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強く語る眼差しを守りたかった


「ちょっと!君、やりすぎじゃん!!」

 雲雀の振り上げたトンファーを掴みかかる女。それが、苗字名前であった。足元には雲雀が咬み殺した屍たちが山のように積み上がっている。それに屈することなく、雲雀に反発し、しかもその手を止めようとする不躾な輩は並盛には滅多に居ない。いるとしたら、随分と酔狂で頭の悪いバカだけだ。皆、彼によってしっかりと躾られているのだから。

「なんなの君」
「私は苗字名前!ヒーローを目指してる女の子でっす!」
「なんなの君」
「えっ、ループしてる?」

 能天気に目をぱちくりとさせる女の脳天にトンファーを振り下ろす。無防備だったからとか、女だったからとか、そんな言い訳みたいな理由など雲雀には通用しないのだ。何はともあれ、これが雲雀と名前の出会いだった。
 彼女は黒曜中の制服を着ているが、幼なじみに会うためにしばしば並盛にやってくるらしい。この情報も別にこちらから聞き出したものでは無い。あちらが勝手に話して一方的に知らされた事実である。そんな彼女と雲雀は何の因果か顔を合わせることが多々あった。その度に圧倒的強さを見せつける雲雀に名前が苦言を呈し、その度に咬み殺されるというルーティーンが出来上がっていたのだ。
 鬱陶しいことこの上ない、草食動物を通り越してもはや小バエのような彼女を、雲雀はうんざりとしていた。正直にいえば苦手だ。どれだけ咬み殺しても、またひょっこりと顔を出して、力だけで物を解決するなんてうんぬんかんぬんと説教を垂れてくる。そのせいで、咬み殺していた獲物をとり逃してしまったり、興を削がれたりしていた。力ではどうにもならない、雲雀の思うように動かぬ厄介な女。それが、苗字名前であった。

 ああ、本当に。面倒な女なのだ。

 バシンと、鈍い音が響く。頬に熱が走り、休む間もなく腹に足が食い込む。ゲホッと咳き込んで、上を睨みあげた。
 そこには、表情を削ぎ落とした名前がただ立っていた。コロコロと変わる天真爛漫ないつもの顔は、今そこにはない。いつもは煩く回る口もだんまりだ。まるで、誰かに操られたマリオネットのように生気がない。酷く悪趣味だ。

「クフフ、君と彼女は犬猿の仲だそうで。いつも優位に立っていた相手に一方的に虐げられる屈辱はどうですか?」

 彼女の背後には、男が怪しく笑みを浮かべていた。右目に灯った赤色が歪に光っている。六道骸。並盛中の生徒が無差別に襲撃された事件の首謀者だ。

「ぐっ……!!」

 額に拳をぶつけられる。その手からはぽたぽたと床に零れ落ちるほどに血が滲んでいた。見ているだけで痛々しいものだ。誰かを殴り慣れていないからだろう。彼女の手は誰かを傷つけるためでなくて、いつも雲雀の力を止めようと縋りついてくるだけの、弱々しいものだったから。
 だが、名前は血が溢れ出ようとも、その顔を痛みで歪ませることなく、声を上げることも無く、再び振り上げる。誰かを傷つけることは、自分も傷つけることと同義だ。だから、誰かを傷つけるものは強いのだ。

「可哀想に。これじゃあヒーローに戻れませんね」

 男は愉快そうに笑い声を上げる。耳が痛い。吐き気がする。なんて不快な声なのだろう。そして、何よりも気に食わないのは、なんてことない顔をして目の前に立つこの女だ。

「君、やっぱり弱いよね」

 雲雀が口を開く。頬を殴られた。口の中が切れて、錆びた鉄みたいな味が広がる。悪くない味だ。自分のものでなければもっと最高だったけれど。

「なんなのその顔」

 まるで、助けを求めるみたいに。ここにはいない誰かに祈るみたいに。名前の眉間には皺が寄せられていた。馬鹿みたいだと、雲雀は鼻で笑う。すると、名前の動きがピクリと止まった。六道の余裕ぶった笑みが、訝しげなものに変わる。

