小さい君はかわいいけれど

ピコン、高専から支給されたスマートフォンがポケットの中でわずかな振動とともに軽快な音を立てた。緩いボトムの中に入り込んでいたそれを聞こえていないのか、それとも聞く気がないのか男は無視しながらピピピと高い音でけたたましく鳴ったキッチンタイマーを止めて発泡スチロールに密着した紙製の蓋をぺり、と捲る。もわっとした湯気と共に独特の匂いが部屋に漏れた。ぱき、途中で割れることなく先端から先端まで均等に分離した木製の割り箸を手にとってずーずーと啜り上げた。ピコン、ピコンピコンピコンピコンブーブーブーブーと追い立てるように鳴き続けるポケットの中の小さな鉄の塊に男は眉根を顰めながら渋々口が広いポケットに大きな手を無造作に突っ込んで片手で発泡スチロールの中で湯気をあげ続ける麺を啜りながらポケットの奥に沈み込んだそれをつまみ上げた。


「…んだよるっせーな………は??」


手のひらサイズの四角い電子パネルに表示されていたのは男が講師として働く学校の生徒からのヘルプコールだった。己と同じ天与呪縛の少女─本人は頑なに天与呪縛と認めない頭のおかしい女からの『今どこ』『助けて』『どうしたらいいのかわからない』『今すぐ連絡して』という切羽詰まっていそうな連絡に珍しいなと思いつつ続けて送られてきた写真に男は思わず啜った麺を吹き出しそうになった。
小さいディスプレイに表示されていたのが、今は生意気に育った呪術界頂点に成った男─ではなく、かつて己が興味半分で見に行った頃よりも幼い、しかし輝く六眼を限界まで凄ませた刺々しい表情でこちらを睨みあげる写真だった。その直後に来たメッセージに目を滑らせる。『五条が呪詛師の術式で子供になった』の文字に男はさすがに持っていた割り箸をすると滑らせてしまった。


「……マジか」


続けてピコンピコンという音と共に送られてくるメッセージと着信に顔を顰めつつも面白半分で応答し、スマートフォンを耳に当てた。


『…っっやっと出たーっっ!!伏黒せんせっ助けてっ!五条が…っ』
『なまえー!!ションベンー!オレひとりでションベンできないー!!』
『嘘でしょ?!その辺でやっときなよ!知らないよばか!』
『やだやだやだやだなまえてつだってー!』
『コラッ!手加減できないんだから抱きつくなー!!せんせーー!!助けてーーーー!!!』


電話越しに聞こえる『五条』の声は男─伏黒甚爾の知る限り耳にしたこともないほど高く、拙い。電話口の女の口ぶりからと総合的に判断して、ディスプレイに表示された写真は過去の『五条悟』の写真などではなく何がどうなったかは知らないが今現状の『五条悟』の姿らしいと甚爾の口から失笑が漏れた。


「オイ、面白ェことになってんじゃねえか」
『面白くないよ!五条がなんかあいつの術式おもしれーとか言って呪詛師の攻撃無下限使わずに受けたんだよ?!信じられる?!馬鹿じゃない?!それに私子供とどう接したらいいかわかんなくて…!先生子供いたよね?!助けてお願い…!!』
『だれとはなしてんの!おれのことだけ見てなきゃや!』
『あっ!ばかどこ触って!!このマセガキ!!!』
『なまえのおっぱいやらかい。オレここにすむ』
『ぶん殴るよ?!?!…先生いまどこ!子供のトイレってどうしたらいいの!?』


近づく者全てあの六眼に刻みつけ、恐ろしいほど鋭い感の良さを持っていたガキが今あの能天気女の乳に埋もれているのかと考えると吹き出しそうになった甚爾はなんとか笑いを噛み殺しながらふるふると背筋を震わせる。


