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水飛沫が上がる

 私はいつもホテルの近くの街頭の下に立っている。声をかけられるか、なんとなくこちらから声をかけてみるか。そうやって、私の今日の相手は決まるのだ。前にホテルから離れた場所で男を捕まえたら、外で行為に及ばれた経験があるので、それからはホテルの近くでするようにしている。ちなみにその時にとむらくんと出会ったのだ。

「いくら?」
「おじさんの気持ち次第かな」

 声をかけられて、差し出された手を握る。その瞬間、誰が殴られるかなんて予想していただろうか。頬に熱い感触が走り、体が飛ぶ。本当に文字通りにだ。ビックリしてしまう。飛んだ体は建物の壁にぶつけられた。私は飛びかけた意識をなんとか繋いだまま、床に倒れる。なかなかバイオレンスな相手とみた。いつも私はこうなのだ。
 とむらくんが苦言を呈するとおり、私が捕まえる客はどうにもヤバいやつが多い。元よりこの街にはヤバいやつが多いのだけれど、その中でも型破りな部類が揃ってる。正にヤバいやつのバーゲンセールだ。全然嬉しくないけど。でもきっとみんな窮屈な世界に苦しんで、もがいて、その憤りを私にぶつけているのだろう。可哀想だなって思う。別に同情はしないけど。だって、痛いのは私だって嫌だ。
 私を殴った男はそのまま服の中に手を入れてくる。このまましちゃうらしい。またもやビックリである。目の前にホテルがあると言うのに、我慢ができないらしい。待てのできる犬よりも賢くない。でも、そっちの方が親近感は湧く。
 服の中に侵入した手は、中の下着を力ずくで破って、開放的になった胸を力強く揉み始める。痛い。でも、その先端を少し刺激されれば、少し息が漏れる。人間の体って案外単純な作りをしているものだ。
 すると、太ももになにか違和感を覚えた。反り上がった何かではない。背筋が凍るような、冷たい感触だ。嫌な予感がする。私はそろそろと視線を下ろした。すると、そこには鋭利な刃が月の光を浴びて鈍く光っていた。その切っ先は、私の太ももをつうっとなぞる。ひっ、と声を上げたのも無理はない。だって、生きるのが苦手な馬鹿だけど、死ぬのは嫌だもの。

「やめて!離して!!」

 そういう個性の人間なのだろうか。彼の指の先はナイフのように鋭く尖っていた。それは、ふとももの皮膚を破り、鮮血を垂らす。はあ、はあ、と上から落ちてくる息が荒くなっていた。抵抗しても止まりそうにない。寧ろ、頬を再び殴られる。それは私の戦意を喪失させるには十分すぎる威力であった。
 白くてまろい肌を伝って落ちる赤い液体を男は舌を伸ばして舐める。じゅるじゅると啜る姿はまさに獣だった。死に目には何度もあっている。それでも運良く生きてきた。多分体が無駄に頑丈なのもある。だから、きっと無茶な欲望を押し付けられることが多々あるのだと思うのだけれど。だからといって、その恐怖に慣れることは無い。生存本能は麻痺しない。怖いって、誰か助けてって、叫んでいる。

「いっだ…っ!…ァッ…!!」

 傷口に歯を立てられる。伸びたナイフが次はどこを貫こうか、そわそわと所在なさげに浮ついている。じわっと目に涙が浮かんだ。視界がぐにゃりと歪む。ぐすっと鼻が鳴った。もうダメかもしれない。そう思った時だった。

「なんだよこいつ、犬か?邪魔くせえな」

 私の太ももを貪っていた男の頭を五本の指が掴む。その瞬間、男は絶命の声を上げるまもなく、ぐしゃりとその形を崩れ落とした。バシャ、と音を立てて崩れたそれからは真っ赤な血が溢れ、それは私の頭を覆いかぶさった。まるで、バケツ一杯分の水を被ったみたいだ。足元には水溜まりのように赤い液体がじわじわと広がっている。

「とむらくん…」
「悪いな。お楽しみ中だったか?」

 瞬きをする間もなくこの男の息の根をとめ、私を助けてくれたのは、とむらくんだった。悪いと言いながらも全く悪びれる様子はない。歪んだ笑みはこちらを嘲るもの。冷たく見下ろす赤い目は、獲物を狙う肉食獣のように凶悪な色を蓄えている。私を襲っていた男なんかよりも、きっとずっと怖い存在なのだろう。でも、私は彼を目の間にして、恐怖は1ミリも湧くことなく、逆にほっと安堵していた。