「ヒーローは来ないよ」

 正直にいえば、先程まで繰り広げられていた六道と名前のやり取りなんて、雲雀からしたら意味がわからなかったし、理解しようとも思わなかった。ただ腹が立つのは、散々自分の正義の道を切り開いて、うるさくいくらいにヒーローぶって雲雀の邪魔をしていたこの女があっさりと心を折らせたことだ。そんな物に今まで多少とはいえ振り回されていたと思えば、腸が煮えくり返る。桜がなければ容赦なくトンファーで再起不能になるまでぶっ飛ばしているところだ。

「だって、君がヒーローなんだろ」

 真っ直ぐとこちらを射抜く、綺麗な眼差し。あれが脳裏に描かれる。名前自身は嫌悪の対象でしかなかったが、屈折を知らぬその輝きを雲雀はほんの少しだけ気に入っていた。
 ヒーローだなんてほざきながら、その実雲雀を止めることも何も出来なかった。彼女が助け出そうとした草食動物も雲雀はあとを追いかけて問答無用で咬み殺していた。結局名前は誰も救えてなどいない。なんせ彼女は弱い。そんなの雲雀からしたら当たり前過ぎる事実であった。
 だけど、雲雀は知っている。弱いだけで群れをなす集団にポイ捨てはダメだと強く注意しに行ったり、迷子の子供を交番に届け保護者を探しに向かったり、道に飛び出した猫を助けに向かったりする彼女の姿を。彼女は弱い。だからといって、強くない、というわけではない。
 雲雀の腕を掴んで止めようと彼女の手は、いつだって真剣で、本気で、物怖じしない強さがあった。

「あ、……ぁっ……」

 名前の体が震える。そして、苦しげに、何かに抗うように、頭を抱え込んだ。空っぽだったその瞳に光が宿る。光は雫となってころりと零れ落ちた。

「ひ、ぁ、雲雀くん……ッ!!」

 零れ落ちた光は、雲雀の頬を弾く。チカチカと眩しい。名前はいつもみたいに、トンファーで殴ったあとのように、ポロポロと泣きじゃくっていた。でも、こんなにも悲痛の色を帯びた声で名前を呼ばれたのは、初めてだった。

「ごめ、ん……雲雀くん、ごめん……」

 マインドコントロール。それを解く一番の鍵は、相手の一番望むことを言い当てるというものだ。雲雀はそれを無意識のうちに行ったのだ。
 ぐすっと鳴らす鼻からは血が流れ出ている。強制的にマインドコントロールから解放された衝撃によるものだろう。チッ、と忌々しげな舌打ちが聞こえた。

「ごめん、六道くん、ごめんね…」

 すると、背後から伸びた手が、ピタリと止まる。名前の涙ぐんだ謝罪によって。色の異なる両目が大きく見開かれていた。

「私ね、六道くんと一緒に、チョコを食べたかったの…」

「六道くんのこと、知りたかった」

「六道くんともっと話したかった」

「六道くんのこと、助けたかったのに、できなかった」

「ただそれだけなのに、ごめん。ごめんね」

 それはまるで懺悔のようでもあり、告白のようでもあった。光を零す瞳が閉じられる。がくっと折れた体は限界を迎え、床に落ちていった。それに、雲雀が手を伸ばそうとしたが、その前に暗闇から伸びた手が彼女の体を抱き止める。つい先程まで、名前によってボロボロにされゆく雲雀をただ静観していた、六道の手だ。

「馬鹿な人だ」

 それは、まるで独り言のようだった。雲雀にも、名前にも聞かせるつもりのない、つい口から漏れてしまった言葉なのだろう。何処までも孤独で、底のない空虚が滲み出ていた。
 でも、名前を抱える手は彼女を傷つけることは無かった。取りこぼした大事なものを再度なくさぬようにと、その手は彼女をただ抱きしめる。六道の腕の中で眠る彼女の表情は驚くくらいに穏やかなものだった。それに、男は狂気に歪めていた目元を柔らかく解いた。鼻の下を汚した血を拭う指は、何処か覚束なくて酷く優しい。

「使えなくなったのなら仕方がありませんね」

 六道は名前をソファに寝かせると、何食わぬ顔をして雲雀の元に戻ってきた。その眼差しについ先程までに宿していた甘さは見受けられない。冷徹な色を乗せたそれが雲雀に向いて、容赦なく牙を立てる。

「僕はあの子ほど優しくありませんよ」

 そして、まるで玩具で弄ぶような躊躇のなさで、雲雀の髪の毛を引っ張りあげる。その右目には、"六"という数字が冷たく浮かび上がっていた。