忘れられないロマンス 前

適当に目が覚めた時間に気分で稽古をして寮に戻って朝飯を食う。ルーティンではなく毎日気が赴くままに行動していれば、教室に着く時間は日によってまばらで、今日は始業から十分は経たないくらいの遅刻だった。ガラ、と教室の扉を開けばいると思ってた夜蛾センはいなくて、傑の携帯画面を硝子が一緒に覗いていた。

「おはよー、傑、硝子、何見てんの?てか夜蛾センは?」
「はよー、上に呼ばれて遅れてくんだって。助かったねー」
「おはよう、悟。ニュース見てない?」

朝からニュースなんて見てるわけもなく。頷けばずい、とスライド携帯の画面を見せつけられた。

『女優、みょうじなまえ(20)無期限活動休止を発表』

「え、マジ?最近もドラマとかやってなかった?なんで?クスリキメてたとか?」
「体調悪いらしいらしいよ。私もそうかと思って最近の映像見て瞳孔とか見てみたけどヤクではなさそ。ま、素人目線だけどね」
「おいおい、二人ともなんてこと言うんだ」


毎クールのドラマのどれかに出てて、テレビつけたら彼女のCM見ない日はないってぐらいテレビに出ずっぱり。何なら俺もこの女優可愛いなーなんて思っていた。誰もが名前も顔も知ってる若手女優の事実上の引退宣言のようなニュースは日本に激震を走らせたそうで。先日上映開始をした映画の舞台挨拶に出ていたにも関わらず突然の休業宣言に世間はクエスチョンマークで、結婚・薬物・病気か等々騒ぎ立てているらしい。ニュースをつければこの話題がほぼほぼ独占しているそうだが、呪いを祓ってる俺らと同じ世界線か疑わしいほど平和な非術師の世界にもはや笑えてくる。
たかが女優が休むってだけでそんなによく話を広げられるな。暇か。この女優も軽い気持ちで休むこともできないで可哀想なこった。ま、関係ないしどーでもいいけど。
どこか現実味のない話題はすぐに次に移って、みょうじなまえのことなんて忘れた頃に、なかなか現れない担任に痺れを切らしもう寮に戻ろーぜ、なんて言っていればガラ、と教室の扉が勢いよく開いた。


「悟、いるな。護衛任務だ」
「護衛?」
「あぁ。みょうじなまえ氏を知っているか」


担任の口から出たのは先程この場の話題を独占していた国民的女優の名前だった。


「さっきその話になったけど?芸能活動休止するって?」
「ああ、彼女は今呪われている」
「「「は?」」」
「…数ヶ月前から脅迫文が届いていたそうだ。SPもつけていたらしい。だが段々、周囲で事故・行方不明者が出るようになって遂には本人が『化け物がいる』と言い始めたそうだ。…当初は薬物かと疑われたそうだが警察、窓を通じてこちらに通報があった。」
「ふーん」
「どうやら呪った人物のアテがあるそうだ。何度もしきりに彼女への接触を試みているようでな。彼女を護衛しつつ対象人物の捕獲を頼む」
「それってパンピーなわけ?」
「…アテのある人物が呪っているのかもまだわからん。だが彼女はなんらかの術式を使われている。発動条件もどんな術式かも不明だ。お前なら何かわかるだろう」
「めんどくせー任務だな」
「…先方の指示に従うようにな。任務完了までつきっきりだ。」
「はあ?!そんな面倒な任務絶対ずぇ〜〜ったいヤダね!!!俺じゃなくてもいけるだろそれ!!」
「駄目だ。彼女の近辺に湧いているのが低級呪霊ではなかった。万が一のことがあった場合、注目度の高い女優の変死事件なんて起きてみろ、緘口令も敷けないだろう」
「じゃあ傑は」
「傑と硝子はこれから別の任務だ」
「残念。私も一目みょうじなまえに会ってみたかったね」
「同じくー」
「そもそも術式の詳細がわかるのは悟、お前だけだ」

