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私は深海魚

 馬鹿は上手く生きていけない。だから、きっと私は馬鹿なのだろう。
 生臭い匂いの立ちこめるゴミ捨て場にて、パンパンに膨らんだゴミ袋たちに身体を埋まらせながら、そう自嘲した。臭い。鼻が曲がりそう。そうなると商売道具に傷がついてしまうので、御免蒙るのだが。でも、それでもいっかあと諦めに近い感傷に浸る。だって、お客さんは私のことを顔で買ってるわけじゃない。穴があればいいだけ。持て余した凶悪な欲を都合よくぶつけて、吐き出せる場所があればそれでいいのだ。とはいえ、顔が良ければより良いこともある。言うなれば、追加オプションみたいなものだろうか。なくてもいいけどあったら尚いい、みたいな。サイドメニューのポテトが増量中です、に近いかも。
 すると、あまりにも素直すぎるお腹がぐうっと音を鳴らす。ポテトを思い浮かべたせいかもしれない。人ってのは、どれだけ傷ついても、ボロボロになっても、死に目にあっても、普通にお腹は空く。だって生きていくためには食べなくてはいけないから。生き物ならば誰もが持つであろう生存本能だ。

「何してんの」
「ポテト食べたいの」
「こんなところで漁って出てきたポテトなんざ、たかが味も知れてるだろうよ」

 そこで私はようやく気づいた。自分以外の第三者の声に。
 痛む体に鞭を売って、視線を持ち上げる。そこには、たくさんの手をひっつけた子供がいた。一目見ただけで分かるほどに、彼の異様さは酷く目立っていた。色が抜けたような白い髪は、薄い雲から透けて落ちてきた月光を浴びて、鮮烈に揺らめいている。手の隙間から見えた赤い目は曇った窓ガラスのように濁っていた。
 子供だけどあまり可愛らしくない出で立ちだな、と率直に思った。それに、何となくだがわかるのだ。この子は普通じゃない。私はそんな人を何人も見てきたのだから、その勘はあながち間違いじゃないと思う。

「好きでここに埋まってるわけじゃないですう」
「じゃあ、なんで」
「……もういらなくなったからじゃないかな」

 まだ幼いこの子供に詳しく話すのは憚られた。大人の爛れすぎて行き場のなくなった汚い1面なんて。だから、足を内股にして、少し後ろに下がった。足の間から伝って落ちる白い液体をなるべく見せたくなかったのだ。
 子供はふーんと無造作に頷きながら、地面に散らばっている紙幣を1枚拾い上げる。そして、ジロジロと不躾に見た後、くだらないと言わんばかりにぽいっと捨てた。

「あっ、何すんの!私のお金!」
「そんなに大事なもんならしっかりと抱え込んで締まっとけよ」
「うわ!この子供可愛くない!」

 見た目だけでなく、言動まで可愛くないとは何事だろうか。はあ、とため息をつく。ついたところで、現状は何も変わらないのだろうけれど。
 黄昏れるように空を見上げようにも、まだこちらをじっと見つめている子供が視界にチラついて仕方がない。視線が痛い。主に下半身を中心に。好奇心旺盛で何よりだ。

「襲われたのか」
「合意だよ」
「趣味が悪いんだな」
「相手のね!!私じゃないからね!!」

 サクサクと刺さる視線から逃げるように、足首に引っかかっていたジーンズとその中に隠れていた下着を上に持ち上げる。濡れたままなのは気持ちが悪かったが、このまま子供にこの光景を見せ続けるのは、教育上よろしくないと良心が働かされたのだ。その一挙一動さえもじっとその目に収められる。なんだかいたたまれない。羞恥を覚えるのは今更なので、ただただ気まずいだけだ。

「そんなに見られると困るんだけど」
「今更だろ、そんなの」
「今更?」
「見てた」
「え」
「ここで男といたところから」

 感情の籠っていないその一言は、私の心に大打撃を与えるのには十分だった。背中に汗が流れる。明らかに子供に見せるものではなかった。色んなものをこの手から落としてきた私でも、罪悪感に胸がチクチクと痛む。可愛くなかろうが子供だもの。夢を見るのも許される年頃だ。その幻想を壊すのは大人として本意ではない。綺麗なものを無垢に信じる子供からしたら、先程までの景色はさぞ汚らしいものであったに違いないのだ。海の底なんて知らなくったってよかったというのに。

