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謎は死体となって海に沈みゆく

 コンクリートで埋め尽くされたこの街の夜は、まるで深海のようだ。太陽も届かない。ヒーローの目も閉ざされている。夜の海のように闇が覆う暗い世界。暴力と金だけが強さを示し、薄汚れた夢と欲望が行き交う。生きにくさを感じるこの街が、私には息がしやすかった。煙草なんていらないと思えるくらい、ここの空気は心地の良い毒に塗れている。

「いった……」

 意識が浮上する。ボロい天井がすぐさま目に入った。ヒュー、ヒュー、と漏れる息は陸に上がった魚のエラ呼吸のようであった。でも、この生きてるって感触がたまらなく心地いい。首元に手をやる。縄のようなものに触れた。それは力なく名前の首に巻きついているだけだった。

「誰もいないなー」

 体を持ち上げてみるが、そこには誰もいなかった。床には乱れたベッドのシーツと破かれるみたいに脱がされた私の衣服が散らばっている。机の上には潰された缶ビールが転がっていた。安っぽい味が思い出され、ペロリと舌を舐める。すると、鉄っぽい味がした。どうやら口の中が切れているらしい。
 よろよろと立ち上がり、裸のまま洗面所に向かう。電気は切れかかっており、視界が明るくなったり、暗くなったりを繰り返していた。鏡と向かい合えば、切れた唇に目が奪われる。口付けと言うよりも噛み付かれた、が正しい荒々しいキスを思い出した。下手くそだったな、と冷めた思考が頭をよぎる。血は固まり、傷口を塞ごうと躍起になっているところであった。その次に視界を掠めたのは、首元に巻いた赤い跡だ。痣ができ、血も滲んでいる。はっと乾いた笑みが零れた。
 死ぬかもな、と思うことは何度かあった。今日もそのうちの一つだ。今日の相手は少々厄介な男で、相当なサディストでもあった。相手の苦痛に滲んだ顔を見ないと満足した絶頂を味わえないと、まるで自分の好きな食べ物を言うみたいに、軽々とのたまった。その手には縄。名前を貫きながら、それで首を絞めてきた。でも、それに慣れていないのだろうな、とも思った。最初はその手つきに躊躇さがあった。理性が失いかけてきたら、ぎゅうぎゅうに締めてきたから、名前の意識が飛んだあと慌てて紐をとったのだろう。なんせゴミ箱に使い捨てられたゴムはなかったし、名前の中に出された精液の残骸も見受けられなかった。恐らく殺してしまったと焦り、萎えたのかもしれない。欲だけが先走って、大した知識は持っていなかったのだろう。欲を求めるのなら、それ相応の知識がないと楽しめない。だから、厄介だった。
 適当に冷たいシャワーを浴びて、床にちらばった服を拾い上げて着ていく。部屋の隅に置いてあった名前のバックの上には、万札が数枚置かれていた。最初に言ってた額と違うな、と思ったのは相手がイけなかったからだろう。貰えるだけいいかと思ったが、それもホテルの料金でちょっと消えたので、どれだけ意識飛ばしていたのだろうと、少しだけ怖くなった。
 ホテルを出る。夜もそろそろ明ける頃だ。今日の売上を見て、肩を落とす。また暫くこの節制生活も続きそうである。
 コンビニでも寄って帰ろうとした時、ホテルの入口に立つ男が目に入った。夜に溶けるような全身真っ黒なコーデだ。逆に目立つ。その隙間から星のような銀色の髪が見えた。あ、と思わず声を上げる。

「とむらくんだ!」
「……名前」

 死柄木弔。漢字は前に教えてもらったから分かるようになった。書けるかどうかはべつとしてだけど。
 今日の彼は手の飾り物をつけていないらしい。心底面倒くさげな顔が、フードから覗いて見えた。その赤い目が私の口元で止まり、そして次は首元に流れていく。げ、と嫌悪の滲んだ声に笑いたくなった。

「懲りないな、アンタも。よくやるよ」
「うーん、どうも私って変な人呼び寄せるみたいで!」
「見る目がないんだろ」
「お客さんを選べるような立場じゃないからね、私」
「馬鹿なだけだな」
「うーん、正論」

