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君の涙は重たい



 色とりどりの花たち。貴方ならきっと、綺麗ねって笑ってくれる気がした。

「ありがとうございましたー!」

 すうっと息を吸い込む。花の甘い香りが肺いっぱいに広がる。ぶわっと目に水分が溜まりそうになり、名前は慌ててサングラスをかけなおして、赤く腫れた目元を隠した。ついでに、フードも深く被り直しておいた。
 腕いっぱいに抱え込んだ花束。それを大事に大事に抱きしめて、名前はそそくさと道を歩く。1人でこっそり抜けてここまでやってきたのだ。周囲への注意を怠るわけにはいかなかった。誰かに正体がバレて騒ぎを起こせば、他の連合メンバーに迷惑をかけてしまうのだから。

「確か、あの角を曲がった先で……」

 トガから教えて貰った道のりを思い出しながら、名前は足を進める。途中で躓いて転びそうになりながらも、手元の花だけは必死に死守していた。

「ぬあっ!?」

 すると、横から何かが名前に衝突してきた。名前はドテンとその勢いのまま倒れた。サングラスが落ちて、視界が明るくなる。でも、抱えていた花束だけは離さずにいた。

「大丈夫ですか?」
「う、うん、だいじょーぶ…」

 手を差し出してくれたのは、歳若い青年だった。緑色のコスチュームをしている。ヒーローなのかもしれない。それにしても、どこかで見たことがあるような。名前は青年の手を取りながら、首を傾げた。

「君も、大丈夫?」

 次に、青年は名前の横に視線を落とす。そこには、地面にへたり込んだ小さな女の子がいた。額にちっちゃな角が生えている。恐らく横の路地から飛び出してきて、丁度通りかかった名前にぶつかってしまったのだろう。

「ごめんね、立てるかな?」

 名前も謝罪を口にする。しかし、少女は差し伸べられた青年の手と、名前の顔を見て、ビクリと身体を震わせた。怯えているのだろうか。青年が少女の体を抱えようとした時、ふと新たな声が落ちてきた。

「ダメじゃないか。ヒーローに迷惑かけちゃあ」
「あ……」

 少女が飛び出てきたであろう路地から、現れた男。顔の半分を覆う奇妙な鳥のくちばしのような面。伸びた下まつげ。この男を、名前は知っていた。
 敵連合のみんなと集まるまでの道のりの半ばで名前とぶつかった男だ。普通の人間とは違う異様な空気を纏っており、名前の生き物としての本能が「この男は危険だ」と警鐘を鳴らしていたのを覚えている。

「帰るぞ、エリ」

 その男が、また目の前にいる。名前は顔が強ばるのを自覚した。

「うちの娘がすみませんね、ヒーロー。遊び盛りでケガが多いんですよ。困ったものです」

 男は人好きするような笑顔をうかべた。作られたようなあまりにも穏やかすぎる笑み。名前は固まったまま、口も体も動かすことが出来ずにいた。その笑顔が、ただ恐ろしく見えて仕方がなかったのだ。
 隣にいる青年も同じなのだろうか。彼も顔を青ざめさせており、ただ突如現れた男を凝視していた。
 そんな中、からりとした声がピリついた沈黙を引き裂いた。

「まーたフードとマスク外れちゃってるぜ。サイズ調整ミスってんじゃないのか!?」

 それは、緑のスーツを着た青年と同じようにコスチュームをしたヒーローだった。金色の髪の毛とマスクの下からうっすらと見えるつぶらな瞳が特徴的だった。
 突然現れた彼は緑の青年のフードを頭に被せる。それを見た名前も落としたサングラスに気がついた。転げた拍子に落としたサングラスは、地面の上にひび割れて見つかった。それでもいい。要は名前の正体を隠せればいいのだから。名前は慌ててそれを拾い上げると、素早くかけ直した。

