あなたの夜が悲しそう

『ごめん、クリスマスイブ仕事になった』

クリスマスデートの服どれにしようかなあ、と姿見を見ながら買ったばかりの服を見立てていたところにかれこれ五、六年ほどお付き合いをしている彼からその連絡が来た。
仕事が忙しい彼に突然予定が入ってデートが流れるのは今回が初めてではない。滅多に外に出るデートなんてできる機会がなかったのでかなり残念な気持ちは拭えないが、最近ピリピリしていた彼の様子から、なんとなく流れるんじゃないかなあと少し思っていた。手に持っていたワンピースが急にどうでも良くなってぽい、と床に放り投げる。

「仕方ないね。悟くん、無理してない?」
『うん。なまえは?風邪とかひいてない?』
「大丈夫だよ。温泉キャンセルしとこうか?」
『ー、ううん、一人で行ってきてくれない?』
「ーーーえ?」

クリスマスに二人でゆっくりしたいな、と言われて予約してくれていた温泉旅館に、嬉しいと無邪気に喜んだのはつい先日のこと。少しセクシーな下着だって用意するぐらい楽しみにしていた。そんな場所にどうして一人で行かなきゃいけないんだとさすがに顔を顰める。クリスマスイブの日だし、絶対他の客はカップルとかだろうな。一人で行くなんて寂しすぎるしどんな視線を送られるか考えただけで嫌だ。一人で家にこもっていた方がマシーと言おうとしたところでいつも飄々として掴みどころのない悟くんが今まで聞いたことのない真剣な声を発した。

『お願い。クリスマスイブは、絶対東京と京都に近寄らないで』

悟くんが、「普通の人」でないことは薄々気づいていた。大体普通の人は深夜に仕事に急に呼び出されたりしないし、変な目隠しをしながら仕事に行くこともしないだろう。
疑問に思うことは数知れず。五年以上も交際しているのにその疑問を口にしたことはない。もし踏み込んだことを聞いて関係が変わってしまうことを恐れている。彼の口から語られるまで、もしくは私の気持ちが変わるまでは何も聞かない。そう決めていた。

私の肯定以外受け付けない強い意志を伴った懇願に「どうして?」の疑問一つぶつけることができない私は、頷くことしかできなかった。




△▼


「…やっぱりくるんじゃなかった」

悟くんから送られてきた予約された旅館の詳細に度肝を抜かれた。
雪のちらつく温泉街の中を地図アプリ片手に到着したのは私でも知っている老舗旅館。二人の予約のはずなのに一人できた私を暖かい眼差しで迎える旅館の従業員。そして連れてこられた部屋に頭を抱えた。
まるでマンションの一室のように、大きなソファと大画面テレビが誂えられたリビング、ベッドルーム、客間が独立した部屋は一人で過ごすには完全に持て余す。
ごゆっくりと声をかけられ女将さんが出て行った後に大きなため息を漏らした。

特にすることもないのでここまできたら楽しむしかないかと温泉と美味しいらしいご飯を心ゆくまで堪能することにした。旅館内を歩いていると楽しそうなカップルが寄り添い合いながら歩いているのでこうなりゃヤケだ、と夕方からビールやら日本酒やらを胃に流し込んだ。悟くんはお酒を飲まないから一緒にいる時は滅多に飲まない。あーお酒と温泉サイコー、悟くんと一緒だったら味わえなかったなー!なんて強がってみる。…余計虚しくなったのは言うまでもない。美味しい夕食に舌鼓を打ちつつ、しばらくすると中居さんたちがばたばたと騒がしそうにし始めたので何かあったのだろうかと声をかければ難しそうな顔をして発せられた言葉に思わず言葉を失った。

「お客様、東京からいらしたんですよねえ?」
「?はい」
「新宿のあたり、テロが起きてるみたいですよ」
「ーえ?」
「京都も。同時テロってニュースで騒がれてます。明日のチェックアウト、時間は気にしていただかなくてかまいませんのでゆっくりなさってください」


思わず部屋のテレビをつけると、各局そのニュースで持ちきりで、でも詳細は全く掴めていないようでキャスターから発せられる言葉は要領を得ない。
ここへきて悟くんの言っていた言葉を思い出して鳥肌がたった。もしかして、彼、このテロと何か関係がある?もしかしてものすごく危ない仕事をしているんじゃないだろうか。警察ー、警察はあんな怪しい格好で仕事しないか。なんだろう…テロの情報を事前にキャッチできる仕事って何?…し、死んだり、怪我したりしてないよね?何かわかることがないかとSNSをチェックしたり、ネットニュースを更新したりしてみても、特段状況が掴めなくて東京にいるはずの知人や友人、同僚に連絡をとってみるけれども新宿近郊は避難指示が出ていて近寄ることすらできないとのことだった。
早く彼の状況を知りたいけれどもし何かあったらと怖くてこちらから連絡することすらできず、部屋の中をウロウロしながらずっと悟くんからの連絡を待った。





