▼大いなる一歩(ユキ)


真っ青な空。ああ、今年もこの季節がやってきたと黄瀬は目を細めた。幾度となく眺めてきた景色だ。守ってきた街だ。多少の変化を遂げ、周りを囲む顔ぶれは変わったけれどそれでも何よりも、そう、故郷よりももう大事な場所だった。

「―――黄瀬クン」

そんなここで一つだけ更に変わらないものが、自分を見つめている。

随分とでっかくなったなあと思う。最初会った頃はちょこまかと足元をうろついて、いつ傷つけてしまうかとおっかなびっくりのこちらをお構いなしにすねによく蹴りかかられたものだ。あの頃足にはしょっちゅう青痣が付いていた。

「その呼び方は止めろって、言った」

言い含めるようにことさらゆっくり呟くと盛大に眉をしかめて歩み寄られる。重なる影。年を取るはずだ、あの子がこんなにも大きくなって腰に手を回して抱き寄せてくるなんて絶対に予想できない未来だった。ただその温もりを受け取るには彼と自分の間には色んな事が多すぎる。それらを考えてしまって相変わらずその熱をぼんやりとしか受け取れない様を歯痒く思ったのか目線を逸らしぶっきらぼうに呟いた。

「…身長、190だったぜ」

約束忘れたとは言わせねえ。

改めてこちらを見遣るその瞳。

これだけは。


あの頃と変わらない、俺の、こころの奥を射抜く、まっすぐな光。



苦笑するしかなくて不意に手を掴んで顔を寄せた。

「…ッ」
「顔真っ赤」



口惜しそうに睨む顔は10年以上も見慣れた、愛しい表情だった。


そんなんでこれから俺と生きていくなんて大丈夫?
小さく笑う俺に火神が覆い被さるまで、あと5秒。

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▼お帰り愛しい人(マカロニ)


待たせたな、なんてそんな優しい顔で言わないで欲しい。どうせ今でも火神っちは俺にとってガキなんだから、相変わらず巡査とかだせぇ、ってあの頃みたいに笑い飛ばしてくれたらいいんだ。というよりも、冗談みたいに笑い一つで無かったことにしてくれるのを期待していたのに。そんな顔を見せないでほしい。これ以上俺を乱さないでほしい。

五年ほどアメリカに行くことになった、と俯いた少年は。絶対帰ってくるから待ってろ、と俺の額にキスをした少年は。帰ってきたらきせをぜってぇ幸せにするから、と俺の指にプラスチックの指輪をはめた少年は、一体どこへ行ってしまったのだろう。俺の前に立つのは知らない青年だ。燃えるように、俺を逃がすまいと見つめる目は、ガキなんかじゃない、間違いなく、一人の男のものだ。頼むから五年前みたいなガキであってくれと祈るも、年の差は変わらないとは分かっていても、火神っちは違っていた。

俺は紺色の帽子を目深に被った。いい年して涙なんか、絶対に見せたくなかった。どうして涙が出てくるのかも分からなかった、嬉しくて泣いてるだなんて、嘘だったらいい。火神っちが笑いながら俺の顔を覗き込んできたけれど、全力で阻止する。これは人を守る仕事を務める者としての、年上としての、最後の意地だ。



「黄瀬巡査」

「…っ」

「ただいま」



これからはずっと、幸せにする。

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▼瞬く(樹理)


キラキラ光るきんのいろ。
お日様みたいだった。
なんだかとてもまぶしくて、心がぎゅっとなる、色だった。

「あっ! 黄瀬ーー!」
チリンチリーン。
聞き慣れた音を鳴らして、大きな自転車をゆったりとこいで。
そいつはこちらにやってきた。
俺を見つけた黄瀬は、あからさまにイヤそうな顔を向けてきた。
……シツレイな奴だな。
自転車を止めるために降りたスキを狙って、背後に回って頭突き!
うわっと黄瀬が声を上げる。
足をふらふらさせて、いかにも倒れそうな様子に俺は満足して、えっへん、と手を組んで見たりする。
「何するんスか。危ないでしょー」
あ、持ち直した。
振り返った黄瀬がにこーっと笑いかけてくる。
わざと倒れる素振りをされたことがわかって、顔がカッと熱くなる。

ー―こいつ、俺が声をかけなかったらぜったい無視する気だったろ!

ムスッとむくれて、だけど悔しくて顔なんか絶対見られたくなくて、俺は足元を見つめる。
ピッカピカに光る、新品の真っ赤なシューズが映った。
……せっかく、せっかく、おれが。

「あれ? たいが、その靴新品っすか? カッコイイすね!」

降ってきた声に顔をあげたら、さっきとは違う顔をした黄瀬が、俺の靴を指さして笑っている。
ああ。いつかみた色。
キラキラ光る、きんのいろ。

「いいだろ! かっこいいだろ!!」

あのきれいでお日様みたいな色をみた俺の心のどっかが、いつかのようにぎゅっと、
ぎゅっとなって、
それだけで。
それまでの黄瀬への嫌なきもちなんて、どっかへ吹っ飛んでいってしまった。

