ビターラブラブ大作戦


そういえばそろそろバレンタインだな、と思ったのは他でもない、悟くんが自ら進言してきたからだった。

どういう理由かは知らないが、私のことをすこぶる気に入っているらしい彼は、バレンタインに私からチョコをどうしても貰いたいらしい。

そんなわけで、生まれて初めてのバレンタインチョコ作り。
買って貰った子供用のエプロンを身に着けた私は、図書館で借りて印刷したレシピを前に材料チェックに勤しんでいた。
作る物はガトーショコラ、これなら混ぜて焼くだけらしいので、私でもわりかし簡単に出来そうだった。

材料…ホットケーキミックス五十グラム、板チョコ、バターに牛乳…卵三個と砂糖。

ふむ…手元には全て揃っている。
あとは手順通りにやれば、恐らくは大丈夫だろう。

「どうだ?一人で出来そうか?」
「しうさん!」

改めてレシピに目を通していると、頭上に影が出来た。上を見ればこちらを覗き込む大好きヒューマンこと時雨さんが居たので、私は乗っていた台からぴょんっ!と飛び降り、その勢いのままに抱き着いてみせた。
はぐ、はぐ。ちょっぴり煙草の匂いがする、そんな所も好きだ…一生私のことを可愛がってくれ…。

「ハハッ、甘えたか?」
「…あのね、ちょっとなやみがあるの」
「珍しい。俺で良ければ相談に乗るが?」
「ほんと?あのね、じつは……」

そうして、私はバレンタインを意識してからずっと悩んでいたことを声にした。

この悩みは、バレンタインには似つかわしくない程に苦くて苦しい物だった。
本当、なんでこんなこと思い付いちゃったのかなぁ…。



………




当たり前だが私も人間なので、父が居る。
父は、私にとって一応は尊敬の対象であった。
ちなみに、父を含め実家にはまともな人間はまず居ない。それを前提として、父の話を聞いて欲しい。

父は、劣等感と神経質と潔癖で出来た男だった。
人が本来持つべき愛情の類は欠片も見えず、当主になれなかった引け目と弱者を許せぬプライドと、そして私達娘への嫌悪と失望が綯い交ぜになった大変な人物だった。

今にして思えば、あの人が肩の力を抜いて休んでいる姿を見たことなど無かったと記憶する。
毎日毎日、背筋を伸ばして腹に力を淹れ、眉間を歪めながら生きている人なのだ。
私はそんな父の元で、父を見ながらずっと生きてきた。

嫌だと思った。
父がではなく、自分が。
だって私じゃ父の役には立てそうに無かったから。
どれだけこちらが理解を示そうと、何度期待に答えようと、私は女で娘で末妹だ。
せめて男であれば、あの人がずっと抱え続けている重荷の一部を背負えたかもしれないのに、私には結局何も出来なかった。

皆、父のことを好きではないのだと思う。姉も母も例外無く。そりゃそうだ、だって良いとこなんて本当に無い人だし。
けれど、それでも私は父のことを大切に想っているのだ。
どうしてかと言われると悩むけれど…多分、自分が「ああは成れない」と思うからだろう。

私ならば途中で諦めて投げ出す。
当主なんて面倒臭いだろうし、嫌われるのだって辛くて嫌だ。
ずっと背筋を伸ばし続けるのなんて疲れちゃうし、気を抜けない生活なんて絶対したくない。
誰かの面倒を見るのは好きじゃない。側に居る人間を愛さないなんて出来ない。
当主になれるくらい強くなりたいなんて、思わない。
当主になりたいだなんて、思い続けられない。
冗談の一つも言わず、あんな風に居るだけで周りに緊張感を与える真似など出来ない。

私には出来ない。成れない。
だからこそ、違いを私は愛している。

けれどそれはどうやら私だけで、父は私を愛してなどいないようだった。
一族の中に紛れ込んだ異端者として群れを追われるまでには、父は私のことを端から思ってなどいなかった。
今になって考えると、得体の知れない存在から懐かれていた日々はさぞ居心地が悪かったことだろう。
それでも父は私に沢山の学びを与え、術師が生きる術を身に付けさせてくれた。
だから私は未だにあの人のことを大切に想ってしまうし、それはこれから先も変わらないのではないかと思っている。