心にも思ってなさそうな声と顔で女優に会いたかったと宣う傑と硝子に若干殺意が湧いた。
世間で話題のみょうじなまえの芸能活動休止騒動はどうやら平和な世界の話じゃなかったらしい。俺が出るほどの呪霊が湧くってどんだけ呪われてんだ。ゼッテー呪詛師が関与してんだろそんなもん。一般人が一人の女優に対して呪いたい気持ちが芽生えたとしても雑魚呪霊一匹湧くかどうかだろ。呪詛師に狙われるなんてついてねー女優だな。


「あーめんどくせ」
「まあそういうな、悟」
「美人だし役得だろ。女優に会うどころか護衛するなんてなかなかない機会じゃん。サインもらっといてよ」
「はあ?ヤダよファンだと思われんのめんどくせ」


別の任務に向かう二人と高専の出口まで歩く。あまりの面倒そうな任務にため息と愚痴しか出てこない。傑に代わってくれよ、と言ってもいつまで拘束されるかわからない面倒なこの任務のせいか全く頷こうとしない。あークソ、「普段の行いが悪いからだよ」なんて言ってくる傑のせいで余計イライラするわ。

ようやく降りてきた高専の出入り口まで来て、門の前、高専の内側でやけに姿勢とスタイルの良い一般人が補助監督と話しながら立っていることに気づく。キャップを目深に被り、マスクをしているせいで顔はわからないがニットのワンピースが体型を拾っているおかげで性別はわかる。誰だあれ?俺に気づいたらしい補助監督が一礼したせいで、女がこちらを振り返り、マスクと帽子を外し、さらりと長い髪が揺れるのが見えた。

「五条悟さんはどなたですか?」

顔を見た瞬間に目の前の女が誰なのかを悟った。補助監督の「こちらが今回みょうじさんを担当する五条です。」という声で形の良い大きな瞳がこちらを射抜いた。なんでここにいんの?という脳内の疑問については補助監督の「五条さん、高専内にいた方が安全と判断し、ひとまずお連れしました」という回答で納得した。
それより顔ちっっっっっさ。俺が言うのも何だけどそれ何頭身?テレビから聞こえていたそのどれとも違う澄み声は脳にダイレクトに刺さってくるような衝撃で、テレビ通して聞く声と生の声って違うんだ、なんて素人のような感想を抱いた。非術師パンピーなはずの目の前の女のオーラに圧倒された。こんなこと生まれて初めてだった。
横目に見た傑と硝子も目の前の女優に釘付けになっているのがわかる。
すっと姿勢良く立っているその人は、モデルのウォーキングのような足取りで目の前までやってきた。歩くたびに揺れる髪がすげぇサラサラ。彼女が近づいてくるのを一言も発さず、動くこともできず、見つめることしかできない。


「初めまして、みょうじなまえです。」


風に乗ってきたのかめっっちゃいい匂いがした。何この匂い。香水?香水ってもっと鼻につくっけ?なんの匂いかわからないがこの女から発される匂いはずっと嗅いでたくなるほどいい匂いだった。女優ってすげえ。
「ご迷惑をおかけしてごめんなさい、お世話になります」という言葉と共に、すっと差し出された手は日焼けなんて生まれてこの方一度もしてませんといった白さで、綺麗に色づいた指先から全てがまるで繊細に考えられたポーズのように見えた。自分の名前を知らない一般人(自分のことを一般人なんて形容する日が来るとは思わなかった)なんていないことをわかっているはずの目の前の女優は丁寧に自己紹介をする。ステレオタイプなイメージだが女優なんて高飛車でこんなことに巻き込まれたらすぐにヒス起こすような人種だと思っていた。イメージと実物の乖離が大きくてうまく受け入れられない。
向けられた女の顔は見たことがないほど小さく、その小さい顔の中に全てが満点のパーツを均等に誂えているような顔をしていた。自分の面の良さを理解していたが故に、他人の顔面に見惚れたことなどなかった。握手をするよう差し出されているのはわかっているのに、動くことができずただただ目の前の女を凝視してしまう。惚けた俺を尻目に「任務、代わろうか?」と傑に言われようやく我に返り、思わず睨みつけた。「さっさといけよお前らは!」という俺にニヤニヤとした視線を送ってくる二人を見送り、まだ差し伸べられる手をスルーして目の前の女優に声をかけた。

