Act1-16


「おい、朝まで桃鉄やんぞ。」

ーさてそろそろ寝ようかとなまえがベッドに潜り込んだ瞬間だった。ノックもなしにバァンと大きな音を立てて開け放たれた自室の戸を凝視すれば五条がずんずんと無遠慮に部屋に侵入してきた。
「いや、ここ女子寮!!!」となまえが怒れば「いまさらじゃね??」なんて反省の一文字も見せずになまえのかぶりたての布団を剥ぎ取った。


「いや、やんないよ?明日任務」
「何時から?」
「………昼、過ぎだけど」
「じゃ、朝までやって、仮眠したらいけんな」
「ぜったいやだ〜〜〜眠いよ〜〜〜」
「じゃあ朝メシにパンケーキ作ってやるよ」
「えー!何段?」
「10段ぐらい?」
「×5でお願いします!!!!」
「お前ほんとに女子?」
「こんなに可愛いのに女子じゃない訳なくない?」
「言ってろよ」


もうこれは朝まで桃鉄確定ですね?硝子と夏油も巻き込もうと硝子にメールを打とうとすれば、新着メールが1件入っていた。ぽちぽちとボタンを押せば『起こしたら殺す』と硝子からメールが来ていた。いや、バチバチ起きてますやん。この騒ぎ聞こえてて巻き込まれたくなくて送ってきてますやん。思わずドアを叩いて起こしてやろうかと思ったが、硝子は怒らせると怖い。あの氷のような微笑みでメスを持って「宇宙人の検死なんて胸が高鳴るね」なんて言われた日にゃあ、死を覚悟せねばならん。やめよう。生贄は夏油にしよう。


「夏油は?」
「傑は泊まり任務〜だからお前呼びにきたんだよ」
「いや待て私夏油の代わりかよ」
「傑ほどうまくねえから張り合いねえけど。バカはゲーム向いてないよな」
「殺してやろうか?????」


喧嘩売ってるよね?これどう考えても。満場一致で喧嘩売ってるよ。初めて会った時より背が伸びて遠くなった五条の六眼を睨みつけた。当の本人はふんふん鼻歌を歌いながらなまえの手を引いて自室まで歩いていく。
結局桃鉄はなまえが途中で寝落ちしてしまい、コントローラーをぼとりと落としたことでお開きとなった。五条は座りながら寝こけるなまえを抱いてベッドに横たわらせる。まだ外は暗く、電気を消せばなまえの寝顔が見えにくくなった。思わぬ暗さにつられて五条もなまえを背中から抱え込むように眠りについた。
先に目が覚めたのは五条だった。時間を確認すれば朝の7時。寝る前と変わらず抱きしめていたなまえはいつの間にか向きを変え、抱きしめ合うような形になっている。朝日に照らされてきらきらと桃色の髪が光沢を帯びて、綺麗だ。まだすやすやと眠っているなまえのつむじに唇を寄せ、離れた。
さて、お望みのパンケーキでも作ってやるかと五条は食堂のキッチンを拝借しに自室から出て行った。





「五条は天才なの?」

目の前に乱立するパンケーキタワーになまえは思わず嬉しさのあまりに卒倒しそうになった。

「前から言ってんだろ?」
「私専属のシェフになってほしい……」
「あ〜それいいな!俺呪術師やめてなまえのシェフになろ〜〜」
「うん???それはちょっとまずいね??宝の持ち腐れにも程があるね??」
「オマエ誰かから恨まれて殺されるかもな」
「やっぱりキャンセルで!!!」


おいしいおいしいともぐもぐさせながらタワーが一つ、二つと減っていく横で五条も自分で作ったそれをもしゃもしゃと咀嚼した。うん、うま、さすが俺。


「五条は今日任務ないの?」
「おー、今日は瞬間移動の練習」
「どんどん人外じみてくね」
「うるせー、そもそもお前が人外だろ。今日何時ごろ帰る?」
「えーわかんないよ、こっから1、2時間くらいのとこだから夜には帰れるかな?」
「ひとり?」
「たしか単独だったよ、なんで?」
「べっつにー」



