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優しくない警鐘


 しくしく。しくしく。泣く声が聞こえた。
 名前はその声に釣られて、空き教室を覗き込む。移動教室中であったが、名前からしたら些細なことだ。次の授業よりも、泣いている誰かがいることが、名前にとっては優先事項であった。
 教室の中では1人の女子生徒が顔を覆って泣いていた。電気のついていない薄暗い教室でも目視できるくらいに華やかな金髪が目に入る。魅惑的な美脚を惜しみなく晒すためか、スカートの丈は特別短かった。ほんのりと焼けた褐色の肌は何処か艶かしい。押し殺しきれぬ声を漏らしながら、彼女は泣いていた。

「大丈夫?」

 名前は彼女にそっと近づく。手に可愛らしい熊の絵柄の乗ったハンカチを握った。
 そろりと顔を上げた彼女の黒い眼に名前の姿が映る。マスカラで懸命に伸ばされた長いまつ毛に、涙が一雫垂れている。瞬きをひとつ落とすと、それはポロリと零れ落ちていった。

「こんなところで1人で泣いてるなんて、辛いよ」
「……あん、たに……なにがわかるの……」
「うん。ごめんね、分かってあげられなくて。だから、聞くよ」

 よしよしと柔らかな金髪を撫でる。プルプルと震える肩を抱きしめた。すると、ひっくひっくと嗚咽が再び腕の中から聞こえ始める。渡したハンカチで流れ出る涙を吸い取った。彼女の手が名前の背中に回り、弱々しく握りしめる。

 話を聞く限り、痴情の縺れというものらしい、と名前は判断した。しかし、内容を聞けば、それはもう母親が好きそうな昼ドラのような展開ばかりであった。
 彼女は小学生の頃から片思いをして、最近お付き合いを始めた恋人がいたらしい。この時点で過去形であることからして、彼女の涙の理由もお察しの通りである。彼女としては、手も繋いで、デートもして、キスもして、それ以上のことも致して、順風満帆なお付き合いだったらしい。しかし、そんな彼女の幸せな日々は唐突に終わりを迎える。なんと、彼女の恋人は以前から隠れて別の女子生徒とお付き合いをしていたというのだ。しかも、それは彼女が仲良くしているグループの1人だったらしい。学校という名の箱庭は、思ったよりも狭い。しかし、彼女の地獄はここで終わらない。なんと恋人は金髪の彼女が誘惑してきたのだと言い訳をして、責任の全てをこの彼女に押し付けてきたのだという。おかげで仲良くしていたグループからはハブられ、友達も恋人も同時に失った。

「なにそれ!!許せん!!男のこと教えて!!去勢してやる!!」

 名前はもちろん憤慨した。話の途中でも我慢できずに、ぷんぷんと文句を垂れていたのだが、なんとか最後まで話を聞き終えることが出来た。しかし、怒りは収まらない。金髪の彼女をここまで苦しめ、泣かせ、裏切ったことが大層気に入らない。何故人を誠実に愛せないのか。その健気な想いを何故踏みにじれるのか。名前は理解が出来なかった。

「ふふ、ありがとう。でも、もういいんだよ」
「え?」
「話してスッキリしたし、うちの分までアンタが怒ってくれたから」

 金髪の彼女はスッキリしたような顔をして笑った。その目は腫れぼったくて、痛々しい。でも、浮かべる笑顔は何処か清々しいものであった。
 チャイムが鳴る。次の授業を知らせる音だ。しかし、名前と金髪の彼女は空き教室の隅の方で、体育座りで固まってこそこそと話を続けた。治安の良くないここ黒曜中では、サボりも珍しくない話だ。

「アンタはいないの?」
「何が?」
「好きな人」
「すきなひと」

 好きな人。沢山いるに決まっている。お父さん、お母さん、ペットのレッドマン、ちょっと気弱な幼馴染、心配性な友だち。それらを嬉々としながら並び立てると、金髪の彼女は違うよ、と笑った。

「ずーっとその人のことばっかり考えて、その人のためになにかしてあげたくて、その人のことを知りたい、もっと近くにいたいって思うような好意よ」
「うーーーん?」

 名前はいまいちピンと来ず、小さく唸った。名前の頭の中はヒーローのことばかり。それと、次のテストへの不安くらいだ。

「ははっ、まだ早かったか!」
「む!バカにしてる!