で、その…だから……。

「お、おとうさんにも…あげたい……」
「……正気か?」
「わかってる、めいわくだって…」
「いや、多分それ以前の問題だぞ」

私の話を聞いた時雨さんは、苦い顔をしながら眉間を揉んだ。

わ、分かってますぅー!!
湿度と闇の深い親子仲の話聞かされた挙げ句に、「パパは私のこと嫌いなんだけど、私はパパのこと好きだからバレンタインチョコ贈りたい」とか…気が狂っているとしか思えないだろう。
分かってる、私もそう思う。けれど、同時に思うのだ……逆にラブコールを送り続けた方が、面白いんじゃないかと…。

だってほら、まさか父も追い出した娘からバレンタインにチョコが贈られてくるなんて考えもしないでしょ。
何なら、初チョコかもしれない。追い出した娘が初チョコの相手…めちゃめちゃ面白いと思いません?

これでさらに居心地悪くなってくれたら良いなって思うくらいには、私はしっかりイカれていて歪んでいる。
あの人の心に寄り添う何かには成れなくても、心の端にある引っ掻き傷くらいにはなってやりたい。

つまるところ、負けたくないのだ。
後悔させたいし、意識して欲しい。
貴方の育てた娘は、貴方のお陰で良い性格をした愛情深い人間になってますよと。離れたって無駄だと、何処に居てもお前のこと忘れてやらねーからなって、意識させてやりたいのだ。

「だからね、とどけられないかな…」
「まあ、手段が無い訳じゃないが…」
「ほんと!?」
「ああ、けど…無駄になるかもしれないぞ?」

時雨さんの言葉に、私はそれで良いと答えた。
そりゃ当たり前だろう。追い出した娘から送られてきたケーキなんて、何が混ざっているか分からないのだから、あの人が食べる訳が無い。
でも良いのだ、あの人の元に届く…それだけで私には意味があるのだから。



……そんなわけで、三日後のバレンタイン。

無事に各所へチョコを配り終えた私は、やり遂げた達成感と程よい疲れを感じながら、甚爾さんの膝の上でウニャウニャと寛いでいたのだった。

最初に欲しいと言ってくれた悟くんは勿論喜んでくれた。
傑さんや、いつもお世話になっている高専の人々にも渡したが、皆笑顔で受け取ってくれた。
時雨さんにも、改めて日頃の感謝を伝えながら渡した。

そして、他にも色んな人に渡して…最後に甚爾さんにガトーショコラを渡した。
透明な包み紙に入った二つのガトーショコラを、甚爾さんは受け取ってすぐに開いた。
ラッピングに使った黒いサテンのリボンを側に置き、ガトーショコラを一つ手に取りその場で食べ出す。
まさか目の前で食べ出すとは思っていなかったので、ちょっとだけビックリした。

「…甘ぇ」
「そういうものなので」

彼は三口程度で食べ切ると、口の端に付いた食べカスを舐め取ってからリボンを指先で摘んで持ち上げる。
それから私の方をジッ…と見て、何を考えたのか首元にリボンを充てがった。

「この長さじゃ首輪には足りねぇな」
「え、なに…?こわい、ぶっそう…そういうシュミのかた…?」
「いや…他の奴に取られ無ぇようにしねぇとなって」
「ど、どくせんよく…!?」

まさかまさかの独占欲、何故今になって独占欲。どうしちゃったの伏黒甚爾。
あれか、私が各所にバレンタインチョコを配り歩いたから、それによる必要の無い危機感に目覚めたのか。

何ということだ……バレンタインイベントのせいで甚爾さんのロリコンレベルを見事にレベルアップさせてしまった…。これは罪深き所業。罰は私も共に受けるしかない。
本来ならばこの人は人にも物にも執着せず、数多の女性を取っ換えひっかえしているタイプのクズヒモである。
それがまさかまさかの事態。バレンタイン・ロリロリチャンス突入の危機。私、ガトーショコラに変な物混ぜましたっけ…?あ、愛は込めましたよ。めろめろきゅんって。

突然向けられたデカめの感情にやや焦ったものの、いや…でも、よく考えたらこの独占欲は良いことなのでは?と、私は思い直す。
幼女といえど、一人の人間を大事にしようとする気持ちが芽生え、それを育んだ結果ならば…成長と言えるのでは?

