3-8

朝、真知が目を覚ますと何となく寒気がした。
意識もいつもよりハッキリとせず、喉が異様にパサパサと渇く。
唇は嫌にカサついており、身体がダルく重く、汗ばんでいた。

「カゼ…ひいたかも」

ベッドに別れを告げ、重たい足を何とか動かしリビングまで行けば、そこには朝食最中の時雨の姿があった。
トーストを齧る彼はいつものように真知に「おはよう」と声を掛けるも、その顔が嫌に土気色をしていることに気付き、食べていたトーストを皿に戻してから席を立って真知へ近付き、側へとしゃがんだ。

時雨の手のひらがぺとりと真知の頬に当たる。
しっとりとした頬はいつもよりずっと熱を持っており、時雨を見つめる瞳はボンヤリとしていた。

「こりゃ…熱があるな」
「…カゼかも」
「熱計ろう、体温計持ってくるから座って待っててくれ」

真知は離れていく時雨の手を、何故だかいつもより寂しく感じた。
言うことを利かない身体とシャッキリしない意識を苦しく思いながら、手渡された体温計で体温を測る。
脇の間に挟み数十秒…記された体温は、38.2℃だった。

「今日は一日安静に、分かったな?」
「ごめんなさい…」
「いや、俺も無理させ過ぎた。すまなかった」
「しうおっぱ、わるくない…わたしが、ちょうしのった…」

真知に伸びてきた両手が脇の下を捉え、グッと身体を抱き上げる。
今しがた出てきたベッドへともう一度寝かされ、布団の上からポンポンと二度程柔く叩かれた。


こうして、真知の風邪っぴきな半日は幕を上げる。
本人はスヤスヤと寝ているだけであるが、大人達は大変も大変な状態になるのだった。




………




真知ちゃんが風邪を引いて大変だという知らせを受けた私…真知ちゃんの養父候補筆頭こと夏油傑は、すぐさま看病グッズを買い込むと、真知ちゃんが住まう男の家へと突撃した。

間隔をおいて2回インターホンを鳴らせば、暫くした後にガチャリと鍵が開いて扉が開かれる。
すると、そこには顔色を悪くさせた真知ちゃんがボンヤリとした様子で居たのだった。

「すぐうしゃん…」
「真知ちゃん、辛そうだね…抱っこしてあげるからベッドに戻ろうか」
「うん…あっち」

普段ならば拒絶される抱っこも簡単に出来てしまう。これはかなりの重症だ…。
指で示されるがままに部屋を歩み、寝室であろう部屋の扉を開けて中へと入る。
中は嫌に重たい空気が籠もっており、シンプルで可愛げの欠片も無いベッドと小さな棚、それから洋服入れの収納ボックスだけが置いてあった。

私は今日初めて真知ちゃんの私室へと足を踏み入れたが、この可愛くて健気な生き物が住まうにはあまりにも質素な部屋に驚きを隠せなかった。

もっと可愛い部屋に住んでいるとばかり思っていた。
理想の中の真知ちゃんは、柔らかな色を基調とした部屋の中に、ぬいぐるみやクッション、大好きな本や良い香りのする花、白いレースのカーテンと甘いお菓子が存在する空間に居た。
しかし現実は真逆に近い。カーテンは可愛げの無い濃紺無地の遮光カーテンで、枕カバーは黒のバスタオル。棚には難しそうなハードカバーの本や図鑑、それからサイエンス雑誌が几帳面に仕舞われており、ぬいぐるみやクッションの類いは一切無い。

ベッドへと真知ちゃんの身体を戻した後、改めてその姿と部屋を見渡すが、全くもってミスマッチにも程があった。

枕に散らばるフワフワとした猫毛の髪をゆっくり撫でてなれば、気持ち良さそうに目を細める。
そのまま私は、ベッドの縁に座り顔を覗き込みながら暫く撫で続ける。
ああ…持って帰りたい。いや、高専も高専で安全とは言い難い…ならばもう、このまま攫って何処か遠くで二人で新しい人生を。

君に似合う白いレースのカーテンと日の光が満ちた部屋で、痛みも悲しみも無い日々を贈らせてあげたい。
戦いも呪いも、この子にはあまりに不釣り合いだ。
叶うならば、そんなものから一番遠い場所で暮らして欲しい。