「んなのパンツおろしてその辺でさせとけ」
『………そのへんでやっとけだって、五条』
『や!ばっちい!』
『いいい〜〜っほら先生のとこも息子でしょ?多分同じぐらいだと思うから手伝ってお願い』
「ぜってーヤダ。めんどくせえ」


床に落ちた割り箸を拾っていれば「ここにいたのか」と呆れた様子の同僚、であり現在通話中のなまえの担任である夜蛾の姿にチッとため息を漏らした。耳のいいなまえのことだ。今のは確実に聞かれたな、と自分の場所が割れたことを甚爾は悟った。


『先生!今すぐ帰るから高専いてよ!』
「あー無理今からジュギョウダッタワー」
『授業なんて普段サボってるくせに!』
「うるせ。切るぞ」
『あ゛!まって!』


面倒なことになる前にさっさと帰っちまおう、甚爾は床に落ちた割り箸を拾い、流しに伸び切った麺を捨ててさっさと帰る算段をつけていると、鋭い眼光で己を見張る夜蛾の姿に何度目かのため息を漏らした。








恐ろしいほど殺気だった気配が高専内に入ってきたことを察した甚爾は深く息をついた。その様子に怪訝そうにする体術の稽古をしていた七海と灰原に対し、こんなにあからさまなのになんでこいつらはあいつの気配を感じねーんだと失笑を漏らす。ややこしくなる前に「解散解散」と鍛錬の終わりを知らせれば足を引きずりながら校舎へ帰っていく二人の様子に短く息をつく。呪力の気配には敏感なのに、動物の本能とも言える殺気には疎か。─というよりもこいつらの『世界』では呪力と殺気が連動しているのだろう。いつまで経っても理解できない。呪力がないことにちっとも悲嘆に暮れることもなく能天気に生きるあの馬鹿が少しだけ羨ましいなんて思いながら自身の気配を全く把握できない他の奴らとは違い、文字通り『真っ直ぐ』『直線距離』で『跳んで』やってくる気配に甚爾は鍛錬のため出していた呪具を呪霊の腹の中に仕舞い込んだ。


「伏、黒、先、生〜〜〜〜ッッッ!!」


馬鹿でかいメガホンでも使ってるのかという声量と共に空から降ってきた女は小脇に将来の呪術界最強になる子どもを抱えて、着地した場所にクレーターを作りながら何食わぬ顔で現れた。


「思ったより早えーな」
「ほら五条ついたよ!先生とトイレ行ってきな!」
「…いやだ。なまえがいい」
「無理だよ!男子トイレ入るわけにはいかないもん!」
「や〜!!なまえといく!」
「やじゃないよー!ほら、はやくいかないと漏れちゃうよ?ここで待ってるからおじさんと行ってきて」
「オイもしかしておじさんって俺か?」


それ以外いないでしょと言うなまえとなまえにへばりつく生意気そうな顔して甚爾を睨みつけるどこからどう見ても子供の姿の五条に甚爾は眉根を寄せる。


「もう!わかった!トイレ行ってきたらたくさんぎゅーしてあげるから行ってきて?」
「!ホント?ホントにホント?」
「うんうん、死なないくらいの力加減で頑張るから」
「!!!トージ!トイレ!!」
「あ?…へいへい」


さっきまでべったりチャイナ服の裾をなまえの脚に巻きつけるようにしがみつき、なまえをうるうる潤ませた瞳で上目遣いに見上げていた小さい五条がなまえの一言でアッサリ手を離し、案内するでもなく施設内に勝手知ったるといったように駆けていく様子に甚爾ははあとため息をついた。
ふんふんと鼻歌歌いながら自分でズボンを下ろし、用を足す五条を見下ろす甚爾の目は完全に死んでいた。


「オイ、クソガキ」
「……あ?なに?」


さっきまでキュルンとかわいこぶっていた姿は何処へやら、何の興味もないような無感情な瞳が甚爾を捉えた。


「お前、記憶あんだろ」
「はっ、あたりまえでしょ?おれのことなんだとおもってんの?」
「ハァーーーやっぱり放っときゃよかった」
「なまえにはいうなよ。さいきんいそがしかったしこうでもしなきゃやすみもなくてなまえといちゃいちゃできない」
「……オマエ、それでいいのかよ……」
「うるせーばーかばーか!」