 とむらくんは大きくなった。初めて一緒にナゲットを食べてから10年近くは経っているからかもしれない。自分よりも小さかった体も、今じゃ見上げるような形となっている。可愛げのなさも伸びる背丈と比例して大きくなり、でも愛着はその分湧いて出てきた。

「また肌が荒れてるね。大丈夫?」
「別に」

 ガリガリと首元をかく彼は、私が今どんな仕事をしているのか、きっともう理解してしまっている。彼はそれを止めはしないし、だからといって距離をとるようなこともしなかった。ただ馬鹿だなあ、みたいな顔をして時折私の前に姿を現す。野良猫みたいな子だ。それが案外可愛かったりする。

「なんでこんなことしてんだ?」

 だから、これはなかなか珍しい質問だな、と思った。彼は私のすることなすことにそこまで興味を引いているようには見えなかったから。赤い視線が私の首元を舐める。不機嫌っぽそうだ。ちょっと背筋がゾワっとした。

「私、馬鹿だからさあ、こんな生き方しか知らないんだよ」

 いつからこんなことをするようになったかなんて覚えていない。昔はもう少しまともに生きていた気がするけれど、それも遠い記憶だ。今じゃ、海の底みたいなこの街で、体を売って、金を貰って生きている。だって、馬鹿な私が持っているものなんて、この身一つしかないから。だから、生きるためにはこれを差し出すしかなかったのだ。理由なんてそれだけ。そこに深い意味も何も無い。それに何かを思うような感性は既に枯れてなくなってしまっていた。

「ふうん」
「聞いておきながらそんな反応!?」
「案外つまらない理由だったな」
「そりゃあすいませんね!期待するような答えじゃなくて!」
「まあ、予想通りだったよ」

 質問に律儀に返せば、この冷めた反応だ。最近の若い子はこんなものなのかしら。うーんと首を傾げた。でも、とむらくんは少し機嫌が治ったみたいだった。なんでか分からないけれど、良かったなって思う。

「ナゲット。バーベキューソースがいい」
「うわ!早速たかってきた!」
「年上は年下に奢るものなんだろ」
「たまにはポテトもどうよ」
「アンタが買えよ。ソース分けてやるから、ポテトよこせ」
「いや、分けてやるも何もそれ私のお金ね!」

 ポケットに手を突っ込んで歩き出した猫背を追いかける。彼は案外自己中心的でマイペースなのだ。弟がいたらこんな感じなのかな、と思いながらそんなワガママに答えるのが、少し楽しかったりもする。身体の関係以外でこうした何気ないやり取りができるのも、彼くらいだ。だからなのか、どうも甘くしてしまう。

「最近リピーターのお客さん少なくてさあ。売上良くないの」
「老けたからだろ」
「酷っ!そんなに老けたかなあ」

 思わず肌をぺたぺたと触る。自分のことは自分じゃ案外分からないものだ。だが、それもそうだととむらくんの言葉に納得する自分もいた。
 だって、あんなに小さかったとむらくんが今じゃこんなに大きく成長した。すれば、成長の終えた私の場合はその分劣化していくのが自然の摂理と言えよう。いつまでこの体も売れるのだろうか。いつまで買ってくれる人がいるのだろうか。先の見えない未来は、陽の射さぬ海の中を手探りで泳ぐのと少し似ている。

「さあ。どうだろうな」

 気だるげな横顔は何処か遠い場所を見つめていた。彼もきっといつか私の前からいなくなるのだろう。この深い海から飛び出て、綺麗に泳いでいく。それを心待ちにしていると同時にどうしようもない寂しさも覚えた。

「マスタードもたまにはいいんじゃない?大人の味も知ってみようよ」
「いい。俺はバーベキューが好きなんだ」
「子供だなあ」

 冷たい風が吹いた。横目でこちらを睨みつけてくる彼から、子供とは程遠い刺激的な血の香りが漂ったのは、気のせいだと思いたい。
 今日相手をしたサディストで厄介な男は、やはりそれ以降私の前に姿を現すことはなかった。



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