忘れられないロマンス 後

同じ場所に留まっていたからか、呪霊の湧く量が増えてきたせいで、このままだと店に迷惑をかけかねないと退散することにした。急いで飲み切ったコーヒーの甘さがまだ舌に残っている感じがする。先ほど歩いてきた道を今度は彼女のマンションに向かって歩き始めた。会話が途切れない。ずっとどちらかが話していて、自然と会話が続く。ずっと前から知り合い同士だったんじゃないかと思えるほど、隣にいるのが自然に思えた。
歩道を歩いていたら、背後から自転車がくる気配に顔を顰め、彼女の手を引き寄せた。一瞬驚いた様子だったが自転車が来たことを悟って「ありがとう」と見上げられたことでキャップとマスクの隙間から彼女の瞳が伺えて満足する。手を離すのが勿体無くて、指を絡めるように繋ぎ直せば、彼女から拒否されなかった。キャップとマスクのせいで、彼女がどんな顔をしているのかはわからないが、話す声色は嬉しそうだ。他人との会話で顔色や声色を伺ったことのなかった俺にとっては全てが新鮮だった。ついでだから彼女の身体にも無下限を張っておく。最初からこうしておけばよかった。

彼女のマンションに戻り、今度は地下駐車場ではなくエントランスから入るべく彼女が鍵を取り出そうと手を離した瞬間だった。近くで呪力の跳ねる気配がした。


「なまえ!」
「え?きゃっ!」

慌てて彼女を背に隠し現れた男から距離を取る。
男は先ほど写真で見せられた人物に間違いがなく、かつ彼女を取り巻く呪力がこの男のもので間違いないことを確認した。


「お前誰だ…」
「いや、こっちのセリフだわ」
「僕の、僕のなまえちゃんと手を…?殺してやる!!!!」
「殺せるもんならやってみろよ」

頭に血が上った男は力量差もわかっていないのか突っ込んでくる。場所が場所なだけに派手な術式を展開できないことに舌打ちをついた。
目の前で仮にもファンだという男をミンチにしてしまえばさすがの彼女もトラウマになりかねない。できるだけ綿密に力をコントロールして右足の指を捻った。


「ぐあああああ」
「はぁ、オイ、お前。アイツにかけてる術式解除しろよ。はー呪術師は万年人手不足だってのにこんなことに使うなつーのしょーもねぇな。呪霊引き寄せる術式なんて使いようによっては任務すぐ終わりそうじゃね?」
「僕は彼女のためを思って、!いっでぇぇぇええ」
「お前なんで勝手に喋ってんの?許可してないだろ?お前に許されてるのはアイツを解放することだけ、わかるか?」
「許さない、許さない、許さない!!!僕が一体君にどれだけ金と時間をかけてきたと思ってるんだ!!こんな野蛮な男と手を繋ぎながら出歩きやがって!!僕はいつも家に入れてくれないどころか最近は目も合わせてくれない!!スタッフの後ろに隠れて知らないやつみたいな態度とって…なんでだよ!!!僕と君との仲を割こうとする人間はみんな消えればいい…!」
「おいお前…」「悟くん!!待って!!!」


あまりの剣幕に両手の指でも捻れば黙るか?と考えていれば後ろ手に隠していたなまえの俺を静止する声に顔を顰めつつ彼女を見やった。

「待って、少し、話してもいい?」
「…いいけど、危ないから俺の手握ってて」
「ううん、ちゃんと、一対一で話したいの」

俺の無下限術式のことなんて知らないなまえは繋がる手をやんわり離して無下限の切れた生身の体で足が捻られ動けなくなっている男の前まで行き、しゃがみ込んだ。


「ーーさん、いつも応援してくれてありがとう。あなたが、私のデビュー当時から応援してくれてたこと、ちゃんとわかってました。手紙も、差し入れもいつもありがとうございます。」
「なまえちゃん…!」
「でも私、あなたの恋人ではありません。アイドルでもありません。私は、お話の中の一つの役を演じるだけの役者にすぎません。あなたが応援してくれているのはあなたが夢見ているみょうじなまえを演じている私です。私はあなたのためだけにその役を演じるわけにはいかないのです。」
「そんな…!」
「思ってた人じゃ無かった、失望した、そう思われたのなら、もう応援していただかなくて、結構です。私の大切なスタッフを傷つけて、正直許せません。ですが、昔から応援してくれていたあなたに感謝もしています。だから、これ以上はもう、やめてください。」
「うう、うう、僕は、なまえちゃんのことが本当に好きで、君の笑顔に癒されて、ドラマだって君が名前のない役で出てた頃から好きだったのに…」
「はい、ありがとうございます。とっても嬉しいです。これからもあなたのように応援してくださる方のためにも頑張っていきたいんです。これからも『女優のみょうじなまえ』を陰からそっと、応援していただけませんか?」


