×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

秋風が涙を攫う


「お前のせいじゃねえから」

 男はガツガツとぶどうゼリーを平らげながら、なんて事ないかのように言った。
 扉の近くには、ヒソヒソとこちらの様子を伺う看護師たちの姿が見える。いつお近付きになるか、声をかけようか、話しているのだろう。彼は相変わらずおモテになるらしい。何だか居心地悪いな。そう思いながら、ゼリーを1個食べ終えた男の顔を見つめる。
 すると、彼は2個目にも手を出そうとしていた。それを見て、つい口を挟んでしまう。

「えっ!それ、私の見舞いの品じゃないの!?」
「俺が持ってきたんだから、どうしようが俺の勝手だろ」
「暴論がすぎる。病人を労る気持ちを少しくらい持って欲しい」
「もしやお前元気だな」

 偉そうにふんぞり返る男、五条悟は次は桃ゼリーに手をつけ始めた。甘いの好きなんだー可愛いー、という甲高い声が扉の方から聞こえる。しかし、この顔に騙されないで欲しい。五条のコーヒーに入れるシュガーの個数は可愛いなんて言葉で済まされるようなものでは無いのだから。

「ま、安心したよ。俺、慰めんの苦手なんだよね」
「あー、うーん、たしかに。そんな気しかしないから、驚きはしないかな!あはは!」
「ゼリーもうやんね」
「ゴメンナサイ」

 きちんと謝罪すると、えー、どうしようかなーとニヤニヤとした顔が煽ってくる。そして、見せつけるようにゼリーを掬って口に入れてくるものだから、五条を知るもの皆が彼のことを性格が悪いと評していたのもこのことかと、身に染みて実感した。単刀直入に言うと、普通に腹が立つ。

「で、あの夜何があったんだよ」
「あの夜って」
「しらばっくれんなよ。来たんだろ、傑」

 有無を言わさず真実を突きつけてくるこの男は、やはり性格が悪い。名前はきゅっと唇を噛み締めて、少しシミの着いた白い天井を見上げた。目を閉ざしたい。しかし、それはあまりにも真っ直ぐすぎる青色の視線が許してくれなかった。
 名前は死ななかった。夏油の手により殺されたはずなのに、意識が戻った時何故か病院のベッドの上にいたのだ。月一で恋人の変わる友人は、起きた名前を見て、おいおいと泣いた。どうやらトイレで吐き疲れ、意識をなくしていた彼女があの夜の第1発見者となったらしく、オエオエと吐きながらも通報してくれたらしい。おかげで、名前は一命を取りとめ、こうして何事も無かったかのように生命を繋いでいる。
 また、不思議なことにこの一件はニュースなどのメディアに取り上げられることなく、沈黙を保っていた。まるで、あの夜のことなんて何も無かったかのように。そう思ってしまうのも、そうでありたいと願う自分がいるからなのだろうか。
 夢だったら良かったのに。友人2人が死んだことも。恋人に殺されかけたことも。あの血に濡れた惨状も。全部、全部、全部。

「傑に殺されたよ」
「生きてんじゃん。よかったな。あいつ相手に生きて帰ってこられるなんてなかなかの奇跡だぜ。お前も、トイレで寝こけていた奴も」
「なんで殺されなかったんだろ」
「さあ。殺す理由ならわかるけど」
「エッッッ。私、もしかして、チキチキ!第二回目命の危機!って感じ!?次は悟くんに殺されるの!?」
「違ぇよバーカ!傑がお前を殺そうとした理由だよ!ってか、お前ほんとに元気だな!」

 ちょっと黙ってろ、と。口の中に桃のゼリーを突っ込まれる。爽やかな甘みが口の中で広がる。一口食べただけでもわかる。これ、高いやつだ。
 すると、扉からキャー、という悲鳴が聞こえる。妙な勘違いされてそうで嫌だな、と思っていたら、お前今失礼なこと考えてただろ、と凄まれた。嘘でしょ、なんでわかるの怖い。

「あいつのことだから、お前のこと殺さないと前に進めないとか変に難しく考えてたんだろ。後戻りできなくする為に自分を追い込んでさ。ケジメってやつ?」
「あはは、傑っぽいね。それ、分かっちゃうの親友パワー?」
「そ。親友パワー」
「はは、悟くんは傑のこと何でも知ってるんだね。私とは大違いだ」

 ちら、とガラス玉みたいな瞳がこちらを向く。咎められるようなその視線が嫌で、名前は黙って目を逸らした。なんでも見通してくるようなそれが、今はちょっと怖い。

「知りたい?傑のこと」
「…………それは…」
「馬鹿で鈍いお前でも何となくわかってんだろ。俺たちが他とちょっと違ぇこと」
「うん。でも、いいよ。傑は私に知られたくなかったみたいだし。それなら、私はずっと無知のままでいい」
「うわ、流石。傑好みのイカレ具合。引くわー」

 なにそれ褒め言葉じゃん。名前が笑うと、それに釣られて五条も楽しげに笑った。白いまつ毛がふわふわと揺れる。まるで綿毛みたいだ。

「ホント可愛くねえやつ。泣きもしねえのかよ」
「慰めてくれる人がもういないからね。今泣いちゃうと立ち直るのに時間がかかっちゃうし」
「元気そうにチキチキとか言ってたヤツがよく言うよ」
「元気に見せてんのー!さては悟くん、女心が分からないんだな。付き合っても長続きしないタイプとみたぞ!」
「余計なお世話だわ」

