カットーーーーーッ!

気合の入った一言がふるめかしい純和風にセットされた撮影所に響いたのを確認して、サンドされるみたいに後ろから抱きついている男が私の体から離れて、私が抱きついていた男から起き上がるのを手伝ってくれた。そのあとぐったりと壁にもたれて首をもたげていた、私が抱きついついた男も乱れた髪をかきあげてふぅ、と嘆息する。さっき本当に死んだんじゃないのと思うくらい迫真の、死にゆく瞬間を完璧に演じ切ったとは思えない笑顔を浮かべた男の表情にホッと一息ついた。
…二人とも芸人のくせに俳優さんたち顔負けの演技するの、ずるくない?



「傑、おつかれ」
「ん。二人ともありがとう」
「俺たちまだ撮影残ってるけどね〜明日のシーンでなまえから愛してるって言われんの
「今からセリフ変えてもらえないかな〜」
「は?!なんで?!変えなくていいでしょ!」
「ほら悟、チェック入ってるよ」


すぐに三人で顔を見合わせて監督がチェックしているモニターを覗き込みに行けば、ヘアメイクのスタッフさんが顔や髪についた血糊を拭き取ってくれた。


「ありがとうございます」
「いえ、気持ち悪いところないですか?」
「大丈夫でーす」
「血糊、服にもめっちゃついてんぞ〜」
「あッ、悟、雑!!」
「ふふ、仲良いですね〜もしかして本当に付き合ってます?」
「まだー、こいつなかなかオッケーしてくれなくて〜」
「何言ってんの〜ははは〜」
「監督、どうですか?いけてます?」
「ん、オッケー!ばっちしさすが夏油くん!」


もはや撮影期間中のネタと化した悟の私へのちょっかいは毎日定番化して、誰もそこまで深く反応していない。
なんだかはじめての女優の仕事に感化されてしまったのか、役に引っ張られているのか、隣に立つこの男が最近キラキラ目に映って仕方がない。
この仕事が終わったら、付き合ってあげてもいーよって言おうかと思ってるけど、そう言ったらこの男はどんな反応するんだろうか。
え?マジにとったの?冗談に決まってんじゃん!とか言われたら流石の私でもへこむかも。

監督の今日の撮影が無事終了したことを宣言する声と共に、傑くんがホッと胸を撫で下ろした。背後からスタッフさんの「夏油さんクランクアップでーすお疲れ様でーす!!!」と大きな声と共に抱えきれないほどの大きな花束が悟によって運ばれてくる。


「傑、お疲れ!」
「ありがとう、悟。悟も残り少し、頑張って」
「おー!よゆーよゆー!」
「なまえちゃんもがんばってね」
「ありがとう、傑くん」


ぎゅう、と三人でさっきみたいに抱きしめ合えば、全然悲しくもないし、感極まってもないのに涙がツーと頬を伝った。


「─え?あれ?私なんで泣いてんの?!」
「ふふ、はじめての女優デビューで緊張してたんじゃない?まだ終わってないんだから泣いてちゃダメじゃないか」


そう言って、傑くんの太い指が私の頬に流れる涙を拭った。そうされると、なんでかわからないけど洪水のように涙が溢れてきて、こんなことはじめてでどうすれば涙が止まるのかも分からなくて、そんな私の顔を見てヒーヒー笑っている悟に蹴りを入れてやった。


「イッテ!イッテー!!お前ほんとに『昔から』足癖も手癖も悪いのなんとかなんない?!」
「はあ?!昔からって何!知り合ったの最近でしょ!そっちこそ、その口の悪さ直してから言いなよ!」
「まあまあ、悟、なまえちゃん、落ち着いて…」
「「うるせえ/うるさい!クソ前髪!」」
「………いい度胸だね、二人とも」


わー!待って待って夜蛾さんと家入さん連れてきてー!!なんて騒ぐスタッフと私たちの喧嘩は、私たちの恩師役をしてくれた夜蛾さんのお前らー!静かにしろー!という鶴の一声で止まることになった。


「─なんだ、お前たち。昔は俺の言葉なんかで止まらなかった……ん?」
「夜蛾さん何言ってるんですか?疲れてます?」
「硝子ちゃん、見てー!悟がモデルの顔に油性ペンで落書きしたー!」
「…ッ、おい!おい!オマエ俺に金的決めてただですむと思ってんの?!」
「あはは!ごめんなさーい!」


みなさーん、クランクアップのお写真撮りま…?!なまえさん?!?!その顔…エッ?!?!誰かく、クレンジング持ってきてーーー!!