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▼その発想は無かったわ(みやま)


 じわじわじ〜〜。じわじわ〜〜。馬鹿みたいに大絶叫する蝉の声を聞きながら、ようやくかぶり慣れてきた制帽から落ちてきた汗を拭う。今年の夏は本当に、どうしたってくらい暑い。派出所の中は冷房がゆるくかかっているけれど、ドアを閉めておくわけにもいかないので、正直その性能は全く生かしきれていないと言っても過言じゃない。

 落し物、迷子、書くほどのことでもない些細な事件を報告書にまとめる。とはいっても報告書もオレの手もボールペンも汗でべとべとのしわくちゃで、誰が読むんスかねこんなのと思いつつ、今日も直属の上司に蹴られないことだけを目標に黙々と手を動かした。これが終われば外巡回に行ける。炎天下を動き回るのはそれはそれでつらかったが、風があるだけマシのように思えた。それに、それにだ、この派出所は決して平和ではない。

 ――なぜなら。

「…………来た」

 蝉の大合唱すら飲み込むほどがちゃがちゃと騒々しい音を立てながら、一匹のモンスターの足音が近づく。ああまた来たよ昨日も来たのに今日も来た、汗だくの思考でボールペンを握りしめながら泣き事をいくつか。笠松センパイ、今日もオレは始末書のようです。

「りょーたおはよー!」
「涼太じゃなくって黄瀬兄ちゃん!!」
「えー!」
「えーじゃない!」

 飛び込んできたのはモンスター……ではなく、一人の少年。というかガキ。短パンTシャツの典型的なバカ。多分冬もこの格好。6歳にして縄張り意識を持つ野性児、その名を火神大我と言う。らしい。ワッペンの汚い字から判別した。

「オレは大人。キミは子ども。その辺わきまえて」
「なーりょーた、りょーたはくわがたすきか?」
「話聞けよ」
「だいきはせみとんのちょーうめーんだけど、おれはくわがたとるのちょーうめーんだぜ!」
「へぇ」
「りょーたはせみとくわがたどっちすき?」

 虫は好きじゃない。なんてことを言えば途端に泣きだすのは学習していたので、あーとかうーとか言って濁しながら言葉を探す。

「……まあ、じゃあ、クワガタかな」
「まじで!! くわがたでいい!?」
「…………何に使うんスか、それ」
「これなー、こうやってなー」

 火神はカゴの中に入っていたクワガタを出して、オレに裏側を見せつけた。やめてキモい。

「これやるから、しょーらいおれとけっこんしよ!」

 は、と開けた口がふさがらない。とりあえずさ、そのクワガタ置いて。キモい。

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▼探し物と約束(頼花)


最近の俺にはひどい悩みがある。もうそれはそれはひどい悩みだ。笠松巡査部長の蹴りが毎度毎度痛いことよりもひどい悩みだ。
ずばり町のクソガキ大将、火神大我のことである。
今日も今日とて仕事中の俺の制服の裾を引いて、理不尽な命令を寄越してくる。

「きせー、落としもんしたから探すの手伝ってー」

「あ、の、なあ、火神!…俺はれっきとしたお巡りさんで、便利屋とかパシリじゃないんスよわかる!?」

「でも笠松さんが、しみんのやくにたてっていっつも言ってるだろ」

「笠松さんのことはさん付けしやがって…」

まったく、と思ったものの、ふと俺を見る火神の目がいつも以上に必死だったからあしらおうとした気をどうにか引っ込めた。
本気で困ってんのか?訝しげに首を傾げた俺の手を強引な力で引いて、ランドセルを背負った背中がたどたどしく道をなぞった。
後ろ姿を見てはたと気づく。いつも首に引っかかってる鎖が、ない。

「…火神、リングとチェーン、落とした?」

「………ん、」

返事をしたのか声を漏らしたのかよくわからない音は、涙の混ざった色をしていた。
参ったなあ、いつも気丈というか能天気というかがさつというか、とにかく気弱なところを見せない火神がこうも落ち込んでいると、正直調子が狂う。っつってもこいつだって、まだ小学校に入ったばかりなのだ。

「……心配しなくても、ぜってぇ俺が見つけてやるっスよ」

ぽんぽんと頭を撫でて、取られていた手を逆に握り返してあっためる。
せめて涙は見せないところが火神らしいというか、可愛げないのに妙に微笑ましい。
子どもをあやす術なんて知らないから繋いだ手をゆうらりと揺らす。自然に浮かんだメロディを唇にのぼらせ楽しめば、火神もだんだんポジティブな気分が戻ってきたようだった。学校で習ったことのある曲なのか、俺の声に合わせてハミングする。

「ぜったいぜったい見つけるからな!」

「おーその意気っスよ!」

「さきに見つけたほうが勝ちな!そんで、勝ったほうがダンナ!」

「はあ?火神まだそんなこと言ってんスか!?」

「ぜーったいきせのこと、およめさんにしてやっから!」

無邪気な笑顔を取り戻した火神を見て、まあ、元気なら何よりかなとも思ってしまった。嫁は断固拒否だけど。

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