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硝子細工の現実


 目が覚めた。弾けたかのように、世界が切り替わる。あまりにも長過ぎる夢を見ていた気がする。夢にしては、現実味に溢れすぎていたように思えるけれど。
 そんな名前がまず最初に目にしたのは、ヒビが入り、朽ちかけた天井だった。よく見てみると蜘蛛の巣も張っている。思わず、うげ、と顔を顰めた。すうっと息を吸う。すると、埃っぽい香りが鼻の奥を刺激し、思わず咳が漏れた。
 とりあえず起き上がろうと、上半身に力を入れる。その時、踏ん張った手からピリッとした痛みが走り、名前は小さく唸った。手を見てみれば、綺麗に包帯が巻かれている。ほんの少し血が滲んでいるのは、つい先程指を動かしたせいだろうか。しかし、この怪我は何故したのだっけ。そして、これは誰が手当してくれたのだろう。記憶は酷く朧気だ。まだ頭が覚醒しきれていないからかもしれない。

「え…?」

 そして、起き上がった名前の視界に入ったのは、床に倒れた六道の姿だった。その近くに立つ男の子や、赤ん坊も視界に入ることなく、名前はただ力なく床に伏している六道の姿だけを捉えていた。

「六道くん!!」

 そして、名前は脇目も振らずに、ソファから彼の元に駆け出した。その衝撃で指がピリピリと痛む。それに構っていられやしなかった。
 六道の元にたどり着き、彼の頬に触れる。あちこちが傷ついていて、ボロボロだ。でも、何処か憑き物が落ちたかのように安らかな顔をして、瞼を閉じている。口元に耳を寄せれば、息はあるようで少し安堵した。

「六道くん、遅くなってごめんね。起きたら、伝えたいこと、沢山あるから。バカにしないで、笑わないで、聞いてね」

 そっと彼の体を抱え込んで、ぎゅっと抱きしめる。まるで外敵から守るように、母が子を包み込むように。そんな温かな優しさが見える光景だった。
 じわっと目に熱が集まる。声が震える。気づけばどこかへと消えていってしまいそうな彼が、まだこの手の届く距離にいる。きっとまだ間に合う。そのことに深く胸をなで下ろした。
 
「え!?この子誰!?」
「マインドコントロールで操られてるわけではなさそうだな」

 そんな2人を静かに見守っていた気弱そうな男がそろりと近づこうとする。その足を、横から吹いた咆哮が止めた。

「骸様に勝手に触るんじゃねえびょん!!」
「え、犬くん?あ、あと柿ピーも!」

 それは、六道と同様にボロボロな状態となっていた犬と千種であった。立つこともままならないのか、床を這いずるようにしてこちらに向かってくる。まるでゾンビのようだ。少し驚いてしまった。

「怪我すごいじゃん!大丈夫?」
「なっ!お前なんかに心配される筋合いはねえ!骸さんを誑かした悪女め!」
「あ、悪女…!?ヒーローじゃなくて、悪女!?」

 名前はガビーンと素直にショックを受けた。そんな昼ドラみたいな発言を貰い受けたのは初めてである。え、と絶句したような声を上げて凄い目でこちらを向けてくるのは、先程からこの光景を静かに見守っていたツンツン頭の気の弱そうな男の子である。変な誤解を産んでいる。それに気づいた名前は首を横に振った。

「違う!誤解!悪女じゃなくて、ヒーローだから!!」
「ヒーロー?何言ってんのこいつ。お前なんかに俺らや骸さんが救えるわけねえだろ!!」
「知ったふうな口を聞くな」

 2人からの反論を受け、名前は一瞬黙り込む。そして、脳裏に過ったのは、先程見た夢だった。ようやく掴んだ、名前のヒーローとしての在り方。名前が名前のために、六道にしたいこと。名前は選んだのだ。もう決めてしまったのだ。

「そうだよ。私は知らないよ。犬くんや柿ピー、六道くんがどんな目にあっていたのか、どんな生き方をしてきたのか。っていうか今の状況も全然わかんないし。でもね、これから知っていきたいって思ってる。私のことも知って欲しいって思ってるよ」
「はあ?」
「だって、私、六道くんのこと助けたいから。助けられるか分かんないけど、でも助けられるまで頑張りたい。何ができるか考えたい。うざがられても、それまでずっとそばにいるよ」

