某芸人は某女優とデートがしたい

残業終わりの午前零時過ぎ─慌てて駆け込んだ終電の車内は帰宅ラッシュよりは混雑は緩和されていて、ちらほらと空席も散見される。少しでも体力を回復させようと硬いのに触り心地はやわらかいシートに体を落ち着ければ急に疲れが体にのしかかった。今すぐにでも寝られそう。─ダメダメ。ここで寝たら絶対に寝過ごす。寝ないようにスマホでもいじってなんとかやり過ごそう。コートのポケットに忍ばせていたスマホをゴソゴソと探し当ててSNSでも見るかと写真共有サービスのアイコンを開ければ、指輪と婚姻届を並べて結婚しました!という写真や生まれたばかりの赤ちゃんを抱く幸せそうな友人の写真が目に飛び込んできて幸せの光線に目が焼かれそうになった。…致死量だ。疲労マックスの今の私にこれをわーおめでとーと受け入れるだけの懐の深さはない。そっとアプリを閉じた。こっちの方がマシか…と青い鳥のアイコンをタップすると、友人の疲れた呟きや趣味を満喫する呟きで写真で得られる情報よりは目のダメージが少なく安心する。たまにいいねを押しながら落ちそうになる瞼を必死に堪えて指をスクロールさせる。─と、オススメに出てきた芸能カテゴリーの週刊誌のネットニュースが目に飛び込んでくる。『またもや!五条悟みょうじなまえ手繋ぎデート姿をキャッチ』という記事のリンクに心底どうでもいいなーと思いつつ、暇つぶしくらいにはなるかなあと自然と指がタップしていた。










「なまえ、僕デートしたい」


むすっとした顰め面から出たとは思えない可愛らしい我儘に思わず笑みが漏れた。「何笑ってるの」と若干声のトーンが下がってしまった悟の眉間の皺をなぞると真っ白のまつ毛がこそばそうにふるりと震える。


「デート」
「そうだよ。これだったら忙しすぎたあの頃の方がデートしてたよね」
「あの頃は追いかけ回してくる人たちいなかったからね」
「前世より今世のほうが自由度高いはずなのになんでデートもろくにできないの。結婚してるんだしデートくらいしても良くない?誰も興味ないよ結婚した男女のデート」
「だって二人で買い物行くくらいでネットニュースになるんだよ?」
「……記事になるから何?気にしないで良くない?撮ればいいじゃん見ればいいじゃん。僕なまえと仲良ししてるとこ全世界の人間に見られたってなんとも思わないよ。ってことで堂々とデートしよ。マスクも帽子もなしね」
「えええ?それはどうだろう。周りの人に迷惑かからない?」
「そういうの気にするのやめよ。この仕事してる以上ずっと追いかけ回されるんだからもういいじゃん。堂々としてたらあの二人またかーってそのうち誰も気にしなくなるって」


デートしたくて仕方がないのか何を言っても自分の要望を貫き通そうとしてくる悟の要求はわからないでもなかった。私だって悟と何も気にせずに外を歩きたいし昔みたいに誰の目を気にすることなくデートしたい。しかし、十数年自分に染み付いたスキャンダル対策のせいで写真に撮られることに対して物凄いストレスを感じるのだ。関係各所に迷惑かけるかも、とかそもそも歩いてる時に誰かに尾けられてる、ということが気になってデートどころではない。100%純粋に悟とのデートを楽しめないのなら家で二人きりでまったり過ごす方がいい、という私の我儘を聞いてくれていたのだけれど、悟は悟でそろそろ限界らしい。


「私だってしたいけどね…」
「じゃあ僕引退しようか?」
「──は?」
「だってもうエムワンも優勝したし、なまえと結婚もできたしあんまり芸能界に未練ないよねー。まあ仕事自体は楽しいけど。あー、そうだな、起業してもいいかも。でもなまえは忙しいかもだから専業主夫になろうか?周りから見られるのが嫌なら別に海外に移ってもいいし」


悟が専業主夫─…いや、なんでもできる悟のことだから、意外とご近所のご婦人方ともうまくやってのけそう…プロ主夫になってるかも…いや、いやいや!ありえないでしょ!こんなに存在感のある主夫いないよ?!