スタッフの慌てる顔を見れば今まで喧嘩してたなんて思えないほどなんだか笑えてきて、このままでいいでーすと五人で記念撮影をした。


「夏油さん、次のお仕事です!お願いします!」
「?え?今撮影終わったところだけど?今日これで終わりじゃなかった?」
「すぐ終わるんで!こっちお願いします!」
「??傑くん、忙しそうだね?」
「く、くく…うん、ほんとにね?…ブフ…ッ」


美しいご尊顔を信じられないほどムカつく顔に仕立て上げている男をジト目で見やれば、「スーパー夏油デビルさん、入られますー!」と遠くで聞こえたスタッフさんの声に思わず心の底から「は?」という音がまろびでた。


「───悟。」


地獄の底から這い出てきたような声に背筋が震えた。そして、さっきまで青白い顔で美しすぎる死顔を演じ切った彼が、とても、ふざけた格好を、していた。


「ギャーーーーーーーッハッハハッハッ!やべ!死ぬ!笑い死ぬ!息できねえ!ヒーーーーーッゲホッゲボ!オ゛エッ!やべえ!オマエそれに、似合いすぎだろ…!!」
「なんだいこれは」
「んー、なんかこの映画、ビックリマーンチョコとコラボするらしくってぇ、お前が極悪の宿敵やってたから機転利かせてオマエのシールデザインこれにしとい…アタッ」

傑くんが持っている無駄に可愛らしくデフォルメされた骸骨を象る杖が悟の軽そうな頭に直撃した。カンッとこれまたプラスチック感満載の音が漏れる。

「───悟」
「…な、なんだよ傑、怒ってんの?お、おもしれーかなー、って思ったんじゃん。悪気あってやったんじゃねーよ、そりゃ、めちゃくちゃ笑ったのは、悪いと、ぶふ、思って、っけど、ふふ、」
「ふ、フフ、ブフ!!悟はやっぱり面白いなあ!」
「す、すぐるぅ〜〜〜〜〜〜〜〜!!めちゃくちゃ似合ってんよ〜〜〜〜〜!!オマエやっぱ最高〜〜〜〜〜!!!」


そのあと、めちゃくちゃ悪い顔してスチール撮影撮っているスーパー夏油デビルを囲んで、傑くんのクランクアップを迎えた頃にはマジで意味不明で虚無顔をすることしかできなかった。

…さっきまでなんかいい感じだった空気返してくんない?







「ハッッッッッッ!!!!!!」


何か恐ろしい夢を見た気がして、体が飛び起きた。バクバクと跳ねる胸を抑えて深呼吸をする。こんなこと、初めてだ。


「─ん、どうした?」


隣で眠っていた、悟が私の飛び起きた振動で目を覚ましてしまったらしい。寝起きにも関わらず私の異常な様子をすぐに察して額に大きな手を当てられる。


「─熱、ではないね。ん、なに、やな夢見たとか?汗すごい」


─あと、すごい目に毒だから上着だけでも着てて。脱がしたのも僕だけど。なんて言いながらベッドの淵にひっかかっていた悟のスウェットを上からすっぽり被せようとしてくる。

─嫌な夢、といわれて、さっきまで見ていた気がする夢を思い出せなくて、すごく気持ち悪い気分になった。嫌な夢を見た後の後味の悪さではない。覚えていたかった気がする、幸せだった気がする、夢だ。

─今が幸せじゃないというわけではない。幸せだ。隣に悟がいる。だけど、『今』よりもっと幸せだった気がする夢を見た、漠然とそう思った。


「さ、とる…」
「…んー、ふふ、うん。なあに」
「このままがいい。あったかいから」
「………そう?もっかいする?なんてねー」
「…………うん、したい。さとる、わたし、いますごく不安で、ごめん、さとる」
「……なまえ」


大丈夫、落ち着いて。生まれたままの姿でぎゅうと抱き合えば、お互いの体温を分け与えるみたいに触れ合う場所がじんわりと温かくなる。─悟だって、悟の方がきっと、苦しいし、辛いのに。私ばっかり、ごめん。そんな懺悔が胸中を占める。


「たまにはなまえの弱いところ見るのもいいね。ぐっとくるよ、かわいい」



─ 強い男が弱いとこ見せるからグッとくるんだよ?

少し前に同じようなセリフを吐いたことを思い出して、少し笑えた。


「あれ?もう立ち直った?もうちょっとぐずぐずしててよかったのに」
「─ほんと?じゃあ、今日はこのまま、朝まで私のこときつく抱きしめてて」
「ん、もちろん。あー、でもさっきなまえが可愛いこと言ったから僕のサトルクンが元気になっちゃった。僕のことも、慰めてくれる?」


少し眉を下げた悟が私の目尻にキスを落としてくるから、思わず目を瞑ってしまう。瞼の柔らかい皮膚に、悟の熱くて柔らかい唇が何度も落ちてきて、少しくすぐったくて笑みが漏れた。


「なまえ」
「…ん、?」
「…愛してるよ、心の底から」


─オマエは、まだ死なないで。


その呪いの言葉をやっと吐いた悟に安堵して、身を委ねた。





prev next