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人間は、クジラに勝利することによって手に入る財宝に目が眩み、彼等の大いなる孤独な平和をかき乱した。
隠れ家に、極限の氷の海原に、他の生命の音がしない深海に。人間の技術によって地の果てまで追い掛けられた彼等に、最早安住の地は無の中にしか存在し得ないだろう。

クジラと同様に、人間の利益になる強く偉大な生命達は、人間の利益のために犠牲となっていく。
この星の偉大な支配者達は、己が利益のためならば他生物を絶滅まで追いやれるのだ。

いや……正確に言えば、滅するまで追い詰めなければ気が済まないのかもしれない。
相互理解、共存共栄、境界の合意。そういったものが我々には最初から備わっていなかっただけの話だ。悲しむ必要は何処にもない。


私は長年抱えていた疑問をそう結論付け、伸びて鬱陶しくなった髪を肩から払った。
ここ最近でグッと伸びた背のせいで丈の短くなったカーディガンを羽織り直し、自室の窓を開いて帰って来たスズメの骨格標本に手を伸ばす。
私の指先に降り立ったその子は、私の爪を二度程甘えるように啄んでから、解けるようにしてシュワリと消えていった。

それを側で見ていた恵くんは、「今度は何処へ飛ばしてたんだ」と尋ねてきたので、私は小さく笑みを浮かべながら「ちょっと、海にね」と言った。

相変わらずあの群れ達は、群れらしい暮らし振りをしているらしい。
そして私も変わらず、あの群れの中に居る思い出の人々のことを大切に思っているらしい。
いやむしろ、遠く離れているからこそ慈しめるのかもしれない。遠くにいる彼等は、私に何の影響も及ぼさないちっぽけな魚に過ぎないから。


あれから月日は経ち、私と恵くんは中学生の年齢になった。
ここまでくるのにもまた色々あったのだが、今回は割愛させて頂きたい。
とりあえず総括すると、まあ皆元気にやってます…という感じで。

恵くんは中学校では知らない人が居ないくらいの有名な不良少年となり、私は病弱設定の不登校少女となっている。
というのも、若くして一級の位を頂いてしまった私は何気に色々やることがあって、学校を休みがちになってしまったのだ。
仕事が無い日は体力と呪力を回復させるために休み、そうで無くともより術式を伸ばすために知識を仕入れなければならなく、大きな図書館にお籠り状態。
そのため、表面上休みがちな理由として、病弱設定が生まれたのだ。

しかし実際問題、幼少期の生活や今までのあらゆることが原因なのだろう、私はそこまで身体の強い人間には成れなかった。
悟くん曰く、一種の天与呪縛だろうとのこと。
様々なメリットと引き換えに虚弱体質となった私は、それでもわりと楽しく毎日を謳歌しているのだった。

だが、どうやら彼は違ったらしい。
彼とは、他でもない甚爾さんのことである。
どうやら以前籍を共にしていた配偶者の方に不幸があったらしく、働きすぎてクッタリしている私などを見ると何かしらがダブるらしい。
そういう時、彼はフラリと姿を消そうとする。
なので毎回、「病気じゃないから大丈夫、寝れば回復するよ」とベッドを空けて、隣に招いてやっている。

殊の外私の身体を心配し、辛そうな顔をする彼からは何度か「呪術師なんてやめろ」と言われたこともある。
実際、私も何度もやめようかなと考えたことはあった。
けれど、やめるのは違うなと思ったのだ。

私が私について考察するに、私は"突然変異"なのだと思う。
突然変異とは、遺伝子や染色体の変化を表す言葉だ。そして、性細胞に関わる突然変異は子孫に遺伝する。

もしも私が突然変異によっていつかの自分の記録を引き継ぐことが、次の世代に遺伝するならばそれはとんでもないことである。
そしてきっと何かしらの役目があるからこその、この突然変異なのだろう。
ならば種を残さなければならない、どんな形であっても。

子供を作るとは、即ち遺伝子の複写である。
私の遺伝子が正しく複写されたのならば、それはきっと次の私となる。そこに私の意志が備わっているかどうかは不明だが、少なくとも役立つ記憶の一つや二つは残るだろう。
きっと、この世界はそれを私に望んでいるのだと思う。

つまり、私の考えは最初から間違っていなかったと言うわけだ。
異世界転生物語のヒロインを見つけ出し、私の種を共に遺してもらう。
それこそがこの物語のゴールであり、私が元の世界にて目覚めることの出来る可能性だ。

今はもう遠い記憶だが、帰巣本能なのだろうか…私は今なお自分の世界を恋しく思う。
だから、私はこの物語のゴールを目指すために行動することを止めてはいけないのだ。


「身体冷やすといけねぇから、あんま長い時間外出んなよ」
「それ、さっき甚爾さんにも言われた」
「……俺のは過保護じゃねぇから」

フイッと顔を背けて嫌そうな顔をした恵くんは、甚爾さんにそっくりだった。
そういうとこだぞ、そういうとこ。そういうとこが悟くんに誂われるポイントなんだぞ、分かって無いだろ絶対。

