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世界が残酷なことを知った


 古ぼけた建物。人の気配を感じさせぬ廃墟。ここが、敵連合の根城だ。夜に1人では訪れたくないものだと思う。名前はスピナーと荼毘のあとをてくてくとついて行きながら、周囲をキョロキョロと見渡した。
 そして、ある扉の前で2人は立ち止まる。きっとこの向こう側に仲間たちがいるのだろう。久々の再会だ。嬉しくて、楽しみで、仕方ない。

「ね、ね、早く開けてよ」
「分かったから落ち着け」

 ポンポコとスピナーの背中を叩いて先を促す。スピナーは呆れたように目を細めると、扉にそっと手を伸ばした。
 ガラガラと音を立てて扉を開ける。扉は立てかけが悪くなっているらしく、開けるのに力を必要とするので酷く億劫だ。
 扉を開けると、埃っぽい香りがふわっと名前の頬を撫でる。懐かしい匂いだ。自然と顔が緩む。

「悪い、遅くなった……あ?」
「ふぎゃっ」

 名前の前には荼毘とスピナーがいる。この2人が進まねば、名前も前に進めない。そして、体格の差により部屋の中も見えない。それなのに、2人は部屋に入った1歩目で、その足を停止させてしまっていた。名前はつい荼毘の背中に鼻をぶつけてしまう。

「ちょっと!何してんの!後ろつっかえてますよー!」

 痛む鼻を抑えながら、文句をたれる。それでも、目の前の2枚の壁はその場から動く気配はない。名前はむうっと唇を尖らせる。焦らすなんてひどい。あんまりだ。この時の名前はそう思った。この部屋の惨状になんて、全然気づいちゃいなかったのだ。

「ああ、荼毘。お前を待ってたんだ」

 死柄木の声が静まった空間に響いては、やがて溶け落ちる。懐かしい声に胸を高鳴らせた名前はその場をぴょんぴょこと飛ぶ。
 その時に、隙間から見えた光景。赤く伸びた絨毯と、床に横たえられた誰かの足。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、それが見えた。

「ねえ、何があるの?」

 名前は恐る恐る尋ねてみる。その言葉尻は少し震えていた。今見た光景は何なのだろう。何故か良くない予感がする。これ以上考えては行けないと、誰かがそう耳元で囁く。それでも、好奇心旺盛な名前の脳内は必死に先程の光景を繰り返し再生し、答えを見つけ出そうとする。
 埃っぽい香り。嵐の前のような静けさ。それと同時に鼻につく嫌なそれ。それは、ここに訪れる前も鼻腔に張り付いて離れなかった香りと似ていた。噎せ返るような苦い、鉄の香り。
 そこまで思考を働かせていると、名前の視界が突然黒く覆われた。

「イカレ女、こいつを連れて出ろ」

 恐らく荼毘の手が名前の視界を隠しているのだろう。いつもと変わらぬ荼毘の声。それを聞くと不思議と落ち着いた。

「……分かりました」

 暗く落ちた声。トガのものだ。それにしては、変であった。名前の知るものと比べて、それはかなり元気がなかったのだ。
 くい、と腕を引かれる。その力に引かれるがまま名前は足を動かす。荼毘の手が名前から離れていった。おかげで視界がクリアになる。その視界に映ったのは、久方ぶりに見るトガの後ろ姿だ。それに声をかけようとしたが、名前は出かかった言葉を飲み込んだ。いつもならば真っ先に飛び込んでくる抱擁はなく、その背中は無言は貫いていたのだ。いつもみたいに気楽に声をかけることは憚られた。
 何が起こったのだろう。名前は不審感を募らせていく。だが、また仲間はずれなどとは思わなかった。名前の視界を隠した荼毘の手、トガの有無を言わさずこの場から離れようと強く引っ張ってくる手、それらを黙認した他の連合メンバー。それらには何かしらの理由があることを、名前は理解していた。だからこそ、悔しく思うし、そして同時に恐ろしく思う。名前の目から逸らさせたい何か。それは、決していいものでは無いことは察せられる。知りたいような、知りたくないような。複雑な心持ちであるが、名前が拒否しようとも現実は彼女を逃がしてはくれないのだろう。
 後ろを振り返る。再び鈍い音を響かせながら、扉が閉じていくのが見えた。





 建物から出る。夜も暮れ、空を見上げると星がチカチカと瞬いていた。ぬるい夜風が柔らかく吹き、名前と髪を攫っていく。心地のいい感触に目を細めた。

「ごめんなさい」
「へ?」

 すると、手を繋いでいたトガが1つ謝罪を零した。名前は首を傾げながら、聞き返す。

「何が?」
「腕、痛かったですか」
「え?ああ、そういうこと!ううん、大丈夫だよ」

 なるべくいつもの調子で返した。しかし、トガは相変わらず元気のないままだ。だが、握りしめてくる手は素直なようで、謝罪の言葉を述べながらもきつく握るその力は抜ける気配はなかった。

