5-6


真知と最初に出会った時、やけに真っさらな手をした子供だと思った。

若葉色の着物、傷みを知らない髪、無垢と知性の両方を兼ね備えた瞳。
今この瞬間殺されるかもしれないというのに、酷く落ち着きを見せ、何なら全てを受け入れていそうな様子であったのを今も覚えている。

『わたしを、ころすの?』
『だとしたら、どうすんだ』

質問に適当な返しをすれば、彼女は『べつに、なにも』と言って薄く微笑んだ。

『いましななくても、ちかいうちにしぬよていだったから』

それは、全てを受け入れた結果、諦めることを導き出した声だった。

自分とよく似た髪と目の色をした子供は、俺と同じあの家での異端者だった。
ただ俺と違ったのは、真知は全てを諦めた末に、何もかもを受け入れ、己の死と向き合い続けていたことだ。
当たり前に自分はあの家で、簡単な切っ掛けで死ぬのだと理解し、その運命を覆す気を起こさずに時が来るのを静かに待つ。
それしか方法が無いわけでは無いだろうにその在り方を選んだのは、彼女が"それでも"家族を愛していたことの証明だろう。

何故、自分を傷付けるしかしない者達を愛せるのか、ずっと疑問だった。
だが、共に時間を過ごしていれば何となしに理解出来た。
禪院真知という人間は、自分と他者の決定的な違い、精神的壁、埋まることのない溝を知りながらも、それを深く受け入れ続け、他者と自分の違いこそを愛している…そういう存在だった。

愛情深い生き物なのだ、彼女は。
本来であれば争いの切っ掛けになりうる誰もが抱く嫌悪感や怒りすら彼女にとっては愛情の一端で、自分への差別意識すらも良しとして受け入れる。

だからこその、異質さと異端さ。
いくら忌み嫌おうとしても、群れから爪弾きにされようと、彼女はどう足掻いても愛情で返してしまう。
それは生き物としてはあまりに致命的なバグで、生存競争の中では負ける要因にしかならないものだった。

例え自分を殺す相手であったとしても、真知は自分に降り掛かる死すら受け入れ相手を愛す。

だから、



「あ、い…してます、それだ…け、それだけ…言いたく、て」
「………真知?」



身体の中心、心臓からやや狙いを逸した辺りに突き刺さった鈍い刃のことなど気にも止めず、彼女は穏やかに笑って愛を口にした。

こちらを一心に見つめる瞳には未だ僅かだが光が灯っており、その光こそが彼女が"本物"である印だと、今になってやっと気付く。

槍の柄からは自然と手が離れ、状況を飲み込めずに立ち竦み、一歩後退した。

何が、起きた。
自分は一体何をした。
いや、何をしている?

こちらを見上げ、か細い息を繰り返す少女をひたすらに言葉無く見下ろし、伸ばされた崩れかけの指先に手を伸ばそうとした…その時だった。

頭上に突然落とされた影は、次いで雷撃を呼んで辺りに稲妻を無数に落とす。
見上げればそこには巨大な怪鳥の呪霊が一羽、こちら目掛けて鋭利な黒い爪を振り落として来ていた。

咄嗟に身体が動き、その場に落ちていた先程まで少女が握っていた白亜の太刀を手に取り応戦する。
だが、怪鳥は一度爪と刃を交わらせるとすぐに距離を取り、羽を震わせ疾風を巻き起こした。

「ッチ!」

一瞬、ウザったく伸びた前髪が風で視界を遮る。
その隙を付いた怪鳥は、俺をスルーして打ち倒れていた真知に目掛けて飛び掛かった。

「ぅア"ッ…ッ!」

後ろから聞こえたくぐもった呻きに振り返る。
しかしそこには真知の姿は無く、地面には血の付着した槍だけが転がっていた。
羽ばたきの音に釣られ空を見上げる。彼女は鳥の爪に捕まれ、雲の切れ間、空高くへと攫われていかれる所であった。

様々な感情が思考を駆け巡り、胸の中で暴れ出すのを無理矢理に押え付け冷静な判断を下す。

あの距離ならば槍の投擲で撃ち落とすことは可能だ。
尚且つ、落下してくるだろう真知を救出出来る。
だが、その後は?アイツは生き残ることが出来るのか?既に致命傷は与えてしまっている。そしてさらに身を鷲掴みにされている現状…いや、助けた後に考えるしかねぇだろ、もう。

ゾンビでも亡者でも、何であれ俺の前に戻って来たのならば、今度こそ守り切らなければならない。
例え二度目の別れが決定付けられていたとしても、アイツが伝えたがった言葉くらいは聞いてやらなきゃならないだろう。家族として。


覚悟なんて何も出来ていなかったが、瞬時に駆け出し槍の柄を掴み、構え直す。
投擲角度良し。
貫き、撃ち落とす…!

