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少し、振り返ろうと思う。

壮観にして神秘的、エレガントにしてグロテスク。
数十億年の進化の跡を留めた脊椎動物の骨格達は、私にこの地球の様々な表情を見せてくれる。

哺乳類がこの地球上に現れたのは二億五千万年も前の話。
これは恐竜が現れたのとほぼ同時期であるのだが、そこから哺乳類に有利な環境になるまでに、さらに一億五千万年以上も必要だとされた。
恐竜よりも弱い哺乳類が何故生き残れたのか、それは賢さ故である。
彼等は隕石の衝突時、小さな体を活かして地中にあるトンネルに潜り身を隠していた。
また、彼等は生まれる時期を遅らせることが出来たので、乾燥期にも耐えられたのであろう。

やがて、哺乳類は第三紀に入るとその身体構造と生理機能の潜在能力をフル活用し、種々雑多な形態へと生まれ変わり、そして賢い者だけが生き残り…賢くない者は淘汰されていった。

生命の始まりから数え37億年、地上には人間が生まれ、彼等は様々な知恵を働かせ世界を発展させていく。
現生人類、ホモ・サピエンスの歴史は脊椎動物が歩んだ進化の歴史から見ればまだまだ新しく、遡ると十万…十五万年前に現れこの世界に重大な影響を及ぼすようになったようだ。

最後の氷河期を抜け、マダガスカルの巨大鳥や北アメリカのマストドンのような大型動物を短期間の内に絶滅へと追いやり、役一万年前には初期の耕作者達が世界の風景を一気に変えていった。


つまりは、身体の大きさも生きた長さも関係無く、生存競争とはより短期間に進化を遂げた賢い方が勝つことが出来るのである。

なので、ここからは進化の時間だ。

私と私の前に立ち塞がる者、どちらがより賢いか……それだけが、勝敗を分ける事柄なのだろう。




………




私は父を恨んでいない。
好いてはいないが、嫌いでもない。
興味がないわけでもない。眼中にないわけでもない。ただ、この人はマグロ類と同じで、長い長い進化の過程で、一度も海の外へ出たことが無いのだろうなと哀れんだことはあった。

私はイルカだ。
マグロとイルカは同じ完全なる海生動物であり、紡錘形の形をしており、大気よりも密度の高い場所で素早く移動出来る。また、背びれの形も同じなら、小さな歯を多数揃えた歯型も同じ。
けれども、始まりは全く違かった。

イルカの祖先が海ではなく、本来であれば陸地に住まう哺乳類と爬虫類であったように、私の始まりはここでは無いずっと遠く遠く、果て遠く向こうの世界での発生だ。
しかしマグロは海で始まり、固有の環境から外に出たことは無く、適応も出来ない。

類似した形態ではあるものの、我々は全く違う生命体だ。
だから、私と父はきっと分かりあえない。それはもうずっと前から知っていた事実である。


刃が頬の横を掠めた瞬間、同じ部屋に居た当主である直毘人様と直哉くんは、同時に立ち上がり我々の間に割って入った。
瞬きのあとには直哉くんによって引き離されていた私は、ツゥ…と皮一枚切って流れ出た頬の血を指先で掬い、ペロリと舐めてみせる。

しょっぱい、海の味がする。
ああ……やはり、父は私のことが憎いのだな。

「女の顔に傷負わすんは良くないやろ、嫁の貰い手無くなったらどないすんの?」
「……そこを退け、やはりソレは失敗作だったのだ」
「少なくともオタクのとこの他の娘よりはマシやろ、なあ真知ちゃん?」

後ろ手に追い遣られ、私は直哉くんの背中越しから父を見る。
彼は苦い顔をしながら私の姿を見つめていた。


禪院家は予め私が高専と手を結んだことは知っていた。そこへさらにプラスして、五条悟が味方についたこと、今世話になっている場所があることを伝え、私は最終的に「強くなって戻って来るので、どうか家から離れるのを見逃して欲しい」と当主様に頭を下げた……ことが、事の始まりだ。
当主様は酒を呑んだくれながら話を聞き、私の願いを一つ鼻で笑うと、「外はどうだった」と尋ねた。
私はその質問に対し「べんきょうになりました」と、当たり触りの無い回答をした。

そこまでは良かったのだ、そこまでは。
何をどう聞きどう解釈してしまったのかは甚だ不明だが、同席していた父が、私が甚爾さんと共に暮らしていたことを「謀反」「反乱分子」「凶兆」の始まりだと当主様へ進言した。

勿論私はそれに異を唱えた。
家族が悪く言われるのは嫌だったし、何より彼の塞がらぬ傷を作り出したのはこの家だというのに。

「はなしあいましょう、わたしたちにたりないのは、いつだって"りかい"と"ゆるし"だよ」
「知ったような口を……」
「すくなくとも、おとうさんよりはあのひとのいたみをしってるわ」
「……前々から思っていたのだ、お前は私の子と言うには…いや、禪院の者と言うにはあまりにも、何かが違うと」


貴様、一体何処で紛れ込んだ?


