ノスタルジーにさよならを

はぁ、朝から何度目かわからないため息を吐く。たぶんもう起きてから100回はしてる。1分に1回はしてる。なぜこんなに憂鬱な気分なのかと言うと、職場に苦手な人がいるからだ。苦手歴十数年、彼との初対面から苦手と言っても過言ではない。もう視界に入るだけで存在感を消して見つからないように潜んでしまうくらいには苦手だ。今日は会いませんように、会っても見つかりませんように。なんなら長期の任務に行ってますように、むしろ海外とかに行ってますように、そう願って職場併設の寮から一歩踏み出す。



「あ、なまえだ。おはよー」



私のささやかな願いは部屋からの一歩で叶わぬものと消えてしまった。


「…おはようございます、五条さん」
「今日も可愛いね」
「……では失礼します」
「いやいや、おかしいでしょ。行き先一緒じゃん。一緒に行こうよ」
「いえ、私は寄るところがあるので目的地は違います」
「どこいくの?」


あなたに関係ありますか?とついて出そうになった言葉を必死に手繰り寄せて喉元に仕舞い込む。特に寄るところなんてないけれど、苦手な人と職場まで歩くなんて絶対に嫌だ。何考えてるかわかんないのに変な目隠ししてるせいで余計訳のわからない風貌をしてる人と朝から探り探りの会話したくない。…知らない間に優しくなった口調、昔と違って軟派なところも嫌だ。あんなにボロカス言ってきた人に急に態度を翻されてもどう反応すればいいのかわからない。



「あれれ?僕の声聞こえてる?おーい」
「っ!すみません、ぼーっとしてました」
「ハハ。生理?大丈夫?僕薬買ってこようか?」



デリカシーどこに置いてきたの???そしてその無駄な気遣い本当になんなの?気を遣えてるの?遣えてないの?どっちなの?キッと睨んで「違いますし、結構です」と告げればキョトンとする五条さん。…顔の半分以上隠れてるのになんで表情がわかるの。


「そ?体調悪いんじゃないなら良かったよ。今日さ、任務入ってる?」
「今日は二年生の任務帯同です」
「へー、誰?」
「真希ですよ。一人では任務に出られませんから」
「はやく昇級させてあげたいよね」
「………そうですね」



昔の彼だったら絶対に彼女のような人材を目に入れた瞬間「は?呪力ないとか何のために呪術師やってんの?早く辞めれば?」とでも言ってただろうなと考えて思わず眉間に深い皺を刻んでしまう。まずいまずい、もう私もアラサー、皺には気をつけなければいけないのに。ぐにぐに、と皺を伸ばすために眉間をマッサージしていたせいか五条さんの話を聞き流してしまっていたようで「聞いてる?」と急に目隠し顔が視界いっぱいに現れて思わず固まる。


「…聞いてませんでした」
「夜暇だったりする?って聞いたんだけど」
「夜、ですか?五条さんこそ任務では…?」
「超特急で終わらしてくるから特級だけに」
「は、あ…」
「で、あいてるの?あいてないの?」
「今日は真希の任務のみの予定ですが、」
「あいてるんだね?ご飯行こうよ何が好き?」
「え、っと…それは、二人、でですか?」
「うん?そう聞こえなかった?」
「なぜ?」
「僕がなまえとご飯を食べたいからだよ」



つい咄嗟に口から出た疑問。なぜ今更五条さんと二人でご飯に行く必要が?そこまで言うのは何だか躊躇われたが故のなぜ?である。答えになってない答えが返ってきて思わずもう何度目かわからないため息を吐きそうになった。続けて「食べたいものがないなら僕が適当に選んでおくね」「これはデートだから可愛い服着てきてね」と言う五条さんに目を白黒させる。なぜ、五条さんと、デート???馬鹿も休み休み言ってくれ。
そもそも私がなぜ五条さんをここまで毛嫌いしているのかと言うと、彼との初対面がそれはもう、最悪だったから。




