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君のヒーローになりたい

 大人に呼ばれて子供が1人、また1人といなくなっていく。名前は部屋の隅で蹲り、小さく震えていた。いつまでこの地獄を見なくてはならないのだろう。いつまでこの子供たちは苦しまなくてはならないのだろう。誰か、助けてくれ。そう願っても、祈っても、ヒーローは現れなかった。現実なんてそんなものだと、名前は当たり前のことを今更のように知った。知ってしまったのだ。心が、もう限界だった。
 何せ名前もまだ子供だ。大人になろうと懸命に藻掻く年頃。目の前の惨劇をただ指をくわえて見てるだけの状態に耐えれるほど、心は強くない。汚い現実を知るにはまだ純粋も過ぎた。だから、目を閉ざして、耳を塞いで、耐えるしか無かったのだ。
 すると、隣にふと影がさす。恐る恐る顔を上げてみると、名前の横に1人の男の子が立っていた。静かな藍色の髪が小さく揺れている。顔色はびっくりするほどに真っ白だった。右目には大きなガーゼに貼り付けられている。それでも、彼の整った顔立ちは隠しようがなく、とても綺麗な男の子だなと名前は思った。そして、それと同時に誰かに似ているなと、妙な懐かしさを覚える。誰だろう。記憶に靄がかかって思い出せない。大切な誰かだったと思うのだけれど。
 彼は名前の横で膝を曲げ、しゃがみこんだ。細い足を折り畳んで、腕の中に閉まっている。そして、子供にしては冷めすぎた眼差しで大人に連れていかれる子供をじっと眺めていた。その横顔を名前は見つめる。この子もこれまで見てきた子供たちのようにいつか目の前で死んでしまうのだろうか。それをまた、名前は見殺しにしてしまうことになるのだろうか。

「ごめんね」

 自然とそんな謝罪が口から漏れていた。助けてあげられないこと。何もしてあげられないこと。1番辛いのはこの子供たちなのに、それから目を逸らしていること。色んな贖罪を込めたその言葉は、隣の少年に届くことなく、乾いた空気に溶けていった。
 すると、隣の男の子が突然音も立てずにすうっと立ち上がる。大人たちに呼ばれたのだろう。部屋を出ようと歩みを進めていた。小さくなっていく背中を、名前は滲んだ視界の中で見つめる。行かないで欲しい。そんな想いが溢れ、つい手を伸ばした。その手は届くはずもないのだけれど。
 しかし、その時だった。伸ばした手の先にいる少年が、ふとこちらを振り返ったのだ。何の感情も宿さぬ、無の瞳がこちらを捉える。それは、瞬きする間もない、刹那の時間だったけれど。それでも、名前とあの少年は目が合っていた。バタン、と音を立てて扉は閉ざされる。その音に、名前は我に返った。

「ま、待って!!」

 閉ざされた扉に名前は飛びつく。ドアノブに触れようとすると、やはり通り抜ける。それならば、と扉に体当たりをした。すると、体は扉にぶつかることなく、その向こう側へとすり抜けていった。勢いが良すぎたため、つい転びそうになるが、それも何とか耐える。
 名前が飛び出した場所は、明かりの少ない通路だった。その先からは種類の違う断末魔が聞こえる。それに、気圧されながらも、名前は首を横に振った。あの少年を探そう。名前の姿を認識できていた彼ならば、この地獄から連れ出せるのかもしれない。そう信じて、薄暗い通路を走り抜けた。
 どこだ。どこだ。どこだ。必死に走っても、体は全然疲れなかった。不思議な感覚だ。それはそれで幸いだとひたすら足を動かす。その時だった。

「こら!!何をする!!」
「やめろ!うわーーーっ!!!!」

 子供たちのものでは無い、誰かの叫び声が名前の鼓膜を大きく揺さぶった。成熟した大人たちのものだ。金切り声で必死に助けを求めている。どの口で救いを求めるのだとまるで責め立てるみたいに、その叫びも徐々に事切れていく。ただ事ではない嫌な予感に名前が足を止めていると、通路の角から白衣を着た男がこちらに向かって走ってきた。

「た、たすけて、たすけ、て、たすけてくれぇぇぇえ!!」

 しかし、その男は名前を横切る前に、その身体から血飛沫を上げさせた。目の前が真っ赤に染る。なのに、その一滴さえも名前の体を汚さなかった。気づけば、走って逃げていた男は、名前の足元に倒れていた。目を開けたまま血の海の中で絶命している。
 それに、名前は腰を抜かし、床に這いつくばった。何人もの子供たちの死を目にしても、だからといって誰でもない誰かの死に慣れるはずもなかった。例え、相手が子供たちを苦しめていた醜悪の存在でも。
 そんな名前を宥めるかのように、ピタ、ピタ、と。水を弾くような足音が聞こえてきた。名前は恐る恐る顔を上げ、男が逃げ出してきた角の方を見つめる。すると、そこから1人の男の子が姿を現した。彼は名前が必死に探し出そうとしていた少年であった。
 血に濡れた道を歩く細い足は、真っ赤に染めあげられていた。その手には同じような色を滴らせた三叉槍が握られている。つんと鼻につく鉄っぽい香りに噎せ返りそうになる。亡霊のようにゆらゆらと揺れながらも歩く少年は、この世のものとは思えないほどに不気味で、そして末恐ろしく感じた。
 俯いていた彼の顔が上がる。顔半分を覆っていたガーゼは取れていた。鮮やかな赤に名前の姿が映る。目が灼けてしまいそうだ。

