たとえ全て忘れてしまっても

「悟ー本番始まるよー」
「おー、今行く」

相方から掛けられる声に適当に返事をして鏡を見ながらきゅっとネクタイを結ぶ。首元まで締めると少し調子が狂うから緩めに。いつも通りの黒のジャケットに袖を通してうん、完璧。俺ってば今日も最っ高にイケてるね。そこらのモデルよりも背高いし、イケメン俳優と並んでも遜色のないこの顔面。そんでもってこの面白さ。最強じゃね??人生イージーモードで最強で最高なのに漠然と感じる物足りなさは何なんだろう。


「「どーもー祓ったれ本舗でーす」」


劇場内に今日もどっと大きな笑いが起きた。うん、やっぱり俺たち最強だな。大きな歓声、拍手を受けて舞台からはける。毎日テレビやラジオの収録予定もびっしりだし、金だって有り余るほどある。足りないものなんて、ない。気のせいだ。



舞台終わり、マネージャーに連れられるがまま次の現場にタクシーで向かいながら通知の来ているアプリを開いて顔を顰めた。一体どこから流出しているのかわからないが大量に送られてくるどこぞの女の子たちからのメッセージにため息をつく。

「うわ、いつもながら酷いねこれ」
「勝手にみんなよー傑のエッチ」
「返事返さないのかい?」
「だって一人も知ってるやついねーし、ブロックすんのもめんどくせーから全部無視。もううぜーからアプリ削除しようか迷ってるくらい」
「悟って意外と女の子に興味ないよね」
「意外とってなんだよ。あーなんか、しっくりこないんだよなー、途中でめんどくさくなって付き合うまでいかないし」
「枯れるの早くないかい?」
「枯れてねーわ悟くんのサトルクンは元気いっぱいだわ」


ギャーギャーいつものように言い合いをしながら次の仕事場らしいスタジオに到着した矢先に二人揃ってあれよあれよと服を剥かれて着せ替え人形のように知らないやつがいないハイブランドのスーツを着せられ普段全くつけないアクセサリーも装着させられた。軽く化粧を施されてからあれ?次の仕事なんだっけ、と傑を見たらハァと大きくため息をつかれた。

「私たちこのブランドのアンバサダーになっただろ」
「あー?そうだっけ?」
「伊地知が泣いて喜んでたじゃないか」
「俺たち芸人だろ?ファッションブランドのアンバサダーになって喜ぶってそれ正解なワケ??」
「……悟は撮影終わるまで口を開かない方がいい。先方に悪い印象を持たれる」
「はァ〜〜??喧嘩売ってる?買うけど?」
「ほらほら撮影始まるからお口チャックして」


ジッパーを閉めるようなジェスチャーを口元でする傑にジト目を送る。スタッフに指示されるがまま傑とツーショットの写真だったり一人の写真だったりを何枚か取られて、着替えて、また撮られてというのを何回か繰り返して終わった頃には漫才では消費しない謎のエネルギーが使われて、クタクタだった。
お疲れ様でした、とスタッフに言われてこれ契約期間中何回かあるのかーと思ったら少しうんざりした。
さっさと着替えて次行こうぜーとスタジオから出て楽屋に入るための角を曲がった時だった。胸元にドン、と衝撃が広がった瞬間にぶわり、全身の毛穴が開いたかのような鳥肌が立った。


「あっ、ごめん、なさい……?」


額を抑えながら見上げられた、長い睫毛に覆われた勝気そうな蒼い瞳に視線が吸い寄せられた。ぶつかった衝撃は胸元のはずなのに、目の前の女から発せられた声に何故か頭にガツンとトンカチでも打ち付けられたかのような衝撃を受けた。心臓の音がやけにうるさい。まるで耳元で心臓が鳴っているような感覚。
根本から毛先まで薄いピンクの髪は地毛なのか、痛みも枝毛もなく腰元で切り揃えられており、女の動きに応じて滑らかに揺れている。それがどこか懐かしさを覚えていつものようにその髪に触れようとした、ー待て。いつも?初めて、会ったはず。こんなに印象に残る女に会ったら絶対に忘れるはずない。なのにこの女のことを俺は、僕は、知っている。ーは?僕?


「…なまえ」


口が勝手に呟いた名前にハッとする。なまえ?何言ってんだ俺。おかしい。完全におかしいやつだ。この女がどこの誰だか知らないが、明らかに今から撮影とでも言いたげな風貌で、着ている衣装のロゴから先程自分たちが撮影したブランドを見に纏っていることが見てとれた。モデルか、女優か何かだろう。こちらを知ってるのか知らないが仕事の直前に初めて会う芸人に声をかけられて不快にならないやつがいるだろうかーいない。実際目の前の女の綺麗な額に信じられないぐらい深い皺が刻まれている。あー、やっちまった。この子なら、ありかなって思うくらいに胸が高鳴っているのに、きっとこんな変な初対面じゃ警戒されるだろう。しくった。とりあえず引き際だけでもと一度会釈して立ち去ろうと一歩踏み出した時だった。


「待って!」


がしり、異様に白い手に腕を掴まれた。昔と違って手にタコもできていないし、皮も分厚くなっていない、指先には髪と同じ桜色が乗っていて、そんなところにも違和感。ーーだから、昔って何だよ!違和感って何だ!初対面だっつってるだろ!