「傑はどうするの」
「傑は僕が辞めるつったら『いいんじゃない』って言いそう。それこそ二人で会社興してもいいしさ。あー、もしかしたら僕と一緒に専業主夫になるとか言ったりして!!まあ辞めたいわけではないよ?傑と漫才してんの楽しいし」
「……冗談言わないで、びっくりするから」
「なまえと楽しい毎日送るのに弊害あるなら簡単に芸能界捨てれるよってこと。僕もなまえも目立ちすぎるせいでなまえがデートできないって言うなら僕は辞めていいよって言ってんの。だいたいさー、あんな便所の落書きみたいなネットニュースなんてみんな暇つぶしでしか見てないよ?顔も知らないどうでもいいやつの指先でひょいひょい消費されるのにびびって自粛することか僕との楽しい思い出作ることかどっちが大事なのかくらいわからない?」


ちょっと顎を上げながらこちらを見下ろす悟はかなり機嫌が悪いのか呪力ももうないはずなのに空気がピリピリしている。昔の方が怒ってるときは怖かったなあ、なんて思いながらギラギラとぎらつく眼を見上げた。どうやって機嫌取ろうかな。


「ハァー…やっぱびびんないか」
「昔の方が不機嫌にキレがあったね」
「不機嫌にキレってなに。いやキレてるけどさ」
「おうちデートやだ?ゲームも飽きた?」
「飽きた。なまえすぐどうぶつの山しようとするし。僕はさー手繋いでいろんなとこ行ったり、食べ歩きで食べさせあいっこしたりショッピングもしたい。ていうか僕の奥さん可愛いでしょ見て見てー!って見せびらかしたいの!!」
「楽しそうだけどさあ…」
「なまえは僕とデートしたくないの?」


デートしたくないわけがない。私だってしたい。その気持ちが根底にあるからこそ悟の提案を拒否する言葉を紡いでも論破される気しかしなかった。「─じゃあ、とりあえず近くのカフェくらいから」といえば途端にパァァと花でも飛んでるのかというくらい明るくなるのだから、相変わらず感情の振り幅が大きいなあと苦笑を漏らした。



宣言通り、目深に被ろうとした帽子も、顔を隠すマスクも没収された。そのかわり、とでも言うようにいつも悟が使っているサングラスのうちの一つを鼻筋にかけられて「おそろい」と頬にキスされる。夜なのにサングラスつけるの?と思わないでもなかったけど、何もないよりは、と昔と違ってレンズの向こうが見通せるそれをありがたく拝借し歩き出そうとするとゴツゴツしたたくましい手に自分の手が攫われていく。あ、と思う間に指と指の間にがっちり侵入してきた悟の指に捕らえられた。そういえば、悟と手を繋いでデートなんて、いつぶりだろう。


「デート、楽しいね」


手を繋いで悟が導くままカフェまでの道を歩いているだけなのにニコニコと嬉しそうに笑う悟は今にもスキップしだしそうなほど浮かれている。テレビに出てる時と服装以外全く変わらず変装するつもりがない目立ちすぎる容姿をしている悟と手を繋いでいる私。すれ違う人々は三者三様で話しかけて来る人もいれば、生暖かい視線、興奮したような視線を送ってくる人もいる。一瞬びっくりしたような表情を浮かべるだけですぐにどうでもよさそうに視線を逸らしてすれ違っていく人も。─案外、いろんな視線を投げ掛けられてもどうでもいいなと思ってる自分がいた。なんだ。こんなことならもっと早くから悟と外に出かけていればよかった。
ニコニコと笑みを絶やすことなく、あそこの店の前に出てる看板のメニューが美味しそうで気になっている、だとかあそこの服似合いそうだよね、今度行こうよ、だとか街を指差しながら私とのデートをたくさん想定して顔を綻ばせる悟が愛おしくて仕方がない。…人とすれ違った後に聞こえるカメラのシャッター音とか、こっそり自分たちを尾けている人間がいることには気づいているけれど、どう考えてもそんなどうでもいいことを気にするより悟の嬉しそうな表情を目に焼き付けることの方が重要だった。そんなことにも気づけていなかった自分が嫌になる。


