×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




君の理想を優しく否定しよう

 普段は髪で隠されていた片目が顕になっている。それは、真っ赤な光を宿して名前を捕らえて離さなかった。思わず雲雀の背中に回していた手に力が入る。ごくっと喉の鳴る音がやけに大きく聞こえた。
 おかしい。だって、おかしい。その言葉で頭の中は埋め尽くされていた。だって、六道は優しかった。意地悪な時もあったけれど。慰めるのが下手だったけれど。彼のことろくに知りもしなかったけれど。でも、彼は名前の友達だった。彼のことを好ましく思っていた。そうだった、はずだ。
 でも、何故だろう。今目の前にいる男が、名前にはとても恐ろしく見えて仕方がなかった。生き物としての本能が強く訴えてくる。警鐘を鳴らしてくる。この男は危険だ、と。

「六道くん、なんで、ここに……?」

 必死に振り絞った声は震えていた。だって、怖い。彼のことも。この問いに返ってくる答えも。
 そんな名前を見て、六道は仕方がないと言わんばかりの微笑みを浮かべる。背筋がゾッとしてしまうくらいに、綺麗な笑み。いつもと同じ。でも、いつもと何処か違う。何処かと聞かれると、答えに迷ってしまうけれど。

「答えなんて分かりきっているでしょうに。わざわざそれを尋ねるなんて、愚かにも程がありますよ」
「わかんない。わかんないよ、そんなの」
「ああ、君は少しオツムが弱いですものね。この際ですから、ハッキリと口にしましょうか」

 人を誘い込む蜜のような、甘い声だ。それに、名前は子供の駄々のようにやだと口にした。六道は困りましたねと眉を下げる。嘘つきだ。だって、全然困って無さそうだもの。寧ろ楽しんでさえいるように見えた。

「帰りなさい。今ならまだ間に合う。このことを忘れ、知らぬふりをし、いつもの日々に戻るといい。懲りずに永遠と池の掃除でもして、ね」

 落ちてきた桜の花弁に被って、六道の姿が見えなくなる。そして、花びらが床にたどり着いた時、彼はゆっくりと立ち上がった。その身のこなしもどこか優雅で、隙がなく、彼だけがまるで切り取られた別世界の住人のように見えて仕方がなかった。
 でも、今思えば出会った最初から彼はずっとそうだったかもしれない。だって、彼と共にいる時は確かに楽しくて嬉しかったけれど、心のどこかに生じていた違和感は、喉に引っかかった魚の小骨のように、なかなか取り除くことはできなかったから。
 そして六道は、わざとらしく、あっ、と声を上げた。

「それとも、僕を倒しますか?ヒーローですから、悪を倒すのはさぞお得意でしょう」

 身振り手振りで大袈裟にのたまう彼は、ステージの上に登った役者みたいだった。なんのキャラクターだろう。なんて、答えは目に見えているはずなのに。それでもそこから目を逸らそうとする名前に、六道は喉を鳴らして笑う。嘲るような笑い方をする男だっただろうか、彼は。

「なんで、そんなひどいことを、いうの」
「分かりませんか?僕が悪だからですよ」

 冷たく言い放たれたそれに、名前は口を閉ざした。六道はうっとりと目を細める。これ以上何をいえばいいのか、どうすればいいのか、名前にはさっぱりと分からなかった。
 ヒーローであるならば、六道を倒さねばならないのだろう。だって、正義は悪を砕くものだ。あんぱんの正義のヒーローも悪いことをするばいきんを倒す。それでハッピーエンド。皆仲良く平和に暮らしましたとさ、ちゃんちゃん。それがセオリーだ。
 しかし、だ。六道の綺麗な笑み、意地の悪い言葉、優しく細められた目、チョコレートの甘い香り。それが、名前の頭の中で浮かんでは、シャボン玉のように弾けて消える。まるで、幻のよう。それを、必死に追いかけて、握りしめる自分がいる。

「お願い、六道くん。こんなことはやめて」
「やめないといったらどうしますか?」
「止める。止めるよ」
「どうやって?」

 六道が1歩踏み出す。名前の体が少し跳ねた。

「質問を変えましょう。君は何故ヒーローは強いと思いますか」
「……悪を、倒すため」
「正解です。倒さねばならない悪が強い力を持っている。その力を止めるには、それ以上の力が必要になりますよね。小さな子供でも分かる事だ」

 また1歩踏み出す。名前は雲雀を背に庇うように、前に出た。六道の眉が片方だけピクリと動く。

「君に、その力があるんでしょうか」
「私は六道くんを、傷つけたくない」
「甘いですね。まるで、子供のままごとだ」

 クスクスと楽しげに笑う声は、季節外れの春の風のように涼やかであった。緩やかに歪んだ口元が、名前を傷つけようと刃の形を作りだす。それでも彼は出会った時と変わらず、ずっと綺麗なままだった。夢ならば覚めたいと強く願うほどに。

「君の正義は君のための、君だけのための狭い世界の中で完結している。君の正義は君を1番に救うためのものだ。誰も救いやしない。僕も、そこに倒れている男もね」
「やめてよ、そんなこと、なんで言うの」
「やめませんよ。言ったでしょう。僕は優しくありませんから」

 コツコツと歩く音は、ゆっくりと、そして確実に、名前の元へと近づいてくる。鮮烈な赤が目に痛い。
 六道の言うことは恐らく本当の事だった。周りはみんな名前の正義を馬鹿にするか、心配する。大人になった皆は分かっていたのだ。名前の正義が形になれぬものだということを。だって、名前は怪人を倒すような特別な力もなければ、選ばれし勇者のような特別な存在でもない。ただの普通の人間だ。普通の人間ができることなんて、限られている。世界なんか救えない。この手の届く範囲、この手で出来ることだけで、ようやく救いを示すことができる。それは、ヒーローとは呼べないのだろう。所詮は自己満だ。
 ヒーローなんて幻。夢の世界だ。それでも、名前はずっとその夢を見続けていた。大人にはなれない、ただの子供だ。そうでしかないのだ。

「さて、どうしますか?僕を傷つけたくない、ここから逃げたくもない。ヒーローにもなれない。そんな貴方は何をするおつもりで?」
「わ、私は……」

 どうしたらいいのだろう。どうしたいのだろう。答えは見つからない。考えがまとまらなくて、頭の中がごちゃごちゃとしている。泣きたい。叫びたい。名前の夢を優しく否定するこの場から逃げ出したい。でも、名前の中で辛うじて残っている夢の香りが性懲りも無くそれに抵抗を示すのだ。考えても、考えても、どれも正解な気がして、間違っているように思える。
 分からない。ヒーローってなんなの。どうやったらヒーローになれるの。どうすれば、彼を。

「時間切れです。そんな君には、僕が新しい選択肢を与えましょう」

 綺麗に伸びた繊細な指が、名前の顎を掴む。すると、視界いっぱいに赤が広がる。クフフ、と笑う声が耳鳴りのように頭の中で大きく響き渡った。

「君の苦痛に塗れた顔、正にこの世の絶望を掻き集めたかのようで、とても綺麗だ。思わず惚れてしまいそうになるくらいに」

 意識が遠のいていく。視界が歪み、黒に塗り潰されていく。世界が閉ざされる。そんな感覚に、名前はただ身を任せるしかなかった。だって、名前には何も出来ないのだから。
 綺麗だ、と赤い硝子玉は歌う。しかし、名前の姿を移すそれが、何処か傷ついているように見えたのは、都合のいい幻だろうか。

 六道くん、私はね、ただ貴方と一緒に。