「その素敵なマスクは八斎會の方ですね!」
「ええ、マスクは気になさらず……汚れに敏感でして」

 チラリ、と男の目がこちらに向けられる。視線が合う。ゾッとした何かを感じた名前は慌ててそれから視線を外した。その視線の行先は、緑の青年の腕の中にいる少女だ。
 そこで、ふと疑問に思う。この少女のことを娘と言ったこの男は、おそらく親なのだろう。それなのに、この少女は男に背を向けたまま、戻る素振りが全く見られない。逆に拒絶しているようにも見える。それが、不思議であった。

「お二人共初めて見るヒーローだ。新人ですか?随分とお若い」
「……そうです!まだ新人なんで緊張しちゃって!
さ!立てよ相棒。まだ見ぬ未来に向かおうぜ」

 この男の言うとおり、2人のヒーローは若い。寧ろまだ未成年のようにも見える。となると、もしかするとまだ学生の立場で、インターンなどなのかもしれない。とはいえ、名前はヒーロー事情に詳しくないので、なんとも言えないが。

「何処の事務所所属なんです?」
「学生ですよ!所属だなんておこがましいくらいのピヨっ子でして……職場体験で色々回らせてもらっているんです」

 ピリッとした空気が、ヒーローと男の間に一瞬だけ流れる。なんだろう、このやり取り。まるで、ドラマや映画でよく見る、互いの手を探り合う駆け引きを見ているような気分であった。互いに互いを警戒している。それだけは名前も唯一理解出来た。

「では、我々は昼までにこの区間を回らねばならんので!行くよ!」
「はいっ……」
「お姉さんも、気をつけて!」
「あ、ありがとうー!」

 ヒーロー2人がその場を去ろうとする。名前も八斎會という男と共に取り残されるのはごめんだったので、それに便乗する形でこの場を去ろうとした。
 しかし、立ち上がろうとした緑の青年の動きが止
まったのをみて、気になった名前はそちらに視線を少しやる。

「……いかな…いで」

 緑の青年の腕の中にいた少女は泣きそうな顔を見せながら、青年の服を握りしめていた。なにかに怯えるように、恐怖するように。この時彼女は、目の前にいるヒーローに救いを求めていた。

「あの…娘さん、怯えてますけど」
「叱りつけたあとなので」

 緑の青年は、少女の状態をみて放っておけないと判断したのだろう。八斎會の男に追求の言葉を繰り出した。しかし、男はなんてことないように言葉を返す。
 少女は緑の青年の服を掴んだまま怯えている。それが、とても可哀想で見ていられなかった。だから、名前は我慢できず、つい口を挟んでしまったのだ。この時、名前は自分の立場も何もかも頭からすり抜けていた。

「私もよく怪我ばっかりするから分かるよ!このこの包帯って遊び盛りの傷ではないっぽいよね!」
「よく転ぶんですよ」
「そうかな?私、それだけじゃないと思うけど!だって、こんな小さい子が声も出さずに震えてるんだよ?」
「僕も普通じゃないと思います」
「人の家庭に自分の普通を押し付けないでくださいよ」

 名前でさえも、これは怪しいと踏んだ。こちらの詮索を嫌がっている。つまり、探られて痛いところがあるというわけだ。もしや、虐待だろうか。もしくは何かしらの犯罪と関係があるのかもしれない。
 とはいえ、追求しない方がいいことだってある。何せ、彼はどこか危険な香りがするのだ。深く関わると、恐ろしい何かが待っている気がする。それでも、緑の青年が、名前が、少女をこの男の手に渡したくないと思うのは。少女が必死に助けを求めたからだ。理由としてはそれだけで十分だった。名前はヒーローではないが、困った人がいれば助けてやりたいとは思えるくらいには良識を持った人間であるのだ。敵連合に入っておいて、良識もクソも無い話だけれど。だが、それでも名前は見過ごせなかった。

「この子に何してるんですか?」

 少女を守るように抱き込む緑の青年は、間違いなくヒーローだった。学生とはいえ、立派なヒーローだ。誰かを守りたいと思った時、人は立場も年齢も関係なく、ヒーローになれるのだろう。