気をつけろよなーと言う声は心配が少し滲んでいたが表情は真っ黒のサングラスに隠れて見えない。
えいっとサングラスを取ればキラキラした瞳になまえが映し込まれていた。


「帰ってきたら今日はマリカしよ、起きててね」
「!早くしろよ」
「夏油も今日は帰ってくるでしょ?硝子も誘おうよ。あ、灰原と七海も混ざるかな?ほら、歓迎会的な。」


五条の顔にサングラスを戻しながら言えば五条は小さく息をつきながら「一応声かけとく」とだけ言って再び上品にパンケーキにナイフを入れた。






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「よろしくお願いしまーす」


今日の任務は初めて見る補助監督さんだった。割と補助監督さんって、すごく愛想よくて丁寧な対応をしてくれる人たちばっかりだったけど、今日の人はすごく塩対応というか。挨拶しても無視、目が合わなかった。
まあ、そういう人もいるよねと思って車に乗り込み、手渡された資料を読み込む。今日は自殺の名所に湧いた呪霊の跋除らしい。


キキーッ!突然の急ブレーキに思わずつんのめりかけたけど足で踏ん張って何とか持ち堪えた。事故か?と思ったが周りに車も人もいる気配がない。東京から2時間弱、こんな田舎あるんだなあ、と思わず携帯を見ればまさかの圏外。うそでしょ?
一向に動き出そうとしない車に思わず補助監督に声をかけようとすれば「つきました」の一言。

「は?」


もしかして、この人こんな何も無いところに停車するだけでこんなブレーキ踏んだの?めちゃくちゃ運転下手?もしくは嫌がらせ?
思うところはあったが、呪力のない私は帳をおろすことも、車の運転もできない(免許がないだけでやろうと思えばできるとは思う)ので補助監督さんたちのサポートは絶対必要だ。できるだけ穏便に済ませようと文句も言わず車から降りる。


「闇より出でて…」ちょちょちょ、ちょっとまって?!一言も声かけず急に帳おろさないで?!と言い切る前に私と補助監督の男の間には黒い闇が降ろされた。なんだろう、すごい不快だわ。思わず眉を顰める。さっさと呪霊ぶっ殺して帰ろうと資料にあった自殺者の魂を鎮める目的にか作られたという祠を探しにでた。


それはすぐに見つかった。いや、祠を探すより先に呪霊の気配を探す方が早かった。

『女ガ死ニニきタァ?』

目の前の呪霊が醸す雰囲気に思わず冷や汗が流れた。強いな…傘をぎゅうと強く握る。
しかもこの呪霊が呼び寄せているのか、周りの呪霊の気配がどんどん増えていく。元からここに蔓延っていたのか。推定二級準一級、術式のありそうなヤツが何体かいる。まずいなあ、五条にはああ言ったけど、怪我せずに帰れる自信ないかもしれない。
まずは雑魚を片付けようと何体かを傘で串刺しにしていく。ーーヒュン!放たれたビームのようなそれ、咄嗟の勘で避けたが頬に掠め、一部が『溶けた』。


「毒…?」


あれはやばいな、真っ先に祓わないと。
ヒュン、ヒュンと馬鹿の一つ覚えのように穿たれるそれを躱しきり、呪霊本体を叩くーッ!瞬間にニタアと嗤う口から吐き出されたそれに咄嗟に傘を盾に躱す。呪力を吸い取れきれなかったか、傘の一部が破損した。まずい、何度も受けられない。一撃で決めるしかない。ビームを避けつつ攻撃を仕掛けてくる別の呪霊を捕まえヘッドロックをかまし固定、そのまま毒の呪霊の口に突っ込み毒を吐き出させないようにした後、間を開けずに閉じた傘で全身全霊の一振り。致命傷となったかさらさらと消滅していく。