「アンタ、いつそんなめんどくせーもんつけられたんだ」

ぴくり、と眉だけが動いた。だが目の前の女は特に表情を変えない。「私、本当に呪われてるんですね」特に驚きも呪われていることを疑いもしていなさそうな抑揚のない呟きにさらに顔を顰める。
呪いなんてもんとは無関係の生活を送っていたはずの女優、急に呪霊に囲われるようになった女ならもっと怯えたり精神が不安定になっても仕方がないのに変わった女だな、と思った。俺からの握手がないことを悟ったのか美しい腕を下ろして女は口を開く。

「いつから呪われ始めたか、ということでしょうか…」

女は今の状況に至った経緯をかいつまんで話し始める。ファンが撮影場所、事務所前での出待ちに飽き足らずマネージャーの車を特定しGPSを取付け、自宅まで待ち伏せされるようになったこと、厳重注意したスタッフと一悶着起こしてしまいそれから脅迫文が届くようになり、スタッフの間で原因不明の事故、行方不明などが起きるようになったこと。次第に自分の周囲に呪霊が見えるようになったことを口にした。よりにもよって呪詛師(おそらく)ファンかよ。つくづくついてないな。全て他人事のように簡潔に話す女は冷静そのもので、とてもじゃないが当事者のようには思えないことに違和感を抱く。

「なんでそんな平気な顔してんだ」
「…私の頭がおかしくなったのかと思っていました」

あまりに、いろいろあったので。と米神を抑える女の顔色はあまりよくないように見えたが、それでも気のせいかもしれないと思える程度だった。すぐに手を下ろした女優は再びこちらに大きな瞳をじぃと寄せてきた。

「平気な顔、に見えるのなら私はやっぱり女優なんでしょうね」

スタッフまで怪我をさせてしまうことになって、本当は腑が煮え繰り返っています、という女はどう見ても涼しい顔で笑っているので絶句する。感情の波なんて感じさせない。まるでいっぱしの呪術師のような感情コントロールだ。女優ってみんなこんなんなの?イカれてる。じっと探るように彼女を見つめれば、強い眼差しで俺を見据える瞳が少しグラグラ揺れて、潤んでいることに気づいてしまった。強がってるだけだ、とわかるとその涼しい顔さえ痛々しく思えてくる。 

「ー、悪い」
「え?」
「ただのパンピーの弱い女だと思って舐めた態度とったー取りました。きちんとアンタの呪いは解決させるー、ので、ご心配なく」


傑に普段からよく注意されていた自分の言葉遣いの悪さを思い出し、親友の真似をして言葉を気をつけて伝えれば一瞬驚いたように目を瞬かせてすぐに安心したようにホッとするみょうじなまえはテレビで見ている何倍も綺麗だった。「気を遣って敬語を使わなくても大丈夫ですよ」と目尻を下げて笑う女の様子にこれ以上この女に近づいてはいけない、そんな警鐘が頭の中で鳴っている気がしたが、それよりも先程硝子が言った「女優に会うどころか護衛するなんてなかなかない機会、役得だ」という言葉が脳内で何度もリフレインしていた。





___


「で?その男はどんなやつ?」


慣れない言葉遣いは早々に諦めた。本人もいらないって言うし。補助監督の運転する車に乗り付け、後部座席でシートベルトを着用しながら姿勢良く腰つける女優にそう尋ねれば、少し視線を落とした彼女が重々しく口を開いた。


「デビュー当時から応援してくれていた方です」
「そういうことじゃない。見た目とか特徴の話」
「…ああ、はい。写真がこちらに、」


執拗に女優に迫る男ってどんなオタクだよ、などと考えながら渡された写真を受け取る。そこに写っていたのはそこらにいるような特記するほどの特徴が見当たらない『普通の成人男性』といった印象の男だった。監視カメラの映像でも現像したのか画質が悪かったが記憶する上では問題のない程度、ちら、と隣に座る女優に視線を移して眉を顰める。彼女に複雑に纏わりつく呪力を見て、いくら彼女へのヘイトが高まっていたとしても、一般人でここまで一人の人間を呪えるはずがないとやはりファン=呪詛師説を脳内に樹立させる。高専を出てからまだ数分しか経っていないが、車の向こうに呪霊が湧いていた。手で突けば祓えるような雑魚から術式を使って祓うものまで。いちいち祓うのが面倒なので適当に集まったところで蒼を使って一気に霧散させた。