願いは実行しなければ叶わない。
耳元に唇を寄せ、潜めた声で尋ねる。
なるだけ優しく丁寧に、絆す声で囁いた。

「ねえ、真知ちゃん…君さえ良ければ、このまま私と一緒に…」
「おい、何してんだガキ」

しかし、私の願いを秘めた声は後ろからの無遠慮な声に掻き消されてしまう。

咄嗟に振り返れば、そこにはビニール袋を手から提げた男が一人。
呪力が完璧に無い特異体質にして、脅威の身体能力と強度を持ち合わせる人間。大体において金が無く、女にダラしない。しかして、真知ちゃんが最も親しくし、信頼を寄せる相手……伏黒甚爾。

音も気配も一つも無かった。
ここまで側に来ていたのに、話し掛けられるまで気付かなかった。

ピクリと眉間が引き攣る。ついでに、口角も。
何せ、多分我々は似たようなことを考えてここにやって来たからだ。その証拠に、彼の持つビニール袋から透けて見える内容物と、私の看病グッズの中身が似たか寄ったかなのだ。
熱冷まし用のシート、水分、ゼリーやプリン、その他諸々。

我々は暫し互いに視線を逸らさず見合ったままになった。
沈黙が蔓延り、無言のまま腹の探り合いが行われる。

だが、それも長くは続かなかった。
彼は突然興味を無くしたように私から目線を逸らすと、真知ちゃんの方を見て少し陰りのある表情をした。かと思えば、すぐに側へと行き顔を覗き込む。

「真知…今度は何してぶっ倒れた?」
「しょうらいのために…」
「おう」
「ホネ、せんしゃを…」

骨戦車。
ホネ戦車とは、いったい…。
しかも「将来のために」と言っている、真知ちゃん…君は何になろうとしているんだ。
真知ちゃんはわりとゴツくて機能性の高い物が好きである。持ってる武器も、男の子が喜んじゃうような物が多い。最近だと骨で作った蛇腹剣を振り回して悟を喜ばせていたっけ…。

真知ちゃん作武器シリーズを思い返していれば、土気色をした顔でグッタリとしながら「骨戦車」について語り出した彼女の姿に、流石の私も渋い顔をしてしまった。
曰く…いつでも呼べて、硬い装甲を持ち、どんな道もへっちゃら、主砲・機関銃も装備した戦車を現在作っているのだという。

「これを、たいりょうせいさんし…ホネホネぐんたいをつくるんだ……」
「つまり、またオーバーヒートしたっつー訳か。お前は何回無茶すりゃ気が済むんだ?なあ、おい」
「たのしくなっちゃって…」

楽しくなって辞め時を忘れ、作業に没頭してしまったらしい真知ちゃんに、そういえばまだ六歳くらいの子供だったな…と彼女の年齢を思い出した。

普段大人顔負けの落ち着きを見せ、合理的判断も下せる子供らしくない子供な真知ちゃんにも、子供らしい一面があり思わずホッコリしてしまう。
だが、私と違い伏黒甚爾は苦々しい表情を浮かべながら、自分で持ってきたコンビニの袋を漁り、無言でストロー付きの紙パック飲料を彼女に手渡す準備をしていた。

自分からゆっくりと起き上がった真知ちゃんは、手渡されたリンゴジュースに口を付ける。
コクリ、コクリと数回喉を動かしたあと、ストローから口を離して自分を仄暗い眼差しで見つめる男をそうっと見上げた。

二人は見つめ合ったまま、何も発することなく暫く時間を使う。
その後どちらともなく視線を外して、真知ちゃんはリンゴジュースを枕元へと置き、またベッドへと横になった。
その表情は少しだけ先程よりも辛そうで、私は何と声を掛けるべきか迷ってしまう。

そうこうしているうちに、伏黒甚爾は「リビングに居る、何かあったら声掛けろ」と言って、部屋を後にしてしまった。
今までの私であったら確実に「薄情な男だ」という感想を抱いていたが、今は少し違う。
アイツはアイツなりに真知ちゃんを憂い、心配しているだけだった。そして、真知ちゃんもそれが伝わっているからこそ静かに反省をしていた。
私はそんな言葉の必要無い関係が、少しだけ羨ましく思えた。

