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底がしっかりとした編み上げの黒いブーツに、膝が覆われる長さの靴下。
夜蛾先生に切り揃えてもらった髪は肩甲骨の辺りでふわふわと揺れ、緊急時用の呪力パックも装備完了。
そして、やはり私といったらこれだろう。
「黒のワンピース!う〜〜ん…これ幾らぐらいしたのかなぁ…」
頭からすぽっと被って着てみたワンピースは、驚く程に生地が滑らかで縫い目が規則正しく、細部に至るまで手の抜きどころのない美しい作りをしていた。
悟くんに頼んで用意して貰ったワンピースは、今まで着てきた中で一番値段が高そうな物で、こんな上等な物じゃなくて良かったのにと苦笑いしてしまいそうになる。
けれど、まあ…これから戦に出て花形(私の中では)を飾り、そして死する運命が待っているようなものなのだ。選別の意を込めた死に装束としては申し分ない物だろう。
クルリとその場でターンしてみる。
膝丈のスカートは中に一枚裾にレースがあしらわれたペチコートが入っており、スカートの揺れに合わせてチラリと見える白く清楚な可憐さが愛らしい。
正しく一張羅。
一張羅を来て、あの人に会いに行く。
これから死にに行くようなもんなのに、気分としては好きな人とデートに行くようなものだった。
ワクワクしている。
ドキドキしている。
上手く笑って、気持ちを伝えられたら良いなと思う。
「真知、準備出来たか?」
「あ、お姉様…!出来ました、見てください、超かわいいです!」
着替えも準備も終わった頃、部屋の外で待っていてくれた姉…真希お姉様が声を掛けて下さった。
私の声に反応し、扉を開いて中の様子を見てきたお姉様は、万全な私の様子を見て格好良くニィッと笑って見せた。
「良いじゃねぇか、よく似合ってる」
「へへへ……ホホ…」
「でもあれだな、悟が選んだって分かるのだけは頂けねぇな」
「ホヘヘ……」
お姉様に褒められちゃった…似合ってるって……最高に可愛い自慢の妹だって言われちゃった…!(※言われていない)(※彼女は有り余る頭脳で言葉の外の意味に気付きを覚えています)
「髪は下ろしたまんまでいいのか?」
「え、あ〜…」
「まだ時間あるし、私がやってやろうか」
「え、好き。幾らですか?」
「なあ、お前は私をホストか何かと勘違いしてねぇか?」
いや、そんなことは…ない……とは言い切れないかもしれない。
金を払って良いなら払いたいし、口座を教えて貰えたら毎月定額振り込みたい。お姉様、好き。私の金で幸せになって欲しい。今お金持ってないけど…何なら人として生きてた時も悟くんに定期的に借金してたけど…。
櫛を手にした真希お姉様が、私の髪を数回緩く梳いてから纏めだす。
どうやらお揃いのポニテにしてくれるらしく、予備であろう茶ゴムで綺麗に髪を纏めて結い上げてくれた。
最後に前髪とサイドの毛を整え、オマケとして頭をポンポンっと撫でて貰って至福の時は終わる。
即ち、出陣の時。
「真知」
部屋から出て廊下を歩き、補助監さんが待つ場所を目指す。
道すがら私の名を呼んだ姉は、ニッと格好良い笑みを浮かべて拳を突き出してきた。
「気張っていけよ」
「はい、精一杯頑張ってきます!」
ゴチンッ
拳をぶつけ合って、健闘を祈り合う。
そうしてお姉様に見送られ、私は補助監さんが用意してくれた車に乗り込み現場へと向かった。
窓の外を流れる景色はいつもの日常そのままで、この光景も見納めになるかもしれないと思うと途端に惜しく思えてしまう。