 そして、そこで目を閉じて、すうっと息を吸った。
 ヒーローってなんなのだろう。正義とはなんなのだろう。答えは分からない。悪いことをされて、同じように悪いことをしてきた彼らを助けたいと思う心は、恐らく間違っているのかもしれない。後ろ指をさすひとたちもいるのかもしれない。そんな名前を恨み、ヒーローでないと告げる人がいるかもしれない。
 でも、名前はそれでもいいと思った。誰かを助けたいと思う気持ちに嘘はつきたくない。助けたいと思う心を見捨てて仕舞えば、きっと誰も助けられなくなる。誰かから見てヒーローでなくとも、名前は彼のヒーローになるのだと、決めたのだ。名前の答えが合っているのか、間違っているのか、分からないけれど、それでもきっとこれから見つけて行けるはずだ。

「だって、私、六道くんのこと、好きだから」

 六道を抱きしめながら、ハッキリとそう断言する。犬と千種の方を向いて、その目と真剣に向き合った。犬と千種の目が大きく見開かれる。そして、心底忌々しそうに舌を打った。
 
「……お前、ほんとうざいびょん」
「……めんどい」

 ボソッと零された言葉に、名前は笑った。彼らはニコニコと笑う名前を見て、眩しそうに目を細め、そしてやがて逸らした。
 恵まれた人間は与えることが出来る。それは何故か、自分もこれまで与えられてきたからだ。与えるもの、与えられるもの、この時点でその関係性に上下がついてしまう。それ故に、犬と千種は名前にかなうはずがなかった。
 何となくわかっていたのだ。人知れず名前と逢瀬を重ねていた六道の姿を見た時から。静かに眠る名前を眺める目を見た時から。傷ついた手に包帯を巻くその優しい手つきを見た時から。彼女は六道の世界を変える。そんな予感がしてならなかった。だから、嫌いだったのだ。2人はため息をついた。

「とりあえず、怪我を……」

 その時であった。犬と千種、そして名前の抱え込む六道の首に、鎖のようなものが繋がれたのは。

「えっ」

 その鎖の繋がった先を見てみる。そこには、全身真っ黒な格好をして、見える素肌の部分には包帯をしつこいくらいに巻いた不気味な集団がいた。ただものでは無い空気に、名前は自然と怖気付く。でも、六道を掴む手だけは離さずにいた。

「早ぇお出ましだな」
「い…一体誰!?」
「復讐者(ヴィンディチェ)。マフィア界の掟の番人で法で裁けない奴らを裁くんだ」
「な、なにそれ!?」

 赤ん坊が流暢に喋る内容はよく分からないが、あまりいい意味を持たなさそうだと思った。その判断はあっていたのか、鎖が引っ張られ、犬や千種が復讐者の元へと連れていかれる。六道も同じように連れていかれそうになり、名前は慌ててしがみついて必死に抵抗した。

「やめて!!六道くんを連れていかないで!!」

 しかし、あちらの方が力は強いようで、名前の体ごとズルズルと復讐者たちの元へ連れていかれていっていた。それでも、六道の事は手放さなかった。
 だって、名前は六道のヒーローになると決めたのだ。まだ彼を助けられるようなことは何もしていない。彼にまだ何も話せていない。それが子供の駄々のようだとしても、名前は名前の正義を貫きたかった。

「何してるんだびょん!!お前が着いてくる義理はねえだろ!!」
「でも、犬くん…!!」
「骸さんがお前の手を手当した意味を考えろよ!!」
「だって、ヤダ!私、まだ六道くんに何も……!!」

 その瞬間だった。首の後ろに強い打撃が与えられたのは。視界の端にぴょん、と小さな赤ん坊が跳ねたのが見えた。嘘でしょ、赤ん坊に攻撃されたの。そんな驚きと一緒に、意識はどうしようもなく遠のいていく。手から六道が離れていく。小さくなっていく彼の姿を最後に、名前は目を閉ざしてしまった。

 名前はまだ無知だった。助けようと思ったものは、なんでも助けられると。恵まれていた少女はそう信じきっていたのだ。
 現実は、テレビの中のように全てがハッピーエンドで終わる訳では無い。