 名前はこうして時折子供みたいな扱いを受けることが多々ある。周囲と比べて、情緒が育っていないという自覚は多少あるのだ。それも、周囲からかけられる言葉によって気付かされたものだけれど。しかし、名前はそれに対して焦ったり不安に思ったりすることは無かった。ちょっとむっとしたり、寂しさを覚えたりすることはあるけれど。まだ大人には程遠いのだろう。

「そんな人がいつか現れるかもね。いや、もしくはもう会っちゃってたりして」

 



「精が出ますねえ」

 ぽつりと落とされた、静かな声に名前はぴゃっと体を跳ねさせた。手に持っていた片っぽだけの靴を再び池の中に戻してしまう。ぱしゃん、と汚い水飛沫が上がり、顔が汚れた。とてつもなく臭くて、鼻が曲がりそうだ。

「もう!ビックリさせないでよ!六道くん!」
「クフ、それはすいませんでした」

 振り返ると、そこには相変わらず底の知れぬ綺麗な笑みを浮かべる六道の姿があった。池の近くに立ち、せっせと清掃をする名前を見下ろしている。濡れた顔をごしごしと拭う名前を見て、酷く愉快そうにしていた。

「前から薄々思ってたけどさ、六道くんって結構意地悪だよね」
「おや、随分とつれないことをいう。まあ、優しいとは言いませんが」
「え!?優しいでしょ!」

 名前がとんでもないと言わんばかりにそう返せば、六道は虚をつかれたような顔を見せた。しかし、それも一瞬のことだ。彼は特徴的な笑い声を楽しげに漏らした。

「意地悪だと言うのに優しい。矛盾してますよ」
「うーん、そうなんだけど、そうじゃなくてえ……なんと言ったらいいんだろう?戦隊モノでいう、ちょっとツンデレなブルーみたいな感じかな!!」
「なんですかそれ」

 名前自身としてはこれだ!と思った例えを伝えたのだが、六道にはいまいち上手く理解されなかったみたいだった。ちょっと悲しい。しょんぼりと、肩を落とす。落ち込む名前とは反対に、六道は何処か上機嫌だ。やはり意地悪である。

「犬や千種に聞きましたよ。ここを綺麗にするんですって?」
「そうだよん!……犬と千種?」
「ここに訪れた2人組ですよ」
「あ、あー!!いたいた!!柿ピーと犬くんね!」
「おや、随分と仲良くなったみたいだ」

 先日池を掃除していた名前の元に訪れた、見る限り正反対の2人。やはり六道と2人は親しい関係であったらしい。
 六道は濁った水面を見下ろす。そこには、何も写らなかった。

「君は変わってる」
「よく言われる。自分ではそうは思わないけどねえ」
「そうでしょう。君のような綺麗事を並びたて、それをそのまま実行する善人はなかなかいませんよ」
「善人ってヒーロー?なら嬉しいかも!」

 名前は先程リリースしてしまった靴の片っぽを拾い上げる。誰のものだろう。泥がへばりついて、もう見る影もない。一応綺麗にしておこう。靴はゴミ袋に入れず、そのまま隅の方に避難させておく。
 
「さあ、どうでしょう?」
「え?」
「君の描く綺麗な世界はきっと誰かを救う。ああ、でも、きっと誰かを傷つける。無知とは恐ろしいものです」

 ほんのりと滲ませられた悪意に近いそれに、名前は思わず顔を上げる。ぽかんと開いた瞳と口。名前は間抜けな顔を晒していたのだろう。六道は囁くように笑った。

「でも、君はきっと知らなくてもいいことなんでしょう。君にはそのまま夢を追いかけて欲しいと思いますよ、僕は」
「……六道くんの言うこと、難しいよ」
「ええ、僕、優しくありませんから」

 だから、僕は君のことをいじめたく思っています。傷ついてしまえばいいとも。でも、謝らない。だって、腹が立って仕方ありませんから。
 なんて、名前を傷つけるような酷いことを言うくせに、彼の瞳は柔らかく細められていた。まるで、眩しいものを見るみたいに。羨むみたいに。手に届かぬショーウィンドウの中の商品を見つめるみたいに。だから、名前は何も言えなかった。

「ねえ、六道くん、この池が綺麗になったら、約束してたチョコパフェ食べに行こうよ」

 名前の言葉に、六道は片眉を上げた。なぜ今この状況でそんな呑気なことが言えるのか。心底理解出来ぬと言わんばかりの、不愉快そうな顔。でも、拒絶の色はない。名前はその事に安堵した。

「君は変わってるだけじゃ飽き足らず、馬鹿でもあるんですね」

 ああ、可哀想に。