男の手を握って心からそう懇願しているように見える彼女の恐ろしさと迂闊さに震えた。悔しそうに涙を流しながらも、手を握られていることが嬉しいのか頬を染めて頷く男の情けなさに呆れてしまう。男の欲しい言葉を並べて喜ばせ、でも自分の要求も通すー、間違いなく悪女だと思った。項垂れた男の戦意が喪失したのか、彼女を纏う呪力が少しずつ穏やかに収束していくが、まだ揺蕩っている。


「おい、悪あがきやめろ。全部わかってんだからな」
「……、彼女への差し入れに呪力を混ぜた、少ししか口にしなかったんですね、たくさん食べたやつが呪霊に襲われたでしょう。時間経つと効果なくなりますから」
「………まさか、差し入れのお菓子に?既製品のはずでしたが」
「…はあ、開封しなくても呪力は混ぜれるかもね。なまえ、他人からもらうモンもう食わない方がいい」
「…………」


他人の呪力の混ざったモン食わされるなんて想像しただけで吐きそう。
さすがに顔の青くなった彼女に同情する。今にも吐き出してしまいたいだろう。吐いてもおそらく効果は変わらないだろうが。とんでもない男だなこいつ。地下駐車場で待機していた補助監督を電話で呼び出し、男を預ける。


「こいつはこっちで預かるぞ」
「…うん、」
「あと、呪力が完全になくなるまでは呪霊寄るから。しばらくは高専の中にいたらいい。高専の中には呪霊入ってこられないから」

こくん、と頷いたなまえを見た補助監督はすぐに車の手配と高専にことの顛末を報告し、呪力を封じられた男を連れていった。




_______


男の言っていた通り、二日もすれば彼女を取り巻く呪力は綺麗さっぱりなくなり、すっかり彼女はパンピーに戻っていた。
呪力がなくなるまでの間、硝子の隣部屋を割り当てられた彼女はおとなしく部屋の中で二日を過ごしていたらしく、高専関係者の中でもみょうじなまえが高専内に匿われているという事実を知るものは少ない。


「悟、いいのかい?」
「なにが」
「彼女、もうそろそろ高専を出る時間だ」


二人でこっちに戻ってきてから、ろくに話してないだろうという傑に自室のベッドに寝そべる体勢そのままでなんとか表情を変えないように気をつけながら「もう任務終わったから俺には関係ねー」とだけ告げる。
たった一日。なんなら一日も一緒に過ごしていない。
今日でみょうじなまえ護衛任務は終了、もう彼女と会い見えることは二度とないだろう。パンピーで女優なみょうじなまえと、最強で一般人な五条悟はこうやって出会えたのはバグみたいなもので、これからはきっとどうやっても交わる場所なんてない、これからも違う世界で輝くだろう彼女にとっては、呪いと関わることなんてないほうが絶対にいい。
彼女が術師だったなら、ただの取り留めのない非術師だったのなら、考えても仕方のないもしもは彼女の設定を変えたものばかりであくまでも自分本位なもので笑える。

今まで与えられるものが多すぎて欲しいものなんて特になかった、欲しいと思ったものは手に入って当然だと思っていた。初めてできた欲しいものは、自分が手にしてはいけないものだった。


あの男に向けて言っていた『これからも『女優のみょうじなまえ』を陰からそっと、応援していただけませんか?』という言葉は自分にも向けられた言葉といってもいい、自覚した瞬間から終わりが見えていた。


「悟がいかないなら、高専外までのエスコートは私が務めようかな。連絡先でも聞いてみることにしようか。今後の調子を確認するため〜なんて名目で外でも会えるかも。当たってみないことには砕けるかどうかもわからないね」
「!ふざけんなもう解呪してんだろ!」
「何をいじけてるんだい、君らしくもない」
「は?!いじけてねーし!」
「私に行かれるのが嫌なら君が行くことだね」


硝子が言うには寂しそうだったみたいだよ、という傑の言葉が聞こえた途端、これで本当にもう会うことはないんだと気付いて、ふて寝していた体を慌てて起こし、部屋から飛び出した。


「悟ー!忘れ物だよ!」
後ろからかけられた傑の声に振り返れば、ぴらぴらと傑の手によって揺られる物が目に入って「なんでお前が知ってんだよ!!」と叫びながらそれを奪取する。ニヒルに笑っている親友は、揶揄おうともせずに何故か嬉しそうな表情を浮かべていて、むず痒くなってそのまま踵を返した。


慌ててなまえのわずかな呪力を辿って駆けつければ、初めて出会った場所で会った時と変わらずキャップを目深に被り、マスクをつけた姿で夜蛾センと硝子に見送られながら彼女の迎えにきたであろう車に乗り込むところだった。くっそ傑エスコートどころかもう着いてんじゃねえか!適当なことばっか言って煽りやがって…!