「あ?こっちみんなブス」
ようやく入学した呪術高専で突如かけられた声に反応できなかった。それは目の前の悪態つく男が人外レベルの顔をしていたからか、それとも首の角度を変えなければ目線が合わない程の大男だったからか、はたまたかけられた言葉の意味が理解の範疇を超えていたからか。
「それって私のことですか」そう言えば「雑魚術式しかねーやつと喋る暇ないから」とぷい、と視線を逸らしてどこかへ行ってしまった名前も知らない男性をぽかーんと口を開けて見ていれば、横にいた黒髪の男性が眉を下げながら「ごめんね」と心底申し訳なさそうにするのでこちらは真面な人間かと思い「いえ、」と口にした。
「ここは強くないとやっていけないからね、君も早くなれるといいね」と言われて、はい、と言いかけてん?と一瞬考え込む。
なれるを『慣れる』と自己補完していたが、まさか『(強く)なれる』の方か?いやまさか、と逡巡してやめた。先日自己紹介したばかりの同期のうちの一人が『先輩が碌でもない』と愚痴っているのを聞いていたから。出会って数分、数秒で私はのちに彼らの同期である硝子先輩に他己紹介していただいた、五条先輩と夏油先輩の間にベルリンの壁もびっくりな余程のことでは崩れない強固な壁を築き上げたのである。


それからというものの、できるだけエンカウントしないように先輩たちを徹底的に避ける生活が始まった。なのに何故か定期的に五条先輩とエンカウントしてしまう私は、ほっといてくれたらいいのにネチネチと何度も何度も嫌味を言われあまりのストレスに呪術師をやめようと考えた。こんなにこき下ろされてまでならなきゃいけないものか??と先生に相談したところ京都校への転校を勧められ、悪くはないな、と思い私は光のスピードで京都へ逃げた。その後の生活は快適なもので、東京校より保守的な考えが跋扈している校風ではあったが面と向かって罵倒される生活に比べれば百倍マシだった。
しばらくすると風の噂で夏油先輩が呪詛師になったと聞きさすがに驚いた。まさか、流石に嘘でしょ、なんて思っていたのに私が初めて参加するはずだった京都と東京の交流戦、会いたくないなあと思っていたが事態の把握に追われる東京校のドタバタのおかげで中止となり、噂は本当だったのだと悟った。私は終ぞ在学中に五条先輩と顔を合わすことはなかった。呪術師としての毎日は大変だったが、幸運なことに死ぬ目に遭うことはなく、京都校で教鞭を取っていた庵歌姫先生の推薦もあって私も教師となることになった。…東京校の教師に五条先輩がいると知っていたら、私はその選択をすることはなかったと思うが。

「はい?転勤?」
「そうなのよ。東京の人員が足りてないらしくってね」
「え、そんなことってあります?それに私東京は…」
「それがね、夜蛾学長の指名なの。どうも東京のこと少しでも知ってる人間の方がやりやすいだろうって」
「そんなの、歌姫先生の方が卒業までされてるんですし…」
「不思議よね。それに私の方がダメよ!東京は五条がいるでしょ!あんなのと一緒に教師なんか無理よ無理!」

歌姫先生の一言に私の時間が止まった。発言には全面同意だがなんだって?五条先輩が、あんなに他者を顧みない先輩が教師だって?これこそ何かの間違いでは?というか私だって無理なんですが!歌姫先生!!…魂の叫びは人事という名の大人の社会の前では沈黙も同義だった。まあいい、久しぶりに同期にも会えるし、と片割れだけになってしまった未だ連絡だけは取り続けている東京校での同期の顔を思い出して正気を保った。
こうして恐る恐る東京に帰ってきた私に待ち受けていたのは変な顔をして私を憐れんだいつの間にか学長になってた夜蛾先生とアグモンが急にオメガモンになったかのような色んな意味でおっかなびっくりな成長を遂げていた五条先輩だった。