まだ10体程度残っている。何度か毒を食らったらしい足や腕が一部溶けてしまっていた。感覚がバグったのか痛みはもはや感じない。



「ふふ、おもしろいじゃん。かかってこいよ」












「あ゛ーっクッソこれ壊死してない?大丈夫かな…携帯も圏外とかどんだけ田舎なの?」


残った呪霊を祓い切る頃には日もどっぷり沈み、自殺の名所となってるだけあって灯りも少なくとても暗い。ぷらぷらと腕を振ればぶらんぶらんと振り子のように揺れる自分の手にため息をつく。
こんなに呪霊湧いてたの初めてだなあ、なんて考えながら帳が下ろされた場所まで戻る、ーーも、そこには補助監督の姿はなく、しかも乗ってきた車もない。



「ーは?」



繋がらない携帯に、異常な量の呪霊。明らかに1人では身に余る任務、そしてそんな場所に取り残された私。そこから導き出される答えなんて一つしかなくて。思わず額に青筋が浮き出た。



「いい度胸してるじゃん」



バキィ…怒りのあまり疲れ切ったはずの体で放置された目の前の帳をぶち壊す。だいたい車で通ってきた道を思い出して全速力で走った。あーくそほんとにくそ。車で2時間の距離走って帰ったらどれくらいだろ?笑えない。







補助監督の男は御三家が禅院家の末端の人間だった。禅院家の一部にはここ最近聞き捨てならない情報が入ってきていた。
〈非術師家系出身の呪力ゼロのフィジカルギフテッドの女が呪術高専東京校に在籍し、術師として活動している〉と。
かつて呪力ゼロの人間を排除した過去のあるこの家では、呪力を持たない猿が呪術師となるなど、ましてや女が、我が物顔で呪術師を名乗るとは。あまつさえあの五条の六眼とつるんでいると聞く。全くもって面白くない。あのふざけたガキに嫌がらせするには丁度良い人材だ。
そこで何度か上層部と結託して等級違いの任務に就かせてやったが何故か死なない。さらには共に任務に行く一級術師からの推薦を受けて準一級に昇級してしまっている。実に不愉快だ。ついに禅院家の分家の分家の最下層のような、呪術師となる才能のなかった人間を使ってそれを排除すべしと、高専へ潜り込ませた。準一級術師と認められているとは言え、呪力のない女一人だ。あの量の呪霊を助けも呼べない状況でどうすることもできまい。事実手を下した人間から報告が入った。今まで苦労したのが嘘のように簡単に成功したな、と思った矢先だった。

「ーーーはい、帳の中に閉じ込めてきました。調伏しておられた呪霊も手筈通り一緒に。はい。ーーーー」
「アハ、みいつけた
「ヒッ…ヒィ?!?!なんで、生きてッーーー」
「私と一緒に、来てくれるよね?」


電話先で聞こえたやりとりに失敗を悟りすぐに通話を切り、分家を切った。あの女の近くには五条がいる。何があっても知らぬ存ぜぬだ。これで死なんとは骨が折れるーーーー。





なまえは、本人の預かり知らぬところで呪術界の闇にとっぷりと体を沈み込ませていたことに気づいていなかった。



なまえは駆けずり回って探し出した男を高専に戻るなり突き出した。
今夜はなまえが五条に提案した通り、ささやかな歓迎会を開くことになっていた。話を聞いて準備をしていた家入はなかなか任務から戻らず電話にもでないなまえを不審に思い、五条に向かった任務の概要を確認しようと声をかければあからさまに五条の顔つきが変わった。そのまま部屋を飛び出しなまえの任務の概要を調べその先に向かおうとした矢先、高専内にいたなまえの姿を確認すると瞠目した。まずは硝子を呼び出し治療を受けさせなければー。手足や顔の一部が溶け、自力でここまで走って帰ってきたというなまえの脚はボロボロだった。
なまえが共に連れ帰った男はすぐに身元が割り出され、禅院家の末端も末端にいる人間だということが明らかにはなったが、全てこの男が独断でなまえの暗殺を企てたということを本人が語って処遇について検討される間も無く自害した。
準一級術師とはいえ呪力のないなまえがいなくなったところでどうでも良いと判断したのか上層部は特に表沙汰にすることなく粛々と今回の一件を処理した。今回起きた事象の全てに五条は納得ができなかったし怒りのまま関係者を殺してやろうかと考えたぐらいだ。