「久しぶりだね。元気だった?」
「はい。名前ちゃんは、相変わらずっぽいですね。血のいい匂いがします」
「へへへ、ここに来るまでも色々あったから」

 すると、空気が少し揺れた気がした。隣をちらりと見ると、トガは少し笑っていた。よかったと、胸を撫で下ろす。

「……ねえ、トガちゃん」
「はい」
「何があったの?」

 名前は問いかける。しかし、トガは表情を固まらせて、口を閉ざしてしまった。言いたくない。その感情は読み取れた。だが、名前も引けなかった。

「私が知っちゃダメなこと?」
「いえ」
「じゃあ、教えて欲しいな」
「……でも、」

 トガは迷っているようだった。逃がしてはいけない。なんとなくそう思い、名前は握る手に力を込めた。

「私、まだ信頼されてない?」
「それは、違います」
「そっか。それならよかった。それじゃあ、」
「でも、言いたくありません」

 バッサリと断言された。少し精神的に来るものがある。だが、トガの表情は隠し事をされている名前よりも酷く苦しそうで。名前は眉を下げた。

「それって、私のため?」

 なんて、少し自惚れたことを言ってみる。死柄木や荼毘、スピナーにそんなことを尋ねてみろ。返ってくるのは冷ややかな視線だ。それが、事実であれ勘違いであれ。だが、トガは違った。ビクリ、と身体を震わせ、その視線を彷徨わせた。

「……名前ちゃんのこと、傷つけたくないんです」
「……そっか。トガちゃんは優しいね」

 よしよしと。頭を撫でてあげる。トガは目を大きく見開き、そしてやがていつもみたいに笑みを浮かべた。

「私、名前ちゃんのこと好きです」
「て、照れるなあ!ありがとう!私もトガちゃんのこと好きだよ」
「だから、名前ちゃんのこと切りたい。でもいなくなるのは嫌なので我慢してます」
「そ、そっかあ。ありがとね」

 あれ、私って結構危険な綱渡り状態ではなかろうか。そのことに名前はようやく自覚した。ほんの少しだけ背中がヒヤッとした。

「あと、名前ちゃんには、笑っていて欲しいのです」
「トガちゃん…」

 トガは顔を俯かせながら、秘密を打ち明けるように小さく呟く。そんな意地らしい年下の女の子の様子を見て、名前は頬を緩めた。

「私もね、トガちゃんには笑っていて欲しいって思うよ」
「……」
「ねえ、私、弱いし不運だし意気地ないしダメダメだけどさ。これでも、みんなの仲間だよ。私、仲間だからこそ皆と一緒に共有したい。楽しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、苦しいことも」

 笑っていて欲しい。傷つけたくない。そう言って、名前に向けてくる優しい感情のなんて尊い事か。純粋に嬉しく思う。でも、それが同時に寂しさをもたらす。

「ねえ、トガちゃん、教えて」

 名前は懇願する。何故自分がここまで必死になっているのかは分からない。だが、名前はこれを自分も知らなくてはならない事だと察知したのだ。良くないことであれ、知らずにいることは許されないように感じた。そんな予感がしていた。
 名前の想いが通じたのだろうか。トガは俯かせていた顔を上げ、じっと名前を見つめてくる。名前が何を言っても引かないこと。そして、どうしたところでこの事実は早かれ遅かれ名前を苦しめることになること。事態を遅くしたところで何も変わらないこと。トガはそれに気づいていた。だから、口を開いた。

「……分かりました」

 そこから、トガは話した。ゆっくりと、必死に、言葉を紡いでいった。
 トゥワイスが敵連合に勧誘した男が、ヤクザの男であったこと。だが、その男は敵連合に入るつもりは更々なく、逆に自身の組織の傘下に入ってこいと勧誘してきたこと。そして。

「マグ姉が……」

 マグネが死んでしまったこと。コンプレスの腕が一本なくなってしまったこと。
 その話はまるでおとぎ話のようで、現実味がなかった。実感がないと言うべきか。ショックは強いが、強すぎるがあまり現実として受け入れるのが難しかった。
 だが、名前の脳内にはあの光景が焼き付いていた。床に広がった赤い血と、横たえられた足。あれは、マグネのものだったのかもしれない。だから、荼毘は名前がその光景を直視しないようにその目を隠し、トガは名前を連れて部屋を出たのだろう。だが、どう足掻いたところで、ほんの少しだけ見えたあの光景は現実だ。

「……私、何も返せなかったな」
 
 酒を飲んで酔っ払った時に介抱してくれたこと。何かあればすぐに助けてくれたこと。こっちが似合うわよ、と服やアクセサリーを選んでくれたこと。荼毘との関係を心配してくれたこと。彼女から貰ったものはたくさんある。でも、名前は彼女になにか返してやれただろうか。敵連合がバラバラに離れてしまってから、彼女とは一言も言葉を交わすことなく、それっきりになってしまった。
 胸に広がるのは苦い後悔と、何故マグネが殺されてしまったのかという疑問と、行き場のない怒りだ。

「名前ちゃん、泣いてるんですか?」

 ボロボロと、名前の目からは熱い雫が零れ落ちていた。現実は受け入れられなくとも、感情はしっかりとついて行ってくれているらしい。名前の涙腺は決壊していた。
 ああ、不味い。泣き止まねばと、名前は目を擦る。だが、止まらない。止まれ、止まれ、止まれ。そう念じて、目を抑える。笑顔が好きだと気遣ってくれたのに、それを無下にした挙句泣くなんてよろしくない。
 だが、その手を、トガは優しく掴んだ。

「名前ちゃん、私、名前ちゃんの笑顔が好きです」
「ん、……」
「でも、名前ちゃんが泣いてくれて、私、少し安心しました」
「え?」

 トガの言葉に名前は思わず手から顔を覗かせる。トガはニッコリと笑っていた。

「私たち、泣けなかったんです。だから、こうして私たちの分まで泣いてくれる名前ちゃんを見ると、よかったって思います」

 そこで、ようやくトガは名前を抱きしめた。前と変わらぬ柔らかな感触と暖かな熱。ほんのりと香る血の匂い。名前は彼女の腕の中で、声を押し殺して泣いた。