「久しぶりだねなまえ。きれいになったね。会いたかったよ」
「………誰????」
「ははっジョークの腕上がってんじゃーん京都いる間に新喜劇でも見てたの?」

あんなにブスブス言われてきた先輩にそう言って急に抱擁された時の最適解って何なんですか?数年前にこの身に起きた出来事の答えは未だ見つかっていない。




「おーい、なまえ?今日は朝からよくぼーっとしてるね」


はっと意識を覚醒させれば上品なスーツを着た男性がちんまりとした美しい料理の乗った煌びやかなお皿を音も立てずに目の前に鎮座させるところだった。男性は何語かわからない料理名を告げ、簡単な説明をしていくが全く頭に入ってこない。目の前に並んだ大中様々なカトラリーに、テーブルマナーを必死に思い出していれば手にジトリと汗が滲む。
そんな私に気づいてか、両手でフォークとナイフを持っていたはずの五条さんはそれを一度置き、上質なテーブルに片肘をついて行儀悪いふりをしながら食べ始めた。「堅っ苦しいのは苦手だった?ごめんね」なんて言いながら。最近よくつけている謎のアイマスクではなく懐かしいサングラス姿の五条さんではあったが、纏うオーラは相変わらず別人だ。「そのワンピースよく似合ってるよ」「化粧もいつもと違うね、可愛い。ほんとに可愛くしてきてくれたんだね」「お酒足りてる?まだ飲む?」まるで外国人男性のようにスラスラと私を褒め称えこちらを気遣いながらギャルソンに自分は飲みもしないワインの注文をしていく五条さんに私は終始あたふたするだけだった。
シラフのままではどう対応していいのかわからなくて注がれるがままワインを胃に流し込むうちに気付けば視界がぐらぐらと回り、飲酒後特有の高揚感に包まれていた。



「飲ませすぎちゃったかな」
「まだいけますよう〜!」
「あー、だめだめ、もう水にしときな」
「え〜こんなに美味しいワイン初めて飲んだんだもん、まだ飲みたい」
「もんって、可愛いなあ。でもだーめ。飲みたいなら今度から家に準備しとくから僕んちで飲みな」
「なんで?ていうか五条先輩の家って寮じゃん!やだやだ美味しいお酒はもっとおしゃれなとこで飲みたい」
「夜景のきれいなマンションとかどう?」
「あは、五条先輩すんでそ〜〜!!女の子連れ込んで口説いてそ〜〜〜!!!」
「うん、今から君を口説きたいな」


ん??聞き間違いかな?私もしかして相当酔ってる?今五条先輩から聞き捨てならない言葉を聞いたような。というか五条先輩に何タメ口きいてんだ自分、殺される!!一瞬で冷や水に打たれたような感覚を受けて酔いの回っていた頭がさー、と冷えていくのを感じた。



「お、やっと反応した」
「ご、五条さん、最近どうしたんですか?へ、へんですよ、私のこと昔はブスブス言ってたのに、こ、こんな高級なお店連れてきて、疲れてます?正常な判断できてます?」


ワインの横に置かれた冷たい水の入ったワイングラスを傾けてぐい、と煽ればさらに思考がクリアになっていく。五条さんの方を見れば困ったように眉根を下げて頬杖つきながら私を見つめていた。



「……僕学生の頃はガキだったからさ、一目惚れしたこと認めたくなくて酷いこといっぱい言ってごめんね」



……はい??一目惚れ?一目惚れってなに?一目見て恋に落ちるあの一目惚れ?だれが?だれに??



「好きだよ、初めて会った時から。ブスなんて思ったことない」
「は…?」
「ごめん、あの時は変な意地張っちゃってただの八つ当たりだった。いっぱい酷いこと言ったよね。そのくせ顔見たくてわざわざ呪力辿って会いに行ったりして。でも顔見るといじめたくなっちゃってさー!小学生男子かよって感じー!?京都に転校したって聞いて腑煮えくり返ってようやく気づいたんだよねー、あ、なまえのこと好きだわって」
「え、いや、まって、」
「そのあといろいろあったしお前のことなんて忘れようと思ったんだけどさ、七海とは変わらず交流続けてたって知ってイラついて学長の名前勝手に使ってこっち呼び戻したんだよね」
「え」


まって、ちょっとだけ待って。情報を整理させて。うまく回らない思考のせいで私はまだ五条さんの一目惚れ発言さえ飲み込めていないのだ。五条さんは混乱する私をクスリと笑って私と彼の間にあるテーブルなど意に介していないかのように長い腕を伸ばして酔いのせいで(だと思いたい)真っ赤になっているであろう私の頬をなぞった。五条さんの目は見たことがないほど柔らかく緩んでいて視線を思わず逸らしてしまう。バクバクバク、心臓が酔いと相まって聞いたこともない音を立て始めてさらに混乱する。