手洗い場の水を水鉄砲よろしく手で飛ばしてきた五条の攻撃をいとも簡単に避け、大きくため息をつく。記憶があるとは言え、脳の作りが退化してはいるのか水鉄砲が避けられたことに悔しそうに地団駄踏む姿はただの幼児にしか見えない。こいつも大概だがこれを好きなあの女も大概だな、と甚爾は砂を吐きそうな気持ちになった。


「ハッ!こんなことしてるひまない!」


パッパッと手についた水を遠心力で飛ばした小さな五条はまだ短い足を必死にばたつかせて外へ飛び出していった。何度目かわからないため息を漏らして甚爾もその後に続いた。






困惑している。それはもう、盛大に。そもそも五条が小さくなってしまったことに、そしていつ元に戻るかわからないこの不安定な状況にも困惑を隠しきれないし、ちゃんと元に戻るのかわからない不安でついつい腕の中ではしゃぐ五条をぎゅうと強く抱きしめそうになる。不安がっている私に気づいているのか、伏黒先生が言うには推定三、四歳程度にまで小さくなってしまった五条が小さな手で私の頭を撫でる。表情も、顔のパーツも、私の知ってる五条より小さくて可愛くて、まだあどけない感じが残っているその顔を心配そうに歪ませて私を見つめる視線は、私の知ってる五条のようで思わず早く戻って私のこと抱きしめてよ、と言ってしまいたくなった。


「…なまえ、ダイジョーブ」
「……元に戻るよね?」
「ん。ゴメンネ」

何がゴメンなの。呪詛師の攻撃を軽率に受けたこと?あれは肝が冷えた。なんであんなことするのって怒鳴り散らしたい。無下限があるうちは安心だけど、五条はただの人間だ。私みたいに頑丈じゃないし、もし無下限のない状態で受けた攻撃がこんな生易しいものじゃなくて、何かあったら死んじゃうかもしれない。そのことがたまらなく不安になった。


「……やだ。許さない。早く元に戻って私のこと抱きしめてよ」


そんな小さな手じゃ、全然安心できないよ。そう言って、力を入れすぎないように気をつけながら、いつもの半分以下になってしまった五条を抱きしめた。私たちの様子を見ていた伏黒先生が、ため息をつきながらどこかへ向かっていく。巻き込んじゃってごめんなさい。不安で仕方なくて子供のことわかってる人にそばにいて欲しかったの。
五条を抱きしめながら、小さい生き物をアッサリ捻り潰してしまったことがあることを思い出して五条を抱く力が抜けて、落っことしそうになった。
苦笑いを浮かべて私にしがみついた五条を今度こそ優しく支える。近くにあったベンチに腰掛けて膝の上に座らせれば、五条はベンチに膝を立てながら優しく微笑んで私の額に頬にキスを落としてきた。小さくて、ふにふにで、やわらかい唇は、いつも私の上空で私を好きだと言うその唇よりずっと優しくて、可愛くて、だけど寂しくなる唇だった。


「なまえかわいい」「ちゅーしたい」「すき」


そう言って小さな五条は拙いことばで私をたくさん甘やかす。どっちが子供かわからない。小さくなった瞬間は完全に幼児のような行動を取っていたくせに、今となっては私に触れるその触り方も、私を見つめるその眼も、いつもの五条とほとんど変わりない。最初から記憶があったのか、それとも時間が経つにつれ術式が解けかかっているのかは知らないが、無事戻った時には心配かけた罰として一ヶ月私のシェフとして働いてもらおうと思う。
触れ方は同じなのに、ドキドキするどころか可愛く思えるのはやはり五条が小さい子供の姿だからか。…私も小さい子供を可愛く思える心があることに驚いた。見た目が五条だからかもしれない、なんて。好きって盲目だ。