「何笑ってんだ。気色悪い」
「ふ、ふふ、だって、死ぬかなって思ったのに、生きられたから。とむらくんのお陰だね。ありがとう」

 ニコニコと笑っていると、とむらくんは心底意味がわからないと言わんばかりの怪訝そうな表情を浮かばせた。とむらくんがそんな顔をするのも無理はないと思う。だって、私も何故こんなにも笑いが込み上げてくるのか分からないから。不思議なものだ。目の前で人が殺されたって言うのに。でも、これはなんら不思議でもなんでもないってことを私は知ってる。だって、ここは海の中。海の世界は陸のルールも倫理も存在しない。強いものこそが勝者なのだ。だから、これもとむらくんが強かっただけ。他に問題なんて無い。

「呑気なやつだぜ。調子狂う」
「呑気じゃないよ。服が汚れたもん。相手も死んじゃったし。これじゃ今夜は仕事続けられないかな」
「……お前、少しは自分の迂闊さを省みろよ」
「そんなん今更だもん。生き方は変えれないよ」
「自由な女だな」
「そんなことないよ」

 深海魚は深い海の中でしか生きられない。急に陸に上げられると、圧力の違いで破裂して死んでしまうのだ。じゃあ、ゆっくり水面に向かえばいいじゃんって誰かは思うかもしれないけれど、そんな悠長なことができていたら、そもそも海の底に沈んでなんかいない。太陽なんて知らなくても生きていける。たまに、その灯りを恋しく思うだけで。だから、私は誰でもいい誰かの温もりを求めるのかもしれない。

「とむらくんすごいね。これ、個性?」
「ああ。アンタは?」
「ないよ。無個性」
「つまんねえな」
「あはは、つまんないねえ」

 肉塊を退けて、私は立ち上がる。流石にヒーローも嗅ぎ付けてここまでやって来るのかもしれない。でも、とむらくんが捕まるのはいやだなあ。そう告げると、とむらくんは鼻で笑った。酷いよ。心配してるのに。

「お礼にナゲットって言いたいところだけど、今生憎金欠でね。今日のお客さんもこの有様だし、とむらくんに奢ることは出来そうにないの。ごめんね」
「俺のせいって言いたいのかよ」
「ありがとうって言ってるんだよ。お礼が出来なくて、本当に残念!」
「別にいらない」
「うわ、相変わらず可愛くないんだから」

 街頭の電気はバチ、と音を立てる。電気が切れかかっているのだろう。その周りには光に吸い寄せられた虫たちがうじゃうじゃと飛び回っていた。でも、その光には誰も触れない。だって、それに触れれば身を焦がしてしまうことを、虫たちは知っているから。

「私が持ってるものっていえばこの身一つだけだからね。お礼ならこれくらいしかあげれないかな」

 アハハ、と茶化しながらも笑う。いつもみたいな軽口だ。本気じゃないから気軽に言える。本気であれば、言葉にできるはずもないのだ。
 だけど、そこで違和感。気持ち悪いとか、失せろとか、そんな悪態を吐くだろうと思っていたとむらくんは、私をじっと見つめてその口を引き結んでしまっていたのだ。あれ、何その反応。私も笑うのを止めて、黙り込んでしまう。

「………あー、ごめんごめん。冗談だから!気にしないで!ね?」
「あ?」
「ヒェッ」

 ギッとあまりにも鋭すぎる眼光に睨まれてしまった。情けない声を上げて、身を竦めてしまう。正に蛇に睨まれた蛙状態だ。年下の男の子相手に情けない話である。ぷるぷると震えていると、とむらくんが一歩踏み出す。足元の肉塊を邪魔だと言わんばかりに蹴飛ばした。足癖が悪い。

「なら、それでいい。よこせ」
「え?」

 パチ、と瞬きを1つ落とす。そんな私を見て、とむらくんは間抜け面だと言って目を細めた。
 子供が海の中に手を伸ばす。ひらひらと踊るように泳ぐ魚を追いかけて。



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