「すごい…」
「は?」
「魔法みたい」


みょうじなまえは先程までお利口に腰掛けていた腰を上げ、車のバックドアガラス越しに霧のように消えていく呪霊共を見届け、目をキラキラと輝かせていた。先程までの本音を覆い隠したような表情とは違い、そこには彼女の素の表情が垣間見えた。ずい、と顔を近づけられ思わず仰け反る。ぽってりと紅く色づいている唇、影ができるほど長い睫毛。凹凸のないきめ細やかな肌、どこをとっても目が吸い寄せられてしまって思わず視線を逸らす。


「あんたが呪われてる力と源は同じだ」
「あ…、ごめんなさい、私ったら」


再びシートベルトが彼女の体と車のシートをぴったりくっつける。
それにしても彼女に複雑に纏わりつくこの術式、呪霊を発生『させる』のではなく周囲の呪霊を『引き寄せる』呪いだ。ゴキブリホイホイならぬ呪霊ホイホイのようなもので、祓っても祓っても呪霊が湧き続けた。
少し気まずそうに、だが興味津々といった様子で俺が呪霊を祓う様をチラチラ見ている彼女の様子に思わずぶはっと吹き出してしまう。


「…えっと、」
「ククッ、見たいなら見たらいいじゃん」
「…あまりジロジロ見るのも失礼かと、」
「…あんたの方が年上なんだし、敬語いらねーよ」
「悟くんって、年下なの?」
「ブッッッ、悟くん?!」
「あれ、ダメだった?」
「ダメじゃ、ねーけど…俺、16」
「!ふふ、照れてるところ見ると年相応に見えるね」


私のこともなまえって呼んでよ、大きい瞳が糸引くみたいに笑いながらそんなことを言う彼女から不自然にならないように視線を逸らして、呪霊を祓う為に開けていた車窓に腕を乗せながら頬杖つくフリしてそっぽを向いた。

「、この車、どこに向かってんの?」

頬に集まる熱をなんとか逃したくて話題を逸らす。未だに顔は窓の外を向いているが、これは近づく呪霊を祓うためである。断じて照れているわけではない。


「私の家」
「はっ?」


思わずぐりん、と顔を180度回転させて彼女を見やる。もう一週間くらい帰ってないけどね、という彼女の言葉が右耳から頭を通って左耳へ抜けていった。家って、家?そんなの一般人に教えていいわけ?いや、仕事だけどさ、俺今からみょうじなまえの家に行くの?

「なんで家?」
「…、一週間前から、自宅前で待ち伏せされていたから」

成程。待ち伏せしている男を俺が捕まえる為に家に向かっているわけか、理解。家に上がるわけじゃねーんだな。ホッとした反面、少し残念に思った自分がいることに呆れた。


マンションの地下駐車場のようなところへ入っていく車。キキッとブレーキの入る音と共に、運転席に座る補助監督の「到着しました」という声で周囲を警戒するも特に人間の気配はない。「いなさそうだけど」といえば、安心したような残念そうな複雑な表情で「そう」と嘆息している。再びマスクと帽子を着用して車から降りる彼女に倣って車から降りて気配を探る、呪霊が寄ってくる気配はあるがそれだけだった。マンションの入り口には入っていかず、そのまま通用口から外に出る彼女について行く。


「悟くんといれば、多少出歩いても大丈夫なのかな。家に食べられるもの何もないんだよね」
「どこにいても呪霊は襲ってくるぞ」
「んーじゃあ人混みはダメだね」
「ていうか出歩いていいワケ?マスコミとかに尾けられない?」
「いいよ、別に悪いことしてないし。むしろ未成年家に連れ込む方がダメだよね」
「……あんたって結構雑?俺みたいな一般人自宅まで案内するなんて普通にあぶねーよ、よく今まで芸能人やってこれたね」
「あはは、私の家知ってるの、事務所の人間と悟くんだけだよ。あ、そっかあの人にもバレてるもんね、やっぱり私が迂闊なのかも」


