5-3


寝て起きたら高専の医務室に居た…と思ったら、どうやら車の中で寝落ちてから丸々二日眠ってしまっていたらしい。

「めっちゃ、ねたなぁ…」
「なんか真知ちゃん、さらに小さくなってない?」
「うそ〜ん……ほんまや…」

寝て起きて、気怠い身体を引きずって悟くんのことを呪力を頼りに探し、見つけ出した休息室にて彼から言われた一言に、私は己の手の平を見て言葉を失った。

そこにあったのは二日前よりも頼りなくなった子供の手の平で、窓ガラスを振り返れば五、六歳程の自分の姿が写っていたのだった。

「身体を構築するための呪力が圧倒的に足りてないね。僕の…いや、うん。ちょっと用意させるから、ここで待ってて」
「ま、まって、」

私の言葉に彼は一度立ち止まって、安心させるように笑ってみせる。

「すぐ戻るから、ちょっとだけ待っててね真知ちゃん」

そう言って、わざわざ無下限を解いて私の頭に触れて、その場を後にしてしまった。


大変な時に迷惑を掛けてしまっている。
素直にそう感じ、その場にしゃがみこんだ。

目眩がしている気がした。

気分が悪いような気がした。

でもきっとそれらは気の持ちようで、単に私は、普通に愛され大切にされるという行為に罪悪感を感じてしまうくらい、人としての側面を擦り減ってしまったのだろう。

「あと……どのくらい、もつかな…」

悟くんにはきっと全てお見通しだ。
彼は私がこれ以上すり減らないように、様々な手を尽くしてくれることだろう。

でも、それは私の望むところでは無かった。

私は、どうにかして長く生きることよりも、果たさなければならない使命のためにこの歪な身体を燃やし尽くしたかった。

このまま生きていれば、いずれ私は呪いに蝕まれて"愛する"心を失ってしまうだろう。
その前に、どうにかやり遂げなければ。


この身ががらんどうの骨だけになる前に、どうか時よ、来てくれ。


………


「真知」

休息室のソファで身体を横にしていれば、誰かが近付いて来る気配がして、次いで名前を呼ばれた。
やたらに重い瞼を開き声のした方を見遣る、そこには大事な大事な家族であり、私が買い取り共に育った彼が居たのだった。

「めぐみくん、ひさしぶり」
「…真知、本物なんだな」
「ほんものだよ、しょうこがひつようなら、めぐみくんがないたジブリさくひんのタイトルをいったり…」
「それはやめろ」

眉間にシワを寄せる彼が可笑しくて身体を起こす。
そうすれば少しばかり彼の雰囲気が和らいだので、私はソファに座り直して隣を叩いた。

望まれるままに隣へ来てくれた恵くんを見上げる。
随分と遠くに感じる顔がどうにも懐かしく思えたのは、あの人と出会った時の面影を感じ取れるからだろうか。
振り返ると、随分色々な出会いを経てここまで来たなと感じた。

どうやら恵くんは学校帰りに高専に立ち寄っていたらしく、そこで悟くんに言われて私の様子を見に来てくれたらしい。
二日前の時点で私の話は聞いていたと説明をしてくれた恵くんは、膝に両肘を付いて組んだ手に頭を乗せて、重い溜息を吐き出していた。

「悪い、アイツのこと」
「いや、めぐみくんはなにもわるくないよ」
「でも、お前が苦しい時に側に居て欲しかったのは、ずっとアイツだったから」

君のせいではないと言っても、真面目で優しい君は自分と自分の父を責めるだろう。
だから私は肩を叩いて「めぐみくんがいてくれて、ほんとうにうれしいよ」と、感謝を伝えた。

それでも彼は自分を責立てる。
下唇をグッと噛み締めて、あの日のことを悔やむ姿は痛々しくて、どうしようもなく幼い子供だった。

「俺が側を離れたから」
「……ちがうよ」
「俺が親父も連れて行ってれば」
「ちがうよ、きみのせいじゃない」

間が悪かっただけだ、全て。

そう諭しても、賢い君は後悔と懺悔を繰り返す。

こんなにも優しい、まだほんの十四かそこらの子供にすべき仕打ちではないだろう、ねえ甚爾さん。

貴方は何度我が子を見捨てれば気が済むのかと、私の心には小さな怒りが灯る。
けれど、この怒りが正当なものではないともすぐに気付く。
全ては自己の弱さと間の悪さが招いた結果で、私以外の誰も悪くはないのだと、私は既に学び知っていた。

「めぐみくん、てをかして」

それでも、どれ程に愚かでも、私は目の前で傷付き耐える子供を見捨てて嘆く真似はしたくなかった。

泣くのも嘆くのも、あとで幾らでも出来る。
死んでから、あの世でたっぷり後悔すれば良いだけのこと。
ならば今、風前の灯火となった自分の残りの時間を、私は全て正しく使い切りたい。

禪院真知とは愛することに貪欲で、どれほどの異物であろうと愛せた人間なのだと、証明してやりたい。

私は私に出来ることを、最後までやり遂げたい。


自分よりもうんとしっかりした、強くて逞しい手を取る。
ずっと大きな手だけれど、戸惑う指先はただの子供のもので、私はそれを嬉しく感じた。

そうだ。
確かに私達は共に成長したけれど、それは肉体面での話。
私はずっと前から、この子に出会うよりも前から大人だった。その事実を嫌に感じたことなど無かったけれど、でもやっぱりどうにも切ない時はあり、自分の精神的年齢を壁に感じる時が多々あった。