「取るに足らない世界なんですよ、ここは。そんなもの全部消してしまおうと思ったんです」

 それは、水を打ったような声だった。その見目と同じく綺麗な鈴の音をしていた。
 男の子は名前の目の前で立ち止まる。ギラギラと静かに燃えるその瞳は歪な弧を描いていた。それを見て、酷く悲しい気持ちになってしまう。

「君はきっと知らなくても良かった」

 そう呟いた彼は、どこまでも一人ぼっちで孤独だったのだろう。引っつけた傷を癒すことも出来ず、永遠にずっと背負っていくつもりだったのだ。
 そんな彼を名前は許せなかった。でも、そんな彼だからこそ見捨てられなかった。

「私は知りたかったよ」

 名前が彼の目を見つめ返す。すると、人形のような顔がぴくりと動いた。なんだ、案外素直らしい。

「見たでしょう。ヒーローなんていないんです。正義なんて脆いものはこの世界に通用しない。それが、現実だ」

 六道はまるで台本を読んでいるみたいに、ただ無機質な言葉でそう吐き捨てた。地獄の底みたいな世界で誰も助けてくれなかった。だから、自分だけが自分を救えた。それが、正しいことであるかなんて関係ない。ただ生きるためには、正義という重荷なんぞ捨てるしかなかったのだ。悲しい生き方だ。
 誰かに守られ、愛でられ、悠々と生きてきた名前には、常に死と隣合わせの苦しみも、目の前で仲間が死んでいく悲しみも、想像だけはできるが、きっと一生理解などできるはずもなかった。もし理解できるとしても、それこそ彼らへの冒涜となる。きっと彼らは理解されることも、救われることも願っちゃいないのだから。
 でも、と。名前は、思う。だって、彼女は平和に生きてきた、馬鹿でワガママな女だから。

「それなら、私がヒーローになるよ」

 名前はその小さくて薄い体に手を伸ばし、抱きしめた。全てから守るように、彼の全てを受け入れるように。腕に力を込める。名前を拒絶する世界の中で、彼にだけは何故か触れられた。久しぶりの他人の温もりは、名前を酷く安心させた。

「何ができるか分からないし、何も出来ないかもしれないけど、私は君のヒーローになる。君のことを助けてみせるよ」
「……世界を壊したいと言ったら、君は力を貸してくれるんですか?」
「いや、それはしないけど。私の正義に反するから」
「ハッ、綺麗事ですね」
「でもさ、壊れた世界よりも綺麗なものってもっといっぱいあると思わない?」
「断ります。図々しい」
「いいんだよ、それで。ヒーローって親切の押し売りだから」
「しつこいセールスマンは売れませんよ」
「じゃあ、売れるまでそばにいるよ」

 すると、少年は黙り込んでしまった。ぐっと握られた小さな拳。彼はとても綺麗だ。だから、こんな血に濡れた場所よりも、もっと似合う綺麗な場所があると思う。それを一緒にみつけていきたい。

「僕は人を殺してますよ。両手両足の指の数では足りぬ程に。きみの言葉を借りて言うのならば、僕は悪なんでしょう。そんな僕を、君は助けるというのですか?」
「うん」
「それはそれは…。とんだ大馬鹿者ですね」
「馬鹿からグレードアップしてるな?でもさ、仕方ないじゃん。助けたいって思ったんだもん。私の正義が私しか助けられないなら、私の助けたいと思う人を助けることが、私の正義だよ」
「……言ってることがめちゃくちゃだ」
「そうだよ。ヒーローはね、案外自己中なの。知ってた?ヒロインはそれで大体泣いてるから!」
「僕は泣きませんよ」
「それはそのヒーローがいいヒーローだからだろうね」
「まさか。最悪すぎて涙も引っ込んでしまうんですよ」
「耳が痛いなあ」
「でも、まあ、嫌いではありませんよ」

 すると、名前の背中に細っこい枝みたいな腕が回された。弱々しい力で、でも確かにしっかりとしがみついてくる。頬を擽る柔らかい髪をそっと撫でた。

「温かい」
「うん。君もだよ」
「それは、知りませんでした」

 そうだよ。人って温かいんだよ。そんな当たり前のことを、彼は知らないのだ。でも逆に彼にとっては当たり前のことを、名前は知らないのだろう。その差異を、可哀想だなんて思いたくなかった。だって、それも彼の生きた証だ。でも、悲しむことは、悔やむことは、許して欲しい。ぐすっと鼻を鳴らした。

「何故君が泣いているんですか」
「誰のせいだよ!!」
「なるほど。悪い気はしない」
「意地が悪いなあ、ほんと!」
 
 ピシッと。何処からか音が聞こえる。パラパラと世界が崩れ落ちていく音だ。上も、下も、右も、左も。塵になっていくみたいにボロボロと形を無くしていく。その中で、名前と少年だけはいつまでもずっと抱きしめあっていた。

「君は、僕のために泣いてくれる人なんですね」

 無邪気に、無垢に、幼く笑う声。柘榴みたいな瞳が、諦めたように柔らかく細められていく。大馬鹿者はどっちだよって思った。

「六道くん、私ね、貴方のことーーー」

 名前が涙を拭いながら、笑顔をうかべる。彼はそれを眩しそうに見つめて、そして頷いた。世界は暗転する。

 世界が君を憎んでも、君が世界を壊しても、私は君を助けられるヒーローになりたいと思うよ。