「はは、照れてんの?かーわい」
「こんどは何の冗談ですか…?か、からかってます…?!」
「えー、僕そんな冗談言ってるほど暇じゃないけど〜?」


それはたしかに。でも!私がどれだけあなたの罵詈雑言に心を痛めたかわかってますか?そう言えば頬をなぞっていた手は不自然に固まり、何故か傷ついたかのような表情を浮かべる五条さんに言葉が詰まる。
え、まさか本当に?本当にこの人私のことが好きなの?


「ま、そうそうすぐに受け入れてもらえるとは思ってないよ。せいぜい覚悟しておいてね。とりあえず今日は僕の部屋でこれまでの誤解を解かない?」



もうとっくにデザートまで食べ終わった席から立ち上がる五条さんに誘導されるがまま私も立ち上がった。部屋って言っても寮だし。なんなら五条さんの部屋から私の部屋はそこまで離れてないし、とまあてっきり高専に戻るのだと思い込んでいたのに、腰をがっちり支えられながら甘い顔で糖度1000%の言葉を吐き散らかす五条さんにどぎまぎしていれば気づけば先程五条さんが言っていた『夜景のきれいなマンション』のエレベーターに乗り込んでいた。



「こわ…」
「え?何が?」
「高専に帰るんじゃないんですか?!」
「なまえってばあんなところで口説かれたいの?シュミ悪いね」
「や、口説く口説かないではなく…!」
「大丈夫、今日は何もしないよ」
「今日は?!」
「え?なに?してほしかったの?」
「違います!今日も明日も明後日もありません…!」
「ははは」


未来なんて誰にもわからないよ?耳元で囁かれた声に背筋からぞわりとしたものが立ち上がって思わず飛びのこうとするのにがっちり掴まれた腰が彼から離れることを許さないとばかりにさらに密着させられる。やめてください…!といえばあっさり離されて手を繋がれた。タイミングよくエレベーターは目的階に到着したらしい。指紋認証の玄関なんて初めて見た。慣れたように入室していく五条さんの様子にホントに自宅なんだ…と開いた口が塞がらない。「何でこんな家があるのに寮に住んでるんですか…」「寮の方が何かと楽だし。それになまえとのエンカウント率上がるしね。朝から会えると嬉しくなるでしょ?一日のモチベーション、大事だと思わない?」……質問を間違えた。ただただ羞恥心が煽られるだけだった。

促されるままリビングに鎮座している大きなソファに向かい合わせに座らされて一体自分の身に何が起こっているのかわからなくて少し震えてしまう。



「僕のこと怖い?」
「…はい」
「はー、そっか。しょうがないよね」
「………」
「大丈夫、これから僕がお前のことどれだけ好きかわかってもらうだけだから」



視界を遮るサングラスを外してニコリ、と笑った五条さんは宣言通り高層マンションから見下ろす夜景を眺めながら一晩中私のどこが好きなのかを語り続けるのだった。やめてくださいと言っても終わらない、異性でさえ羨ましく思う美しい顔から紡がれる愛の言葉の数々に最初は何の冗談かと思っていたが、次第に羞恥心が勝り、涙目で許しを乞えば「僕が本気だってわかった?」というのでコクコク頷く。それからというもの、時と場所も弁えずめげずに会うたびに溶けた顔をして口説いてくる五条さんに最終的に絆されるのも時間の問題で。
「そろそろ僕のこと好きになったよね?」
なんて言う五条さんを悔しげに睨みつければとても嬉しそうな顔をして私に口付けるのだった。
私は気付けばため息をつくことはなくなっていた。






如月あやさま、企画へのご参加ありがとうございました!0か100しかない五条さんになってしまいました(笑)なんでもできる五条さん、本命には恋愛ベタだといいなと妄想してみました。ご期待に添えるといいのですが…!いつも優しく応援くださって本当に感謝です…!!!今回は素敵なリクエストありがとうございました!今後とも驟雨をよろしくお願いいたします。


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