彼女の発言から俺が『特別』だと言われてるみたいでむず痒くなった。家を知ってるの俺だけってことは彼氏とかいないのか?なんて優越感のようなものが胸中に湧いたことに気づいてぱっぱと払う。ただの仕事で案内されたってだけだ、これは任務、任務と言い聞かせる。
大きいつばのせいか、それとも顔が小さいせいか、彼女の顔は見えないし表情も窺えない。
それでも何故か視線を離せなくてマスクの隙間から見える白い肌を見ていた。まっすぐ前を向きながら歩いていた彼女がキャップのつばを少しあげたおかげで困ったように眉が下がり、大きな瞳がこちらを見つめていたことに気づいた。


「悟くん、めっちゃこっち見るね」
「え、」
「悟くんかっこいいから照れちゃうよ」


再び帽子を目深にかぶって歩き始めた彼女のマスクの隙間から見える頬が、紅く色づいているのに気づいてこちらまでそれが伝染したように紅くなる。なんだこの人。顔が可愛いのは最早言うまでもないが、存在が可愛い。何これ演技?それともマジ?テレビで見てる千倍可愛い。「見ないでってば」と恥ずかしがる彼女が見たくてずっと見つめていれば肩をコツンと小突かれた。なにそれ。全然痛くないんだけど可愛いだけだけど。

「…ここ、あんまりお客さんいなくてテラス席もあるから、どうかな?」しばらく歩いた末に案内されたのは、客があまりいないという言葉が納得のいく店だった。確かに少し寂れていた。なんなら一歩間違えれば呪霊が湧きそうなほど雰囲気の悪い路地を抜けたせいでさっきから呪霊ホイホイが仕事をしすぎている。テラス席とはよく言い過ぎで、経年劣化で少し傷んだ木製のささくれだったテーブルとベンチが置かれた店先は女優がいるとはとてもじゃないが思えなかった。
普段ならこんなしょぼい店やだねなんて言ってたかもしれないが首が勝手にこくんと頷いていて自分でも笑ってしまう。店内の店主に声をかけてメニュー表をもらってきた彼女からそれを見せられ、腹も特に減っていなかったので大きな写真の載っていたタマゴサンドに目を引かれ指を刺す。「私もこれ好きなの」と言った声は明るく、表情が窺えないことを残念に思った。



「なんで女優になったの?」

外の席で当たり障りのない話をしていたら、二つのタマゴサンドと彼女が頼んだのか湯気のたつコーヒーがそれぞれ眼前に置かれ、愛想のない店主は「ごゆっくり」とだけ告げて店内へ戻って行く。いただきます、と口にし、マスクを外して小さい口へ運ばれる大きなタマゴサンドを見つめてしまって我にかえって自分もタマゴサンドを口に運んだ。思ったより数倍うまくて腹は減ってないのにバクバクとがっついたせいですぐに食べ終わってしまった。外観に似合わず美味い飯を食えたことにもしかして俺今まで見た目に騙されて損したことあるかも、なんて思うくらいには俺の中の常識が覆った。「美味しいでしょ?」と笑っている彼女にまた視線を奪われそうになるが、近づいてきた呪霊を祓って誤魔化した。なんとなく気になった疑問をぶつければ、キョトンとした表情を浮かべて彼女は口を開く。

「急だね!うーん、見返すためかな」
「見返す?」
「子供の頃から周りに一線引かれててね。悪口言ってきた人間全員見返したくて。誰にも文句言われないくらい有名になりたかった」
「悪口?アンタが?」
「そう、私昔から可愛かったの!自分で言うのも何だけど。悟くんはなかった?『周りと違う』って言われること」