「なまえ!」
「悟くん…?…もう会えないかと思ってた」

キャップをとり、マスクを外した彼女は相変わらずの大きい目を見開き驚いている様子だった。そんな顔まで可愛いって反則じゃね?

「……うん、そのつもりだった」
「……そっか」
「…ちゃんと解呪されてるか確認しとこうと思って。大丈夫そうだな」
「悟くん、本当にありがとう」
「…いや、こっちも仕事だから」
「ー、そっか。そうだね」


ふわり、やわらかく目尻を下げて笑う彼女にまた見惚れてしまう。好きだ。馬鹿げてる。女優を好きになるなんて、術式使ってまで呪った男と同じだ。
くしゃり、自分の右手に握られた選別の品が風に揺れて捲れる音が耳に届いた。


「そうだ、これ渡しとく」
「?うん?お守り?」
「俺が丹精込めて作った呪符。俺の呪力混ぜてあるから、また呪霊に襲われたらこれが守ってくれる。一回しか無理だけど。また何かあったら高専に通報しろよ、友情料金で護衛してやるよ」
「…ふふ、わかった。そのときはまたお願い。
これ、今までもらったプレゼントで、一番嬉しい。ありがとう」


ふわりと笑う彼女はとても大切そうに俺の渡す呪符を皺にならないように美しい白い手で包み込んでいた。


「ハハッ、さすが女優だな。こんな紙切れ一枚で本当に嬉しそう」
「天職でしょう?」
「…ウン。危うく騙されるとこだった」
「…、私、たくさんお世話になったのにお礼の品を用意するの忘れてた」
「いーよ、一日だけだったけど人気女優の彼氏気分味わえて楽しかったよ。呪霊とのダブルデートみたいなモンだったけど」
「、でも」
「じゃ、俺のこと覚えてて。国民的女優の忘れられない男って肩書きかっこよくね?」
「ー、ふふ、わかった。ずっと、覚えてる」
「うん。じゃあ、元気で、なまえ」
「悟くんも、元気でね」


手を振って踵を返した彼女は、髪を靡かせながら待機していた車に乗車し、発車するまで一度もこちらを見なかった。
肩にポンと置かれた手に振り返れば硝子がこちらにタバコを向けていて、「吸うか?」なんていつもバカスカ吸っている一本を真顔で俺に向けてきた。
「ハッ何気ー遣ってんの?」
「……珍しくへこんでんのかと思って」
「この俺が?晩飯何かな〜って考えてただけだわ!」
「……あっそ」
「はー!やーっと終わった!なっげー任務だったー!」
結局自分で吸い始めた硝子のタバコの煙が風に乗って上がっていくのをただただ見ていた。











「五条先生、起きてください!つきましたよ!」


恵の声で目が覚める。随分懐かしい夢を見ていた。
どうやら車の中で寝こけていたらしい。運転席で苦笑している伊地知と、助手席にいる悠仁、後部座席に自分と並んで座る恵と野薔薇に見つめられていた。寝ているうちに少しずれたらしいサングラスを直す。


「特級も大変ね、寝る暇ないの?ホラ!今日こそ回らないシースー連れてってもらうわよ!」
野薔薇に車から引き摺り下ろされてそういやそんな話をしていたなと思い出した。

『あなたのこと、忘れない』聞き覚えのある声が頭上から聞こえて見上げれば巨大な電光掲示板の中で先程まで夢に見ていた女優が出ている香水のCMが流れていて思わず足を止めた。
確かに匂いって忘れられないよね、まだ君の匂い覚えてるもん。あれからいろんなことがあった。クソみたいで全部投げ出したくなるようなこともあった。でも僕の行動がひいては君の生きる世界を守っているんだと思えば悪くないなと思えた。忙しすぎて君のことなんてすっかり忘れていた瞬間だってあったのにふとした瞬間にこんな風に君は僕に思い出させるの、ずるいよね。
君は、約束通り僕を覚えているのだろうか。