そもそも基本的に動物は利己的で、食物・住処 (縄張り)・異性を独占しようとするものだ。
生物は多かれ少なかれ、自分の遺伝子を残すために、子孫を多く増やすため生き残ろうとする。
即ち、甚爾さんの行動は動物として正しい反応で……いや待て、だとすると私は彼の縄張りで保護されるべき対象になってしまう。
いかん、やはりこのままでは…甚爾さんがロリロリ法違反で法に罰せられる…!!

あってはならない可能性に気付いた瞬間、私は甚爾さんの膝の上から素早く飛び退き距離を取った。
私のためにも彼のためにも、距離を…距離を取らねば…!でなければ、悲しい結末になってしまう…!

「何してんだよ、いきなり」
「わたしたち、しばらくきょりをとろう…」
「分かった、寝るからこっち来い」

何も分かってない!!!
こちらの葛藤を余所に、甚爾さんは腕を伸ばして私を簡単に引っ捕らえると上手い具合に抱き締め寝転がった。

距離を取るどころか距離が無くなった。
まあ、この人は悪いことなんて沢山沢山してきただろうから、今更罪の一つや二つ増えても…って話か。

伝わる体温に身体がぽかぽかしてくる。子供の身体ってものは不思議で、こうして抱き締められて体温を分けられるとすぐに眠たくなってしまう。
色々あった一日だったから、疲れも相俟って余計に身体から力が抜けていく。
ふにゃふにゃになっていく思考を何とか掻き集め、私は良いポジションを探すために身体を少し動かしながら「あんしんして」と呟いた。

「いっしょにおひるねするのは、とうじさんだけだよ」
「他には?」
「そうだなぁ」

どんどんと、思考がふやけていく。
微睡みに手招きされながらも、私は何とか口を動かす。

「とうじさんにあげたケーキ、いちばんキレイなやつ…えらんだよ…」
「他は?」
「リボンもねぇ…なんかいも、やりなおした……」
「五条の坊が聞いたら嫉妬して泣くな」

甚爾さんが声を潜めて笑ったのが分かった。
私は安心出来る呼吸を側で感じながら、穏やかな睡魔に身を委ねたのだった。



____




「真知ちゃんから贈り物届いたんやて?」

扇が廊下を進む途中、前方からやって来た直哉と視線がかちあった。
そのまま気にせず横を通り過ぎるつもりであった扇だが、しかし、直哉の言葉に気付けば足はその場に留まっていた。

表情は変えぬままに、言われた"贈り物"について思い出す。
つい数時間前に扇の元へ届けられた"ソレ"を、扇は手を付けることも処分することもせずにそのままにしてあった。
まさか追い出した娘から贈り物なんぞが送られてくる日が来るなんぞ思いもよらなかった扇は、背筋に蔓延る得体の知れぬ危機感と、言い表せぬ居心地の悪さ、気不味さや煙たい感情が腹の内を燻り続け、終いにはこめかみが痛くなり始めていた。

異端なる娘。
己の血を引きながら、あまりにも己と存在の定義からして掛け離れた子供。
未知の生き物を前にしたかのような思いは、時を重ねても身に馴染むことなく、ただひたすらに娘の異質さを感じ取らせる日々が続くばかり。

目の前から、日常から消えた小さな存在に少しだけ肩の荷が降りた気がしたが、どうやら世界は扇にそんな思いを許しはしないらしい。

贈り物と同封されて入れられていた手紙には、短く『離れていても、想っています』と書かれていた。
扇はその文章を読んだ瞬間、首筋にひたりと小さな手が添えられた感覚が過ぎり、思わず振り返った。
勿論、そこには何も無い。
どれだけ時間が経とうと、いくら季節が変わろうと、真知と名付けた娘が自分の存在を忘れることは無く、この家を視界から外す日も無いのであろう事実だけが正しく伝わった。

伝わった想いは、鈍く重く、扇にこびり付く。
浮かべた表情は苦々しく、しかして伝わる愛の重さはこれまでの人生に無いものだった。

mae ato
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