脳裏に過るは今までの日々、そして出会った人々のこと。
最後まで私を受け入れることの無かった父、異端と知りながらも未だ娘として見てくれた母。
いつも目を掛け助けてくれる悟くん、道を違えたがまだやり直せるだろう夏油さん。
私を仕方のない妹のように心配してくれる恵くん、恨みも無く再会に喜んでくれた姉達。
家族の温もりを教えてくれた時雨さん、家族になれたかもしれないと思わせてくれた壊相さん。
本質を突き付けてくれた真人さん、私をあの海で救ってくれた陀根ちゃん。
選んでいれば、きっと間違うことも憂うこともなく幸せにしてくれたであろう、正面から私に好意を伝えてくれた羂索という名の人。
そして、そんな人々を選ばずに私が最期に選んだ甚爾さん。
もし、この戦いの後に私が少しでも生きていられる道があるとしたら、今まで出会った全ての人とまた笑い合いたい。
相手を思い、尽くし、その思い出の中で生き続けたい。
そうだ、私は死にたくなんて無かった。
ずっとずっと、生きたかった。
死ぬのは怖くない。
けれど、死にたいわけでは無い。
あの地獄とも呼べる家の中、直哉くんから見向きもされなくなれば、私はあっという間に死んでいただろう。
狭い水槽の水の中、水に馴染めず群れに馴染めず、生存競争に負け続けた私は藻屑となって沈む命のはずだった。
足掻いたのはそう、きっと生きたかったから。
生きて、どこか遠くへ、ここではない遠くへ行きたいと願ったから。
今、私は随分遠くまでやって来た。
長い長い旅の終わりが見えて来た。
死ぬのならば、家族の側で。
もしも生きれるならば、同じく家族と共に。
貴方がいい、と…今度こそ伝えるために、私は死に場所へと向かっている。
シートに身体を預け、目を瞑る。
瞼の裏に浮かぶ美しい思い出達を何度も反復し、ただひたすらにその時を待ち続けた。
___
嘘のように静まり返った接敵予測区域にて、私は予定通りにその人影を見付けた。
やたらに懐かしく思う大きな背格好をしたその人は、私を視界に入れた瞬間ピタリとその場に立ち止まり、瞬きもせず唖然と口を開き立ち尽くしていた。
ここまで道案内をしてくれた一羽の雀の躯を指先に携え、コツコツと、皮のブーツの底がアスファルトを叩いて前に進む。
高専から色々と武器を没収されてしまった彼は、一本の槍を片手にその場に言葉無く留まっていた。
コツリ、コツリ。
一歩、また一歩と私から近付いて行く。
そうして目の前まで行ってやれば、彼はようやく信じられないといった声を発したのだった。
「嘘だ、あり得ねぇだろ」
「私も同じ気持ちだよ、甚爾さん」
名を呼ぶ。
途端に狼狽えたかのように苦痛を感じる表情を浮かべた彼は、手にしていた武器をグッと握り直してみせた。
あり得ない…その通りだろう。
私は死んだ、今の彼にとってはそれが事実で、全てだ。
けれど私は…私の魂は、不変腐敗、常住不変、輪廻すら飛び越える独立した単独エネルギー体。
いずれ浄土に至り、遍く全てを照らす光の一筋となるであろうこの魂は、今はまだ果てることの無いこの世の物である。
だからこそ、私はここにいる。
貴方のために還ってきた魂と、朽ちる寸前の身体を持ってここまで辿り着いた。
嘘みたいだけど本当の再会。
それは、私の死を確定する戦いの始まりを意味していた。
「いくら冗談でもやっていいことと悪ぃことくらいあんだろ…それとも、そんなに真知を守れなかった俺が憎いか、五条悟…!!」
「まずは本気で、分からせる!!」
インテリジェント・デザイン!!
彷徨える魂よ、我が魂に続き、導きの光となれ!!