でも、今は自分が随分と大人であった事実を喜ばしく感じる。
こうして子供の手を取り微笑めるだけの余裕があることに、自分自身に感謝出来る。

「あいしてるよ」

大きな手を小さな両手でギュッと握り、ただひたすらに思いを伝える。


愛してる、君のことを。

ずっと側に居たから、君がどれ程に優しくて素晴らしい子なのか分かるわ。

君に出会えて良かった。君を見捨てなくて良かった。

きっと私のこの命は、瞬きの間に消えるものだけれど、でも。


「きみの後悔にはなりたくない、後悔よりも愛でありたい」


両手に籠もる熱は愛の証だろう。

揺れる瞳で私を見つめる少年に、私は微笑んで顔を寄せる。
慈しむように唇を目尻へと滑らせ、愛情を彼だけに集中させる。
鼻と鼻とを擦り合わせ、深い緑の瞳を覗き込めば、そこにはもう陰りは無かった。

いつか別れが来るとして、それが今日ではないことに私は感謝した。
願わくば、まだもう少しだけ時間があると良い。

どうにか、陽の光だけをここに残していきたい。



___



真知は俺にとって、光の象徴だった。

気付いた時には隣に居た少女は、年月を増すにつれて女神か妖精かのように麗しく、美しく、そして崇高に育っていった。

年頃の娘が欲しがるものには興味もくれず、他者の在り方をあるがままに受け入れ尊重し、どこまでも丁寧に愛し尽くす少女を、身勝手な人間は誰も彼も追い掛け求めた。

崇高美とも言える美しさに目の眩んだ輩は多く、共に通った小学校では教師のオッサンまで彼女を求めて、家庭訪問でもないのに家まで来たこともあった。
中学に上がれば美しさはますます増し、思春期で多感なガキ達は、体調不良で休みがちな真知が久しぶりに学校に来ると取り囲んで我先にと話し出す。

その犯しがたい雰囲気と、絵に描いたような理想の美少女像、さらには分け隔てなく万人に降り注がれる優しさは、時としてコミュニティを破壊する毒にもなっていた。


「…お前は、宗教でも開くつもりかよ」
「ご、ごめんて…」

中学時代の話。

彼女の美しさと優しさに目の眩んだ馬鹿が、度々彼女を求めて暴走する時があった。
その度に俺は助けに行き、馬鹿を制裁した。
だが、彼女はそんな馬鹿にも情けを掛けて話を聞こうとする。今やっと殴り付けて大人しくなった相手は、彼女の慈悲を前に縋ろうとするのだから、俺はソイツの顔を蹴って真知の手を引きその場から引き剥がすしかなかった。

「相手は選べっつっただろ、じゃねぇと…」
「じゃないと…?」

立ち止まった俺の横に立ち、こちらを曇りのない瞳で見上げる真知を睨み付ける。

「そろそろ親父が介入してくるぞ」
「それは……ちょっと、不味いかな…」
「アイツに今日のことが知られたら、多分暫くお前外に出れねぇよ」
「う〜〜ん、過保護」

俺の睨みなど意にも返さず、微笑みながら困った表情を浮かべる真知は、気付いた時には親父のものだった。

そう、俺が会うよりも前から。
俺が真知を家族と認識し、大事にするよりも前から。
親父は真知を自分の物とし、誰にも譲る気はないと態度で示していた。
それは勿論息子である俺にもであり、義理の娘である津美紀にもであり、五条さんや夏油さん、他の色々な人間に示していたのだ。

真知は自分の物で、自分が定めた一定以上の距離から踏み出した者は誰であれ許すまいと。

真知はそのあまりにも重く歪んだ執着を「過保護」「ちょっと甘やかし過ぎた」と言って何くれ無く接しているが、それこそが彼女の異常の最たる例であろうと俺は思う。
普通、一回りも二回りも歳の離れた子供に依存する男を、慣れているからとはいえ同じベッドに招き入れるだろうか。
俺は、普通ならあり得ないと感じる。

でも真知は受け入れてしまう。際限無く。
その愛に救われた者は確かに沢山居るだろう。俺だってその恩恵に預かった一人であり、事実として真知のことは慕っている。

けれどやはり彼女の在り方は人間としては歪で、その光は人の身には過ぎたるものなのだと感じてしまう。

彼女の光は毒だ。
人間の心を溶かしてしまう、甘い毒。
砂糖が蜜に溶けるように、気付いたら溶けてそれ無しじゃ生きられなくなる、とびきり上等なモノ。


「ねぇ、今日のことは言わないでおいてほしいな」


掴んでいたはずの真知の手は、いつの間にか繋がれた状態になっていた。

俺を見上げて微笑む顔は、似た血が通っているとは思えない程に愛らしい作りをしている。
けれど、その瞳の色だけは俺や彼女の姉達によく似ていて、血の繋がりを感じて嫌になった。

「…言わねぇよ、言っても面倒臭くなるだけだ」
「うん、ありがとう」

コイツと、この人間のフリをした崇高な何かと、血なんて繋がってなければ良かった。
そうしたら俺も狂えていたかもしれない、甘い毒に。


…そんな記憶を、俺の手を握りながら力尽きたように再び眠りに落ちた真知を見下ろしながら思い出し、膝の上に広がる柔らかな髪に触れながら自身の愚かさに溜息を付きたくなった。

「……親父の方が好きな癖に」

残酷な奴だ。
酷い人間だ。いや、人間じゃないのか、もう。ならば仕方が無いのかもしれない。この美しさも優しさも、人間じゃないのならば持て余しても仕方が無い。

「だからって俺に注ぐな……」

起きたら「迷惑だから人にやるのは絶対やめろ」と言ってやらなければ。

そうやって最後の防波堤になるくらいしか、俺には出来ないのだから。

mae ato
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