「なまえ、風邪ひくよ」

かけられた優しい声色に意識を引っ張り上げられてひんやりとした空気を感じた。重い瞼を開ければ、目の前には真っ黒の服を着たどこか疲れた表情をした悟くんがいて、夢を見ているのかと思った。

「なんでいるの?」
「…なまえの顔、見たくなったんだ」

寂しそうな表情でそう言う悟くんが私の横に腰掛けたことで、ソファに座ったまま寝てしまっていたらしいことに気づく。周囲を窺えば彼誰時なのか少し白んだ光が部屋の中に刺していたので朝が来たことを悟った。ソファで一晩明かしてしまったことで固まった身体が悟くんの方にぐらついた。今この場についたところなのか、悟くんが冷気を纏っていたことでこれが夢じゃなくてちゃんと彼が生きていることがわかって心底ほっとした。


「……お仕事、おわった?」
「ん、ごめんね、昨日一人にして」
「ううん。温泉気持ちよかったよ。こんないいところ予約してくれてありがとうね、悟くんも後で入ったら?」
「…君はいつも何も聞かないね」
「……悟くんが教えてくれるまでは何も聞かないよ」


かなり硬い二の腕に頭を預けるようにしてもたれていると、悟くんの体が強張ったことがわかって、いつも飄々としているはずの彼らしくないな、と目線だけ彼に向けて、驚いた。
慌ててソファに膝立ちになって身体が大きいせいで高い位置にある彼の頭を胸元に引き寄せる。


「………どうしたの。僕が泣いてると思った?」
「……ううん。私が抱きつきたかっただけだよ」


クリスマスだもん、とつぶやいてぎゅう、と強く彼の頭を抱きこんだ。悟くんは特に何も言わず、されるがままになっていて、広い部屋の中には互いの呼吸の音だけが響いている。ひんやりする空気と悟くんの冷えた体温に私の熱が持っていかれそうだ。私が息を吸うたびに僅かに揺れる悟くんの頭に、呼吸を止めてしまいたくなった。そんなしばらくの沈黙を破ったのは悟くんの方だった。


「…僕、親友がいるんだよね。たった一人。そいつとお別れした」
「…………、へえ、悟くん二十八年生きてて親友一人なんだ」
「なまえさ、そういうところあるよね」
「悟くんの親友ができるんだから、きっといい人なんだろうなあ」
「ちょっと。どういう意味?」
「お別れかあ…寂しいね」
「…………そうだね」

私の胸の上にちょこんと乗った悟くんの顔はいつもより少し青白くて長い白い睫毛の向こうの輝く瞳は憂いを帯びていた。その表情が見たことのない親友さんへの想いを物語っているようだった。

「…よしよし、疲れた悟くんにいっぱいよしよししてあげよう」
「………うん、いいね。浴衣でブラしてない君のおっぱいに顔挟まれるの癒される」
「うんうん、調子出てきたね。でも揉むのは許可してないよ」
「けちんぼだなあ」
「お尻もダメ」
「えーっ今日は傷心の僕のお願い聞いてくれるデーじゃないの?」
「あはは。……お花でも買って帰ろうか。親友さんは何色が好き?」
「花かあ…僕あいつの好きな色なんて知らねーっ」
「男の子だと好きな色の話なんかしないかあ」
「………ふふ、僕なまえのことやっぱり好きだな」
「私も悟くんのこと好きだよ」



胸に押しつけた顔がぐりぐりと奥に潜り込もうとするので少し痛いが、我慢して頭を撫で続ける。柔らかい肌触りの良い白髪を撫でているとなぜかこちらが気持ちよくなってきた。きっと昨日のテロで何かがあったんだろうけど、事情なんて知らないしそもそも本当に悟くんがあのテロと関係があったのかさえ想像の域を出ない。彼の親友がどんな人なのかも知らない。なんて声をかけるべきなのか平凡な私にはわからないので黙って悟くんの頭をゆっくりとまるで子どもにするみたいに撫で続ける。あなたのこと、もっと知りたいと思ってたけどそんな悲しそうな顔を見たかったわけじゃないんだよ。悟くんのぐりぐりした動きのせいで浴衣がはだけてしまった胸元がなぜか濡れ始めたが気づかないふりをした。




弥生様、今回は企画へのご参加ありがとうございます!よしよしするorされるということで、なんにも知らない非術師ヒロイン存分によしよしされる最強を書いてみました。
メッセージありがとうございます。これからも驟雨をよろしくお願いします。素敵なリクエストをありがとうございました!


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