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地獄の夢を舌に乗せる

 ここは何処だろう。気づけば、名前は見知らぬ場所に立っていた。病院のような薬品っぽい香りと錆びた鉄のような香りが充満している。思わず鼻を抑えた。おかげで少しずつ意識がはっきりとしてくる。
 周りには小さな子供たちが何人かいた。皆その身には包帯が巻かれていたり、ガーゼが貼り付けられていたりと、傷だらけの状態だった。顔色は悪く、目も虚ろだ。子供ならではの活気さが全く見当たらない。絶望の縁に立たされているような重苦しい空気が滲み出ており、名前はその異様な光景に戸惑いを見せた。

「ねぇねぇ、聞いていい?」

 隣にいた子供に声をかけた。しかし、子供は無視している。それに少しムッとしてしまう。

「おーい、私の声聞こえてる?」

 再度声をかけても、子供はピクリとも反応しない。ただ膝を丸めてじっとしている。なにかに怯えるように。避けられぬ何かを待ち受けているように。無視を続けられた名前はため息をついて、肩を竦めた。
 すると、部屋の扉が開かれる。そこから、数人の大人たちが入ってきた。白衣を着た人、スーツを着た人、手術着を着た人だ。彼らが入ってくると、先程まで虚空を眺めていた子供たちに緊張が走った。

「トニー。今日は君だ」

 大人たちがこちらを向いて機械的に言う。すると、隣に座っていた子供が立ち上がった。どうやら彼がトニーらしい。彼はそろそろと大人たちの元へ向かった。その足取りは酷く重たい。従順に動いてはいるが、この子供が大人たちの元に行くことを嫌がっているのは、名前でも分かった。だから、名前はその震えた背中に思わず手を伸ばした。行きたくないなら行かなくていい。代わりに、私が行けばいいから。そう言おうとした。
 しかし。

「え?」

 伸ばした手は、何も無いただの空虚を掴むだけだった。目を見開く。そして、信じられない思いで、もう一度手を伸ばした。しかし、名前の手は子供の体に触れることなく、するりとすり抜けた。
 ここに来た大人も、沈痛な面持ちでトニーの背中を見つめる子供たちも、皆、名前と目が合わない。名前を見ようとしないのだ。いや、恐らく見えていない、が正しいのかもしれない。

「私、幽霊になっちゃったのかな」

 ポツリと呟いて、届かなかった手をきつく握りしめる。その時だった。世界が引き裂かれるような音が、名前の鼓膜を突き破り、脳を大きく揺さぶったのは。
 ズガン!!
 それは、テレビの中でしか聞いたことがないような鈍い音であった。硝煙の苦い香りが鼻につく。それと同時に、赤が視界を掠めた。名前は顔を上げる。すると、どう足掻いても触れられなかった子供の倒れゆく姿が、この網膜に焼き付いた。

「トニー!!」

 周りにいた子供たちが、彼の名前を呼ぶ。だが、彼はピクリとも動かなかった。視界を掠めた赤がじわじわと床の上を侵食していく。虚空を眺めていた瞳に色はもうない。周りからは啜り泣くような声が溢れる。恐怖に支配された空間が、そこにはあった。
 今、何が起きたのだろう。名前は目の前の出来事を到底受け入れることが出来ずにいた。フー、フー、と止まりそうな息を無理矢理繰り返して、何とか理性を保つことで必死だった。

「この調合でもダメだな」
「火薬の量が多すぎたのかも」
「騒ぐなお前たち」
「特殊兵器の開発は地に落ちた俺たちが再び栄光を取り戻すための礎だ。開発に携わり、死ぬことは名誉なことと思え」

 大人たちはそんな正論ぶった暴論を押し付けてくる。目の前で散っていった命を見て。恐怖に震える、自分たちよりも小さな生き物たちを見て。そんなのってあんまりじゃないか。
 彼らが何を言っているのか、何を目的としているのかなんて、分からない。だけど、これだけは言える。

「こんなの間違ってるよ!!なんで大人の都合で、こんな小さな命を犠牲にしなくちゃいけないの!!おかしい!!おかしいよ、こんなの!!」

 その咆哮は誰の耳にも届けられない。無慈悲な大人たちに反抗しようにも、この手は届かない。ただ無力な名前だけを置き去りにして、この世界は回っている。まさに悪夢だった。

「お願い!やめて!もうやめてよ!!」

 見覚えのあるおかっぱ頭の男の子が苦しげに呻き、地面にのたうち回る。それを、大人たちは冷めた眼差しで見下ろしている。実用化にはまだ程遠いな、なんて。そんなことよりも、今目の前で苦しんでる子供をどうにかして欲しかった。

「ウルフチャンネル読み込み開始」
「ギャアアアアア!!!」

 抵抗できないように縛られた、見覚えのあるツンツンヘアーの男の子が劈くような悲鳴をあげる。口の中には沢山の管が繋げられていた。そんな悲鳴も大人たちはまるで小鳥の囀りと言わんばかり涼しい顔をして聞き流していた。名前は見ていられなくて、耳手を当てた。
 助けたい。こうして苦しんでる子供たちを救い出したい。でも、この手は空を切り、この声は誰の鼓膜も揺らさない。名前は何も出来なかった。次々と力なく死んでいく子供たちをただ見るだけのこの場所は、正に地獄そのものだった。





「骸さん、その女、どうするんれすか」

 ソファに横たわる女をつんつんと指の先で突きながら、犬は訝しげにそう問う。六道はその女の横で優雅に足を組み、座っていた。そして、ちらりと視線だけを女にやる。長いまつ毛がその白い肌に影を作った。

「何もしませんよ。そのままにしておきなさい」

 そう言うと、犬は納得出来ぬような顔を見せた。しかし、有無を言わさぬ彼の眼差しを受け、渋々と頷き、部屋を出ていってしまった。その目は、何故、という疑心に満ち溢れていたが、口答えをしなかったのは六道が相手だからだろう。彼にとって、六道は絶対的存在なのだ。そんな彼に異を唱えることを、犬自身が許さない。それを六道は知っていた。

「何故かなんて、此方が聞きたいくらいだ」

 女は眠り続けている。すう、すう、と漏れる呑気な寝息に思わず笑ってしまいたくなった。恐らくマインドコントロールによる副作用だろう。暫くは起きないはずだ。
 ずっとこのまま隣で眠ってくれたらいい。そんな馬鹿げた思考に、六道は自嘲した。

「君だけは、ここに来て欲しくなかったのに」

 そしたら、2人はまだ泡沫の夢を見続けることができた。それは、弾けて消えてしまうような、儚い幻だったのかもしれないけれど。
 それでも、例え夢でも幻でも、六道の脳裏には彼女の綺麗な笑顔が焼き付いていた。甘いチョコレートの香りをこの鼻は覚えていた。彼女と絡めた小指はまだ熱を宿していた。彼女が六道に与えた甘い引っ掻き傷は、この胸に残っていた。
 ああ、なんてままならないのだろう。地獄だけを見つめ、歩んできたというのに。今更だ。今更すぎて、虫唾が走るくらいに笑える喜劇だ。

「う、……うぅっ…」
 
 隣から唸り声が聞こえる。どうやら魘されているらしい。六道は瞼にかかった前髪を指でそっと払う。そして、ふとその目尻に光るものを見つけた。六道はそれに目を細め、やがて逸らした。
 君はもうきっと僕に笑いかけてくれないのだろう。