「君、ポテト好き?」
「ポテト?」
「うん。変なもの見せちゃったお詫びに、お姉さんが奢ったげる」

 人は楽な方に流れがちだ。罪は背負いたくないので、償ってなかったことにしようとする。だから、私の唐突なこの提案もそんな下心が含まれていた。ポテトなんて、安い償いにしかならないけれど。それでも私の心を癒すには十分すぎるお値段だ。

「黒霧から知らない人からはものを貰うなって言われたからいらねえ」
「君、しっかりしてるなあ。賢いねえ。私とは大違いないい子だ」

 すると、子供は黙り込んでしまった。褒めたのにおかしいな。気を悪くさせちゃったのかな。そう思って頭を撫でようと手を差し伸ばせば、避けられた。うん、ちょっと傷つく。でも、きっと正解な反応だとも思えた。そりゃあ道端でセックスして、終わったかと思えば相手からお金と一緒に殴り飛ばされた、明らかにやばいと分かる女に触れられたくも、近づきたくもないだろう。わかるよ、わかる。悲しいけど。

「あー…、まあ、なんか汚いもの見せてごめんね。ここら辺、治安良くないから気をつけて帰るんだよ」

 最後にいいお姉さんぶって、行き宛てのなくなったその手を自身の頬に持ってくる。そこはいつもよりもぷっくりと膨れていて、熱を帯びていた。殴られたせいか、すっかりと腫れてしまっているらしい。ゴミ捨て場の匂いで鼻が曲がるよりも、大損害である。
 とりあえず、と。今日の売上を拾い上げ始めた。いつまでも放置してると、目敏いハイエナたちに奪い取られてしまう。この街は弱肉強食、弱いやつが悪い、がモットーの世界なのだ。全てが自己責任だ。分かりやすくて馬鹿でも生きやすい。拾い上げる札の中には精液で汚れているものもあって、うげ、と思わず声を上げる。せっかくのお金なのに最低だ。この1枚の金額は変わらないけれど、なんか価値は下がった気分である。

「あれ、君まだいたの」

 お金を拾いあげて顔をあげれば、先程と変わらぬ位置に子供がいた。呑気な顔と言葉を示す私に、わざとらしく舌打ちを零す。やっぱり可愛くない。でも、子供が可愛いのは周りに守ってもらうためだとどこかで聞いたことがあるので、この子供は周りの守りを必要としていないのかもしれない。それはなんか悲しいことだな、と他人事のように漠然とそう感じた。

「……ナゲットがいい」

 ボソッと告げられた言葉。黒の交じった赤は何か言いたげにジリジリと焦がれている。それはまるで、海の底を覗き込もうとしているみたいだった。
 私は膝を曲げて屈む。彼と顔は近くなったけれど身体中に引っ付いている手によって、距離は縮まった気はしなかった。でも、そのくらいがきっと丁度いいのだろう。なんせ、悪い大人と可愛くない子供なので。

「じゃあ、知り合いになればきっと問題は無いよ」
「それ、問題があるやつがいうセリフだよな」
「じゃあ、やめる?」

 ちょっと意地が悪い問い掛けだったかなと思ったのは、子供が黙り込んでしまったからだ。子供は素直だ。言外にその心情を強く訴えてくれている。

「嘘だよ、ごめんね。私の名前は苗字名前。君は?」

 名前、と。子供はそう繰り返す。それはまるで、ようやく言葉を取り戻した人魚姫のように無邪気な響きをしていた。おかしなものだ。可愛くないはずのこの子供が、何故かとても愛らしく見えてくる。女って案外単純な生き物なのかもしれない。

「死柄木弔」

 難しい名前をしているな、漢字はどうやって書くんだろう、なんて学の浅いことを思いながらも、とむらくんとお返しにこちらも呼んでみる。すると、空気が少し揺れた気がした。もしかしたら笑ってくれたのかもしれない。細められた赤い目が眩しいな、と思った。太陽を知らないから、その眩しさなんてもちろん知る由もないけれど。



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