雀の躯が空に向かって羽ばたいた。
風を切り音を割き振るわれた槍の切っ先を、呪力を纏わせた硬度七の骨が瞬時に受け止める。
すぐに砕き貫かれた骨と骨の間、白い骸の間を縫って赤い鮮血が稲妻のように走り往く。
蝕爛腐術。
本来であれば、当然私には備わらない術式。
けれど私の中に今尚流れ続け、共にあることを誓い願った人が託してくれた奇跡の血。魂の誓いとなって根付く祈り。
壊相さんほどの威力は無いものの、攻撃手段の一手になりうる鮮血の一線は、勢い良く真っ直ぐに甚爾さんの左肩を目指し烈火の如く空を走る。
触れれば重症間違い無しの一手は、予想していたことはあるが、身体を捻って交わされる。
だが、その一瞬の挙動で距離を取った私は、大型の肉食獣達の骨を幾体も瞬間的に組み上げ、骸の群れを彼に向けて放った。
「パンテラ・レオ!!」
「なんだこれは、悪い夢でしかねぇな…!」
一頭は頭を狙い、一頭は腹を狙う。
狩りをするかの如く群れは辺りを囲んで唸り、走り、その命を滾らせ伏黒甚爾に挑み続けた。
牙を剥き、爪を振り下ろし、吠え立てる無数の咆哮達は、私のために魂を燃やして輝かせる。
瞬きの間に砕けていく白亜の百獣の王達は、それでも最後の瞬間まで身を粉にして奮闘を続けた。
彼らの奮闘あって、こちらもやっと準備が整う。
インテリジェント・デザインが誇る、新兵器「アダムの肋骨」
原初の人類たる生命体を模したその骨は、現人類全ての父として揺るぎのない唯一無二の強さを誇る。
その骨から創り出したるは、刀身を乳白色に輝かせる日本刀。
父から学び、いつかは自分も手にして戦うと思っていた日本刀。
やっと握れたこの一振りと共に、幼い私に叩き込まれた父の剣術を振りかざす時が来た。
全ての肉食獣を蹴散らした甚爾さんが、槍を構えて突っ込んで来る。
互いに獲物を振るえる距離で、しかし彼は槍を地面に付きたてると、それを軸に私へ向かい強力な回し蹴りを行ってきた。
上体を反らし、躱す。追撃の後ろ蹴りをすぐさまバックステップで避け、瞬時に構え直され振り下ろされた槍を刀身で受け止めた。
「んっ…ぐっ…!!」
「なあ、分かるか、俺の今の気持ちが」
力が…強い…!!
九相図兄弟と悟くんの血、それから決戦に備えて注がれた数多の血液によって肉体の強化を重ねたとはいえ、天より授かった強靭無比な肉体を前には、私の突貫工事な身体などまるで太刀打ち出来なかった。
いやだが、知っていたことだ、これは。
真正面からまともにやり合っても勝機は巡って来ない。
ならば、今はとにかく防いで防いで、防ぎ続けて機を待つ他無い…!
そうして、その時が来たら…この身体と引き換えに、術式の完全解放を持ってして、日本の歴史にその名を刻んだ骨の呪いを…!
だが、哀れたるや…両手に力を入れ直し、何とか攻撃を塞ぎ続ける私へ、光の消え失せた瞳をした甚爾さんはポツリと言う。
「俺の知っている真知は、こんなに戦いが出来る奴じゃ無かった」
一瞬、甚爾さんが振り下ろした槍の力が弱まる。
その次の瞬間、彼は私の視認出来ない速度を持ってして、槍を横に凪ぎ私の身体をいともたやすくふっ飛ばした。
「ぅア"ッッ!!!」
ゴドンッ!! ゴドンッ!! ゴドンッ!!
ガラガラガラッ!!
グシャッ!!
気付けば私の身体は幾つも建物を貫通し、今までの景色とは似て非なるコンクリートに打ち付けられていた。
全身に走った痛みは骨に響き、ヒビと割れが入っていく。
一度のダメージでこれだけならば、次は確実に内臓に影響が及ぶだろう。
自分の頭の冷静な部分がそう解釈をしたのも束の間、起き上がった瞬間にゴポリッと私は大量の血を吐き出す。
一度のダメージ。
たった一度、されど今の私の肉体では耐えきれなかったダメージだった。
元々ズタボロの状態で、無理矢理延命と強化を図った身体だったからだ。だからたった一度でも、ガタはすぐに来た。
どうする、どうする。
動かなきゃ、動かないと。
駄目だ、肺が上手く動かない。息が途切れて、苦しい。
動け、起き上がれ、まだやらなければならないことがあるでしょう、禪院真知…!
コツリ…コツリ……。
しかし、無慈悲にも足音は確かに近づいてくる。
ゆっくりと、確実に。瀕死の私の元に足音が一歩、また一歩とやって来る。
首を動かしてそちらを見れば、鬱然とした表情を浮かべ、瞳を嘆きと痛みで揺らす甚爾さんの姿が見えた。
思わず手を伸ばそうとして、その手に力の一切が入らないことを理解し、絶望の端を感じ取る。
「俺の可愛がってたガキは、とっくにどっかにいっちまったらしいな」
「あ、」
鈍く光る槍の先が私に目掛けて振り下ろされる。
その光景を見つめながら、私は自分の力と才能の無さをただただ呪った。