「……ふう、全くヒーローは人の機微に敏感ですね。分かりました」

 男は溜息をつき、肩を竦めて言う。やれやれ、とでも言わんばかりだ。男は路地の方へと身体を向かせると、こちらに来て欲しいと申し出てきた。

「お姉さん、ここからは俺たちが対応するから」
「えっ!」

 ヒーローの言葉に名前はパチクリとその目を丸くさせる。後を追いかけようと意気込んでいたものだから、拍子抜けしてしまったのだ。

「でも……」
「これは俺たちの仕事ですから」

 その力強い言葉に名前は頷く他なかった。未だに緑の青年に引っ付く女の子に視線をやる。カタカタと震える姿はまるで小動物のようだ。その体を抱き込み、この男から一緒に逃げ出したいと思う。だけど、それが今の名前には出来ないことを名残惜しく感じた。

「わか、分かりました…お願いします…」

 名前は頭を下げ、そろそろとこの場を離れた。女の子の目がこちらに向く。縋るような、弱々しい視線。それに胸が痛くなった。その視線から何とか逃れるように背を向けて、名前はゆっくりとした足取りで歩く。
 それでも、あの女の子の助けを求める姿が脳裏に張り付いて、離れなかった。







 吹く風が冷たい。埃っぽい香りに小さく咳き込んだ。目の前には寂れてボロくなった建物がある。人の気配はないが、人ではない何かは出てきそうな空気に身を凍らせる。それでも、名前は首をブンブンと横に降り、その中にそっと入り込んでいった。中はもちろん薄暗い。ホラーが苦手な名前はびくびくとしながらも、必死に足を進めていった。

「ここ…」

 名前が足を止めた場所。そこには古びたコンクリートに染み付いた赤があった。それは乾いていたが、大きな水たまりを作るように、名前の足場を鮮血の色に染め上げていた。
 名前は腰を落とす。そして、手のひらでその場所を撫でた。冷たい。ぐしゃりと顔は歪み、切なげに目は細められた。視界がじんわりと滲む。慌てて袖口でそれを拭い、ぎゅうっと唇を噛み締める。泣くためにここを訪れた訳では無いのだ。

「マグ姉」

 名前は腕いっぱいに抱え込んでいた花束を赤い水溜まりの跡に下ろす。花弁がふわりと1枚落ちた。花の甘やかな香りの中に、未だに蔓延る鉄の香りが名前の鼻腔を控えめに刺激した。夢だと思い込んでいたかった現実が、名前の胸に重くのしかかる。
 名前が誰にも言わず、内緒でこっそりと訪れた場所。それは、トガから聞いたマグネが亡くなった場所だった。

「どうか、安らかに」

 名前は瞼を下ろし、手を合わせた。目を瞑ると、マグネの顔が瞼の裏で鮮やかに浮かぶ。そして、脳内ではドキュメンタリー映画のように、彼女との思い出が掘り返されていく。それを一つ一つ必死になって拾い集めていった。
 何故、こんなことになったのか。あの夜から名前は繰り返し問う。それに答えなんて返ってこない。マグネも、同じだ。ぐすんと、鼻を鳴らす。あれだけ泣いたのに、涙は枯れない。不思議なものだ。
 いつまでも、いつまでも、名前は頭を垂れて手を合わせていた。懺悔か、祈りか、後悔か、誓いか。ごちゃまぜになったこの感情に名前なんてつけられやしない。そんな名前を引き戻したのは、彼女の肩に乗せられた手と縋りたくなるような優しい声だった。

「名前ちゃん」

 その声と温もりに引き戻されるように、名前は目を開けた。開けた瞬間、耐えていた涙が1粒だけポロリと落ちる。

「探したぜ」
「……Mr.」

 名前を現実に連れ戻してくれたのは、Mr.コンプレスであった。彼は名前の横で同じように体を縮こまらせていた。仮面は珍しく外してある。マスクの隙間から覗いている瞳は、何処か乾いて見えた。