 べし、と。頭を叩かれる。痛いと喚けば、自業自得だと彼は3個目のゼリーに手を出した。りんごゼリーだ。流石に食べすぎではなかろうか。そう思って不躾な目を向けていると、それを強請っていると判断されたのか、ぽいっとみかんゼリーを手渡された。どうやら食べる許しを得たらしい。
 ベリ、と蓋を開けて、スプーンでゼリーを掬う。果肉たっぷり。やっぱり高いやつだこれ。キラキラと宝石のように輝くそれをドキドキとしながらも食べた。甘酸っぱい。恋の味だ。舌が痺れるくらいに美味しい。

「世界って案外そつなく回るもんなんだね。人が死んでも、恋人がいなくなっても」
「当たり前だろ。お前中心に世界は回ってんじゃねえんだから」
「うん。ちょっとガッカリしちゃった」

 横から伸びてきたスプーンにみかんゼリーを掬われる。いや、とりすぎだろう。あっという間に半分にまで減ったゼリーを片手に、悪びれた様子のない五条を恨めしげに睨んだ。睨んだところで、みかんゼリーは帰ってこないけれど。それはきっと人も同じだ。

「余計なこと考えんなよ」

 低く唸るような声に、名前はスプーンを止めた。隣を見やれば、彼はペロリと自身の舌で唇を舐めていた。その仕草一つだけでも酷く絵になるような男だ。不思議と悲鳴が上がらなかったので、思わず扉の方に視線を向ける。看護師はいつの間にかいなくなっていた。ようやく自分の仕事に戻ったらしい。

「余計なことって?」
「この一件はお前のせいじゃないってこと」
「えっ、慰めてくれてるの?」 
「事実を述べただけ」
「でも、求められていた助けを見殺しにしたのって、罪にならないのかな」
「お前が傑を救えるって?図に乗んなよ。笑えねえ話だ」
「じゃあ、悟くんなら救えた?」
「俺が救えんのは、他人に救われる準備がある奴だけだよ。あいつは救いなんて求めちゃいなかったさ」
「……でも、多分、助けてって言ってたよ」
「馬鹿かよ。そんなんお前があいつを救えないってことを、あいつ自身が一番知ってたからだよ。思った以上に性格悪ぃの、お前も知ってんだろ」

 助けられる力のある五条に、助けを求めなかった。助けられる力のない名前に、助けを求めた。ああ、そうだ、彼は最初から誰にも救われる気などなかったのだ。要は、最初から最後まで名前の一人相撲だったのだろう。悲しめばいいのか、安堵すればいいのか、分からない。でも、それが名前の知る夏油傑という男だった。

「お前、アレ分かるか?」
「アレ?」

 行儀悪くスプーンを口で咥えた五条が指をさした先。そこには、花瓶に飾られた一輪の白いチューリップがあった。真っ白な病室に溶け込むように、まるでそこにあることが当然のような顔をして、花を開かせている。それ故に、名前はその存在にいつまでも気づくことが出来なかったのだろう。

「あの花、倒れていたお前の胸元に置いてあったんだと。最初はコナンや金田一少年みたいに何か手がかりやら意味やらあんのかと調べたりもしてみたんだが、傑の残穢ぐらいしか見つかんなくてな。まあ、変なもん残すような甘っちょろい奴じゃねえと思うけど。でも、一応聞く。お前、この花について何か知っているか」

 名前の目が大きく見開く。五条の言葉も半分ほどは右から左に受け流してしまっていた。何せ知っているも何も、だ。名前はこれを何回も受け取っている。その度にキッチンの近くに飾っている花瓶に挿して、時折眺めては思い出に浸り笑みを浮かべていたのだから。名前の中に唯一残っている甘い記憶。優しい傷跡が小さく疼く。

「傑、いつも謝る時、この花を一輪渡してくれるの。デートがキャンセルになった時、途中で抜け出す時、長く会えなくなる時、喧嘩した時、花と一緒にごめんねって言うんだよ」
「……惚気かよ」
「へへ、最初はすごく照れてて可愛かった。やっぱり不器用だよね、ホント」
「花って柄じゃねえだろ。想像しても似合わねえ。キッショ」
「うん。似合わなかったけど、私、そんな傑のことが…」

 そこで言葉をとめた。眩いほどの白に、目が滲む。震える声に、嗚咽が止まらなくなった。脳裏には、五条の言う通り大きな体で小さな花を手渡す、ちぐはぐな夏油の姿が過ぎる。どうしようもなくボロボロと溢れ出したのは、やっぱり愛しさだけだった。
 狡いよ、ほんと。最初から最後まで嫌いにさせてくれないのだから。

「泣くなよ。慰めんの苦手だっつったろ」
「う、うぅ〜〜〜」

 乱雑にわしゃわしゃと撫でられる手。それは、名前の記憶の中のものとは全く違ったけれど、似たような優しさが不思議と感じられた。

「俺は、何であいつがお前を殺そうとしたのかは分かる。でも、お前を殺せなかった理由は分かんねえよ」

 冷たい秋の風が吹く。遊ぶように、取り残された2人の心を大雑把に撫ぜた。花の香りが、ただ白いだけの部屋に甘く広がる。

「逆に、お前なら、それが分かるんじゃねえの」

 瞼の裏が爛れている。あの永遠の夏はもう来ない。