鋭い眼差しに身が硬直する。
確かな殺意と敵意を向けられたのは、これが初めてだった。

親から言われたとは思えない言葉に、私は唖然として言葉を忘れ、思考を止める。
人間の素晴らしさはその思考性にあるというのに、私の唯一の強みでもあるのに。最後の砦は明確な異端者へ向ける疎外の眼差しによって、呆気なく崩れ落ちた。

ここは海だ。
禪院は魚の群れだ。
私は、その群れに迷い込んだ…別の脊椎動物に過ぎなかったのだ。

何かを言わなきゃと思った。
無言は肯定と同義だ、否定をしなければならない。
甚爾さんは酷い人なんかじゃないと、私はちゃんと貴方の娘だと、話し合えばきっと分かりあえると。そう言い続けなきゃならない、のに。

無力な私が言えた言葉は、ただの一言だけであった。

「…ハハ、ばかみたい」

刹那、頬の隣を刃が掠めていった。

様子を見守っていた直哉くんによってすぐさま回収された私は、彼の背中から父を見遣る。
父は、私を見て苦い…憎しみを抱く表情を浮かべていた。

利口に振る舞っていたつもりだった。
従順で居たつもりだった。
口答えはしなかったし、望まれたことを望まれた通りに熟していた。
それは、それ以外の生き方がこの家に無かったからに他ならないが、それ以外にもちゃんと理由はあった。
私は父のことを、厳しくて神経質でプライドの高い、とても面倒な性質をしている人間だと見ていたが、その性質を同時に評価していたのだ。
親としてはあまりにも時代錯誤で頼りにはならないが、その強さと揺るがぬ心の在り方は、それが必要な人にとっては指針や戒めとなるだろう。
少なくとも、私は父が現れると途端に背筋を伸ばす人間達の姿を何度も見ている。
それは私にはさせられないことで、きっと父だから貫き到達し、得たものなのだと思っていた。

だから、私は父の言うことを聞いていた。
彼は私が知らないことを多くを知り、近道ではなくとも無駄ではない道を歩ませてくれると結論付けたからこそ、提示された生活を受け入れていた。

だというのに。
どうやら、父から私への評価は違ったらしい。

父は、初めから私が異分子であることを感じ取っていたのだ。
流石は親と言うべきか、はたまた私の至らなさ故の問題か。少なくとも、父は私が異分子だと分かったうえで矯正の道を歩ませ、最低限の居場所を与えてくれていたのだろう。
その道からはみ出したのは私自身で、はみ出したからこそ、父は私を最早自分の手元から離れた何らかの凶兆に成りうるかもしれない異端者として、弾圧することにしたのだ。


どうすべきか悩んでいる私を無視し、父と当主様と直哉くんは言葉を交わし続けた。
私は彼等が話をしている間、ずっと言い表せぬ虚無感と悲しみを感じていた。
そんな時だった、ふいに直哉くんが私に話し掛ける。

「はぁ…そもそもコイツ育てたんは自分やん。あ、そうや真知ちゃん、甚爾くんはどうやった?相変わらず強かった?」
「え、はい…あの……つよくて…」
「強くて?他には?」
「まいにち…ゴロゴロしてました……」

回らなくなった頭で出した回答に、直哉くんは暫しこちらを見つめながら何かを考える。
私といえば、目線を逸らすことも出来ないため、ひたすらに次に来る言葉を待ち続けていた。

だが、直哉くんはとうとうそれ以上は何も聞かず、また前を向いてしまう。

「俺はええと思うで、悟くんが気に入ってるなら種貰うて帰って来たらええ。ああ、甚爾くんの息子でもええか。息子くん共々家に帰って来たらええやん」
「何を勝手な……」
「真知ちゃんもそれでええやろ?ついでに甚爾くんも連れて帰って来てや」
「直哉、貴様…自分が何を言っているのか理解しているのか!」

父の怒声が部屋に響き渡る。
それに対し私は、無意識のうちに小さく頷いてしまった。

流石に今の直哉くんの論外発言は父の意見に同意である。
お前、何勝手なこと言っちゃってんの???
一ヶ月ちょい会わない間に忘れかけていたが、禪院直哉とはこういう奴なのである。思い出したよ、君が論外ヒューマンだったこと。

先程の発言は、直哉くん以外誰も嬉しくない案の極みだと思う。
私は勿論、当主様も近親同士の血を掛け合わせることや仲の良くない五条家の子を作るなど、流石の流石に考えてしまうはずだ。それに、甚爾さんなんてただ巻き込まれて迷惑を被るだけに違い無い。

だが、直哉くんのエクストリーム論外発言のせいで平常時の思考が戻って来た。
ならば問題は無い、もう大丈夫。私は賢く戦える。一番良い生き方を、自分で選べる。

一歩、足を踏み出し直哉くんの隣へ。
二歩、もう一度足を踏み出しさらに前へ。
三歩、父を見つめて私は口を開く。

「それでも」

懐から取り出した短刀を握り締め、小さく息を吸い直した。
遠い過去や生まれ変わってからの様々なことを思い返し、私は伝えなければならないことを伝えることにした。

言語は人間が持つ知性の象徴だ。
私達は言葉を紡ぐことで己の感情や思考を相手に伝え、感覚を共有し、より良い生き方を育んできた。

母親が心を込めて言葉を知らぬ我が子に語り掛けるように、異なる言葉を操る者同士がそれでも意思を訴えるように、私は私のことを理解出来ないであろう相手に、精一杯の気持ちを心を込めて伝えた。


「それでもわたしは、あなたのことがたいせつでしたよ」


父が言葉を失う。
私はそれを見て困ったように微笑みながら、当主様と直哉くんに「おせわになりました」と頭を下げて部屋を後にした。



ここは海だ。
禪院は群れだ。
私はそこに紛れ込んだ、異種族に過ぎない。

それでも、異なる存在だと理解しながら娘として私を育てようとしてくれた貴方のことを、私は大切に思っていた。
多分、今も思っている。これからもずっと、貴方が私を守るために与えてくれたこの刀や技術や知識のことを忘れはしないだろう。


五歳のとある日、私は家を出ることになる。
父のくれた名前と刀を持って、異物は異世界を生きていく。
どこまでも、きっとひとりきりで。

mae ato
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