「あまり1人でウロウロするんじゃない」
「ご、ごめん……でも、どうしても行きたくて」
「名前ちゃんは、そういう子だもんな」

 そう言うと、コンプレスは名前の肩に乗せていた手を胸元に持ってくると、祈るように立てた。頭を下げて、目を閉ざしている。コンプレスが小さく動くだけで、左手のシャツの裾はふわふわと揺れている。それを見る度に、彼の腕がなくなってしまったんだと目の当たりにする。彼を襲った痛みや苦しみを想像して、胸が痛くなる。名前は思わず彼の肩に手を回してそっと身を寄せた。コンプレスは無言のままこちらに少し体を傾けてくれた。冷たいコンクリートで出来た建物の中で、彼の熱だけが名前が今唯一感じれる温もりだった。

「そんな顔しないでくれ」
「どんな顔?」
「不幸な顔だ」
「ふこう」
「名前ちゃんは、不運だけど不幸な顔はしていなかったからな」

 だから、そんな名前を見ると、不思議な感覚に陥るのだと。コンプレスは困ったように笑った。

「名前ちゃん」
「なーに?」
「俺が死んだ時も、こうして不幸になってくれないか」

 コンプレスの言葉に、名前はまるで鈍器で頭を殴られた気分になった。彼は、今、なんと言った。

「な、なんで、そんなこと……」
「俺らが死んだとしても、世間は喜ぶ。誰もその死を惜しむことはないだろうな。だから、名前ちゃんだけは、唯一君だけは悲しんで、その死を悔いて、弔ってほしいんだ」

 コンプレスの言葉は、遺言のようであり、神様に懺悔をするかのような告白でもあった。そして、名前は想像した。足元に転がるコンプレス。その体の下からは赤い血が広がっていき、やがて名前を飲み込まんとする。思わず、ひゅっと息を飲んだ。

「や、やだよ!」
「……そうか」

 名前の拒絶にコンプレスは目を伏せる。そして、名前は仮面を嵌めようとした彼の手を強く掴んだ。彼の切れ長の瞳が丸くなったのを視界の端に写す。

「死ぬなんて、やだよ!」

 名前は叫んだ。その声は情けなく震えており、だがあまりにも悲痛な色を滲ませていた。彼女の訴えはやけに大きく響き、冷たい空気の中に染み込んで消える。コンプレスは思わず息を詰める。

「もう、こんな思いしたくないよ!誰かが死ぬなんて、いなくなるなんて、会えなくなるなんて、嫌だ!!」
「名前ちゃん、」
「生きてよ!!」

 名前は自分の言葉が大きな矛盾を抱いていることに気づいていた。
 彼らは、自分は、敵だ。多くの人たちの命を奪い、脅かす存在だ。そんな自分たちが、何事もなくのうのうと生きていけるはずがない。そんなの、虫の良すぎる話だ。因果応報。誰かを傷つけるとき、誰かの命を奪う時、自分もそれと同じ脅威を迎える。だから、そんな彼らに何がなんでも生きて欲しいとワガママを言うことは、筋違いなのだ。それは、理解している。しているが、名前は願わずにはいられない。告げずにはいられない。縋らずにはいられない。
 彼らと共に居たいと。隣で、生きていて欲しいと。そう乞うことがどれだけ罪深いことか。

「私と一緒に、生きてよ……」

 ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしながら、名前は泣く。名前はずっと泣いてばかりだ。泣きすぎて、最近は頭が痛いし、瞼だってずっと腫れっぱなし。情けないことこの上ない。でも、止まらない。こんな目に遭うなんて、もう真っ平御免だ。

「ーーーああ、そうだな」

 コンプレスは息を吐くようにそう呟いた。ひとつしかない腕を伸ばして、その背中を撫でる。それは、漏れでる嗚咽に合わせて、小さく跳ねていた。名前はコンプレスの胸元で声を押し殺しながらも泣く。ポロポロと、涙を零して。まるで、子供みたいだ。
 生きてほしい、と。そう乞われることが、こんなにも重たいなんて知らなかった。

「腕がもう1本あったらな」

 そしたら、泣いている彼女を強く抱きしめながら、その涙を拭えたのに。コンプレスはそう言葉を零して、名前の頭に頬を寄せ、そっと目を閉ざした。