あった。そんなの生まれた瞬間からそうだ。特別な人間だと言われ続けてきた。周りと違うことしかない。隣に立ってくれたのなんて、親友くらいなもので、クラスメイトと出会うまで対等なものなどこの世に一つとしてなかった。あっけらかんと自分を『可愛い』と評価する彼女に、呪霊を見ても怯えなかった豪胆さを垣間見た。

「何しても努力しても『可愛いっていいよね』って言われるの。勝手に押し付けられる羨望も嫌味も悪口も、手の届かない場所に行ってしまえば気にならないと思ったの。実際天職だと思ったわ。まさか、ファンの人に呪われるとは思わなかったけれど。私そんなに呪われるようなことしたかな」

勝手に押し付けられる羨望、嫌味、悪口そのどれもが自分にも覚えのある物だった。努力しようが『さすが六眼と無下限呪術の抱き合わせ』と言われる。生まれた環境も生きてきた背景も何もかも違うのに、他人の感情なんて気に留めてこなかったはずなのに、目の前の悔しそうに顔を歪ませる女性の気持ちがスッと理解できた。彼女と出会ってから感じる初めての感情に戸惑う。最初は自分に関係ない、どーでもいい、面倒な案件なんて思っていたはずなのに。

「わかるよ」
「悟くんも、特別な力のある人だから、いろいろあるよね」
「うん、でもなかったらよかったとは思ったことない。あることが当然だしそれが俺だから」
「…そうだね、私もそう思う」


気が合うね、と言いながら少しずつ口に運ばれるタマゴサンドをただただ見つめていた。シュガーポットの中の砂糖を、コーヒーに何杯入れたか思い出せない。ぐるぐるかき混ぜても、砂糖が溶けきらない。底に沈殿して、サラサラだったコーヒーは重みを増していた。


「ふふ、」
「?何笑ってんの」
「そういえば、私『パンピー』なんて言われたの初めてだなって」
そういえば出会ってすぐそう言ったことを思い出した。
「…どう考えてもパンピーでしょ。こんな雑魚呪霊一匹祓えやしないんだから」


彼女に誘われるようにやってきたそこそこの呪霊を摘んで捻り潰した。
一瞬驚いたように元々大きな目を丸くしたがすぐに本当に可笑しそうに肩をすくめながら笑う彼女。俺の失礼な『パンピー』発言も咎めることなく笑って受け流している。


「ふふ、本当だね。私ってパンピーなんだ。そっかあ」
「あ、俺も同じこと思った。この人一般人の俺にも丁寧な挨拶すんだなって。自分が一般人だなんて思ったの生まれて初めてだわ」
「本当?すごい、考えてることまで一緒だ」
「あんた本当幸運だよ?俺に護衛してもらえるなんてそうそう無いから。一生の運使い果たしたんじゃね?」
「アハハ!すっごい自信家!」
「当たり前じゃん。だって俺だよ?最強だから」
「悟くんって、面白いね、」
「ははっ惚れそーだろ?」
「…このまま一緒にいたら惚れちゃうかも。
……君の隣にいると安心する、女優だってこと忘れてただのみょうじなまえでいられる気がする」


やわらかく笑った彼女の瞳には熱がこもっているようだった。それを見て、もう駄目だと思った。みょうじなまえという女は恐ろしい女だ。言外に『あなたは特別だ』と言わんばかりの目で見つめられて、落ちない男がいるだろうか。まるでドラマの中にでも落っこちてしまったみたいだ。彼女と共演した俳優たちは、こんな目を見て彼女に惚れずにいられるのだろうかー馬鹿なことを考えている。
今まで『女』に興味の無かったこの俺が、この人の一挙一動を追ってしまう。呪霊や俺の術式みたいに今まで見たことのなかったものにビビらない豪胆さが良いと思う、女優であることを鼻にかけずに自然に笑ったり照れたりする彼女の他の表情が見たいと思う。…阿呆か。たかが一任務の、一護衛対象だ。それが綺麗な女優だった、それだけのはずなのに、いつのまにか視線が彼女を追って、笑わせてやりたくなって同じように見つめてほしく思っている。
ようやく口につけたコーヒーはほぼ砂糖の味しかしなくていつも飲んでいる以上に甘ったるくて、もはや胸焼けを起こしそうだった。




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