そうと努力しながら笑った。

だってあまりにも予想と違ったから。
遠くから見た瞬間、何かの映画作品にでも迷い込んだかと思うほどには超俗的な気配がしたのに、話してみればそんなもの微塵も感じさせないくらいの残念さ。
何か凄い人なんだろうな、ってのは分かったが、中身はただの面白くて変な子だった。
これを笑わずしてどうするというのか。
笑うしかない、笑う他ない、面白くって仕方ない。

「そんなに笑うな!」
「だ、だってガキがガキって…アハハッ!」
「きみ…マジで許さないからな…」

ギリギリと奥歯を噛み締める音を立てながら僕を睨みつけるその瞳は、これっぽっちも怖くはなかった。
何ならちょっと面白かった。

涙が滲むまでひとしきり笑い、落ち着いて来た頃に「あー、久々に笑った…」と漏らせば、鉱物博士を名乗る少女は目を光らせた。
意地の悪い笑みをニタニタと浮かべ、「えー?なんだい?久々に笑ったって。もしかして、学校に友達いないのかなー?」と馬鹿にした声を出す。
きっといつもの僕ならば、思いっきり腹を立てたはずだったが、笑ったせいか異様に気分の良い僕は「うん、今日も早退してきたところ」と、簡単に白状してしまった。

僕の返答が予想外だったのか、ちょっと驚いた表情をし、顔の殴られたあとを見てから察したように「へぇ」と甚輝さんは言う。

「君は、随分と無駄な時間を送っているみたいだね」

嘲笑うように、もしくは侮辱を込めて。
彼女は悪どい笑みで僕が耐えてやり過ごした時間を馬鹿にする。
その言葉に言い返す気力は既に無かった。
何故なら、今日はもう十分に身も心も痛め付けられすぎたからだ。
麻痺しているのだろう、痛みにたいして。だから、上手く受け止め切れずに「うん、僕もそう思う」と、ありふれた同意を示した。

甚輝さんは僕の返答に気を良くしたらしく、大きく頷きながら「そうだろう、そうだろう、うんうん」と笑みを深める。

「やる気が無いのに学校なんて行ったって、時間をドブに捨てるようなもんだからね!」
「それは流石に言いすぎじゃ…友達とか作りに行く奴だって…」
「なに?君、友達が欲しいから学校行ってんの?あそこは欲しい知識を吸収するための場だぞ?」
「それは、そうかもだけど…」

確かに去年の今頃は、部活に入って仲間と楽しく…って考えていた時期もあったけれど、そんなの今となっては遠い過去だ。
どうしたって、あの学校に僕の居場所は無い。
居場所が無いから、こうして逃げ出して来たんだ。

こちらをジッと見つめる、無機物のような瞳から目を逸らし、意味も無く名前も知らない川辺の石を眺めた。

まるで僕の有り様を責めるような沈黙が襲ってくる。
ヒリヒリと肌を焼くような視線が突き刺さる。
いや、こう感じてしまうのはきっと僕の罪悪感が原因なのだろう。彼女は何も悪くない、悪いのは逃げ出した僕だけだ。

しかし、そんな僕に彼女は言った。


「じゃあさぁ…学校なんて行かないで、私のとこでバイトしない?」

ね、そうしよ!絶対その方が楽しくて有意義な毎日になるよ、君のこと気に入ったからお給料も弾んじゃう!


などと、いきなりとんでもないことを言い出した甚輝さんは、白衣のポケットから一枚の紙を取り出した。

手のひらに収まる程度の大きさをした長方形の白い紙には、【鉱物生命研究所 所長 禪院甚輝】と書かれており、その下にはメールアドレスと電話番号が記載されている。
所謂名刺、それも遊び心の無いちゃんとしたやつ。

まさか、本当にこの子凄い人なんじゃ…。

この日をさかいに、運命的としか表現しようがない、いきなり日常をひっくり返されるような出会いが僕の色褪せた毎日と感情を少しずつ鮮やかにしていく。

ドラマチックとは程遠い、三文芝居のような日々が幕を開ける。

これは宝石で出来た妖精と、そんな妖精の気紛れに振り回された僕の物語。


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