「真知ちゃんは、アイツのことが好き?」
「はなれがたい、くらいには…」
「そうか。なら、早く元気にならないとね」
「うん、はんせいしてねる」

これは敵わないな、と素直に感じた。

多分、私どころか悟も敵わない。
それこそ、革命的な出会いでも無い限り…彼女の「ぞっこん」と言って良い程の愛が揺らぐことはないだろう。

もっと早くに出会っていれば良かった。
そしたら私が救って、私が育てて、私の物に出来たのに。
そうは思うも、けれど不思議とそんな未来を想像することは出来なかった。
何故だろうか。欠伸をして目を瞑る幼い真知ちゃんの顔を見ながら考える。そして、ああ…彼女は別に最初から助けを求めてはいない子供だったなと思い当たった。

真知ちゃんは他人から見れば惨めで憐れで可哀想に見えたが、だが本人からしてみれば他人が思う程自分を哀れんではいない子だった。
家からの仕打ちも「社会の仕組みの一つ」として受け入れているし、父親との関係についても「それでも私は想っている」と断言している。

救われることも、救いを求めることもしない。
助けられたいとも、助けを欲すこともしない。
真知ちゃんが周りに望むことは救済ではなく、力添え。
欲しい存在は自分に足りない部分を補ってくれるアシストであって、救済者ではない。

だからそう、最初から彼女を救うことなんて出来ないのだ。

私に出来ることは、こうして見守り続けることだけだった。
悔しいけれど、これは揺るぎない事実であった。


ちなみに、半日後くらいには真知ちゃんは回復しており、何喰わぬ顔で伏黒甚爾の膝で猫のようにゴロゴロと寛いでいた。
リビングは彼等二人の空間と化しており、私は居た堪れない気持ちになりながらも真知ちゃんを餌で釣ろうとしていたのだった。

「真知ちゃん、おやつ食べようか。色々買ってきたからこっちにおいで」
「悪ぃな」

違う、お前じゃない。私は真知ちゃんを釣ろうとしているのであって、お前に餌を恵んでやる気は一切無い、帰ってくれ。

笑みが引き攣りそうになりながらも、私はスーパーの袋から様々なオヤツを取り出し真知ちゃんに見せてやる。
だが、真知ちゃんはその場から動かず眠たそうに瞬きをするばかりであった。

「真知ちゃん、シュークリームは?」
「食う、くれ」
「さっきから…お前じゃないと何回言えば…」
「いやだから、コイツが食うんだよ。なぁ?」

半分寝ている真知ちゃんのほっぺたをツンツンぷにぷにと突っつく邪魔者は、私に向けて手を出しシュークリームを要求する。仕方無しに渡してやれば、豪快に袋を破りゴミをその辺に捨てた。
そしてそのまま一気に一口で半分ほど食べてしまうと、残りの半分を小さくちぎって真知ちゃんの口へと持って行く。

唇に触れるか触れないかの距離にシュークリームが近付いて来た瞬間、真知ちゃんはゆっくり小さく口を開けてぱくりとシュークリームを一口食べた。
何だあれ可愛い…羨ましい…。私もそれをやりたい、餌付けがしたい。

「あまーい」
「まだ食うか?」
「たべる…でも、ねる……」
「寝るか食うかどっちかにしろ」

と言いつつも、伏黒甚爾はまるで動物園の飼育員のように真知ちゃんの口にタイミング良くシュークリームを運び続けていた。
そして、口の端っこにクリームを付けたまま寝落ちた真知ちゃんを膝に乗せ、残ったシュークリームを口の中へ雑に放り込んだ彼は、こちらのことなど全く気にせず自分も昼寝の体制を取り始めた。
物凄いものを見せ付けられたな…ここまで来ると見てるだけで腹いっぱいになる。
もしかしたら本当に、真知ちゃんに必要なのは彼なのかもしれない。真知ちゃんの幸せのためにも、邪魔せず見守るべきなのだろうか。

そんなことを考えながら暫く様子を見ていれば、伏黒甚爾は寝る前に欠伸をしながら真知ちゃんの口端に付いたクリームを指先で拭うと、それを自分の口に運び舐め取った。

前言撤回、やはり真知ちゃんにこの男は危険だ。
真知ちゃんの将来が危うい、これは早いうちに何とかするべきだ。

やはり真知ちゃんを救えるのは私一人だけなのだろう。

mae ato
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