「どこかで、会ったこと、あるよね?」


戸惑うような表情から出たとは思えないまるでナンパの常套句のセリフのようなそれに笑ってしまう。ホントに言うやついるんだ、ウケる。でも、同じこと俺も思ってた。
困惑したように俺の顔をまっすぐ見据えるこの子も同じような違和感を俺に感じているらしい。そのことに、言いようのない高揚感のようなものが胸に広がった。…そういえば、傑と初めて会った時もこんな感じで戸惑ったことがあったっけか。


「なまえさーん撮影始まりますよー!」
「……今、行きまーす」


先程出てきたスタジオからかけられた声に反応した女の名前が、さっき自分が呟いた名前と一致していたことにさらに鳥肌が立った。え、何。俺、記憶喪失にでもなってる?どこで会った?何か、大切なことを忘れてる気がする。さっきから晴れた日の青空みたいな瞳から目が離せない。


「記憶力、いい?」
「は?」
「090-※※※※-※※※※。連絡して、今から仕事だから。あなたとちゃんと話したい」


一度も離れなかった視線が、名残惜しげに逸らされた。
カツカツ、高いヒールを履いたすらりとした脚は俺を横切って通り過ぎていく。ふわり、風に乗って香った香水の奥に、懐かしい気配を感じて胸が締め付けられるみたいだった。


「………悟、顔真っ赤だけど」
「はっ?」

そういえば、傑がいたことを忘れていた。微笑む傑に生暖かい視線を送られてぶわわと顔に熱が集まるのを感じる。


「……あの子、会ったことある気がする…なんだろう、変な感じだな。雑誌で見た時は特に何も思わなかったけど…」
「あの子知ってんの?モデル?」
「そう。悟知らないのかい?結構有名だよ。ー悟と初めて会った時みたいな違和感だったな……」

その傑の一言に背筋がヒヤリとした。あの子に対して似たような感想を抱いているー、一瞬傑とあの子が付き合うところを想像して、吐き気がした。絶対嫌、駄目。それだけはナイ。マジでナイ。

「ダメ。傑だけは駄目」
「何が?」
「あの子、僕がもらうから」
「僕????悟頭打ったかい?」
「打ったかも。なんかすげー衝撃だった。まだ心臓バクバク言ってるんだけど…。ハハッ俺今まで運命とか信じてなかったけど今から信じるわ」
「……悟が壊れた…」
「やば。俺あの子と前世で恋人だったかもしんない。名前知ってたんだけど。そんなことある?ねえ!やばくない?!傑!!聞いてる?!」
「………あー聞いてる聞いてる。ウマクイクトイイネー」


さっき聞いた電話番号を高速でスマホの連絡帳に打ち込む。連動したメッセージアプリが彼女のものと思われるアカウントを表示して秒速で友達追加した。鬱陶しい、顔も名前も知らない人間のアカウントを全てブロック削除するのも忘れない。
プロフィールの写真、海外の写真っぽい。うまそうなの食ってて幸せそうな顔して可愛い。旅行が趣味なのかも。いいな、付き合ったらたまにはオフをまとまってとって海外で過ごすのも楽しそう。パパラッチ心配しなくていいし。モデルって食事制限凄そうだけどこの子なんとだくだけどちゃんと食べてそう。健康的でいいな。
ていうかあのブランドの服着て撮影ってことは、あの子もアンバサダーなんだろうか。え。カップル撮影とかできるんじゃね??よっしゃ伊地知に言って組んでもらお〜。撮影面倒臭ぇーって思ってたけど前言撤回。この仕事とってきた伊地知に珍しく感謝を言いたい気分だ。
やばい。今別れたのにもう会いたい、話がしたい。あの子のことが知りたい。あの子に触れたい。


『仕事の後、会いたい』



スマホを握って誰かからの返信をソワソワしながら待つのは初めてだ。
さあ、既読がつくのは一体いつだろうか。





ずんだ餅様、リク企画にご参加くださりありがとうございました!
いろいろ原案を考えていたのですが、現パロ転生設定であえて記憶なしのお話をかかせていただきました。あと2、3話書けそうな話になってしまいました…笑
メッセージもご丁寧にありがとうございました!
楽しんでいただけると幸いです!
今回は素敵なリクエストありがとうございます。


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