あまりのツンデレっぷりに私は笑いを堪えるのが大変だった。
私の幼馴染が可愛過ぎて脳が破壊されそうな件について。うーん、こんなに可愛いと色々心配になってくるな…。

「恵くん、私が学校に居ない間に虐められたりしてない?大丈夫?」
「はあ???」
「ほら、君ってスペシャルに可愛いじゃない?だからさ…好きな子ほど虐めたい精神のガキとかがさ……」
「お前はどの立場で俺を心配してんだよ」

これってもしかして訳すと「お前…俺の何なんだよ」ってなりません?
心配されて照れてるのかな?可愛いね…流石私の恵くん。君を買い取った過去の私良くやった、褒めて讃えようぞ。

「フフフッ、言わなくても分かってる癖に。それとも言わせたいのかな?」
「…もういい、さっさと寝ろ馬鹿」
「おやすみなさいのチューは?」
「しねぇ。親父にでも強請っとけ、アイツなら喜んでするだろ」

とか何とか言いながらも、私が満足するようにその場で待ってくれている恵くんは良く出来た素晴らしい自慢の幼馴染で家族である。
嬉しくなって、衝動的に一度ハグをし、彼はうんと首を背けたが、私は構わず彼の顎らへんに触れるだけのキスを送った。

「フフッ、わざわざ様子を見に来てくれてありがとう。恵くんも良く休んで、おやすみなさい」
「ん、おやすみ」

温かな体温は離れていき、私は窓の鍵を掛けてから自分のベッドに戻って、カーディガンを脱いでから布団の中に入った。
ベッドサイドに置いておいたコントローラーを使い、明かりを小さくする。

モゾモゾと肩まで布団を上げながら、明日は何をすれば良いんだっけと少し考えた。
新しい骨格の組み上げもしたいし、各地に飛ばしている骨格標本達の記録を整頓するのもしなくては。それから、悟くんに頼まれてることや、時雨さんに頼まれてることも。
やることがいっぱいだ、これは明日も大変だぞ。

などと思いながら目を瞑り、呼吸を整え始めた時だった。
ノックも無しに扉が開いた感覚がし、その後すぐにベッドの側に気配を感じた。
私はすぐに目を開き、暗闇の中こちらを見下ろしながら佇む御仁に苦笑する。

いやホラー映画か。
もうちょいマシな登場の仕方あるでしょ、何で毎回毎回こう…一瞬怖くなる登場の仕方をするんだ。やっぱり猫ちゃんなのかな?猫ちゃんなら仕方無いな…猫だし。

「甚爾さん、怖いからちゃんと声掛けて」
「起こしたか、悪かったな」
「元から起きてたよ。ほらおいで、一緒に寝よう」
「お前なぁ…年頃なんだから、簡単に男をベッドに誘うのそろそろやめろ」
「自分は勝手に部屋に入ってくる癖に」

まあでも猫だからな。デッカイ猫。猫なら仕方無い。
私は少し起き上がって甚爾さんの手を引き、ベッドにスペースを作って彼を招き入れた。

というか今更な話過ぎるんですよね。
貴方が私のことをライナスの毛布にし始めてから、一体何年経つと思っているんですか。
もうすぐ十周年ですよ、十周年。お陰様でいつの間にやらベッドも大きなサイズになっちゃって…出て行く気無いでしょ、絶対。

「甚爾さんは私の共存相手なんだから、一緒に寝るのは何も不思議なことじゃないの」
「だったらその共存なんたらを安心させるために、無茶すんのはやめろ」
「えー…どうしよっかなぁ〜」
「おい、」

ごろん。
寝返りを一度打って、甚爾さんの方を向く。
胸の方にさらに身体を寄せれば背中に腕が回ったので、私は目を閉じながら自分とは違う体温を感じて、家族が側に居る喜びと安堵を噛み締めた。

「おやすみのチューをしてくれたら、考えても良いかな」
「他には?他には何をすりゃ、今すぐその悪癖をやめんだよ」
「悪癖って…ただ愛と平和のために働いてるだけなのに」
「愛も平和も放っとけ、そんなもんより俺を大事にしろよ」

サラリと髪が掻き上げられたかと思えば、静かにオデコへと唇を押し付けられた。
今日はいつにも増して熱烈なアプローチ…もとい、懇願だなと思った。
あまりにも切なさと痛ましさと愛情をごったにした感情が突き刺さってくるので、私はとうとう少しだけ目を開いて彼の感情に対する解答用意してあげることにした。

小さく息を零し、終わりについて思いを馳せる。

「もしも…明日世界が滅びるとしたら、甚爾さんはどうする?」
「は?別に…なんもしねぇけど」
「私はね、明後日からの新しい世界のために、この世の全てを書き記し残したいと思う」

リンゴの木はきっと、何処かの誰かが植えてくれると思うから。だから私は明後日のことを考えたいと思う。

次の私を明後日のために生み出す。
それだけが、私が自由になれる唯一の手段で、ゴール地点だ。


「だからね、甚爾さん…」

私のこと離さないでね。
出来ればもっともっと好きになって。
そうして私のヒロインになってくれたら、その時は………ここじゃない何処かの世界で、幸せなことだけして一緒に眠りましょうか。

きっと、ずっと。

mae ato
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