「公園でピクニックでしょー、動物園で小動物と戯れるなまえを堪能するでしょー、水族館の暗がりでチューするでしょー、あとはー…、」

カフェについてから、昔よりは控えるようになったそれでもまだ甘いコーヒーを啜りながら私としたいことを羅列する悟が愛おしい。これだけすらすらしたいデートの話が出てくるほど、愛されていることが嬉しくて仕方がない。

「悟、ごめんね」
「うん?」
「…これからは、いっぱいデートしよ」
「!」
「えっと、なんだっけ?水族館?動物園?ベタなところばっかりだね」
「そう!なまえがドラマでデートしてたとこ全部いくの。上塗りしなきゃだから。デートスポットの記憶が僕以外の男っていうのがもうマジで鳥肌立つくらい嫌なの」
「ええー…全部?撮影で行ったところなんて最近のしかもう記憶に残ってないよ…?」
「映像では残ってるからね。僕たちもムービー撮りながらデートすんの」
「あはは。あの二人ムービー撮ってるよって笑われるよ?」
「いいじゃん笑わせとけば。僕芸人だし間違ったことしてなーい」
「それはたしかに。─デート、今まで我慢してできなかったからすっごい楽しみ」
「はあああ…僕のなまえが死ぬほど可愛い。好き。マジで」
「おおげさだなあ」



色めき立つような頬を染めた女の子たちから向けられる悟への視線、興味本位でチラチラこちらを見る視線、興奮したように私と悟を交互に見てSNSか何かに書き込んでいるのか盗撮しようとする人。いろんな人がいるけれど、悟は周りの刺すような視線なんて全く動じずに二人きりの時と変わらない態度を貫き通す。
一般家庭出身でやんごとない身分の悟に引け目を感じていた私にそんなの関係ないといつも堂々としていたあの頃の悟の姿が脳裏をよぎる。ホント、全然変わらない。そういうところが、昔から好きなんだよなあ…。


「なに、可愛い顔して。チューするよ」
「さすがにそれはダメ」
「ちぇー。もう一回晒したし良くない?」
「………だめ」
「じゃあ家帰ったらいっぱいしよーっと!ほら、外でデートしたら家帰ってイチャイチャするときの楽しみが増すからQOL上がるね」
「使い方それであってる…?」
「ふふ。あー楽しい。次のデートどこにしよっか」



コーヒーカップを手にしていた私の手がフリーになった瞬間に手際良く攫って机の上で握りだす悟は「あは、シャッターチャンス」なんて言いながらサングラスまでずらすものだから思わず顔を顰める。さっきからお店に迷惑がかかるレベルで周りが騒がしくなってきた。



「そろそろ帰る?」
「?いいけど、悟はいいの?」
「ん、ちょっと騒がしくなってきたしね。なまえがこれからはデートいっぱいしてくれるって言うから、今日は帰ろうか」


先に席を立って私に手を差し伸べる悟の手を取る。また同じように絡まる指に沿うように大きな掌を握り込めば、悟が嬉しそうに笑った。

もちろんその日の出来事はネット界隈ではすぐに話題の中心に上がり数時間後にはネットニュースにあがっていたみたいだけど、悟の言う通り他に何か大きなトピックが生まれればすぐに人々の関心はそちらに流れていく。
それからは悟の言う通りいろんなデートに繰り出すようになった。毎回毎回ドラマの脚本のように一部始終晒されているネットの記事には笑うしかないけれど毎回ゲラゲラ笑いながらそれを読んでいる悟が幸せそうだからこれでいいやと思える。
何で私ってばこんなに気にしながら生きてたんだろうなんて馬鹿馬鹿しく思えるのもきっと隣にいるのが芸人になっても本質の変わらない某最強様だからだろう。




祀様、この度はリク企画へご参加くださりありがとうございました!
お祝いと応援のメッセージもありがとうございます!とってもとっても嬉しいですー!!
シリーズ化させていただいた祓本シリーズなのですが、続編のご希望ということで継続更新しているお話の番外編のような形で書かせていただきました!結婚して半年後くらいのイメージで…読んでもらえたら…と思います!
リクエストいただいてから本当に長い時間をいただいてしまってすみませんでした!楽しんでもらえると嬉しいです!
素敵なリクエストありがとうございました!



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