ゴッッ!!!
衝撃波が発生する程の威力と速度を伴った一閃が、風を切り光を越し、音を置き去りにして怪鳥の肉体のど真ん中を貫きぶち破る。

致命傷を与えられた怪鳥の呪霊はつんざくような絶叫を挙げながら、真知を掴んでいた鉤爪を開いて暴れ狂い悶絶した。

予想通りに落下してくる真知の身体を受け止めるため、俺はその場から感情のまに駆け出しす。

小さな身体が力無く落ちてくる。
手を伸ばしてキャッチすれば、儚い身体は既に左半身が崩れ無くなっており、人では無い何かとなって蘇ったこの身体の限界が近いであろうことを察した。

「真知、」
「………い、や…」

か細い声が震える。

息を乱し、ぐったりと力無く閉じていた瞳を開いた真知は、常磐色の瞳に涙を浮かべながらこちらを見上げ、俺に対して初めて痛みと苦しみを訴えた。

「しにたく、ない…」
「…………」

ヒュウヒュウと、喉から音が鳴っている。
死にかけの生命が発する音を。

「まだ、」

ゲホッ!!

吐き出された血の塊は温かかった。
けれど、腕に抱く少女の身体からはどんどんと温度が消えていっていた。

抱いていた後悔よりも、自身の感じる苦しみよりも、目の前の命が藻掻き悔しがるその様に感情が揺さぶられる。

自分が何よりも無力な存在だと感じる程には、真知の姿はどうしようもなく儚いものだった。




___





過ぎ去りし麗しき日々は、再び我が元に返らず。


そう思い、私はここへ来る前に悟くんに伝えたことがあった。

『どうか何も言わず、見届けて欲しい』と。
そこには誇りがあり、意地があり、我儘があった。
死ぬならば好きな人の側が良いと、その思いだけで延命して辿り着いたのがこの結末。

けれど、実際その時が来れば未練ばかりが湧き立ってしまった。
初めてだった。こんなにも死にたくないと…もっと生きたいと、貴方と生きて幸せになりたいと思い、その願いが遂げられない絶望を感じるのは。
本当に、生まれて初めてだったのだ。


「わたし、おかしい、の……」


喉を震わせ、必死に甚爾さんの瞳を見つめて言う。


「じぶんが、じぶんじゃ…ない、みたい……」


こんなはずじゃなかったのに。
こんなつもりじゃなかったのに。

最後はちゃんと、笑って…救って…遍く全てを照らす魂としての使命を全うして死ぬはずだったのに。


「あなたが、すき……」

たすけて。


浅ましく、愚かしく。
酷く人間らしい人間に成り果ててしまったものだと、自らを嘲笑い泣いた。

自分は救う側の者で、誰にでも平等に愛を捧げて全てを受け入れるべきであり、縋ることも追うことも無い存在だという認識が…今、崩れ落ちる。

崩落する矜持、持ってしまった望み。
天秤は今、輝ける使命から深き業へと傾き、神聖なる魂は失墜する。

芽生えた淡い憧れは血に塗れ、灯った感情はすぐ側まで来ている死の冷たさに掻き消されようとしていた。

「ああ、分かった」

けれど。

「     」

彼は、泣きじゃくる私に唇を重ねて、何かを言った。
唇の動きだけで伝わった言葉に涙は止まり、後悔が消え失せていく。

そして、自分の身が今度こそ解けるように崩壊していくのを感じ取った。
いや、実際はもう先程からずっと崩壊し続けていたのだろう。けれど未練や後悔で在り続けていたのだ。

抱き締めるための腕も、見つめるための視界も無くなったけれど、それでも唇に触れる温度だけで甚爾さんの感情と優しさが伝わってきていた。
それだけで良いと、思えた。
これだけで十分だと、消え去りながら思えた。

望んだ救済とは程遠い最後だけれど、それでも彼の真の言葉が得られたのだから、私はそれで満足だ。
満足して、笑ってさよならが言えたのだった。




ここから旅立つ時、私は初めて産声を挙げるでしょう。

異世界という名の現実は夢のようであり、揺り籠のようであり、私という魂を育むための胎の中だった。

いつか輝き世界を照らすために育まれた魂は失墜し、今私は根源の海へと還る。

おやすみなさい、さようなら。
きっと、きっと、次は幸多き人生にしましょうね。きっとよ。

待っていて、いつかのあなた。

mae ato
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