見上げていた視線を生徒たちに戻す。あれから数々のイケメン俳優たちと浮名が流れていた彼女のせいで一時期は僕まで爛れた生活を送ってしまった。彼女が僕を覚えているかどうかなんて確認のしようもないけれど、呪われたことなんてなかったかのように相変わらず綺麗に笑っていて、元気そうで何よりだ。

「せんせ?何してんの?あ、あのCM見てたん?」
「先生もみょうじなまえみたいな女が好きなの?男って好きよねー。伏黒は?」
「名前と顔は知ってる」
「俺も好きー綺麗だし!目の前にいたらゼッタイ見惚れんね」
「ー、そうだね。十年以上前から好き」
いたいけな青年の淡い初恋を掻っ攫ってった女だよなんて言えばゲーとした二人とキラキラした一人に見つめられる。
「せんせーも憧れの女優とかいたんだねー意外」
「そりゃいるさ、彼女は僕の特別ー、ーー?」


一年三人組におちゃらけて告げるつもりだった言葉は途中で空気に溶けていった。なぜならものすごく近くでなかなかに大きな呪力が発動する気配を感じたから。そしてその呪力が自分のものだったから。意味がわからなくてさすがに顔を顰める。

「先生!」
「うん、なんだろね。野薔薇、残念だけど寿司は先延ばしかな」
「クッソ!」

一年を置いてとりあえず急いで現場に飛べば一人の非術師が暗い路地の道端に座り込んでいた。やはり自分の残穢と、呪霊がいた気配が残っている。どういうことかわからず座り込む非術師に話を聞くしかないかと近づいてすぐに足を止めた。


「ーなまえ?」


そういえばこの路地、来たことがある。忘れようとわざと近寄らないようにしていた場所だ。こちらの声に反応して肩をびくつかせて振り返った女性は相変わらず帽子を目深に被り、マスクをつけているせいで顔が全くわからない。だが、震える手に握られているのが経年劣化からか変色はしているが過去に自分が渡した呪符であることに気づき喉に変な空気が通った。


「ー、悟、くん?」


わずかに帽子とマスクの隙間から見えた瞳と、マスク越しのくぐもった声は明らかに記憶にある彼女のもので呆然と立ち尽くす。まだそれ、持ってたの、まだあの店通ってたの、僕のこと本当にまだ覚えてたの、言いたいことはたくさんあるのに言葉にならない。すぐに一年の三人組がやってくる気配がする。


「ー、また、助けられちゃったね」


帽子とマスクを外したなまえが困ったように笑ったのを見て、吸い寄せられるように華奢な身体を抱きしめた。その瞬間覚えのある香りが鼻腔をくすぐりたまらなくなる。少し細くなっただろうか、あの頃は抱き寄せたことなんてなかったー、いや、出来なかったから答え合わせなんてできないけれど。


「悟くん、結婚はした?」
「最初の質問がそれ?」
「だって不倫スキャンダルは困るもの」
「君のせいで、独身」
「ふふ、私も」
「それって僕のせい?」
「私の忘れられない男枠を奪っていったのは悟くんでしょ」


到着した生徒が、色めきながらこちらを見てるのが視界に入ったが、気にしていられない。ずっとこうしたかった、僕ってめっちゃ一途だと思わない?なんて笑えば、なんか悟くん変わった?とくすくす耳元で彼女の笑う気配がして、彼女の顔を両手で優しく包む。ずっと見たかった彼女の瞳は昔よりもその瞳の中に熱を孕んでいる気がした。

「相変わらず、君は綺麗だね」
「そんなことが言えるようになったのね」
「そう、僕大人になったんだよね」
「僕、なんて言ってる」
「もう黙って」

ムードもかけらもない路地裏で、生徒に声をかけられるまで何度もキスを交わしながら抱きしめ合った。




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おにく様、企画へのご参加ありがとうございました!ひぇーめちゃくちゃ長くなってしまい前編後編になってしまいました!!ごめんなさい!!
結びも、もう少し中の内容濃くして会わないまま淡い初恋で終わらすか迷ったのですが、ハピエン厨なので少し中身削って未来まで書いてしまいました、笑
特にご指定がなかったので呪専五か先生五で書くかも迷ったのですが、完成してる先生五が女優を好きになってるイメージ湧かなすぎたのでまだまだ青い呪専五に行ってもらいました!もし先生五でご想像されていたら申し訳ないです…!素敵なテーマで妄想が滾りました!!ありがとうございます!!
いつも楽しんでいますとのコメントとても嬉しかったです〜!体調までお気遣いくださりありがとうございました!!もしかしてフォロワーのおにく様でしょうか…?違ってたらすみません…!
今回は素敵なリクエスト本当にありがとうございました!


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