「呪術師って思ったよりクソだよね」
「……そうだな」
「私、死なないよ」
「………、」
「五条も勝手に死なないでよ」
「誰に言ってんだよ」
「マリカやる?」
「今度でいいだろ」



どちらともなく握りしめ合ったその手をお互いに振り払うことはなかった。五条はぐっと眉間に皺を寄せて繋いだなまえの手を強く握りなおす。隣からはカラカラと軽い笑い声が響いてくる。


「心配性だなあ五条は」
「…無事でよかった」
「やけに素直じゃん」
「おめーもいつも一言余計だな」
「あのね、私ね、一回呪霊に喰われてあの世界の私は死んだから、今がボーナスタイムだって思いながら生きてたんだよね」
「………は?」
「今までも流されるようになんとなく生きてきた。だから、こっちに来た時も『今までとそんなに変わんないな』って思ってすぐ受け入れられた」
「………」
「呪術師がなんなのかわかってなかったし正直そこまで理解しなくてもいいやって思ってたの。適当に流されて命助けてくれた恩返ししたぐらいで死ねば十分かななんて」
「オマエ、俺を怒らせたくて喋ってんの?」
「最後まで聞いてよ。
私、初めてだったの。友達ができたの。五条とゲームしたりおいしいご飯食べたり、硝子と服の見せ合いっこしたり、夏油にいたずらしかけて仕返しされたり毎日がとても楽しい。ずっとこんな毎日が続けばいいのになんて思ってる。だから、もう適当に生きるのを辞めることにしたの。ボーナスタイムなんてもう思ってない。死なない。絶対生きる。大丈夫、信じて。」



五条を射抜かんばかりに見つめる蒼の双眸は晴れた青空のような明るい色ではなく、夜を映して深海から覗く海面のような色だった。いつも違って真剣に強い意志がこもっている。
ヘラヘラと笑っている普段の顔は見ているこちらまで気が抜けてしまうほどのもので、こんな強い意志を持った表情もできたのかと五条は驚いた。と、同時に何故かぎゅうと心臓が握り潰されるかのような痛みを感じて、辛い。

きっとこの胸に巣食う気持ちを成就させてしまえば、腐った世界の誰かに狙われているなまえをさらなる危機に巻き込んでしまうということを今日痛感した。今までにあたった今日以外の任務について聞いても、いつ死んでもおかしくないものばかりだった。嫌がらせだ。この今にも口から溢れ出てしまいそうな熱情は、もう口には決して出さない。共にいる人を自由に選べるほどの、誰にも何も言わせないほどの実力と立場は、まだ己の手にはない。それを手に入れてから、この思いを成就させると決めた。



「……死亡フラグ乱立させてんぞ」



え?!と今まで真剣にこちらを見つめていた瞳は驚愕に見開かれる。「うそ?え?私死亡フラグ立ってる?あ、でも物理でフラグ折るから大丈夫大丈夫。あれ?なんか発言すればするほどフラグ立ってる?」一人でオロオロしながら話すなまえに、思わずぷっと笑いが漏れた。不満げにこちらを見るなまえ。コロコロと変わる表情はやはり見ていて飽きない。口には出さないから、心の中で想う分には許されてほしい。



「俺より先に死ぬのは許さねーから」



そう心からの呪いをぶつければ、目の前の女はいつものようにへにゃりと笑っていた。



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