「抱きしめていい?」
「いいよ」
「痛かったら言ってね」
「死にかけたら無限張る」
「…ふふ、そうして」


少しずつ流暢になってきた言葉になんとなくもうすぐ五条が元に戻ることがわかって安心した。膝立ちする五条の背中に腕を回して、まだ小さな頭を胸元に引き寄せた。大きな五条に包まれると、あったかくて安心できるけど、小さな五条は体温が高いのか抱き締めたところがじんわりと温かくなってきて、少しだけ眠たくなる。二人してお互いの背中をトントン摩りあっていれば本格的に眠たくなってきて、五条の長い白いまつ毛もうとうとと沈みかけていた。珍しい。いつも何かと寝落ちしてしまうのは私の方で、いつも眠気眼の向こうで五条に微笑まれているのに今日は逆だ。私の体の上で密着するように眠りに落ちた五条を優しく抱きしめるとぽかぽかとあったかくなってきて、私に睡魔が襲いかかってくるのもすぐの事だった。次起きた時に、五条がちゃんと元に戻ってますように。そう思いながら五条をしっかり抱き寄せ、ベンチに深く腰掛けた。ふわり、何か暖かいものがかけられたような気がしたけれど、もう意識は深いところに落ちていた。







ゆらゆら、自分の体が何かに持ち上げられているような感覚に意識が浮上した。


「起きた?」


いつものように低い声が私の耳に触れた。大きな手のひらが、私の体を横抱きに支えて、少し申し訳なさそうに眉尻を下げた五条が、真っ黒のサングラスに隠れた目で私を見下ろしている。私の体にかかる毛布の上に乗っていた自分の手を持ち上げて五条の首に手を回し、思い切り抱きつくと、子供の時の体と違って私が力を入れてもそうそうダメージを受けた様子のない五条にホッとする。大きな体の中に抱き寄せられて、やっと安心できた。


「ばか。二度としないで」
「ごめんな」


最近任務ばっかりでゆっくりできてなかったから子供になっちまえばちょうどいいかなって、と悪戯そうに笑った五条の頬を全力で摘んだら肉がゴリゴリ言った。


「いって!いってェ!やめろ!頬取れる!イテ!ごめん!なまえごめん!俺が悪かった!!!」
「心配したんだから!伏黒先生にも謝りなよ?!ホンットありえない!罰として一ヶ月私のシェフしてよね!」
「!はは、そんなんで許してくれんの?」
「………ちょっと可愛かったから」
「!!俺との子供できたらあんなんだよ?可愛くない?どう?どう?!あ、でも俺子供は女の子がいーな息子だとなまえが男に取られたみたいで腹立ちそう」
「…ハァ??まだ付き合ってもないのに何言ってんの馬鹿!」
「あ゛ーーーッ!早く抱きてェーーーーなまえのおっぱいやらかかったーーーー」


今度こそ脳天にチョップ入れたら涙目になった五条がキャンキャン喚いてた。うるさい。


「ていうかこの毛布何?」
「さあ?起きたらかかってた」
「………もしかして先生?」
「ハァ?あいつがんなもん掛けるわけねーだろその辺の補助監督とかじゃねーの」


毛布を引き寄せてくんくん、匂いを嗅いだら、やっぱり先生の香りが残っていた。へえ、優しいところもあるじゃん。さすがお父さんだな、なんて思ったけれど、口をとんがらせて先生の文句をつらつら垂れる五条には秘密にしておくことにした。





猫缶様、この度はリク企画にご参加くださりありがとうございます!
リクをいただいてから約五ヶ月もお待たせしてしまいら誠に申し訳ありません!!
幼児に退行してしまった設定で、とのことだったのですが退行したフリになってしまって申し訳ないです!
楽しんでいただけると嬉しいです!素敵なリクエストありがとうございました!



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